4話
ドーム状の建物の中は、多くの人で賑わっていた。
内部は外見通り円形になっており、取り囲むようにぐるりと小部屋やカウンターが並んでいる。
それぞれに大きな看板が掲げられ、そのカウンターが何の役割を担っているのか主張している。
建物の内部は三階構成となっており、それぞれの階層で人が行き来をしている。
そしてドームの中心と思われる場所には、中心を支える大きな支柱のようなものが、高く天井に向かい伸びている。
内部の人間の多くは甲冑を着込み、腰から剣や、背中に弓を下げている。中には身の丈以上のハンマーと思わしきもの、斧すらも見て取れる。
あぁ、本当に、ここは世界が違うなぁとぼんやり拳児が考えていると、横から感嘆の声が挙がった。
「ほぉっ、話にゃ聞いてたが、こりゃあすげぇなぁ」
隣のヘビ顔も驚いたようで、何となく拳児はほっとした。
迷宮白書
入り口から全体を見渡し、一際大きな看板に「新規登録者受付」と分かり易く書かれていたカウンターを発見し、そちらへ向かう。
途中で幾人もの人とすれ違うが、総じて先に述べたような獲物を下げた、見た目に分かり易い「冒険者」の身なりをしたものだった。
「な、ここにゃあこんな奴らはゴマンといるんだ」
「あ、うん、そうだね……」
すれ違う人をキョロキョロと見ながらカウンターへと向かう。
獣人、エルフ、レプトリアン、ホビット、人間。
種族も性別も全く違う者達が、総じて「冒険者」としてここ、「冒険者の聖堂」へとやって来ているのだ。
そんな姿を横目に見つつ、二人はカウンターへと辿り着く。
新規登録者の窓口となっているであろうそこは、カウンターに三人の人間がつき、対面に立つ登録者と思わしき人物と言葉を交わしながら羽ペンを手に事務作業を行なっている。
その姿にどこか銀行の窓口業務を行なうOLを思い浮かべた拳児は、ほへーと間抜けな声をだした。
どんな所でも、こういった事務仕事は存在するんだなぁとか思いながら。
「おっ、あっちが空くぞケンジ」
「あ、うん」
ガティに肩を叩かれて指されたほうを見る。
そちらではカウンター前に立っていた男がなにやら紙を手に、カウンターを離れようとしていた。
二人は少し慌てるようにカウンターへと寄り、すぐさまガティが話しかける。
「すんません、新規登録をお願いしまさぁ。二人分で」
「はい、ちょっと待ってくださいね……っと。はい、お待たせしました」
カウンターに掛けていたのは、見るからに温厚そうな青年の男だった。
茶色の髪を短髪に切り揃え、長く尖った耳を持つエルフと思わしき青年は、見事な美形。
くそっ、イケメンめ。と理不尽な怒りをちょっと湧かせた拳児だが、表面上はにこやかな笑顔を彼に向けていた。
「それでは、順番に受け付けますので、そちらの方は少しお待ちくださいね」
その温厚そうな顔が造る笑顔に、拳児は敗北感を受ける。自分が凄く小物に見えてしまったのだ。
くそっ、なんでイケメンなんて存在するんだ、なんて悶々としながらも、表面上はやはりにこやかにガティと青年のやり取りを見る。
青年からの質問に、ガティはすらすらと答え、その返事を聞きながら、青年は笑顔をそのままに羽ペンで紙のようなものに字を書いていた。
質問はガティの名前から始まり年齢、自覚している種族に職業と続く。
あらかたのやり取りを終えたガティは、青年から紙を受け取ると、にこやかにカウンターから離れた。
次は自分の番だと思い、ガティが離れたスペースに入る。
カウンターの青年は、書類に引き続き何かを書いてから、脇にあるボックスへその書類を放り込んだ。
それが終わると、青年はやはりにこやかに告げる。
「はい、お待たせしました。それではお名前からお願いします」
「あ、はい。拳児、小林拳児です」
青年の言葉に少しどもりながら、拳児は答える。
その返答に、青年は笑顔を少し崩し、困ったような口調で言った。
「コバヤシ、ケンジ、さんですか? 珍しい響きの名前ですね……。どこか貴族の?」
「え? いえ、貴族とかではないですが……」
「では、コバヤシケンジ、で一つのお名前ですか?」
「いえ、コバヤシ、が苗字で、ケンジが名前です」
「ミョウジ……?」
青年の困ったような顔に、はたと気づく。
もしかしたらこの世界に、苗字を持つ家系は少ないのではないだろうか。
そういえばガティも自分の事を「ガティ」と自己紹介はしたが、苗字のようなものを聞いた覚えがない。
そこに思い至ると、拳児はわたわたとしながらも言葉を続けた。
「あの、えっと、苗字っていうのは屋号、じゃなくってその、か、家名です」
「あぁ、家名。なるほど、ではやはり貴族の方で?」
「いえいえいえっ、僕の育った場所では元々、みんな家名があるのが普通で、でも貴族とかそういうのではなくて……」
「はぁ。変わったご出身なんですねぇ。ではコバヤシ、が家名という事ですので、この国での登録名としてはケンジ=コバヤシ、となりますがいいでしょうか?」
納得したと思われる青年の言葉にほっとしながら、拳児はお願いします、と答えた。
拳児の返事に、青年はやはりすらすらと羽ペンを動かしながら次の質問を飛ばす。
「それではケンジさん、ご年齢を教えていただけますか?」
「あ、はい、今年で19になります」
拳児の言葉に、青年は動かしていた羽ペンをはたと止めて拳児へ顔を向けた。
「19? あ、いえ失礼。人間の方だと理解してますが、実際よりお若く見えまして」
「あ、あはは。す、すいません」
いくつぐらいに見られていたんだろうか。拳児は思いながら、周囲を見渡す。
周辺に居る人の、その中でも人間は拳児のようなアジア系の顔立ちではなく、元の世界で言う白人、黒人といった所謂『外国人』といった顔立ちだった。
確かにアレと比べたら、自分は幼く見えてしまうんだろうなぁと拳児は理解する。
再びペンを走らせ始めた青年から、続けざまに質問がやってきた。
「では、ご自身の種族を」
「はい、えっと、人間です」
「はい。ではご職業を」
「えっと、今はその何もしていません」
「はい。では街で職業に就く、という事でよろしいでしょうか?」
「あ、はい。その、冒険者になろうかと思っていまして」
「あぁ、なるほど。ではそのように記載します」
あれ、すんなり通っちゃった。
拳児は冒険者になるという事を素直に受け入れられた事に、どこか不思議な気分を味わっていた。
ペンを動かし終えたカウンターの青年は、全てを記載した書類を拳児へと差し出す。
「では、この書類を持って右手の空いている個室へとお入りください」
「あ、はい。ありがとうございました」
差し出された書類を受け取り、拳児はぺこりとお辞儀をしながらその場から離れる。
そういえばガティがいないが、恐らく個室へ入っているのだろうと思いながら、並んでいる個室を眺めた。
個室は10個ほどが並んでおり、まるで漫画喫茶の個室スペースのようにズラリと並んでいる。
右手側の7個は扉の前に使用中の看板がかけられえており、左から三つが空いていた。
右手から埋めていったほうが良いのだろうか、と思いながらも、拳児は左手の一番端の個室の前へと立った。
すぅっ、と息を一つ吸い、何だかわからないが緊張している身を解す。
コンコン、と二回扉を叩くと、押し戸になっている扉のノブを掴み、ゆっくりと開いた。
「し、失礼しま〜す」
心なしか小声で入った先には、低めの椅子と、小さめの四角い机、その上にまたもや置かれている水晶球。
そして、その向こうにはきょとんとした表情を浮かべている、小柄なエルフの女性が座っていた。
部屋にいたのが女性だった事に驚きながらも、拳児はおずおずと部屋へ入り、女性の前へ書類を差し出した。
「えっと、新規登録、なんですけど……」
「あっ、あぁ、はい。ど、どうぞお座りください」
お互いにどこかぎこちなさを感じるやり取りを交わし、女性は拳児から書類を受け取り、拳児は席につく。
女性は拳児から受け取った書類を眺めてから、一息ついた。
「ご、ごめんなさいね。扉をノックして入ってきた人なんて今までいなかったから」
「あ、いえ。すいません」
何に謝っているのか自分で理解していないが、拳児も女性につられるように謝る。
対面した女性エルフは、見目麗しい人だった。
肩口で切り揃えてあるピンク色のブロンド髪から覗く長い耳と、くりくりとした大きな瞳。
筋の通った鼻に小さく控えめ、でも鮮やかな桃色をした唇が白い肌の上で自己主張している。
美人というより、どこか可憐さを思わせるその顔に、拳児はエルフって凄いなぁと単純に思っていた。
女性は、そんな自分を見つめる視線を感じながら、にこりと笑顔を拳児へ向ける。
「それでは、手続きの為の能力測定を行ないます。掌を水晶の上へ乗せてください」
「え? あ、はい」
能力測定?と思いながらも、拳児は言われるままに右手を水晶の上へ乗せる。
門の時のように魔法の刻印を刻むのだろうか?などと考えていると、女性がその掌の上にそっと、自身の掌を乗せてきた。
突然の事に、拳児の心臓がドキリと跳ねる。
「え、ちょ……」
「静かに。心を鎮めて、私の掌からの『流れ』を自然体で感じて下さい」
自然体って言われても……。
これほど綺麗な女性に触れている状態で落ち着けって無理があると思いながらも、拳児は心の中で冷静に、冷静にと唱える。
心が落ち着いてくると、重ねられた手の甲から、人の温もりとは違う、何か暖かいものが感じられた。
はっとして見ると、自分の掌の下にある水晶が透明な光を放ち、輝いている。
気づいた拳児に再びにこりと笑顔を向けると、女性は言葉を続けた。
「私の掌から流れる力を感じて、その流れに逆らわず、自分もその流れに乗るような感覚を掴んでください」
「あ……、はい」
言われるまま、拳児は感じ取る。
自分の手の甲から伝わる何かの流れが、手の甲から掌へと向かって感じ取れる。
それに逆らわず、自分も一緒に流れるように感じる。
言われた事そのままに拳児がその流れに身を任せると、水晶は一際輝きを強くすると、ブン、と音を出しその輝きを収めた。
輝きが収まると女性は手を離し、続けて拳児を手を引っ込める。
「今のは貴方の生体エネルギーをこの魔道具に送る作業。初めてにしては上手くいったわ」
「は、はぁ。せ、生体エネルギー?」
「そう、人が生きる為のエネルギー。人はこれを燃料に身体を動かし、傷を癒し、魔法を操るのよ」
聞き慣れない単語に問い返すと、流れるように返事が返る。
その返答の早さに、それがこの世界の「常識」なんだろうなあ、と再び自分の持つ「常識」との差を理解した。
女性は会話をそこそこに水晶を眺め、ペンを手に拳児の持ってきた書類になにやら記載する。
「えっと、属性は無し、これからっと。生体エネルギー、あら、かなり溜まっているわね……」
「た、溜まってるって……」
女性の物言いに少し動揺したが、相手は意に返さず黙々と書類にペンを走らせる。
何だか自分が意識しすぎな気がして、俺は小学生かと自分の動揺ぶりに呆れる事になった。
彼女は走らせたペンを止めるとふう、と息を吐き再び拳児へと視線を向ける。
「それでは、いくつか質問事項がありますので、答えていただけますか?」
「あ、はい」
走らせていた書類を手に女性が言葉を続ける。
「では。えと、冒険者志望という事ですが、戦闘に関して何かご経験は?」
「と言いますと?」
「例えば猪などの狩猟、モンスターの討伐、盗賊の討伐や従軍経験ですね」
「いえっ、そういう経験は……。昔空手の道場には通っていた事がありますが」
「カラテ……ですか? えと、それはどういう」
疑問を浮かべる女性に、拳児は慌てて答える。
確かに、空手と言われても分かる訳がないだろう。
「えと、こう、殴ったり、蹴ったり、ていう。あぁえぇっと、武器とか使わない格闘術です」
「はぁ、それは獣人の方のような爪を使用した戦闘術のような?」
「つ、爪? ま、まぁそれと同じようなものだと」
はぁ、と答え女性は紙にペンを走らせる。
獣人という種族が爪を使う格闘を行なうという事実を今知った拳児としては、まぁ似たようなものだろうと思うしかなかった。
拳児が過去、高校入学前まで行なっていた空手がどのようなものかを詳細に説明できる程、拳児は空手に関する歴史や知識を把握していない。
自分が行っていた事は、ただ型を習い、模倣し、トレーニングを行なっていたぐらいのものだ。
世界最強とかを目指していた訳でもなく、名前の通りに育てようと親が勧めた道場に通い、文字通り習っていただけだ。
身にはついているが、実際に振るった事は試合など公の場でしかない。
「では、文字の学習や魔法の習得などは」
「文字の読み書きなら。魔法は……ないです」
そもそも昨日まで魔法などとは無縁の世界にいたのだ。
知識なら気まぐれに読んだ物語やゲームで多少知っている程度である。
その返答にむむ……となりやら考えた彼女だが、やがてふっと息を吐くと走らせたペンを机へと置いた。
「以上で質問は終わりです。あなたの場合だと、この後ちょっとした説明会が必要になるので、部屋を出た席で少しお待ち下さい」
「あ、はい。ども、ありがとうございました」
にこりと微笑みながら話す女性に、少し頬を赤らめ頭を下げる。
その姿が可笑しかったのか、クスリと漏れ聞こえた女性の忍び笑いに更に顔が赤くなるのを自覚しながら、拳児はそそくさと部屋から出て行った。
パタンと部屋の扉が閉まるのを確認し、女性は再びクスリと笑う。
笑顔を向けた時の慌てようや、自分に向けられていた下心を全く感じさせない、純粋に見とれていたような視線は、まるで子供のようだった。
見た目の幼さに比べ、書類に記されていた年齢を見た時は少し驚きもした。
だが、と思い女性は再び書類を見る。
書類に書かれた過去の経験と、数値として現れた生体エネルギーが、どうやっても比例しない。
その数値は通常より幾分多い程度ではあるが、それは「過去に何らかの経験があった場合」の事。
彼のように、討伐経験や盗賊の殺人といった経験がない人間が出す数値としては、異常とも言える値だった。
彼の言う「カラテ」というものがどのようなものか分からないが、恐らく生物を殺すような類のものではないだろう。
生体エネルギーは身体を鍛えれば上昇は見受けられるが、それでも彼の保有する量まで至るとは思えない。
「一体、どういう人なのかしらね……」
女性は呟きながら書類を手に、関係者通路へと続く扉へと向かっていった。