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迷宮白書  作者: 深海 蒼
15/36

15話

 ガティの仕事場兼自宅への道程の途中、拳児は唐突に開き直った。あーだこーだと悩みながら前を歩き楽しそうにグレスと会話をするガティを見ていたら、何だかどうでも良くなってきたのだ。

 人が悩んでるのに馬鹿らしいほどでかい口開けて笑っているガティに理不尽な怒りをほんの少し向けたりしていたが、それも開き直ればどうでもよくなる。

 こちらの世界に来た時―――といってもほんの二日前だが―――と同じように、結局なるようにしかならんのだ。あの時偶々ガティに遭遇したお陰で、現在のように心情的に落ち着いて生きる事が出来ている。ならば、今回もきっとなるようになって、どうにか穏便な事になるはずだ。

 だがその開き直りは拳児のみのものであり、傍らを静かに、というより押し黙って歩いているレテスには全く影響を及ぼさない。


「………」

 

 ちらりと一瞬見て後悔する。胸元で大きくは無い鞄をぎゅっと抱きしめ、節目がちに歩いている。たまにプルプル震えている所を見ると、何かよからぬ未来予想もしているのかもしれない。

 その可憐な顔立ちに若干の怯えが入っている事に、拳児の中の背徳感のようなものが刺激されたりするが、女性の嫌がる事を嬉々として行なう趣味は今の所ない。

 良かれと思ってした事が、なんでこんな事になってんのかなぁと思うと、どうにもやるせなさを感じていた。


 ふと、既に日の沈んだ街道でガティとグレスが足を止めたのを確認する。

 ようやく着いたと思い正面の建物を見上げて、ふと気がついた。


「……あれ? こんな紋章みたいなのあったっけ?」


 正面玄関と思われる出入り口の脇にぶら下っているものを見る。盾の上に二本の剣がクロスし、真ん中をボウガンが一本貫くような紋章。ちょっとカッコイイと思った。


「お、気付いたか。こいつは師匠から選別に頂いた師匠の店とおんなじ看板だ。どうだ、かっこいいだろ?」


「うん、カッコイイカッコイイ。暖簾分けって奴だね」


「ノレンワケ? まぁよくわからんがこいつのかっこよさが判ったんならよしとするか!」


 自慢げなガティの言葉に答えたが、つい元の世界の言葉を使ってしまう。この世界いは暖簾というものが存在しないのか、暖簾分けが通用しない。もうちょっと言葉に気をつけないといかんなと考える。

 ガティは満足したのか、拳児から振り返り背後のドアを開けると、大声で挨拶をした。


「帰ってきたぞーかぁちゃん!」


 まるで昭和時代の酔っ払いだ。




迷宮白書




 奥から超特急で駆け寄り、玄関先でガティに一発デカい拳骨を食らわせた肝っ玉かあちゃん、マルタさんは暫くして玄関先に立っている拳児達に気付いた。


「あ、あらあら、お客様? どうもうちのバカ息子が申し訳ありません」


「い、いえ……。お気遣いなく」


 ゴスン、と派手な音を立てて床に頽れたガティを見ながら、グレスが冷や汗交じりに返事を返す。あの鈍いながらも派手な音は、致命傷になりかねない衝撃が拳骨に含まれていた事を確信させた。

 マルタはゆっくり頭を下げた後、グレスの背後にいる拳児を確認するとにっこりと笑顔を見せた。そのヘビ顔で。


「あらケンジ君! 無事だったのね!」


「あ、はい。どうも……」


 本人としては喜んでいるのだろうが、言われた拳児としては複雑だった。心配してくれていたのだろうが、自分はそんな簡単に死にそうなのかとも思ってしまう。


「かあちゃん、そいつぁねぇだろ……」


「何言ってんのよ、初めての迷宮で全くの素人が行ったんだから、死んでたっておかしかないのよ」


 ガティへの反論から、どうやら簡単に死にそうだと思われていたらしい。確かにそれもそうなのだが、やるせなさを感じてしまう。

 自分のペースでどんどん進むマルタさんは拳児の傍らに立つ小柄な女性を見つけ、その顔を見た後、再び拳児へ視線を向けた。その眼差しは限りなく生暖かい。


「あらあら、もう……」


「何か言うならはっきり言ってください。中途半端で気持ち悪い!」


「だって、ねぇ。……頑張れ、おとこの子」


「あああっ! なんなんすか! そういうんじゃないって言ってるでしょぉぉおおっ!」


「お客様もいらっしゃったみたいだし、ちょっとおかずを追加してくるわね。食べていかれるんでしょ?」


「話変えてるしあらぬ誤解抱えたままだし」


「じゃ食卓に早くお連れしなさいね、ガティ」


「はいはい、わーってるよ」


 もう疲れた……。

 拳児は重い溜息を一つ吐いた。




 食卓には既にいくつか皿が並べられており、上には魚や肉、野菜が盛られ、拳児の食欲が非常にそそられる。


「ま、適当に座ってくだせぇや」


 既にマルタが用意したのであろう、昨日よりいくつか増えている椅子に手をかけガティが座る。それに習いガティの隣を空けグレスが座り、グレスの向かいに拳児が着席する。


「ん? 嬢ちゃん座んねぇのかよ?」


 全員が座ったと思ったが、レテス一人が拳児の背後に控え、相変わらず鞄を抱え立っていた。

 彼女は少しきょろきょろと落ち着きなく周囲を見た後、床へ視線を向けて話す。


「いえ、その……。奴隷である私が、同じ食卓へ座るのは……」


 その言葉に、がっくりする。先程まで何も言わないものだから、なぁなぁの内に奴隷だの何だのの話は終わらせられたかとほんのちょっと思ったりしたが、非常に甘かった。

 向かいのグレスを見ても、半ば呆れたようにレテスを見ている。恐らくグレスには拳児がどのようにレテスと接したいのか理解しているはず。というか先程までの行動見て判りそうなものである。ここで口を出してこないのは当人同士で解決すべき問題だと考えているからだろう。

 しかし、彼女は筋金入りの頑固だった。


「おや、まだ座ってなかったのかい?」


 大きなお皿を両手に持ち、台所から出てきたマルタがレテスを見て呟く。その手に持つ大きな皿には煮込んだのであろう肉片と、野菜の炒め物が乗った焼き魚が盛られている。

 彼女は皿を危なげなく食卓へ並べると、腰に手を当てレテスを見た。


「お嬢さん、もうすぐ出来るから早く座っちゃいなさい」


「い、いえ、ですが……」


「いいから。座りなさい。」


 いきなり迫力を出してきた。傍らではガティが頭を庇うように両手をあげている。正面ではグレスが両耳を押さえた。刷り込みか、刷り込みなのか。

 自分も慌ててお尻を庇いそうになりながら、母親の強さはハンパじゃないなぁと感じつつ、慌てて自分の隣に着席したレテスを眺めていた。

 マルタはレテスが着席したのを確認すると一つ頷いてから、台所からトレーを取り、上に乗ったデキャンタとコップを食卓へ置いた。

 それをガティが取り、一つ一つに中身を注ぎ、各人の前へと並べる。

 コップを受け取った拳児は、周囲がするのと同じようにコップを持ち、ガティの言葉を待った。

 ガティはコップを持つと、んんっ、と咳払いをし、コップを掲げる。


「よし、じゃあとりあえず、ケンジの迷宮10階層攻略を祝って、乾杯!」


 乾杯の音頭と共に、祝杯が掲げられた。

 ぐいっと飲み込んだのは良く冷えたエール酒で、一口飲む度にその冷たさとアルコールが身体に沁みこむ。

 今この瞬間が、拳児の一番落ち着いた瞬間だった。


「〜〜〜っぶはぁ! あー、おいしいなぁ酒」


「お酒もいいけど、ケンジ君お腹すいてるんじゃない? 一杯あるからお食べなさい」


「はいっ、いただきますっ!」


 マルタに促され、拳児はその空腹を埋めるべく、まずは手近な大皿へと手を伸ばした。




 拳児はその空腹を満たしながら酒を煽り、ガティとマルタはグレスと三人で鍛冶や冒険者のお供である道具に関して話をしている。

 ガティの持つ刻印術の腕の話題に照れながらも嬉しそうに言葉を続けるガティにマルタさんはまさしく大事な息子を見る暖かい視線を向けていた。

 ふと、何気なく左隣を見ると、そこには一切触れられた形跡のないフォークとスプーンを前に、遠くを見てじっとしている女性が一人。

 腹も膨れ酒も入り気が緩みまくった拳児は、ぽろっと疑問を口に出した。


「レテスさん、何してるの?」


「あ、はい。いいえ、あの、私は奴隷なので、ご主人様と同じものを食す訳には……」


 ぴたっ、と。時間が停止したように場が静まる。

 ガティとグレスはそれはもう目を丸々と見開いて呆れた視線を向けているし、マルタさんは静かにレテスを見つめている。

 拳児も、それはもう口をあんぐりと開けている。まだそれやっていたのか、という心境だ。

 ふぅ、とどこかで息を吐く音が聞こえたと思ったら、マルタがエールを一口飲み、カンッと木のカップを机に置く。


「……そろそろ、その話に決着をつけましょうか。ね、ケンジ君」


「は、はいっ。そうしようと思います!」


「ケンジ君じゃどうも何をどう言ったらわからないみたいだから、私から言うわね、ケンジ君」


「はいっ。それが良いかと思いますっ!」


 まるで新米兵士と教導官のやり取りであったと、後にグレスが漏らすやり取りにガティが引きつった笑みを浮かべる。

 この食卓の真の主が誰なのか、良く判る光景であった。

 マルタは再びエールを一口飲むと、その瞳をレテスへ向ける。


「……レテスさん。あなた少し頭が硬すぎるわよ」


 物凄い直球でした。

 ストレートに投げかけられた言葉に一瞬気圧されるように、レテスが身体を後ろに引く。


「今の拳児君の言葉や態度を見てわかると思うんだけど、彼は奴隷が欲しいとかそういう事思ってるんじゃないって事、判るわよね?」


「それは、その……。確かにケンジさんは私を奴隷として扱おうとしていないのは判ります。

 ですが、私は事実奴隷の身です。ですから、私は奴隷として振舞わないといけないと」


「ほんと頭硬いわね。じゃあこうしましょう。

 ケンジ君、彼女に奴隷として振舞うなって命令しなさい」


「ええっ!」


 なんじゃそりゃ、と思う。

 奴隷に行なう命令が奴隷として振舞うなって正しく意味不明な命令である。

 だがマルタは彼の内心を計る事無く言葉を続ける。


「レテスさんは奴隷で、ご主人様の命令は聞かなきゃいけない。

 だったらレテスさんにそうやってご主人様として命令しちゃえば簡単じゃない。

 そうすれば彼女はご主人様の命令に従って、奴隷として振舞う事を止めるでしょ?」


「……おおっ」


 なんという力技。だがその理屈も一理ある。

 マルタの妙案に思わず納得た拳児だが、ガティやグレスは乾いた笑みを浮かべている。

 状況の解決にはなりはするだろうが、彼女の考え方の部分は全く解決していない。

 だが基本的に抜けている部分のある拳児は、マルタに促されるまま、レテスへと告げてしまった。


「じゃあ、レテスさんは今後奴隷として振舞う事禁止、ご主人様も禁止」


「……はい、わかりました」


 拳児の言葉に、レテスは渋々ながら、頭を下げ了承を告げる。

 その表情が未だ硬いのは、彼女の内心の表れだった。


「おい、かあちゃん。いくらなんでもありゃねぇだろ」


「いいのよ、今は。一日明けて落ち着いたら改めて言えばいいんだから」


 ぼそぼそと小声でやり取りを行なう二人の言葉に、グレスは苦笑を浮かべる。

 確かに今日は奴隷契約を行なったばかりであり、レテスの心中も落ち着いてはいないだろう。

 頭の硬さは落ち着いたとて治るようなものではないが、それでも今の状況よりは話が進みやすくはなると思う。

 今は力技だろうが何だろうが、拳児がレテスを奴隷扱いしたくないという明確な意思表示を示す事が大事なのだと感じる。

 ずるずるとその意思表示を行なわなかった場合、彼女の中で奴隷精神が凝り固まってしまう可能性もある。


「さっ、これで問題は解決ね! じゃあレテスさん、ご飯食べちゃいなさい!」


「はっ、はい。わかりました」


 本当の解決には至っていない事を理解しながら嬉しそうに振舞うマルタに、母親はやはり強いとグレスは感じた。

 もう一杯エールを飲んだら、妻子の待つ自宅へ帰ろう。変わり者の冒険者、ケンジとその周囲の話を土産にして。

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