表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷宮白書  作者: 深海 蒼
16/36

16話

「妻子が待っているのでな。夜分遅くに失礼した」


 そういって余り物を土産に、グレスは帰っていった。奥さんと子供がいたんだ、なんてほろ酔い気分で思いながら、その家族像を想像してみる。

 息子は簡単に想像できた、小さな頃からムッツリした顔をして、近所では他の子供達から怖がられているに違いない。しかも普段は無口だから余計同年代のお友達は居なさそう。語尾は「ござる」で決まりだ。

 だが娘と奥さんは全く想像できない。あのグレスさんと結婚するような女性は一体どんな人なのか。あぁいうムッツリ顔をしつつ時折かけられる優しい言葉にコロッといった人なのか。

そしてその娘はどうなのだろう、迷信では娘は父親に似ると美人になると言われているが、グレスに似た娘というのはどう考えても男らしい顔立ちだ。

 そんな下らない事を考えていたら、あっさりと眠りに落ちていた。


 迷宮帰りでガティの家へ直行し、帰還祝いの宴会後、拳児達はそのままガティの家へ泊まっている。

 拳児は未だこの町で宿を取っておらず、またそのような暇がある状況では無かった。何せ異世界初日はガティと門外の宿へ泊まり、二日目にはギルドで登録後訓練。三日目に迷宮へ入り10階層攻略。どう見てもハードスケジュールだった。

 違う世界へ来た事、モンスターとの戦闘、大迷宮など拳児の世界の常識ではありえない事が次々と起こり、拳児の中で無理やりに考える事を止めひたすら今を生きるように思考がシフトされていた。

 それは疲れも溜まるというもの。精神と肉体の均衡が崩れてしまう可能性もなきにしもあらずである。

 だが、現実はどうしようも無く拳児の疲れを増大させるようになっていた。


 拳児があっさりと眠りに落ちてから6時間程度、日の出から少し経った時間である。昨夜は宴会の席でも結局まともに話をしていなかったレテスが、今、拳児の居る部屋へ入る。

 彼女はマルタの部屋で共に寝ていた。何故かと問われると、他人の家で男女同衾はよろしくない、と至極当たり前の理由。

 そのマルタも既に起床しており、現在は台所で朝食に勤しんでいる。そんなマルタから仰せつかった任務が、拳児を起こす事。


「今後一緒にいるんだから、ちゃんと起こせるようにならないとね」


 こらまた真っ当な理由でその役目を仰せつかい、現在拳児の寝る部屋へ入った所である。

 そこでは、静かに寝息を立てている拳児が木板のベッドへ寝転がっている。非常に静かな寝息で、耳を澄まして微かに聞こえる程度である。時折「うぅん」と唸るが、姿勢は全く変わらずに、眉間に皺を寄せている。

 ともかく、彼女の任務は拳児を起こす事にある。

 彼の傍まで近づき、レテスは一息吸うと、静かに寝息を立てている拳児の肩へ手を置いて声をかけた。


「あの、ケンジさん、起きて下さい」

 

 ぽんぽん、と軽く肩を叩きながら声をかける。昔、母によくこうして起こされたものだ。

 そうすると、拳児はパチリと目を開いた。なんだか、もの凄い勢いの目覚めだ。拳児は目を開けたまま、天井をその寝起きの濁った瞳で見つめている。

 あれ、なんだろうこれ。レテスはちょっと拳児の様子がおかしい事に気付く。


「あ、あの、ケンジさん?」


 再び拳児の肩へ手をぽんと当てると、拳児の様子がさらにおかしくなったと思ったら。 


「ジャオオオォォォォォォォォッ!!」


 叫んだ。




迷宮白書




「あがっ、ぐふぅっ! ご、ごべんなざい、ぼうゆる、ギャオォ!!」


「はいはい、良い子だからもうちょっと我慢しましょうね。じゃあ次、腕持ち上げるわよ」


「ぎゃぁああっ! じぬ! じんでじばう!」


 寝台に寝転がり涙と鼻水を盛大に垂れ流しながら泣け叫ぶ拳児と、そんな拳児をゴロゴロと転がしながら薬を塗りたくるマルタ。時折腕や足を持ち上げては、彼の関節をゴキゴキと鳴らしている。

 早朝にあがった拳児の叫び声に、台所からマルタが駆けつけると、鮮やかな技で拳児の布団を引っぺがし上半身の衣服を剥がし、予想していたのであろう手にした薬壷から粘性の薬を徐に手に伸ばして一気に塗り始めた。

 途端あがる悲鳴を意に介さず、マルタは「わかってるわかってる」と言いながら嬉々として彼の身体へその薬を塗り続けた。

 部屋には薄荷のようなキツい臭いが漂い、目はその臭いの所為で少ししょぼしょぼする。これは筋肉疲労に使う癒しの薬の特徴だった。

 レテスは目の前に上半身裸の男が居る事より、その男の垂れ流す涙と鼻水、怨恨の声と悲鳴が気になっていた。

 なんだか、とても凄い。


「はい、これで腕とか足は終わり。

 お尻とかも塗ったほうがいいかもしれないけど、被れちゃうかもしれないからやめておきましょう。

 全く、筋肉痛ぐらいでこんなに叫び声を上げるんじゃないのっ!」


 パシン、と軽くマルタが肩を叩くと「ひぎぃっ!」と拳児が叫ぶ。筋肉痛だとわかっているのにその所業は少々酷ではないかとレテスは思わない訳ではない。だが筋肉痛は筋肉痛。それが直接的な原因で死ぬ事はない。とても痛いだろうが。


「じゃ、30分ぐらいしたらラクになってるはずだから、動けるようになったら湯汲みに行って薬を流してきなさい」


「あ゛ー、ぼあ゛ー」


「わかったわねっ!」


「あ゛い゛っ!!」


 再びパシンと叩いて、マルタは拳児の部屋から去っていった。

 部屋に残されたのは、「あ゛ー」と言葉になっていないナニカを喋っている拳児と、椅子に座り一部始終を見ていたレテス。なんだか、居た堪れない気持ちだった。


「あの……、だ、大丈夫、ですか?」


「あ゛ぁー」


 どう見てもダメだった。




 癒しの薬、侮りがたし。塗った時の激痛も治まり、拳児が何とか一人で歩ける程度まで筋肉痛の痛みは引いた。走ったりしたら酷くなるだろうが。

 寝台に腕をついてゆっくりと立ち上がり、レテスがそわそわと見守る中階段を降り、湯汲み場まで動く。湯汲み場は一階鍛冶屋の裏手に用意されており、水の張った湯船の中にお湯を継ぎ足し温度を調整する仕組みとなっていた。

 湯船は木製であり、擬似ヒノキ風呂ではあるが、この世界では湯船に浸かる習慣は無く、湯船のお湯を掛け流すのみである。拳児は湯船に浸かりたい欲求と戦いながら、それでも怒られたくないので黙ってお湯を掛け流し、薬を落とす。

 その後、薬草を干して刻んだものをどう見てもヘチマを乾かしたタワシと思われるものにつけ、身体に擦りつける。肌がヒリヒリしない程度で終わらせ、薬草湯で頭を洗い再度湯をかけ湯汲みは終わりだ。

 これで清潔か、と言われると現代社会を生きてきた拳児としては疑問ではあるが、この世界ではこれが常識なのだろうと思う。雑菌やら何やらといった概念は存在しているとは思えず、また何かあれば魔法で癒す世界である。拳児の常識は通じない。

 

 湯汲みから食卓へ移動すると既に朝食が並べられており、ガティとマルタ、そしてレテスが既に着席していた。


「あー、おはようございます」


「はい、おはよう。早く食べましょう」


 朝早くから拳児に酷い事したお母さん、マルタはニッコリと微笑んで言った。ちくしょう、妙に爽やかな笑顔しやがって。

 拳児は心の中で怨恨の声を呟きながらレテスの隣へ腰掛ける。


「あの、もう大丈夫ですか?」


「あ、はい。普通に歩ける程度には大丈夫です」


 隣のレテスから声をかけられ、ありのままを話す。

 表情は硬いものがあるが、それでも昨日よりはほんの少しだけ、柔らかくなったような気がする。


「はい、それじゃあいただきます」


 スルッと拳児とレテスのやり取りをスルーし、マルタが朝食の号令をかける。

 それで、朝食は始まった。




「それで拳児君。あなたそろそろ宿屋契約したほうがいいんじゃない?」


 朝食が終わった後、マルタが食器を片しながらゆっくりと水を飲んでいる拳児へ声をかけた。

 この世界での宿屋は月極め契約などで部屋を貸しており、言うなれば借家のような役割も担っている。主に利用するのは決められた期間街へ滞在する事が決定している旅商人や、拳児のような冒険者である。

 宿を使う冒険者の多くはお金さえ払えば掃除を行なってくれる事、また同様に食事を用意してくれる事が宿屋を利用する大きな理由となっている。

 また、契約している宿をギルドへ申請する事で、住居の特定が行いやすくなり、ギルド側にとってある種の保険としての役割も担うことが出来る。


「はい。今日とりあえず宿屋を契約しに行こうかと思いまして。ずっとこちらにお世話になっている訳にもいきませんから」


「ま、金が無い時はウチ来りゃいいさ」


「なるべく甘えないように頑張るよ」


 ガティの軽口に笑顔で返す。初めから世話になりっぱなしなのに、これ以上世話になる訳にはいかない。

 一応自立した男手であると自分を認識している拳児としては、自分の力でなんとかなる部分はなんとかしようと考えていた。


「じゃあついでに、ギルドの図書館行ってみなさい。噂じゃ相当本があるらしいわよ」


「図書館、ですか?」


 マルタからの突然の提案に、拳児は目を丸くする。

 この世界に図書館という概念があった事も驚きだが、なぜ唐突にそれを提案してきたのか。

 だが、次の言葉で合点がいった。


「そう、図書館。見つかるかもしれないじゃない、”探し物”が」


 ”探し物”

 拳児の探し物とは即ち、”元の世界へ戻る方法”しかない。

 確かにそういった物のヒントを探すには、過去の文献やらを集めていると思われる図書館が適当である。

 なるほどなるほど、と拳児は頷き、笑顔を向けてくるマルタへ頭を下げた。


「ありがとうございます。マルタさんに言われなかったら、気付かなかったかもしれない」


「あら、いいのよ。子供を導くのは大人の役目よ」


 マルタに言われると、本当に自分は子供なんだと気付かされる。目の前の事に手一杯で、余裕が持てていない。気持ちばかりが先に進んでしまい、肝心な部分を見落としてしまいそうになる。

 拳児は再度頭を下げると、席を立った。


「あら、もう行くの?」


「はい。善は急げ、僕の故郷の言葉で良い事をするなら躊躇するなという意味の言葉があります。

 図書館で情報を探すのは良い事、だから早めに実行しようと思います」


「そう。じゃあはい、これ」


 マルタは食卓の下から小さな大袋を取り出し、拳児へ手渡す。

 それを受け取ると、更にマルタは小さな袋を手渡した。


「これ、クロウバットの羽や爪の代金よ。あなたガティに売るつもりだったの忘れてたでしょ?」


「あ……。そうだそうだ、忘れてました」


「剣と鎧は磨いておいたから、その差し引き分。また整備が必要だったらお金持って来なさいね」


「あ、ありがとうございます!」


 にっこり笑うマルタと、頬を掻いて照れているガティへ頭を下げる。

 本当に世話になりっぱなしで申し訳ない。


「ま、どうせ毎週のように来る事になると思うわよ。剣や鎧っていうのは一度迷宮入ったらちゃんと整備しないと使い物にならないものだから」


「他の店使いてぇって事なら来ねぇけどな」


「そんなっ! 来る来る、迷宮出たら毎回お店に来るから!」


 慌てて拳児が言うと、二人は噴出して笑い出す。

 つられて拳児も笑い、部屋は暖かい雰囲気で一杯になった。


「じゃあ、頑張ってきなさい」


「はい、いってきます!」


 ガティとマルタに見送られ、拳児は玄関を出て行った。

 彼の背中を見送った後、二人は笑顔のまま振り返る。

 そこには、何ともいえない顔で二人を見つめるレテスがいた。


「……あの。私は着いて行くべきだと思うんですが、声をかけずらい雰囲気でしたので、その」




 慌てたガティが拳児を連れ戻すまで、そう時間はかからなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ