27話
教官であるグレスの妻、魔導士であり魔導理論の研究を行う教授でもあるシャルミスの指導を受け、拳児達は短いながらも濃密な時間を過ごした。
その日の夜に宿屋へ戻り食事をしている時、マリエルが物凄く嬉しそうに鼻歌を歌いながらスープを楽しんでいる。
「すっごい楽しそうだなマリエル」
「そりゃそうよ! マジックサークルなんて高等技術が習得できたんだから!」
「うわっ声でけぇ」
得意満面な笑顔で告げてくるマリエルにそれもそうなるのか、と拳児は考える。今まで見た事の無かった技術という事は、マリエルの周囲にマジックサークルを使える人が居なかったという事になる。それがこの街に来て短い期間で習得できたのだ、嬉しくない訳が無かった。
「私はもう眠気との戦いが辛かったよ……」
「ニアはマジで本読むのダメだな、読み聞かせしかない」
「あとは何か、眠気を覚ます魔法を習得するかですね」
「うぅ、眠気覚ましの魔法を覚える為に魔法の本を読むと眠気が来る、永遠に終わらない……」
読書で眠くなるニアの言葉に拳児とレテスで言うが、どうやっても読書を避けられない現実にニアは若干現実逃避を行った。ニアの読書の眠気とはそれ程の強烈なものなのだった。
「とりあえず!明日はダンジョン、11階層から進むわよ!」
「俺は大丈夫だけど、そういえばレテスさんは戦闘は……」
「初歩の回復魔法と水と地の攻撃魔法を使えます。10階層まではクリアしているのがサポーターの条件なので、11階層以降にすぐ合流できるようになっています」
「魔法ね、分かったわ!じゃあ今日は早めに寝て、明日朝イチでダンジョンへ向かうわよ!!」
マリエルはそう言うと、また食事を楽しみ始めたので拳児達もそれに倣って食事を済ませ、予告通り早めに就寝した。
翌朝、早めに起きた拳児は朝の日課である空手の形稽古を始め、その時に一緒に生体エネルギーの循環の練習も行う。以前よりもはっきりとエネルギーが循環しているのを感じながら、そのエネルギーを少しずつ少しずつ、呼吸に合わせて縮小させ、最後にはポッと最後の輝きを放ってから消える線香花火のように消し去る。エネルギーの減少を虚脱感という形で味わいながら、それでも以前のように気絶せずに耐えられたのでちゃんと前進していると実感する事が出来た。
宿の外に置いてある井戸の水を頭から浴びてそのまま乾いた布で身体を拭いて普段着で宿の1階に入ると、レテスが宿の看板娘、レイチェル達の手伝いとして動いていた。彼女は拳児を見つけると軽く会釈をしながら声をかけてくる。
「おはようございます、ケンジさん」
「おはようございます、レテスさん。今日も手伝いですか?」
「まぁ、あえて言いますけれど主人が起床しているのに何もしない従者というのは体裁が悪いので」
「あ、はは。まぁ、あんまり気にしないで下さい」
「はい、そうします。冷たいお水ですか?」
「はい、お願いします」
拳児が欲しているであろう水をすぐに木のジョッキに注いだレテスは、そのまま引き続きレイチェル達の手伝いを継続する。すると自然と宿の利用者が食堂に集まり、マリエルとニアも食堂に姿を表した。
「おはよう二人とも」
「おはようございます」
マリエルは普段より元気良く、ニアは平常通りで顔を出して席に座り、レイチェル達に並べられた朝食のパンとスープ、サラダと焼きベーコンを食べ始める。
昨日に引き続きマリエルの機嫌は凄く良く、朝食を食べ終わるとすぐに席を立った。
「よし!じゃあダンジョンに行くわよ!!」
「はいはい」
ウキウキとしているマリエルに釣られるようにみんなで動き、自分達の部屋で装備を整える。拳児はガティから貰っている鎧と剣、そして荷物袋を背中に下げて完了だ。
拳児が部屋を出るのと同時にマリエル達も部屋から出てきて、各々が戦闘用の装備に身を包んでいる。レテスは麻の軽そうなマントを被り、手にはスティック状の棒。ニアは軽装にいつものクロスボウで、マリエルは手の甲に大きめの丸い水晶のようなものがついたグローブを両手に装備していた。
「あれ、こないだはその両手のグローブ持ってなかったよな」
「10階層攻略の資金で買ったの、魔法の触媒になる魔力球よ!」
「へー、そうなのか」
拳児の問いに鼻を高くして答えたマリエルだが、先日魔法の基礎を勉強した時に覚えていた魔法を行使する時に術式に魔力を流し込み魔法を発動させる効率を上げる装備の一つとして、その魔力球が記載されていたのを覚えているので普通の感想だった。同時にレテスの持つスティックも魔法用の触媒である事が分かった。
「よし、じゃあ行くか」
「えぇ!行くわよっ!」
音を立ててウキウキとしながら先頭を歩き始めるマリエルを見て他の三人は苦笑しながら付いていき、ちゃんと冒険者の聖堂の受け付けでダンジョンへ潜る申請をしてから、拳児達はダンジョンに入る為の装置に辿り着いた。
「じゃあ行くわよ!11階層!」
やはりマリエルが張り切って階層を指定し、四人は光に包まれてその場から消え、11階層の装置の前へと辿り着いた。11階層は先の10階層と同じ洞窟型の迷路形式で、これが20階層までは続くというのが講習では分かっているから、この場にいる四人は動じる事も無く通路を進んだ。そんな中、マリエルは楽しげな表情から真剣な表情へと切り替えて、周囲を注意深く見ながら先を進む。
「ふむ、物音も無いし匂いもそんなに。近くは無いわね」
「そうだね、いきなりモンスターに遭遇って事は無いみたい」
「じゃ、警戒しながら進みましょうか」
マリエルとニアで冷静に話をしてから前へと進み、拳児達は彼女達の背中を守る形で前へと進む。すると少しして、T字路に差し掛かり右手側からジャリジャリという音が聞こえてきた。その気配にみんなで息を潜め右手の通路を覗き見ると、ゴブリンが三匹、小声でギャウギャウと喋りながら歩いている所だった。そんな様子を見て拳児は全員に視線を向けると、マリエルが小さく挙手をした。
「私にやらせて!」
「ん、じゃあ頼んだ」
目を輝かせているマリエルの言葉に拳児が承諾するのを見て他二人も任せる事にすると、マリエルは勢い良く通路へと飛び出した。そうして両手を前に突き出すと、マジックサークルを展開する。
「いっくわよ!!ファイアー!!」
声と共にマリエルのマジックサークルは輝きを放ち、前面から炎が吹き出し球体を形成していく。これが先日の魔法講習で得た新しいマリエルの力か、と拳児は関心していたが、当のマリエルが少し焦ったような表情をしていた。
「あれっあれ? と、飛んでいかない!」
「え、どういう事?」
何だか焦ったマリエルの言葉に何が起きているのは理解できない拳児だったが、横で見ていたレテスが鋭く叫んだ。
「遠くに投げるイメージを!石を投げて当たったら爆発!」
「はっ、はい!!」
レテスからの指示を受けマリエルが表情を戻すと、マリエルが作り出した炎の球がポンッとマジックサークルから離れて飛んでいき、こちらに気付いて向かってきていたゴブリンの一人に衝突し、その場で爆発を起こした。
「うおあっ!」
「きゃぁあ!」
思わぬ衝撃と熱波に拳児とニアが慌てて両腕で顔を隠し、レテスは装備しているマントで自分の顔を隠していた。衝撃と熱波が去った後には、ゴブリンが居た事を示す証拠となる、ゴブリンが体内に生成する魔石のみが残されていた。そして当の本人であるマリエルは地面に尻もちをついて呆然と前を見ていた。そんなマリエルにレテスが静かに近づく。
「魔法の発動は良いですが、前に飛ばす、というイメージが無かったから発動しても飛んで行かなかったんです。そのイメージもきちんと術式に入れないと飛びませんので、次は注意して下さいね」
「……わ、分かったわ……」
レテスからの指摘にマリエルは呆然と返事を返し、少しずつ表情が呆然からキラキラとした表情へと変化し、ついには両目を見開いて思い切り立ち上がった。
「攻撃魔法、撃てた!撃てたわよニア!!」
「見てたよマリーちゃん!!」
心底嬉しそうなマリエルの言葉にニアも笑顔で応じて両手を取り二人でキャッキャとジャンプをして喜んでいる。マリエルが自分に攻撃能力が無い事をコンプレックスにしていた節が初対面の時にあったから、自分に魔法の攻撃手段が増えた事が余程嬉しかったと見られる。そうしてマリエルとニアがひとしきりはしゃいでいる中で、拳児は落ちている3つの魔石を拾い上げて呟く。
「お前達はマリエルの為に必要な犠牲だったのだ、南無南無」
「ナムナム、とはなんですか?」
「えっと、死者を弔う言葉?」
「そうなんですか」
小声で呟いていたがレテスがすぐ傍に居たので適当に返事を返しながら魔石を荷物袋に入れる。それを終えて立ち上がると、マリエルがそのまますぐに移動を開始した。
「さぁ行くわよみんな!今日が天才魔導士マリエルの輝かしい第一歩の始まりだわ!!」
「頑張ろうねマリーちゃん!!」
「まぁ、自信が付いたのは良い事だよな」
「自信が無いよりは余程。過剰がすぎると困りますけれど」
マリエルの言葉に続けてニアも同意するのを眺めながら、拳児とレテスは互いに苦笑を浮かべながらマリエル達の後ろを歩いていくのだった。