40話
拳児がこの世界に来て初めて冒険者としてゴブリンを殺した運動場の片隅に、長椅子を壁際に並べて拳児とレテス、マリエル、ニアの4名が壁に向かって座っている。その前には壁に黒板が立て掛けられており、カッカッとチョークで音を立てながら魔導士の師匠であるシャルミスが文字や図式を書き出してから、拳児達に顔を向けて黒板を見せながら解説を始めた。
「つまり今回の論文の形式としてはこのように、魔力によって出力された物質を『魔造物』と定義し、その物質が生成時に持っている魔力以外のエネルギーを『質量』ないし『熱量』として表記し、魔造物は必ずこれらエネルギーを保有しているとしました」
シャルミスは説明をしながら『魔造物』と書かれた円に『質量』『熱量』と記載された円を紐づけた。それを行ってから次の説明へ移行する。
「それでこの『魔造物』の持つエネルギーは、自身の魔力で発生したエネルギーなので当然、魔法と同様に自身で任意で制御可能であると断定。その上で、今まで『熱量』というものは加える、いわゆる加算するという方式でしか存在し得ないモノであると思われていましたが、この『熱量』に関しては減算も可能である、という事実が判明しました」
説明をしながら『加算』『減算』と書き加えて話を続ける。
「例えとして一番水が分かりやすかったので論文には水を題材として記載しました。単純に言えば魔法で生成した水は『質量』『熱量』の両方を持ち合わせていますが、質量は魔力の調整で増減が可能なのは既に分かっていましたが、熱量も魔法生成時に減算させて氷にする、という事が可能であると魔術式で証明が可能でした」
シャルミスはそう言いながら自身の魔術式を記載し、もう一つ魔術式を記載して拳児達に質問を向ける。
「はい、この左の魔術式と右の魔術式、どちらが単純ですか?」
「明らかに左です。右の魔術式は水の魔術式と冷気の魔術式の二重構造になっています」
「その通りです」
シャルミスの問いにマリエルが挙手して答えると、シャルミスは笑顔になった後で右の魔術式を丸で囲う。
「従来の氷を発生させる魔術式は右です。熱というものは加算するしかないと思われていた為、『冷たい』を水に『加算』する事で氷を生成していました。ですので今回の論文では左の魔術式によって『水の熱を減算する』事で氷を生成する、減算方式の魔術式を作成し、これを魔導技術学会へと論文と共に提出しました」
シャルミスは魔術式に注釈をちょいちょいと書いてから、椅子に座る四人に見えるように全て提示した。
「この魔術式の再現性は既に検証されており再現性100%、熱を演算する部分の魔術式を文句無しの新造魔術式として確定させ、魔法によって生み出される熱もまた質量と同様に加算減算が可能であるという、いわゆる『熱エネルギー』の概念が今回の論文で世の中に周知されました」
そう長々と説明したシャルミスは、そこから拳児へ視線を向けて笑顔で言う。
「あなた達の世界で言う『熱力学』がこの世界に誕生しました。今まで加算する事しか出来なかった熱を減算出来るという論理は、今後この世界で様々な形で応用される事でしょう。また今回の発見で既に多くの魔導士が減算式の魔術式の作成、解明をどんどん進めていますし、魔術以外の技術でも応用が可能ではないかと研究が開始されています。という訳で、これがその論文で出された学会からの報酬です」
シャルミスは笑顔でそう言いながら荷物袋からジャラリと大きく鳴る布袋を取り出して拳児の両手に置く。その重量に拳児は恐る恐る中身を見てみると、大量の金貨が入っていた。
「論文の制作手数料として1割貰ったので金貨1800枚になります」
「1800枚……えっと、どのくらいの価値?」
「庶民なら30年は遊んで暮らせる金額かと」
イマイチまだこの世界の金銭感覚が分かっていない拳児に、レテスが苦笑しながら答える。その話を聞いて拳児は乾いた笑いを浮かべた後で、それを荷物袋にしまってから全員に問いかけた。
「えっと……どうしようかこれ」
「とりあえずセーフハウスというか、宿暮らしじゃなくて家を買ったらどうかしら?世界中を旅する可能性があるのは分かるけど、いざとなった時の安全な住居は必要だと思うわ」
「そうだね、長期間の狩りの時も何箇所も安全地帯を用意しておいて待ち構えて討伐、なんて事もするし安全が保証されている場所の確保は重要だと思うよ。宿暮らしだとどうしても色んな人の出入りが多いから」
拳児がお金の使い方を確認するとマリエルとニアがかなり現実的な指針を提案してきたので、拳児もなるほどと頷いてから口を開く。
「確かに、色んな人が出入りする宿だと安全性は心許ない、か。世界を回るにしてもどこかに居住地があるのは便利だし、帰る場所は必要。それにこの街ならシャルミス先生にグレスさん、ガティ達と神殿で顔合わせは済んでるし余程の事じゃないと危険ではない、と」
「そうね、余程の事じゃないと表立って神殿と敵対しようという存在は居ないわ。神殿は世界中に存在しているから、この街から逃げたとしても別の都市の神殿にも目を付けられるでしょうし」
拳児の言葉にシャルミスが相槌を打ち説得力を持たせると、拳児は一つ頷いた。
「じゃあ、家を買うか、このお金で」
「いいんじゃないかしら、それで」
「いいんじゃないかしらって……なんで他人事みたいに言ってるの?」
拳児の決断にマリエルが普通に頷いたが、返ってきた拳児からの言葉に目が点になった。
「なんでって……関係無いから?拳児達の熱力学のお金なんだから、拳児とフラン、恵のお金でしょ?」
「そうなんだけど、一緒に住まないの?」
「むしろなんで一緒に住むの?」
「仲間だから?」
拳児からのそんな答えにマリエルがはぁ~、とため息を吐いた。
「別に今更ではあるけれど、これと一緒だとそりゃフランもあぁもなるわ」
「割り切りというか、達観が必要なんでしょうね」
頭を抱えそうになるマリエルの隣でレテスが苦笑を浮かべて同意し、ニアも笑顔を向ける。
「えっと、じゃあ6人用の屋敷って事でいいのかな?」
「庭があるといいな、毎朝のトレーニングは必要だし」
「でしたらキッチンもなるべく大きな所が良いですね、6人分の調理が必要ですから」
ニアに釣られて拳児とレテスもそれぞれの住居に関する要望を出した所で、シャルミスが笑顔で言う。
「ウチの知り合いに物件管理をしている人が居るから、その人を明日にでも紹介しましょうか?」
「それは助かりますけど、そういう人って貴族向けだけとかじゃないんですか?」
「一般の住居も管理しているから大丈夫よ」
シャルミスからの提案に拳児が返事を返すと、シャルミスが苦笑しながら手を振り拳児の疑問を否定した。それから続けてシャルミスが言う。
「屋敷となれば居ない間の保全も必要だろうし、その契約もその人にお願いすれば、長期不在の間の管理を代理でやってくれるからその点でも安心よ」
「それは助かりますね、是非その人を明日紹介して下さい」
「えぇ分かったわ。それで――」
拳児の言葉に笑顔でシャルミスが頷いてから、言葉を区切ってシャルミスが拳児の後ろに視線を向けながら拳児に尋ねる。
「――フランさんと恵さんは、何故グレスから稽古を?」
「魔法が通用しない敵の時に遅れを取らない為にって言ってたわ。前回の坑道で対魔法抵抗の強いゴーレムと遭遇したから、近接戦闘も選択肢として持っておくに越した事は無い、と」
「前回のゴーレムは拳児さん頼りな部分がありましたからね」
拳児の背後でクタクタにへばり倒して地面に仰向けでゼーハーと激しい息遣いで大の字に寝転がるフランと恵を見ながら言うシャルミスに、マリエルとレテスが苦笑しながら言う。前回の対魔法があるモンスターが大量出現した時に、拳児以外の人間も近接距離で対応できた方が良いというのは当たり前の判断であるし、対魔法抵抗を魔法で貫通するには抵抗値より高い魔力を出力するしか無いという現実がある為、近接戦闘が出来る人間は近接を強化する、という道理の上で特訓をしていた。
ダンジョンで初めて出会ったモンスターにより今のままでは問題があると判断出来たこのパーティーにシャルミスは満足そうに頷いてから話を続ける。
「屋敷に大きなお風呂もあった方が良さそうね、2つ位。湯船に横たわれる位の大きさの」
「クッタクタになった時は湯船で横たわって温まると筋肉にも良いですからねぇ」
シャルミスの提案に完全同意しながらニアは未だ荒い息で呼吸するフランと恵、そしてそれを遠目に見守るグレスに視線を向けて、笑顔を浮かべるのだった。このパーティーなら、いつかダンジョンもきっと攻略できるという確信を、ニアは感じ取るのだった。