11話
迷宮内で、気を抜く事はできない。当たり前の事ではあるが、迷宮、モンスターに慣れてしまった人間は、ふとした拍子に気が緩む事があり、それが致命的な死因にもなる。その点、モンスターなぞ居ない世界から突如現れた拳児にその心配はない。
緊張しすぎている訳でもなく、だが神経を尖らせ周辺を警戒する事が出来ている。休憩中も物音には敏感に反応し、すぐさま抜刀すると正眼に構え相手の姿を確認する。
体力は水のポーションでなんとか取り戻し、緊張した筋肉はある程度ほぐれている。剣の構えをそのままに背後から近づいた腐臭の塊に斬りかかる。
「シッ!」
横薙ぎに払った一撃は確かな手応えを拳児に伝え、その腐った肉を切り裂く。
「ギャウッ!」
どうやら単独行動のゾンビ犬に当たったらしい。この階層で四回、計7体のゾンビ犬を拳児は仕留めた事になる。
「……数さえいなければ、問題ないんだよな」
付着した腐肉を払うように剣を振るい、腰の鞘に戻す。
腐った肉の塊は動きが遅く、単体であれば問題が無いのはわかっている事だ。だがそれも数が揃うと途端に厄介になる。強烈な腐臭が生理的に受け付けないし、何よりその見てくれが嫌悪感と恐怖心を煽る。囲まれた時はパニックで泣きそうになった。
あの時は本当に怖かったなぁと、数刻前の事を思い出し身震いする。そんな自分の顔を、両の掌で叩く。
「よし、行くか」
ほんの少し熱くなった頬をそのままに、既に見えていた転送台へ上ると、拳児は頭に直接映る映像を確認し、口にする。
「第9階層!」
床下からの淡い光が強まり、視界を埋め尽くす。7階層、8階層を消化した拳児は次の階層への移動を行なった。
迷宮白書
9階層の転送先は、小部屋の中にあった。壁は相変わらずの岩盤で、小部屋の出口は人一人通れる程度の穴になっている。
拳児は転送台から降りると出口へ向かい、鞘から剣を抜いてそっと、穴から頭を出した。穴の先は左右へ行ける一本道。周辺に何もいない事を確認すると、拳児は穴から出て改めて左右を見渡した。
「さて、どっちに……」
ふと、左へ向かう道端に何かが落ちているのを確認し、進路を左に定めて進む。
落下物に近づき見ると、赤い色をしたボロい布切れだった。
「これって、まさか……」
その色合いと、切り裂かれたような汚い切れ方をした布切れに、昨日唐突に相手する事となったモンスターを思い出す。
「ゴブリンが、いるんだ」
掠れた声で呟き、自分に確認する。この埃まみれの汚い色合いをした布切れは、ゴブリンが身に纏っていたものと同一のものにしか見えない。だったら、同種のゴブリンが存在していると考えたほうが良いだろう。
死体等は存在していないが、ほとんど確信に近い思いで、拳児は剣を握り締めた。
「昨日みたいに吐いたりする暇はない」
握り締めた剣をそのままに、決断する。
迷宮内にゴブリンがいるとすれば、恐らく昨日のように二匹程度ではないだろう。
全てを相手するには辛い相手だし、囲まれたりしたら死ぬ可能性が高い。ならば、足音がでかくなろうが疲れようが、走ってすぐ次の階層へ行ってしまったほうが良い。
思い切りの良い決断を下した拳児は、9階層を駆け抜ける事にした。
一本道の通路を走り、迎えたT字路を走ったまま右に曲がる。全力疾走ではないが、長距離走の感覚で走る拳児の視線の先に、二匹の人型と一匹の犬が歩いているのを捕らえた。
三体は拳児と同じ進行方向へ進み、拳児へ背を向けている。
「これはっ、先手、必勝かっ!」
拳児は更にスピードをあげると、剣先を一体、一番左の人型に定める。
スピードをあげた事で足音が大きくなり、気付いたであろう三体が拳児へと振り向く。だが奴らが体勢を整えるより、拳児のほうが遥かに早かった。
「どりゃあっ!」
人より小さい緑の怪物、ゴブリンに迷いなく剣先を突き立てる。
踏み込んだ足はドンと音を立て、突き立った剣の衝撃に、ゴブリンは仰け反りながら地面を転がる。間髪置かず、返す刀で右に振るい、飛びかかろうとしたゾンビ犬の頭を二つに割る。もう一匹、獲物を振り上げながら跳んできたゴブリンに、腕を振った遠心力を利用した後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
「ガヴッ」
声にならない鳴き声をあげ、ゴブリンは獲物を取り落とし地面へ背中から落ちる。ドスンと鈍い音を立てた事から、恐らく受身もとらず背中を打ちつけただろう事が想像に難しくない。暫くは全身を突き上げた衝撃で動く事はできないだろう。
拳児は呼吸を整えると落ち着いてゴブリンへと近づき、剣を突き立てる。胸に深く突き刺してすぐに抜き去り、緑色の液体が流れるのを確認した。
ゴブリンは目を見開いたまま、宙を見つめ微動だにしない。暫く警戒していたが、液体が多く流れ出た事で、拳児は相手が絶命していると判断した。
ゴブリンの血液だろう液体を払い、剣を鞘へ戻す。
昨日より、よっぽど上手くいった今回の戦闘で、拳児は僅かな自信をつけた。
「うん、これなら大丈夫だろ」
拳を握ったり閉じたりしながら、拳児はその場から先へと進む。走らず、だが早歩きで。
10分程歩いたが、拳児は次のモンスターに遭遇する事は無かった。変わりに、ほぼ等間隔で床に落ちている赤い布切れが目に付く。
転送されてきた小部屋の付近にも同様の布切れが落ちていて、先程遭遇したゴブリンも同様の布切れを身に纏っていた。この布切れは、ゴブリンのものであると今なら確信している。
ならば、床に複数落ちているこの布切れは、ゴブリンが存在していたという事なのだろう。姿は全く見えないが。
姿はないが布切れは落ちているという事は、もしかしたらゴブリンを含めモンスターは、迷宮内で死んだ時に姿が消えてしまうだろうかと考えた。
普通であればゴロゴロ死体が転がっていてもおかしくはないが、なにせこの世はファンタジー。どんな理屈かは知らないが、生命活動を停止すると、姿が消えてしまう事があっても不思議ではない。不思議すぎるが。
そこまで考え、死んだ事で布切れだけ残ったのならば、何がゴブリンを殺したのかに思い当たる。
迷宮は何も一人専用という事ではなく、実際拳児も先程まではグレスと同行していた。ならば自分より先に迷宮へ入り、この場所を通過した人間がいてもおかしくはない。
ゴブリンを殺したのが他の冒険者ならばいい、だが違った場合……。拳児はゴブリンより強敵であろうそれを思い浮かべ、瞬時に頭からかき消す。精神的によろしくない想像図が出来上がっていた。
ふと、かなりの距離を考えながら歩いていた事に気付き、慌てて周囲を見渡す。だが周辺には赤い布切れが一枚転がっているだけ。ほっとした所で正面を見ると、淡い光を放つ台座が前に見えているのを確認した。
なんだかなぁと思いつつも心の急くままに駆け出し、転送台へと上る。
いよいよ最後だ。拳児は自分に課した冒険の終わりが目前に見えた事を認識しながら、最後の関門、第10階層へと移動していった。
光が収まると同時に、目の前から怒声が響いた。
「だから今日は帰ろうって言ったじゃないのっ!」
「大丈夫だと思ったんだよっ! 普通こんな風になってるとは思わねぇだろ!」
聞こえてくる男女の声。見ると、転送台のすぐ正面で人が向かい合いながら怒声を張り上げていた。そのすぐ側ではもう一人女性がきょろきょろと両者の顔を見て不安一杯な表情をしている。
それにしても、小さい。張り上げている声とは違い、拳児の腰に満たないかどうかの人間が三人、言い争いを繰り広げていた。
この三人は、恐らくホビットなのだろう。街へ入る際に見たホビットと同じぐらいの大きさである。
目の前の光景をぼーっと見ていた拳児に、正面にいた一番おろおろしているホビットが気付いた。
「あ、あの、二人ともっ。人が来たから、ねっ?」
背中に背負った獲物、身の丈程度の弓と矢筒をカチャカチャと鳴らしながら喧嘩している二人を宥める。
彼女の話を聞いた二人は、ぐるりと勢い良く拳児へと顔を向けた。いきなりの事に驚き、思わず後じさりする。
「え、あの……」
その体格の小ささから、自然と見上げてくる形で睨まれ、言葉が詰まる。数秒間、背中に冷や汗を感じながらも動けなかった拳児に、男のほうが笑いかけた。
それはもう、満面の笑顔で。
「よし、じゃあお兄さんにも協力してもらおうかっ!」
「はい?」
突然の宣言に思わず声をかける拳児。だが彼の意思とは無関係に話は進みだす。
「ちょっと! 何勝手に決めてるのよ。大体アンタ、報酬はどうすんのよ」
「大丈夫だって。お兄さんも10階層の攻略に来たんだろ?」
「え、あぁ、まぁ」
「だったら、一緒に攻略すればいい。一人よりも心強いだろ?」
「いや、まぁそりゃそうだけど」
「じゃあ報酬とか、そういうのいいよな? 10階層攻略目当てだもんな?」
「報酬って、まぁ、目的は10階層だけど」
「なら決まりだ! じゃあ早速攻略の作戦考えるからこっち来てくれよ!」
「ささっ」と言いながら手招きするホビットの男に、何だか良くわからない間に乗せられたような気がする拳児だが、他に人が居るのは確かに心強い。
拳児は招かれるまま転送台から降り、ホビット三人へと近づいた。
近づいてみて改めて、そのサイズの小ささを実感する。
手招きした男は拳児を見上げ、その鎧に目を向けて声をあげた。
「うおっ! 刻印入りの鎧だっ! え、なにお兄さん実は上級者?」
「いや、これは友達が彫ってくれたやつで」
「知り合いが刻印術使える鍛冶師なのかっ! いいなぁ〜」
「いいからさっさと話を進めるなら進めなさいよっ! いつまでもここに居る訳にはいかないでしょ!」
「うるっせぇ女だなぁ。ねぇお兄さん」
なんというか、凄く疲れる連中だった。男は軽い態度でマシンガンの如く言葉を紡ぎ話が全く進まないし、先程から怒っている女性は未だにぷんすこと音が出そうなくらいに怒っている。その脇のボウガン少女が申し訳なさそうな顔をしているのが拳児唯一の救いである。誰かが気を使ってくれているだけで、救われたような気にはなる。
拳児はコホンと咳払いをすると、じっと三人を見つめた。
「とりあえず、いきなり協力とか言われてもよくわかんないんで、そこらへんから説明をお願いします」
なんだか低姿勢だったが気にしない。拳児が自分に言い聞かせていると、やはり男のほうから声があがった。
「まぁそうだよな。じゃあ事前の説明とかすっ飛ばすけど、この階層って今、一本道なんだ」
その言葉だけで、何だか嫌な予感がした。6階層が一つの大部屋で、迷路がない代わりにモンスターから隠れる事もできず、全力疾走で乗り切ったのだ。もしかして、と思いながら彼を見ると、男はわかったような顔でコクリと頷いた。
「判ったみたいだけど、この先にゴブリンが陣取ってる。
さっき俺が偵察で見てきた限りでは手に石斧や先端の尖った骨みたいなもんを持ったのが8匹。
んで最悪なのが、背中に弓矢背負ってるのが3匹はいた」
「マジかよ……」
「私達はそのゴブリン達をどうにかしないと、次の階にも地上にも行けないって事よ」
男の後を女が引き継いて話す。拳児は彼らの状況説明に理解を示し、自分の為にも協力する事にした。渡りに船だ。
「わかった。その数じゃ協力しないとどうしようも無さそうだから、協力しよう」
「話が早くて助かる! 俺はジンタ村のカルってんで、よろしく!」
「エライ村のマリエルよ」
「お、同じエライ村のニアです」
「えっと、拳児、小林拳児です」
突如始まった自己紹介に合わせ、拳児も自分の名を告げる。
なんだかこっちの世界に来てから、よくわからん流れに流されているなぁと感じ始めていた。