34話
普段通り『小鳥の羽音亭』の裏で自主練をしようと思った拳児がそこで見たのは、刺剣を構え素振りをするフランの姿であった。フェンシングを一時期嗜んでいたフランが当時の事を思い出したながら一振り一振り丁寧に練習している所に、拳児が声をかける。
「朝練か」
「初めてのダンジョンだもの、事前練習はしておかないとね」
真剣な眼差しで前を向き素振りをしながら言うフランの邪魔にならない場所を確保して、拳児も朝練を行う。突きから蹴り、そして棍による打撃の練習を汗が垂れる程に行ってから、いつも通り布をタオル代わりにして汗を拭う。フランも自分で持ってきた布で汗を拭いながら拳児に聞いてきた。
「この宿は朝からお風呂に入れるのかしら」
「入れるよ」
「そう。じゃあ先にいただくわよ」
「あいよ」
汗を拭ったフランが去るのを見ながら、拳児は再び鍛錬を再開する。風呂は一つしか無い為、フランと一緒に入る訳にもいかないので順番待ちが発生したのだ。この世界の住人で朝に風呂に入る人はそれほど居ない為、朝は自由に風呂に入れる割合が高い。今後も朝風呂はフランの後になるのだろうか、と少し残念に思う拳児なのであった。
宿で朝食を頂いてから少しして準備を行い、全員で冒険者の聖堂へと歩いていく。道をあるく中で恵とフランが周囲を見渡しながらあれは何か、これはどう食べるのか等屋台を見てレテス達に質問している姿を見ていつかの拳児と重なってレテスが苦笑をしながら色々教える。そうして道を進み冒険者の聖堂へ入ると、恵とフランは感嘆の声を上げた。
「すっごい広いホールだ」
「こんなに冒険者って居るのね」
初めて入った聖堂に恵とフランが盛り上がっている中、マリエルがギルドカウンターで探索の手続きを行う。
「マリエルとそのパーティよ、探索手続きをお願い。あとグレス様に来た事の報告をお願い」
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
マリエルから冒険者証を受け取り手続きを行ってからカウンターを少し離れたギルド職員は、グレスと一緒にカウンターへ戻ってきた。職員が頭を下げてグレスを見送ると、グレスが拳児達に声をかける。
「今どこまで階層を進んでいる?」
「13階層までは転移できます」
「では12階層から進む事にしよう。12階層を攻略したら俺は戻る」
「分かりました」
話しかけられた拳児がグレスと会話をして進む階層を指示され頷くと、そのまま転移装置のフロアまで移動し、ここでも恵とフランが声をあげる。
「これだけ妙にメカニカルなんだなぁ」
「不思議だけど調和が取れているように思えるわ」
初めて見る転移装置に恵とフランが感想を呟きながら乗り込むと、マリエルが先程言われた通りの階層への転移を開始する。
「12階層へ転移」
途端、周囲に満ちた輝きに恵とフランが軽くびっくりした声をあげたがすぐに転移は完了し、洞窟状の周辺になった事にやはり少し驚く。そんな彼女達を見ながら拳児達はすぐに転移装置を降りて武具の確認を行い問題が無い事を確認してから、グレスに視線を向けるとグレスは頷いた。
「では一旦俺の言う通りに行動して貰う。メグミ、フランチェスカは前衛として進み、他は援護のみを行う事。メグミとフランチェスカか指示があるまで魔法の使用は禁止、近接戦闘のみでモンスターを殺せ」
「わ、分かったわ」
「頑張ります」
少し緊張感を演出したグレスの言葉にフランと恵がおっかなびっくり指示に頷き移動を開始する。前回探索した通路の構造と違う事で拳児達は新たにモンスターが出現している事を確認しながら進んでいると、少しして丁字路に差し掛かった為、グレスが素早く指示を出す。
「左だ、モンスターの気配がある」
「良く分かりますね」
「長年の勘だ」
グレスの即答に拳児が感心してから再び前へと進んでいくと、向かい側からゴブリンが4体歩いてきて、拳児達を見つけてギャウギャウと叫びながら棍棒を持ち走ってきた。その姿に恵とフランは本能的に恐怖を覚えたが、グレスの指示を受けて動く。
「メグミは左、フランチェスカは右だ、1匹でいい。ケンジ、お前が中央で2匹を相手しろ」
「分かりました」
指示の通りに動いて恵は少し震える足を動かして前へと走り、棍棒を振りかぶるゴブリン目掛けて両手で持つ槍を前に突き出した。
「やああっ!!」
叫び声と共に槍がゴブリンの胴体を貫き、血を吹き出しながらゴブリンが倒れる。同じくフランも鬨の声を上げてレイピアを突き出した。
「ええいっ!!」
ズン、という感触と共にゴブリンの胴体が貫かれ、レイピアを握って下がるとズルリと引き抜かれたレイピアと共にゴブリンの死体が倒れる。そんな二人の様子を見ていた拳児は両手に持つ棍で2匹のゴブリンの棍棒攻撃を弾いていた所に、グレスが声を張り上げる。
「残り2匹!メグミとフランチェスカが殺せ!!」
そうして言われた通りに恵とフランが再び武器を残りのゴブリンに向けると、拳児が丁度良い感じで棍の先端で1匹のゴブリンを突いて恵の方へ押し流し、棍棒を握ったゴブリンを回し蹴りでフランの方へ吹き飛ばした所で、恵とフランが丁度良くザクリとゴブリンを刺し貫く。胴体を貫かれ絶命して崩れ落ちるゴブリンの姿と、その血に塗れた自分の持つ武器を交互に見て恵とフランは少し呼吸を荒げながらも、ゆっくりと落ち着いた呼吸を取り戻した。そんな彼女達に向けてグレスが言う。
「初めての戦闘、モンスターを倒した感触はどうだった」
「あまり、良い物ではないですけれど」
「必要な事なので割り切ります。自分を殺すつもりで襲ってきた敵に容赦する必要は無いので」
二人の態度と言葉を聞いて、拳児が口を開く。
「俺、初めてゴブリン殺した時めちゃくちゃ吐いたよ。すげぇな二人共」
「……実は冒険者になるまで生き物を殺した事の無い男はほぼ嘔吐するというデータがある。女性は月の物や料理で血や内臓のような物に慣れている為動揺が少ないと言われている」
「あー、なんか凄い説得力のある理由」
グレスの説明がしっくり来た拳児がウンウンと頷く。確かにそれは元の世界でも女性が血に慣れている原因としてよく上げられる内容でもあった為、確かにと頷く事しか出来なかった。そんな拳児を放っておいて、レテスとマリエル、ニアが恵とフランにゴブリンの剥ぎ取りを教えていく。とはいえ胸の魔石と耳を削げば良いので内臓を引っこ抜くような事も無いのですぐに終わり、死体はそのまま放置して武器についた血を布で拭き取ってから、恵とフランは正常に立ち直っていた。彼女達の様子に特に不安が無い事を確認してから、グレスが指示を出す。
「次は二人は魔法で敵の攻撃をしろ、自分の魔法の威力の確認だ。敵の数に合わせてマリエル、レテス、ニアが遠距離から援護。拳児はいざという時の備えでいつでも守備に回れるよう待機しろ」
「分かりました」
指示通りにそれぞれ配置について進むと、再び向かいからゴブリン4匹がやってきた為、まず恵とフランが腕を前へ突き出す。恵とフラン両方の手に魔法陣が形成された事をすると、二人は魔法陣に魔力を注いで魔法を放った。
「ファイアバレット」
「アイスニードル」
恵からは青白い炎が球状となり射出され、ゴブリンの頭が容易く吹き飛ぶ。フランの魔法陣から出たのは先の鋭い氷の棘で、ゴブリンの頭を容易く貫通させていた。その光景に思わずグレスが目を見開いて確認すると、二人だけで4匹のゴブリンを全て魔法で片付けた。それで戦闘終了を悟った恵とフランが顔を見合わせながら苦笑する。
「本当に実戦で使う事になるとはねぇ」
「やっぱ魔法って凄いわねぇ」
恵とフラン、二人が苦笑を浮かべながら話している所に、グレスが慌てて声をかけた。
「す、少し待て。なんだ今の魔法は、青白い炎がその程度の消費魔力で形成できるはずが無い。その上氷を生成して射出など、一体どんな魔法を使ったんだ!?」
グレスが慌てて二人に問いかけた所、恵とフランがキョトンとしてから再び表情を苦笑に変えて答える。
「いえ、なんというか私達の世界では子供でも勉強する学問の応用で」
「理科、というか物理学や熱力学の知識で魔法を演算するとこうなったと言いますか」
「あー物理と熱力学な、そりゃ確かに青白い炎も氷も生成できる訳だ」
困ったように質問に答える恵とフランの様子に拳児は納得を示してから、一旦常備している武器を自分の肩に立てかけてから両手を上に向けて開いてイメージを展開する。右手には炎、可燃性の高い純度のガスを圧縮させた物を形成、左手には魔力で生成した水からエントロピーを放出して分子の動きを小さくする。その通りの演算をすると拳児の両手には魔法陣が展開され、想像通りのガスバーナーのような青白い炎と、氷柱のように先の尖った氷が形成されていた。その様子を見てグレスより先にマリエルが叫び声を上げる。
「ダブルスペル!?しかも炎と氷の相反する属性!?なんでそんな事が出来るのよ!?」
「え、相反する属性か、あー4元素の活殺か。これは本当に、ただ魔力をイメージ通りの物に変換した上で簡単な物理学と熱力学を用いて動作させただけなんだ」
「そのブツリガクとかネツリキガクとかいうの、私に教えなさい!!」
拳児の説明に食って掛かるマリエルに拳児は慌てながらも魔法を霧散させてから、フランと恵へ視線を向ける。
「ていうか、魔法に科学を応用するとか良く考えたな」
「時間なら一杯あったから、色々試してたのよ」
「お陰でこうして実戦で役に立ったからね、暇つぶしも偶には役に立つものよ」
拳児の言葉にフランと恵が苦笑しながら言うと、拳児も何だかなと思いながら頬を掻く。この世界に科学が無い訳では無いだろうが、物理学や熱力学、原子や量子力学の概念まで進むにはまだまだ時間がかかるだろう所へこうして魔法で再現というある意味力技が可能となった事でその恩恵が十分に受け取れる異世界転移組は、もしかして知識チートと呼ばれるものなのだろうかと拳児は少し考えた。
「絶対!絶対教えなさい!ネツリキガクでもブツリガクでも、魔法を使う時にどんな演算をしているのか、ぜんっぶ私に教えなさい!!!!」
「分かった、分かったから!」
「ダンジョンから出たら教えるから、そう怒鳴らないで」
「フーッ!フーッ!!」
もの凄く興奮しながら恵とフランに詰め寄るマリエルの姿を見て、こりゃ現代科学知識は武器として十分使えそうだな、と拳児は確信するのだった。




