50話
異世界に来てから初めて要塞都市フィーリアスを離れる拳児達は、周辺の風景に目を見張りながら楽しそうに眺めていた。フィーリアス近くの港を望む景色も、山道を登る馬車と人の群れも全てが目新しく、これがファンタジー世界の光景か、などと胸が弾んでいた。途中馬の休憩の為に立ち寄った湖も村も長閑で綺麗であり、フィーリアスがいかに都会であるのかを実感出来た。フィーリアスより家屋が少ない、牧畜がされている、麦や野菜が育てられている。どれもフィーリアスでは見られない光景だった。
そんな楽しい初めての遠出も夕方となった頃、車窓から流れる景色を覗いていたニアが嬉しそうに声を上げた。
「見えてきたよー!」
「お、マジか」
嬉しそうなニアの声に拳児も反対側の窓から顔を出して前方を覗き込む。前方には木の柵と櫓があり、櫓の上には弓を持った若い男性が左右両方に立っていた。その様子を見て拳児がポツリと呟く。
「入口に検問は無いんだな」
「フィーリアスじゃあるまいしそんな物必要無いのよ」
拳児の言葉に呆れたように応じるマリエルを他所に、隣に座っていたニアは座席に膝立ちになって窓から身を乗り出して手を振り叫んだ。
「兄さ~んっ!!」
「兄さん!?」
ニアの叫び声に思わず拳児だけでは無くフランも恵も馬車の窓から身を乗り出して前方を見ると、櫓の上で右手に弓を持ち左手で小さく手を振る、気さくそうな拳児達より年長そうな、拳児達と変わらない頭身の男性を見つけた。
「え、ニアのお兄さんはウィードランナーじゃないのか」
「あー、遺伝?っていうので家族でウィードランナーなのは私と母さんだけなんだよ」
「へ、へぇ。さすが遺伝子の神秘」
現世でも隔世遺伝やら何やらと遺伝子の神秘は数多くあるし、フラン自体が遺伝による見た目だけ純粋金髪碧眼だ。そこに文句があろうはずもない。そうして馬車は櫓の間にある開かれた門から村の中へと入り、動きを止める。そうして完全に動きが止まった所で、御者をしていたおじさんが声をかけてきた。
「へいお客さん、到着ですぜ」
「えぇ、ありがとう。これは御駄賃ね」
「へぇ、ありがとうございやす!またお願いしやす!」
御者のおじさんにマリエルが銀貨を1枚手渡すと御者のおじさんはにっこり微笑んでまたよろしくと告げてくる。銀貨1枚で大体日本円にして一万円前後と考えれば高めのチップだ、そりゃ御者も嬉しかろう。そんな感想を抱きながら恵はシニカルな笑みを浮かべつつ馬車を降り、続けてフラン、拳児と日本組が降りてからレテスとニア、マリエルが降りてくる。ニアは馬車を降りてすぐに、自分の方向に歩いてくる弓手の男性に駆け寄り右手を差し出した。
「兄さんただいま!」
「おかえりニア」
そのままパチンと軽く手を叩いてから男性はニアの頭を優しく撫でながらマリエルの方へ視線を向ける。
「お帰りなさい、マリエル様。近くお二人が戻って来る予定という事でしたので櫓で待っていたのは正解でしたね」
「その予定を勝手に吹聴していたのはパパでしょ」
「はい。ギルドに指名依頼として出したから近く帰ってくる、と」
「指名依頼は余程の理由じゃないと断れないものね」
自身の父親の行動に呆れを覚えながらも確実な手である事を理解しているマリエルは、ギルドと浅くとも縁がある村長である自身の父親を少しばかり恨むのだった。そんなマリエルの様子に彼も軽く苦笑を浮かべながら、ついと視線を拳児達に向ける。
「それで、マリエル様。そちらの方々は?」
「あぁ、私達のパーティーメンバー。全員フィーリアスで知り合った、マリエルパーティーの構成員よ」
「構成員は止めようかマリーちゃん、私本来は警邏隊側だから」
「あ、そうだったわね」
構成員という単語に忌避感を覚える恵が思わず突っ込むとマリエルがスマンスマンと言うようにすぐに訂正をした。その様子を眺めていた男性はニアを撫でていた手を止めて頭を軽く下げる。
「ニアとマリエル様がお世話になったようで。エライ村の狩人でアルスと申します」
「いえいえこちらこそニアとマリエルには大変お世話になっていまして。私は恵、こちらの子はレテスティアちゃんとフランチェスカちゃん、男の子は拳児君です」
「よろしくお願いします」
ニアの兄であるアルスは丁寧に頭を下げて挨拶をしてくるので拳児達も頭を下げて挨拶をして挨拶の応酬を完了させる。それを見送ったマリエルはアルスに問いかけた。
「それで、私はとりあえず実家に戻ればいいのかしら?それとも宿でいい?」
「えっと、多分村長達は実家にお戻りになると想定しているかと思いますが」
「えー」
「えーって」
アルスの言葉にマリエルが心底嫌そうに呟くとアルスも困ったように呟いて頭を軽く掻く。
「一応マリエル様達が戻ったらすぐにお連れするようにと言われていたのですが、他に同行者が居るとは思っていなかったので。この場合先に宿を取った方が良さそうですね」
「私達4人分の部屋だけ先に確保させて貰いましょうか、その後マリーさんのご実家に向かいましょう」
「仕方ないわねぇ」
レテスの建設的な提案にマリエルは心底諦めたような態度で一緒に道を歩き出す。アルスも困ったような表情のままマリエル達に並び、マリエルの反対側を楽しそうに歩くニアを見て頬を綻ばせながら問いかける。
「ニア、ダンジョンは、フィーリアスはどうだった?」
「ダンジョンは怖い所だけど最高な場所だよ、うん。フィーリアスも都会ではあるけれど生活がそう大きく変わる訳でもないかな。あ、でも牛の乳やヤギの乳はこの村の方が新鮮だよ」
「ま、そりゃそうだろうけどな」
ニアが他愛もない事を喋るとアルスが嬉しそうに頷く。仲の良い兄妹だなぁと思いながら道を進んでいると、若干内部が騒がしい大きな家屋に到着した。そこの押戸を開くと内部は酒場兼宿屋の、フィーリアスと変わらない光景が広がっていた。その様子に小鳥の羽音亭を思い出してフランが頬を綻ばせると、酒を運んでいた恰幅の良いおばさんが声をかけてくる。
「あれアルス、いやニアちゃんとマリエルお嬢様か!?本当に帰ってきたんだねぇ!!」
「指名依頼まで出されて戻って来るように言われたら拒否出来ないのよ、ギルド所属の冒険者は」
「そうかいそうかい!それでメシかい、酒かい?」
恰幅の良いおばさんがニコニコとマリエルとニアを交互に見てから背後の拳児達を見て言うとマリエルは首を横に振った。
「4人は泊まりで、部屋はある?」
「一番デカい部屋なら空いてるよ!そこ以外は埋まってる!」
「じゃ、そこ一室で」
おばちゃんの言葉に速攻で決めるマリエルだが、それに異を唱えようとした拳児を牽制する形でマリエルがにっこり微笑んで問いかける。
「何か文句でも?他に部屋はないわよ?」
「はい、文句はありません」
余りにも満面の笑みで言われた為、拳児は拒否する選択肢を奪われて首を頷かせた。本来笑顔は敵対する相手に見せるもの、という話も理解できる位に今のマリエルの笑顔は拳児的には怖かった。そんなマリエルの様子を見ておばちゃんが楽しそうに笑い出す。
「マリエルお嬢様も貫禄が出てきたねぇ!都会に行って一皮剥けたみたいだね!」
「日々ダンジョン行ってお金を稼いでいるからね、フィーリアスじゃ呆けてなんていられないのよ」
「そりゃあそうだ!じゃ、部屋は用意しておくよ!」
「よろしく~」
マリエルの言葉にカラカラと笑うおばちゃんはそのまま笑顔で部屋の用意に走り、それを見届けてからマリエルがアルスに笑みを向ける。
「じゃ、行きましょうアルス。アルスが連れて来ないとパパ怒りそうだし」
「ご理解いただけているようで。しかし俺を除いで既に村長が怒る要素がありますが」
マリエルの言葉に同意を示しながらアルスが一瞬視線を拳児に向けた瞬間、拳児達は全てを理解して額をペチンと叩いた。
「あー。あの手紙のマリエルのパパだもんね、娘可愛さが勝つかー」
「あ、安心して、戦闘になったら何をどうやってもパパは拳児に絶対勝てないから」
「そこは安心する部分と違うやろがい」
恵の言葉に同意を示しながらマリエルが戦闘になった場合の想定を告げてくるが、そもそも戦闘になりそうな時点で問題しか無いと拳児は思わず突っ込んでしまった。そんな様子を眺めながら、フランが気になった事をマリエルに尋ねる。
「拳児の事、伝えてないの?」
「伝える必要無いもの。パーティー組みました、みんなで冒険しています、おしまい。でいいでしょ家族宛の手紙なんて」
「身も蓋もないなぁ」
フランの問いかけに正直に答えるマリエルに恵が苦笑する。確かに家族宛ての手紙なんてそう細かい事を書いても仕方ないのかもな、等と拳児は思ったがそれはニアも同じようだった。
「私も別に拳児さんの事は取り立てて書いてなかったなぁ、パーティー組みました、楽しいです、で終わってた」
「確かにニアの手紙もそんな感じだったね」
「なるほどなぁ」
ニアもマリエルと同様に詳細な報告のような事は手紙ではしていないとニアの兄であるアルスの話でも確定したので、この世界ではそういうもの、として拳児は納得した。そうこうしている内にマリエルはアルスに声をかけて話を先へ進める。
「じゃ、行きましょうか」
「はい、先導いたします」
マリエルの言葉にアルスが返事を返し、丁寧にマリエル達を先導して道を進んでいく。その様子を見ながら恵はこっそりニアに話しかけた。
「アルスさん、なんでマリエルにあんなに畏まってるの?」
「マリーちゃん、一応村長の娘だから。この国だと村長は領地貴族に村落の統治を委託されている家臣団の1人って扱いなの、だから村民で狩人と自警団も兼ねてる兄さんはその更に家臣の1人って感じで畏まってるの」
「あー、なるほどなー」
村長は領地貴族の家臣、村落の統治を委託されている代官という立場であり、その更に家臣となるアルスは上役の娘であるマリエルに畏まる必要がある、という事だ。割と分かりやすいなと思いつつ先導されるままに村を歩いていくと、周辺の家屋より倍程度に大きい屋敷に到着した。やはり木製の柵に囲まれた家屋の入口へアルスと並んでマリエルが進むと、開かれた道の前に1人のウィードランナーの女性が立っていた。彼女はマリエルを見つけると小さく手を振りながら微笑む。
「お帰りなさい、マリエル」
「ただいま帰りました、お母さん」
ウィードランナーの女性、マリエルの母親とマリエルは再会の包容を自然と行い、ゆっくりと離れる。それからマリエルの母親がニアと拳児達に視線を向けて、ゆっくりと頭を下げる。
「ニアも久しぶりね。挨拶が遅れてごめんなさい、マリエルの母のベルと申します。娘がお世話になっております」
「こちらこそマリエルさんにはお世話になっています。恵と申します」
「フランチェスカです」
「レテスティアと申します」
「拳児です」
マリエルの母、ベルの挨拶に全員で返事を返しお互いに礼をしながら彼女は拳児に視線を向けてから、チラリとマリエルへ視線を向けて微笑む。
「全く、昔からお転婆が過ぎるわよ、マリエル。パパに彼を合わせたらどうなるか分かるでしょう?」
「拳児はパパより強いから大丈夫よ。豪腕のグレス様のお墨付きよ」
「まぁ、グレス様の!それなら安心かしらねぇ」
マリエルとその母親のトークを聞いていた拳児だが、なんかやたらグレスさん評価されてんなぁと能天気な事しか考えていなかった。そんな事を拳児が考えているとはつゆ知らず、マリエルは得意げな表情を浮かべてから全員に告げてくる。
「それじゃ、みんな一緒に中に――」
「ダメに決まってるでしょ、あの人に説明してから顔合わせじゃないと。それにニアも久しぶりの実家で過ごしたいでしょう?」
「はい、そうですね。というかマリーちゃんそんな無茶出来ないのわかってるでしょ」
「いやぁまぁなんか流れで行けないかなーって」
「行けません」
呆れ顔のニアにちょっとしたお茶目、みたいなテヘペロ顔をしたマリエルに母親が呆れながら突っ込みを入れる。そうして突っ込んでから、彼女は拳児達に告げた。
「それじゃあ、今晩はこの辺で失礼させていただきます。ニアも久しぶりの実家を楽しんでね。宿に宿泊されているでしょうから、明日の良い時間に宿へ使いを向かわせますね」
「分かりました。じゃあマリー、また明日ね」
「助けてくれないかしら?」
「無理でしょ」
ベルの言葉に恵が返答してからマリエルに告げると、割と真剣な顔で最後の悪あがきをしたマリエルにきっちり恵が突っ込むのであった。