26話
ふ、と寝起きのような気持ちで意識が浮上する感覚を覚え、そのまま目を開く。見えたのはいつかの少し煤けた天井で、傍のテーブルにはいつかのように水瓶とボロいカップが置かれている。前と違うのはその横に、グレスが立っている事だけだった。
「ふむ、起きたか。15分から18分といった所か、中々良い肉体をしているようだな」
「それ、どういう意味ですか?」
「回復力が高く、持久力もある。戦場では常に緊張感で体力を削られるからな、持久力とその回復力が求められる。瞬発力も問題無いようだし、確かに冒険者向きの肉体だという事だ」
「それはどうも……」
冒険者向きと言われてありがたいようなありがたくないような、不思議な感覚を覚えながら添えられた水瓶を取りカップに注いで水を飲む。生ぬるい感覚が喉を抜けるが今は何も飲まないよりもよっぽどマシだった。そのくらい、喉が乾いていたのだ。
「っふぅ。また倒れちゃって、ご迷惑をおかけしました」
「予想通りだからな。初めて生体エネルギーの活性化を行うとほぼそうなる。制御が上手になるまでは体力切れが続くが、二度三度と続ければ意識を失うまでにはならん」
「繰り返し、反復練習か。そういうのは得意だから、なんとかなるかな」
「ほう、勤勉なのは良い事だ。普通の奴は意識を失う程の疲労を感じた後にそれを口にする事は中々無い」
「疲労による気絶、いや失神?は何度か経験あるので」
かつての修羅場、大学のレポートの為に3日徹夜した事や道場に通っている時に調子に乗って型稽古をしまくっていた事を思い出し、苦笑を浮かべる。
そんな拳児の様子に少し楽しそうな笑みを浮かべてから、グレスが言う。
「それでは大丈夫そうなら、移動するぞ」
「移動、ですか。どこへ?」
「別の部屋で魔法の講義の時間だ」
「あ、分かりました」
この後の予定の事をすぐに思い出して座っていたベンチから立ち上がる。少し体のダルさはあるが、動けない程では無いのでそのままグレスと共にボロい控室を抜け、聖堂に戻った。
そうして聖堂の一室に到着しグレスがノックをしてから扉を開けると、そこは以前の講習会で使われた一室であった。
講習会で置かれていたデスクと椅子はそのままに、最前列に自分の仲間であるレテスとマリエル、そしてニアが座っている。講談の上に立っているのは、美魔女とも言うべき色気を持ち得た大人の女性であった。彼女は入ってきた拳児達に気づくと、ひらひらと手を振る。
「待ってたわ、あなた。そちらが例の生徒ね?」
「あぁ、見ての通り多少強めに鍛えてやっても問題無い奴だから、いくらでも扱いてやってくれ」
「うふふ、それは何よりね」
なんか二人して人の事をまるでモルモットか何かのように言っているが、ここはぐっと堪えて拳児は頭を下げた。
「初めまして、小林拳児、あぁこっちの国ではケンジ=コバヤシです」
「これはご丁寧に。シャルミス・ア・フィレイル・ネリウスです、ネリウス家の分家の長になります」
「ぶん……あぁはい、ありがとうございます。本日はよろしくお願いします」
ネリウス家の分家、恐らく貴族社会の何かとかなんだろうとは当たりを付けたがそこに踏み入る事はせず、そのまま素直に飲み込んだ。
拳児がそうするとシャルミスが促すように手を机に向けるのでそれに誘導されるように拳児は室内のレテスの隣の席に座った。
「お疲れ様です、ケンジさん」
「本当に疲れました、気絶する程の疲労は久しぶりでした」
「か、過去に経験あるんですね……」
「えぇまぁ何度か」
拳児の発言にレテスは少しびっくりしながら聞き返すと拳児は苦笑を浮かべる。レテスの中ではかなりの修羅場が頭に思い浮かんでいたが、拳児の実際の修羅場(レポート作成の徹夜)とは雲泥の差であった。
拳児も席についたのを確認し、シャルミスが講義を始める。
「はい、それでは改めて。既に挨拶はしましたが私が今日の講義を務めますシャルミス・ア・フィレイル・ネリウスです、よろしくお願いします」
『よろしくお願いします!』
先ほどまでの少しほんわかした雰囲気から少しキリッとした雰囲気に変わったシャルミスの言葉に、その場の全員が姿勢を正して返事を返す。
中々講義らしい空間になったなと拳児が思っていると、シャルミスが話を続ける。
「さて、では講義の内容は魔法の扱い方という事になりますが、魔法とは何か、知っていますかケンジさん?」
「えっと……それを教えて貰いに来たのですが……」
「うふふ、そうですか。ではレテス、魔法とは何か答えて下さい」
拳児の返事にシャルミスが笑顔で返すと、隣の席のレテスが口を開く。
「魔法とは魔力を用い、魔術を構築して出力される現象の事です。魔力の運用と魔術の構築理論、それから出力される魔法理論を包括して魔導と呼びます」
「はい、正解です。みなさんレテスに拍手」
さらさらっとレテスが答えると拳児とマリエル、ニアが拍手をする。その様子を見てから、シャルミスは拳児へと視線を向けた。
「というわけで、魔法というのは出力された現象の事、それを用いる為の魔力運用と出力する為の術式、魔術の構築とその結果の魔法をひっくるめて魔導と呼びます。ただ魔術の構築というのは自身のオリジナルで構築するモノと過去から受け継がれた術式を用いるモノとで分けられていて、自身のみの術式を持たない者は『魔法使い』と呼ばれ、自身のみの術式を持つ者、つまり魔術の新たな構築が可能な者を『魔導士』と呼びます」
「なるほど、魔法使いと魔導士……。理解しました」
シャルミスの言葉に拳児が深く頷くと、シャルミスは再び笑顔を浮かべて質問を投げる。
「それでは、この中で実際に魔法を行使した事のある人は手を挙げて下さい」
シャルミスの言葉にレテスとマリエル、ニアが手を挙げる。その様子に拳児はちょっと意外性を覚えて思わず声を挙げた。
「え、ニアも?ダンジョンで全然魔法使わなかったじゃん」
「使えない訳じゃないんですよ、というかケンジさんは本当に一度も魔法を使った事無いんですか?」
「え、いや……うん。全然無い」
ニアからの心底不思議そうな問いかけを受け、拳児が苦笑しながら返すとシャルミスはやはり笑みを浮かべる。
「はい、という訳でまずケンジさんには実際に魔法を行使してもらい魔力を感じ取ってもらってから、魔法の実践的な講義を行わせて貰います。という訳でケンジさんは、まずはこの紙に書かれた文章を声を上げて読み上げて下さい。あ、手のひらは上にして前に突き出してね」
「あ、はい、分かりました」
急にシャルミスから手渡された少し古い羊皮紙と思われる紙に記載された文章を、言われたように手のひらを上にして前に出して口にする。
「えっと、我が魔力を用いその形を成せ、ウォーター」
拳児がそれを口にした途端、身体の奥底、鳩尾の奥から何かがぐっと持ち上げられた感覚を覚え、それが身体を伝い手に集まり、手のひらの上で球状の小さな水玉となった。
その水玉を確認したが、拳児はそれよりも自身の身体に湧き上がった感覚が気になっていた。
「うっわ、気持ちわるっ。無理やり腹の中を引っ張られた感覚がする」
「魔力の運用が曖昧な状態だとみんなそうなるわよ。というか本当に魔法使うの初めてだったのね、ケンジ」
「だからそう言ってるじゃん」
少し呆れたようなマリエルの言葉だが、拳児はその言葉に少し膨れながら返事を返した。その様子を見てシャルミスが頷く。
「はい、という訳でこれが魔力を用いて魔術を構築し魔法を出力する感覚になります。ウォーターの魔法はその文章自体が魔力を引き出し魔法を出力する魔術となっているので、魔力さえあればどんな生物でも行使可能な魔法です。ではケンジさんはその球状になった水を霧散させて下さい。今の状態ならあなたの意思で水から魔力に変換されて空間に放出されましたから」
「えっと、こう、かな」
シャルミスに言われた通り、拳児は手のひらの上の水を空気に変換するよう意識して霧散させるイメージを構築すると、拳児の水球は本当に透明になり、空気中に霧散された。その様子を見て、シャルミスが頷く。
「はい、問題ありません。中々筋が良いですね、教えがいがありそうだわ」
「あ、ありがとうございます」
嬉しそうなシャルミスの言葉に拳児は頬を掻きながら苦笑すると、シャルミスが頷く。
「ではここからまず、今感じ取った魔力について言及をしていきます。ケンジさんは先程無理やり腹の中を引っ張られたと言っていましたが、その感覚をもっと詳細に説明する事は可能ですか?」
「もっと詳細に、ですか。えっとこう、内臓が持ち上がって、ぐるんと回って、それが這いずって腹から腕に伝ってって感じですかね」
「熱とかは感じましたか?」
「熱……熱という感じではないですが、こう、細い管の中を強烈な風が吹いたような感じで」
「強烈な、風?」
「そうですね、こうジェット噴射って感じを」
拳児が自分の感覚を詳細に説明すると、シャルミスの表情が少し困惑した顔となった。
「あの、なにか?」
「あぁいえ、大丈夫です。それがケンジさんの魔力行使の感覚という事で理解しました。それではその感覚を覚えておいて貰って、皆さんにはこの本を読み込んで貰います」
シャルミスはそう言うと教壇の上にあった分厚い本を取り上げて、拳児とニアの机の上に置いた。それは「魔法行使読本初級」と記載されている本だった。
「魔法を基本行使可能なマリエルさんとレテスには少し退屈な時間となりますが、ニアさんとケンジさんはきちんとこの本をまずは覚えて下さい、魔法を行使する上での本当に基礎的な事が書いてありますので。これは次回までの宿題です!」
「分かりました、覚えます」
「が、頑張ります……」
宿題という言葉に拳児は軽く頷くが、ニアが少し不安げに答える。読書が苦手なニアだから無事覚えられるか不安なのであろうと拳児は思いながら、その本を自分の荷物袋にしまった。
それを確認してからシャルミスが続ける。
「それでは基礎はその本を覚えてもらうという事で、今はその基礎を覚えた先に行使可能な事として、これを皆さんに教えます」
シャルミスがそう言って手を軽く前に振ると、その指先に小さな光る円形の模様が空中に浮かび上がった。その模様を見て、拳児がぽつりと呟く。
「魔法陣、みたいだ」
「ふふっ、その通り魔法陣、マジックサークルです。魔力を用いて術式を構築する術の一つ、先程ケンジさんが行ったのが詠唱魔法となりこのマジックサークルを用いる魔法は陣形魔法の中の特異型、演算陣形魔法と呼ばれます。魔術理論をこうして魔力を用いて形にして魔力を注いで放つ、高等魔導技術の一つと呼ばれています」
「すごい……マジックサークルなんて初めて見た……」
シャルミスの言葉にマリエルが唖然と呟くので、それがかなりの高等技術であるという事を理解しながら拳児も宙に浮かぶ魔法陣を見つめていた。
「はい、では今日はこのマジックサークルを、既に魔法の行使が可能なマリエルさんとレテスさんには覚えてもらいます!基礎元始魔法のウォーター、エアロ、ファイア、ライトのどれか一つで構わないので今日中にぜったい、絶対に覚えてもらいます!その間ケンジさんとニアさんは先程の本の熟読!いいですね!」
『は、はいっ!』
「よし、それでは特訓開始です!!」
なんだか急に熱血教師のようになったシャルミスの勢いに押されながら、拳児達の魔法修行は開始されるのだった。




