第14話 「外見の印象と乖離(かいり)しているな」
ガールズトーク回(あまやどり風味)です(/・ω・)/
その後意見の交換がなされたが、皆手探りで実りのあるものではなかった。
「やはり、文字の羅列ではピンとこないな。生きた情報が欲しい」
時間を置いて、貴美が呟いた。
「同感だ。“何が分からないのかがまだ分かってない”状態でフワフワしたやりとりになってる。羅針盤も舵もなくイカダで海に漂ってるようなもんだ」
血と肉が伴った経験がない以上、どこに注目すれば良いのかが判然としていない。穂塚のようにプライドだけで周囲を引っ掻き回す者がいないだけ穏健な集団であった。
「筏には元々舵がついてないのでは?」
引っ掻き回すことはせずとも、混ぜっ返す黒い少女はいたが。
「じゃあ泥舟に訂正しとく」
当麻は絶版銘柄の煙草を掴み出して、口にくわえる。火をつけようとして思いとどまった。
「おっと」
くしゃりと煙草を握り潰す。その様子を見て、貴美が微笑んだ。
「じゃあ机の上でこねくり回すのは一旦棚上げして、ハズレのない堅実な行動してみようか。俺としては、一度比嘉石弥栄の死体を見てみたいと思う」
マンホールに遺棄したときと、死骸がどのように変わっているか確認するのが本当の目的だった。
「早めに見ておかないと、遺族に引き渡されるかもしれませんわね」
万斗果が同意する。甲斐老人は死体を見るのは嫌そうだったが、代替案が思いつかなくて反対できなかった。会議室に残っていた意義路を捕まえる。
「比嘉石弥栄の死体はどこに保管してあるんですか?」
所在を訊くと、
「司法解剖を終えたばかりで、まだ裁判所から嘱託されたT大学の法医学教室にあります」
資料もめくらずに即答だった。
「ひょっとして、事件に関する情報全部頭に入ってます?」
「資料をいちいち読み返していては時間の無駄でしょう。憶えた方が効率的です」
「出来る男」の見本のような答えが返ってきた。
(s課なんかにいないで、1課で捜査の指揮でもしてればいいのに)
とは思うが、侮辱になるかもしれないと黙っておく。
まずは遺体検分、という流れになった。会館を出る。
「問題は、足をどうするか、だが……」
目的地までは遠い。車椅子の万斗果がいるので、手段は限られている。バスはあるだろうが、昨今では車椅子の乗車を拒否する良心的でないバス運転手も珍しくない。
「初っ端からタクシーはなあ……」
経費に厳しそうな意義路の顔が脳裏にちらついた。
「よろしければ、わたくしの車で参りましょう」
「へ?」
言い終わるや否や、音もなくロールスロイスが滑り寄ってきた。万斗果の前に狂いなくピタリと停車し、自動でドアが開く。のみならず、車椅子用のスロープまでせり出してきた。
「さ、どうぞ」
先に少女が乗り込む。
「――ええと、これはいったい?」
万斗果がどこかに連絡したようには見えなかったのだが。
「あら、目的地までさすがに遠いので、車を利用した方がいいと思ったのですけれど」
言い分は尤もだが、当麻が追及したいのはそこではなかった。
「王喜さん、ではなかったな。万斗果の家庭で使っておられる車なのか?」
貴美も困惑している。
「はい、そのようなものです」
ぼかしたような、明言を避けるような言い回しをする少女だった。
「ま、まあいいや。乗せてくれるならありがたいもんな。うん、きっとそうだ」
無理やり自分を納得させ、万斗果に続いた。
「では、世話になろう」
貴美も乗り込んだ。最後に甲斐老人が続く。中は車椅子でも寛げるほどに広い。座席に張ってある革も、一目で高級品と知れた。
「T大学までお願いいたします」
少女が伝えると、運転手はこちらも見ずに無言で頷いた。帽子を目深に被っていて、顔どころか性別さえも定かでない。いきなり目的地を言われたにも関わらず、質問を返すことも、地図を開いて場所を確認する様子もなかった。すぐに、滑るように発車する。薄気味悪いことに、サイドブレーキやハンドルを操作する際にも、物音ひとつ立てない。移動中の車であることが信じられないほど快適だった。
「おい。なんなんだ、この車は」
「ご存じないですか? ロールスロイス・ゴーストです」
さらりと高級外車の名前を言うが、当麻が知りたいのは車種ではなかった。未成年でありながらこんなものを自在に使える万斗果に疑問を持ったのであるが。当麻は後日何気なくネットで調べてみて、この車が5千万近くもすることを知って仰天することになる。
「ゴースト、ねえ。あの運転手もゴースト、なんてこと言わないよな?」
「まあ、面白い冗談ですわね」
万斗果はコロコロと笑うが、4割ほどは本気である。後部座席はかなり広く、テーブルまである。車椅子の万斗果が一方に、テーブルを挟んで対面に当麻と貴美が座る。隅に甲斐老人。それでも十分なスペースが余った。自動車の中にいるという感覚が持てない。
「移動する部屋だな、まるで」
貴美が感嘆の声を漏らす。
「あら、いい例えですね。では今後は、この車を移動作戦本部といたしましょう」
「おっと、それは助かる」
本音だった。移動の手段にもなるし、込み入った話もできる。貴美や万斗果と行動していると、電車なり店なりを利用する際に、好奇の視線にさらされることになり、嫌でも目立つ。が、車が利用できるなら、そんな煩わしい思いはしなくて済む。デメリットにしか思っていなかった万斗果だが、かなり助かる存在に早変わりした。そこまで万斗果の計算の上だったのではないか、という疑念がどうしても拭えなかったが。
「いいのか? ご家族が使用されるのでは?」
「いえ、これはわたくし専用の移動手段ですの。なにぶん、不便な脚をしておりますので」
不便な脚をしていることと、動く不動産のような車を自由に使えることに因果関係はないのだが、深くは追及しないことにした。相手のことを探れば探ろうとするほど、こちらも個人情報を明け渡さねばならなくなる。
「そちらに備え付けの冷蔵庫がありますから、好きなものを飲んでください」
開けてみると、ミネラルウオーターからコーラ、シャンパン、ワインなど一通りそろっていた。
「では、緑茶をいただこう」
貴美がペットボトルを手に取る。いちいち、わざとらしく辞退したりはしない性格だった。
「昼にコーヒー飲んだから、今はいいや。何か取ろうか?」
位置的に冷蔵庫から当麻が最も近く、万斗果が遠かった。
「フェンティマンスをお願いします」
聞いたことがない飲み物だった。透明な瓶に、犬の顔のラベルが貼られている。当麻が断ったことで口実を得たのか、甲斐老人も「いまはいらない」と断った。
「どうぞ。おいしいのか、それ?」
「はい。エルダーフラワーとジンジャーの相性が最高です」
説明されても、さっぱり想像できなかった。
「他はアップルタイザーなどがおススメですよ」
「あいにく、俺の胃は安物しか受け付けないんだ」
謙遜でも皮肉でもなく、ただの事実である。
「貴美さんは大学生なのですね」
到着するまで1時間ほどかかる。自然と自己紹介に移行した。当麻としてはあまり自分のことを喋りたくなかったが、考えてみればまだお互い名前ぐらいしか知らない。なにかあったときのために、せめて通り一遍の情報は必要だった。特に得体のしれない、王喜万斗果について。
「うむ。K館の2回生だ」
話し方は男性的だが、不思議と艶がある。若さの割に芯があるのが感じられた。
(きっと、大学では大モテだろーな)
とぼんやり考える。
「ご実家が神社だとか。伊勢乃木神社ならば、有名な式内社ですわね」
珍しい名字から、万斗果にはどこの神社か察しがついたようだ。
「驚いた。その若さで延喜式内社を知っているのか」
貴美が嬉しそうに答えた。式内社とは、平安中期にまとめられた、延喜式神名帳に名前が記されている神社のことである。いわば朝廷から官社として認められた神社のことで、古社としても一種のステータスになる。が、神仏に縁も興味もない当麻には2人の会話を聞いたところで、「由緒正しい神社」ぐらいの認識しか持てなかった。
「たまたまです。K館ということは、神社を継がれるのですね?」
「一人っ子なのでな。卒業すれば正階を得られるが、その後で2年奉職して明階をいただくつもりだ」
(……年頃の女どもってもっとこう、オシャレだの流行りだのカルいおしゃべりを楽しむもんじゃないのか?)
偏見と現実の差に首をひねる。
「当麻さんは?」
話の流れで訊かれることは予測していた。
「ああ、俺はしがない工場勤務だよ。もうじき無職になるかもしれないけどな」
会社に電話したときの感触を思い出す。
「では、勉強で相談に乗っていただけます? 高給優遇いたしますけれど」
悪戯っぽく万斗果が提案する。
「ああ、無理無理。俺、小学校の時から引きこもりでさ。高校にも行ってないんだ。学力はお察しだよ」
右手をひらひらと振る。
「引きこもり……?」
貴美が怪訝な顔をする。悪い印象を持ったのか、と思いきや、
「どうも、外見の印象と乖離しているな」
もっと悪い感想だった。
「家に籠もってゲームやネットサーフィンをしているイメージではありませんわね」
万斗果にも同調されてしまった。目の前で相対している「陸儀当麻」と、不摂生な引きこもりであろう「陸儀当麻」では、いろいろ一致しないものがあるらしい。当麻の計算外だった。
「え、え。そうか? そりゃ、少しぐらい立ち直って社会に出てるから」
言い繕うが、あまり考えなしに言葉を重ねると、却って墓穴を掘るかも、と思い直す。
「と、ところで、万斗果は高校生だよな?」
露骨に話題を逸らそうと試みる。
「はい、A高等学校です」
有数の進学校だった。6大への進学率に定評がある。同時に、私立で学費の高さにも定評があった。「3年通ったら大学に行かせる資金が吹き飛んだ」と保護者が嘆いた、というエピソードがあるほどに。やはり、万斗果の家は資産家のようだった。もっとも、この黒い少女が赤貧にあえいでいるというのは、世界で最も想像が難しいことの1つかもしれない。
「やはりお嬢様だったか。しかし、それでもお抱え運転付きで車を自由にできる家など、なかなかないと思うぞ」
貴美が生茶を飲みながら話しかけた。不思議と、この女性が言うと嫌味がない。どこまでも裏表のない人格らしい。
「古いだけが取り柄の家系です」
「まあ、金持ちは“金がある”なんて言わないよな」と当麻は思ったが、黙っておく。
「戦後のドサクサに紛れて財を築いたのかもしれませんし」
「どんなふぉろうだ」
貴美が苦笑する。水と油のように見えて、意外と2人の相性は良いのかもしれない。
「なんだか、別の世界に紛れ込んだみたいじゃ」
甲斐老人のぼやきに、
「まったくだ」
当麻はひっそりと同意した。




