10話
4階層では、転送台を出てすぐにイモムシの団体に遭遇、だが奴らは上空から襲い掛かるクロウバットの素早い動きに対応出来ず次々と食われていく。物陰から眺めつつイモムシが全滅したのを確認して剣を振るい、クロウバットを次々斬り捨てる。生態系がここに出来上がっていた。
5階層も同様に、クロウバットがイモムシを追いかける姿に至る所で遭遇した。大きなイモムシに齧り付く大きなコウモリに気色悪さを感じながら、拳児は次々と斬っていく。
一人になり不安ではあったが、現在まで遭遇したのはこの二種類のモンスターのみ。しかも片方は完全な捕食対象である。これは余裕を持って10階層まで行けるのではないか? と拳児が考えても仕方がない状況となっていた。
3階層のような集団には遭遇せず、イモムシはコウモリに捕食され、食事中のコウモリを斬り捨てる。なんともラクなもんだなと思いながら、拳児はコウモリを袋に放り込み転送台へと上がり、浮かんだ「6階層」の文字を呟き、光に包まれてる。
彼の安易な考えは、すぐに訂正される事となった。
迷宮白書
6階層へ到着したと気付いた瞬間、猛烈な臭いに襲われる。
「ぶっ……。なっ、なん」
思わず鼻を押さえ辺りを見渡すと、自分が広い空間の端にいる事に気付いた。そして目の前に存在する、複数の黒い影がこの臭いの正体である事を理解する。
目の前に存在するのは、本来見えないはずの肋骨が露になった犬。他にも背骨が見えていたり、片目が顔から垂れ下がっているものも居た。喉が抉られているものすら、目の前で唸り声をあげている。周囲ではブンブンと小バエが飛びまわり音を鳴らす。
明らかに死んでいるはずの犬が、徒党を組み拳児を待ち構えていた。
「うぷっ」
その惨たらしい姿と、自分が気付いた臭いの正体に気付き、吐き気に襲われる。喉元まで競り上がった苦いものを無理やり飲み下し、剣を鞘から慌てて引き抜く。
ファンタジーと言えば確かにゾンビもその範疇にある。存在しているだろう事はある程度想像してはいたが、それでもこのような形で唐突に遭遇するものとは思っていなかった。天井付近を見上げて見れば、クロウバットも待ち構えている。向こうの準備は万全の状態だった。
「くそっ、ふざけんなっ!」
不意打ちも不意打ち、最悪の舞台に強制的に上がらされた拳児は吼えながら転送台から降りる。先に進むにはどう足掻いても、目の前のゾンビを相手しなければならない。すぐ側に転送台があったのなら別だったのかもしれないが、そう拳児の都合良く事は運んでくれそうにない。
降りた途端、まずは正面の犬へ斬りかかる。横薙ぎに振るった剣はゾンビ犬の首に当たり、骨の軋む感触を拳児に伝えながら斬り飛ばす。
拳児が動き出してからようやく周辺に居たモンスターが動き出した。数にしてゾンビ犬が3、クロウバットが8程度。そのどれもが牙を向き、拳児へと襲い掛かる。
左から跳んできたゾンビ犬の牙を避け、上空から降ってくるコウモリの体当たりを前転でかわし空いた正面へと転がり込む。身体を起こし背後を向くと、ゾンビ犬が再度襲い掛かる。一匹が右から跳びかかってきたゾンビ犬の胸元に剣を突き刺し強引に左へと振るうと、突き刺さったゾンビ犬が剣から抜け、左から駆け寄ってきた他のゾンビに当たる。返す刀で上空から急降下してきたクロウバットを一匹仕留め、即座に壁際へと駆け寄った。
壁に背を預け見ると、先程突き刺した一匹は動かず、ゾンビ犬は残り二体。クロウバットは上空に警戒しつつ飛んでいるようで右往左往していた。
「……動きが鈍い、腐ってるから」
自身に確認するように呟く。犬の形をしているのに、その動きは遅い。それが筋肉が腐敗している所為だろうと当たりをつける。動きが鈍いのも当然の事、腐った筋肉で生前の様な躍動的な行動が行えるはずもない。
だが、その四肢による跳躍からの体当たりには警戒をしなければいけない。いくら動きが鈍いからと言って、跳んだ勢いと重力、慣性を加算した攻撃は、モロに当たれば転倒は必至。気を抜くなんて事は、出来るはずもない。
じりじりと剣を正面に構え、壁に背を預けながら横へ移動する。少しの間お互いに警戒を続けながら牽制を繰り返していたが、やがてゾンビ達が痺れを切らした。
ゾンビ犬の一匹が「ガッ」と犬の鳴き声とは程遠い音を喉から出し、拳児へ飛び掛る。動きが鈍い奴らの攻撃手段は、その牙が使えない以上身体ごとぶち当たるしかない。首を下げ、頭から突っ込んでくるそのゾンビを壁から背を離し横へ避ける。それを好機と見たのか、コウモリが二匹纏めて拳児の上から降ってくるが、剣を払い斬って捨てた。
壁にぶち当たった一匹が床に倒れている間に、もう一匹が拳児へと体当たりを敢行してくる。それも横に避け、わき腹を剣で一突きした後に靴裏で蹴り飛ばすと、今度は背後から物音が聞こえ、反射的に剣を振るい振り向いた。
「ギャンッ!」
「ぬなっ! ふ、増えてるっ!」
振り向いた先では三頭のゾンビ犬が構えている。振り向きざまに斬った一匹を入れれば四匹の計算だ。更に、先程壁にぶち当たったゾンビ犬も復帰し、合計五匹。クロウバットも合わせると二桁に届きそうな気がした。
どうする、どうするっ! 拳児は焦りながらも必死に頭を働かせる。必死で考えた手段がとりあえず一つ、恐らく現状では最善手となるであろうそれを実行する為、剣を思い切り振りかぶった。
「おおおおっ!」
正面にいたゾンビ犬を蹴散らすように剣を思い切り振り回す。剣はゾンビ犬に触れるがそれが致命傷とはならず、一旦伏せても再び起き上がる。だが拳児はそんな事は関係ないとばかりに剣を振り回しながら、ゾンビ犬の間を駆け抜けた。
「ぬおおおおおおおっ!」
駆け抜けた勢いそのままに剣を振り回すのを止め、全速力で駆け出す。
なりふり構わずに、拳児はその場から遁走した。
全速力で駆け抜ける。背後からは先程逃げた相手となる、本来の俊敏さを失ったゾンビ犬が五匹。腐った肉を使い、四肢で地面を踏みしめ、拳児を追いかける。更に、遁走した先にもゾンビ犬が居た事も災いし、拳児を追うゾンビ犬の数は10匹程度に膨れ上がっていた。
「ぬおおおっ! 転送、台っ!」
首を左右に振り、偶に背後を振り返り見なければ良かったと思いながら、転送台を探して駆ける。この鬼ごっこはまさに命がけの鬼ごっこ。
6階層は本当にただの広い部屋一つのみの構造となっていて、通路というものが存在していない。脇道に身を隠す事も出来ず、拳児はひたすらに室内を駆け回っていた。
身体がバテてきた頃、拳児は進行方向の先に淡い光を見つける。
「おあああっ!」
もはや自分が何を言っているのか理解できていない。恐らく「見つけたー」と叫んだつもりの拳児は、体力の限界一歩手前まで速度をあげ、淡い光を目的地と定め走る。
そこには確かに、光を放つ転送台が存在していた。
「どああっ!」
台へ上る階段を無視し、勢いそのままにジャンプで台座へとあがる。ドンッと着地音が響くが、拳児は構わず叫んだ。
「7階層っ! 早く7階層だって!」
焦った声色で騒ぐ拳児の声が届いたのか、転送台は床下からの光を強くする。その間にも、ゾンビ犬の集団は拳児目掛けて接近してきていた。
「ひいいっ!」
その集団の様相に怯え、情けない悲鳴をあげる。目の前が光で包まれる寸前、拳児が見たのは口を広げ飛び掛ってきたゾンビ犬の姿だった。
「のわぁっ!」
悲鳴をあげ後ろへ下がると、ゴンッと鈍い音が頭から鳴る。
思わず後頭部を押さえ蹲る。
「ってぇ、そうだっ!」
何かに気付いたように頭をあげ、立ち上がる。剣を持っていない腕は後頭部そのままに。
周辺を警戒し、先程いた部屋ではない事を確認。どこかの通路だと思われる一本道を見て、拳児はほっと一息ついた。
「た、助かったぁ〜」
気が抜けた。まさに言葉の通りに拳児から気が抜け、思わず転送台の上で座り込む。そのまま肩から提げた袋に腕を突っ込み、後味の苦さで拳児に定評のある水のポーションを取り出した。
「……生きてた俺に、乾杯」
思いっきり飲み込み、その味に思いっきり咽た。