23話
日が沈み始める夕方、本から顔をあげた拳児は図書館に張ってあるステンドグラス越しに日差しを受けていた。
グレスの言う「愛する奥さん」からの魔法講義を受ける事は決まったが、事前の知識としてある程度の情報を収集しておく事は損ではない。拳児は再度図書館へ訪れ、講習会への参加の為読む事の無かった初心者向け魔法読本で事前知識を収集していたのだった。
日が沈むという事で拳児は自習勉強を切り上げる事にし、本を閉じて横を見る。
紅茶を飲みながら静かに本を読むマリエル、恐らく空になったであろうティーカップに新しい紅茶を注いでいるレテス、本を広げたまま盛大に眠りこけているニアがいる。
突っ込み所が多くて、どうするべきか悩んでしまった。
迷宮白書
「どうも、すいませんでした」
「す、すいませんでしたあ……」
ニアが枕にしていた本には盛大に折り目とヨダレ跡がついてしまった。司書さんは笑って許してくれたが、頭を下げずにはいられないので一緒に頭を下げる。
だが聞けばこの図書館を利用する冒険者はよくやる事で、本を下敷きに寝る程度ならまだしも、エールを溢したり食べかすを撒き散らすなどもよくある事なのだそうだ。
冒険者の中には正確の苛烈な、端的に言えば行動が粗暴な人種も少なくないのでそういう事がよく起こるそうで。ページを破いて持っていこうとする者や、本ごと持って行こうとする者も後を断たないとの事。
少なくとも破損に対応する為、ここの本全てに保護の魔法がかけられているらしい。紛失には、紛失当日に図書館を利用した人間を地道に調べるらしい。
少なくとも破損は防げるという事なので、魔法ってほんと便利だわと改めて思う拳児。
その傍らでは、綺麗に洗浄したティーセットを司書さんへ返却しているマリエルとレテス。
「どうもありがとうございました」
「とてもおいしゅうございました」
司書のかよ、おいしゅうございましたじゃねぇよ、なんて心の中で突っ込みを入れる。実際に言ってしまうとレテスは非常に面倒くさい事になりそうだ。
だがそんな心の中の突っ込みが見て取れたのだろう、司書さんは「余り人来ませんから、ここ」と苦笑いを浮かべる。暇なもんでサービスしたくなるという事か。
そんな司書に苦笑いを返し、「きっと明日も来ますんで」と改めて頭を下げ、拳児達は閉館が迫っている図書館から一路、宿屋へと向かった。
聖堂を出てほんの少し歩いたら、すっかり日が沈んでしまった。
聖堂の南、宿屋の点在する地区への一本道には、両脇に食い物屋が軒を連ね、店先の明かりが道を自然と照らしている。
また街灯、という言うには些かほの暗い灯りのついた棒が道の中央に置かれている。なんでも自然に生えているヒカリゴケを利用したものらしい。
ほんのり暗く、だけど不気味さを感じない、ちょっと騒がしい道程の中、拳児達はニアを弄っていた。
「でも意外だった。ニア真面目そうなのに」
「そうなのよね。基本良い子ちゃんなのに、本を読ませるとすぐ居眠りするの。
ウチのママも困ってたわ、真面目なのを知ってるだけに怒り辛いって」
「もう、マリーちゃんそんな事……あ、つ、着いた、着いたよっ!」
何かを、というか明らかに先程からのニア弄りから逃げ出す為、ニアはわざとらしく宿屋を指差す。その先には鳥の羽で作られた円の真ん中に「宿」と書かれた紋章が掲げられた宿がある。どう見ても、明らかに「宿」だった。
ここが二人の宿泊しているという『小鳥の羽音亭』である事を理解し、高校の卒業旅行で友人達とホテル前に到着した時と同じ心境になる。なんだかはしゃぎ回りたい気分だった。
「ただいまですー」
そんなウズウズしている拳児を他所に、ニアは盛大に声を挙げて宿の入り口を潜っていた。その背後にマリエルが静かに、レテスはマリエルについて入っていく。
こうなるとヘンに冷静になってしまうのが人間。あれ、なんで俺テンション上がってたんだ今。と一人で気恥ずかしさを抱え、拳児もゆっくりと宿屋へと入っていった。
宿の一階は他の宿屋と同様に食堂兼酒場となっており、日も暮れた頃でもある為料理片手に木製のジョッキを掲げた人で賑わっていた。
ここにニアは盛大に声かけて入ったのか、と微笑ましいやら騒がしいやら意外な行動を見せるニアを生暖かく見つめる。
だがまぁ食堂内は既に出来上がっている人が多く、ほとんどはニアの盛大な挨拶を聞いていなかったか、もしくは聞こえはしたが無視しているかの対応を取っていた。変に絡まれなくてホッとする。
しかし、中を見回してみると、若干女性客が多く見受けられている。レテスのようなエルフとダークエルフ、ニア達ホビットと同族の人、尻尾や獣の耳をつけた獣人、多種多様な種族が居るが、性別は女性の割合が多かった。
女性に人気とはこういう事なのかな、と拳児が考えていると、先程から慌しく給仕を行なっていた女性がこちらへと歩いてきた。
「お帰り。食事? お風呂はお湯沸かしてる所だからもう少しかかるわよ」
「食事で、席あいてる? 無かったら私達の部屋でもいいんだけど」
「奥のテーブルが一つだけ。ホビット二人と女性のエルフさんなら大丈夫だと思うわよ」
お互いに気心の知れたような物言いで会話をしていくマリエルと給仕の女性。とんとんと食事の話が進んでいく様をほへーと見ていると、給仕の女性が一瞬ねめつける様な視線で自分を見た事に気づいた。
「……それで、あの人は? 冒険者の人みたいだけど、大丈夫?」
「大丈夫ってまぁ、大丈夫よ。そういう人じゃないし、パーティ組む相手だしね」
「あ、そうなんだ。じゃあまぁ、いいのかな」
「気遣いは感謝するわよ。こういう仕事しているとそういう手合い多そうだものね」
「ホント困るのよねー」と言いながら、給仕の女性はその視線を和らげ拳児へと向く。
「ごめんなさいね。私はレイチェル、この店の給仕と受付をやってます。
宿泊と食事の時には声をかけて下さい。」
堂に入ったお辞儀をする彼女の背後で、ふさふさとした尻尾がぶるりと揺れる。頭を上げた勢いでその大きめの耳がぴょこりと動く。給仕の彼女は犬の耳と尻尾を持つ獣人だった。
しかし、だがしかし。彼女の魅力はそんな所ではなく、その前面に押し出された「大きい」にあった。
彼女を見た時から逆説的に気付いた事がある。拳児の周囲には「小さい」人しかいない。
物凄く失礼な話ではあるが、ニアとマリエルは当然その背丈も合わせ小さく、レテスに関しても前述の二人より身長は高いが、「小さい」に関しては似たようなものである。
レイチェルの「大きい」を見た瞬間、拳児はそこへ気付き、一瞬喜んだ後、周囲の環境に若干の不満を感じたのだ。
「あ、正常な人だ」
レイチェルの呟きと同時に、足に衝撃が走った。
「はい、今日のオススメ『ニカグラの香草焼き』と『レンベと野菜の炒め物』、あとはまぁ適当に野菜とミートパイね」
すぐに顔に出す自分の性格を憎憎しく思いながら、拳児は置かれたでかい焼き魚と炒め物へフォークを伸ばし口の中に放り込む。なんだか生暖かい視線をレイチェルから感じるが、それも無視だ。
だが一口一口噛み締めると、拳児の表情は和らいでいく。
「うん、おいしい。塩加減とか丁度良くておいしいやこれ」
「そう、お気に召したようでよかったわ」
拳児の言葉ににっこりと笑みを作りレイチェルが答える。足の痛みか自分の性格にか、恐らく両方に剥れていた拳児を慰める食事が出せてレイチェルは気分が良かった。
エールを飲みながら食事をする彼らから一旦店のカウンターへ戻り、手に小さな水晶球のついた杖を持ちレイチェルは再び拳児達の席へ訪れる。
「食事をしながらでいいんだけど、宿の契約に関して。
ウチの店は一人部屋一泊70銅で、30日の定期契約だと21銀、食事代は別ね。
二人部屋で一拍80銅、30日で20銀。聞いての通りこっちのほうが割安よ。
まぁ二人部屋は二人一緒じゃないと宿泊できないようになってるから、誰かと一緒に泊まってもらう事になるわね」
そういうと彼女はチラリと傍らに座るエルフの女性、レテスへ視線を向け一瞬したり顔を浮かべた。
「まぁまぁ、二人部屋でいいわよね?」
「いや一人部屋二つでお願いします」
「なんでっ!?」
てっきりそういうものかと思っていたレイチェルとしては、拳児のその発言に心底驚いた。
傍から見ていると、拳児はレテスの事を他の二人より少し気にかけているように見え、レテスとしても拳児を気にしている節があった。
他の二人は前から宿に泊まっていたので拳児とはそういう関係になっていないと理解できている。なもので、拳児とはレテスがそういう関係にあるのではと思ったのだ。
だが何と言うか、拳児は凄く仏頂面でその意見を否定する。
「そういう事じゃないんですよ、彼女はその、何と言うかお世話になっている人で」
「お世話になっているって?」
「この子、ケンジのサポーターなのよ。奴隷」
隣で涼しい顔してエールを飲んでいたマリエルが会話に口を挟み、爆弾を置いていく。
マリエルの言葉に、レイチェルは微妙に反応に困った態度を取った。
「あ、あぁ~。そ、そっか。ん、でも一緒の部屋が嫌っていうのは? 奴隷だから?」
「いやいやいや! そういうんじゃなくて、その男ですから一部屋に男女一緒っていうのは」
「ん~? 別にいいんじゃないの? 一緒に野宿したりするでしょ今後」
「いやいやそれとこれとは違う話で! 野宿のような環境じゃない訳ですから、何か過ちがあったりとかするとね?」
「そんなのよくある話じゃない。迷宮帰りの昂った精神を抑制する為のセックスなんてみんなやってるわよ」
発言の瞬間、テーブルの空気が完全に死んだ。
マリエルは視線を泳がせ、レテスは俯き、拳児は何か言おうとしているが言葉にならず真っ赤な顔で口をパクパク開くだけ。
ただ一人、ニアは話の行方がどうなるのか興味深そうに拳児とレイチェルの顔に視線を行き来させていた。
「あ、でも私はその対象にはしないでね。これでも貞婦ですから」
「あ、アホかぁっ! しないから! ていうかレテスさんもするつもりないけど!」
「でも過ちが起きそうっていうかヤっちゃいそうだから部屋を分けたいんでしょ?」
「いやそうだけどていうかヤるとか言い方が下品だからやめなさい!」
レイチェルの落とした火種を元に話題が燃え広がり、現在は業火となりテーブル上で討論となっている。
ヤると言うのをやめない、男の癖に貞操観念が固すぎる僧侶か貴様は、このおっぱい女が言わせておけば、などなど若干方向性を変えつつ、その討論の火は中々収まりそうになかった。
そこへ、ゴンッ! という大きな音に二人の言葉が止まる。
音の元を見ると、マリエルが取っ手が外れてしまいそうな勢いで木製のジョッキを握り締めていた。
「素人童貞だのおっぱい女だの、あんたたちいい加減にしなさいっ!」
「はいっ!」
マリエルからの一喝に二人はあわやつかみ合いかと思われるぐらい近づいていた距離を一瞬で離し、マリエルへ身体ごと正面を向ける。
「レイチェル、この宿三人部屋ってあったわよね?」
「はい、ありますお客様! 30日契約23銀での三人部屋がございます!」
「じゃあケンジ、私達今後は三人部屋に泊まるから、レテスの分で部屋代三割負担してあとは一人部屋契約しなさい」
「はい、わかりました!」
「レテスもそれでいいわよね」
「はい、それで結構でございます! お嬢様」
「じゃあ契約よ」
「はいっ!」
マリエルの号令に従い、テーブルの面々は迅速な行動に移った。
レイチェルは手に持つ水晶の杖を拳児の右腕、冒険者の腕輪へ翳し記録を取り、拳児は言われるまま速やかに右腕を差し出す。
拳児が終わったら次は一人ずつ女性人の腕輪へ水晶を翳し、終わるとレイチェルはキビキビとした礼で頭を下げた。
「お食事が終わりの頃にお迎えに上がります、お嬢様!」
「結構。そうしてちょうだい」
「はいっ!」
レイチェルは、まるで逃げるように、テーブルから去っていった。
「さ、食事の続きをしましょう」
自分を見てにこやかな笑みを浮かべるマリエルに、一番怖いのは迫力のある人間だと理解した拳児だった。