幸田露伴「いさなとり」現代語勝手訳(5)
第五 女は我家の飯の甘さを悟る
天はどこまでも広く、鳥はぼんやり飛び、田野広々として、人が大声で歌いながら道を歩く田舎の景色を見馴れている親子、急に新橋の停車場を出てみれば、犬も馬も忙しげに歩き、行き交う人は肩を摩り合い、袂を触れ合い、人力車が飛び、砂煙を立てて雑然と揉み返すような賑わしさに、ただただ驚くばかりであった。
村の鎮守の祭より他にこれ程の群集を見たことがないお染が、それを茫然と呆れるのを彦右衛門は引っ立てて、
「これくらいの騒がしさで驚くのはまだ早いぞ」と言い聞かせながら、村役場の書記生で、元々法律を習うために東京に出たこともある、村の儀右衛門の怠惰息子から以前聞いていた加賀町の愛敬館という旅籠屋を目指し、五月蠅く付き纏う車夫を払いのけて足を進めて行った。
そんな折、向こうから、何をそんなに急いでいるのか、一目散に走って来る人がいて、すんでの事で、ぶつかろうとしたのを、目敏く避けた彦右衛門の敏捷さ。柔術の心得などあるはずもない農業の老夫にしては何だか怪しいものがある。
愛敬館という宿で足を休めてからは、いよいよ毎日の見物が始まった。初めは車を連ねて皇居の周囲を拝し奉り、それから今日は九段の招魂社を目的にして麹町辺り。翌日は上野の公園の花見をしながら、博物館、浅草の観音様じゃ、明神様じゃと見て廻れば、何もかもが珍しく、鉄道馬車に感服しては、年中草鞋を穿いて過ごしている小作人の不憫さを思い、瓦斯燈、電気燈を見ては、自分で作った菜種から取った油の燈の下、紡車を廻す小百姓の妻の悲しさを忍ぶ彦右衛門、小生意気な商人の手代らしい者までもが一本五厘とか六厘とかするような巻煙草を吹かして行くのを見ては、ただただ呆れるばかりであった。
女房は、『東京都いう所は何と結構すぎて恐ろしい場所、私等が後生を頼む(*よい来世を願う)大事なお寺でさえも、たかが慰み物の歌舞伎座の小半分ほどのそれほど立派でもないものだと思えば勿体ない。木綿機なら五、六反織ってもまだ得られないほどの金銭を、過般の萬梅とかいう家での昼食代で取られたが、なるほど、何かにつけて好いのは好いけれど、都は田舎に比べると、大体にして偉そうにし過ぎで、有り難すぎて、罰が当たるほど贅沢にできている。都会の人はまったくおかしいとは感じないようだけれど、金銀の値打ちは私等の住んでいる所と比べて、それ程とは思えないものにもこの値段。うちの夫は常日頃、質素、質素と暮らしながら、娘のこととなると、失費を惜しまず、今度の東京行きでも何日にもない大盤振る舞いをして、『皆これも染のためじゃ、一度は良いものを見せ、好いものを食わせ、都会の人の贅沢さを見せておくのも本人のためにこそなれ、また、親の慈悲にこそなれ、毒にはならない。少しばかりの金を惜しんで折角東京に来ながら、牛肉屋、軍鶏屋、天麩羅屋ばかりで飯を食わせ、奥山(*浅草公園の中にある盛り場)にある見世物小屋に入って、猿演芸や足芸などだけ見せて帰られるか。会席割烹店の膳にも座らせ、千両役者の立派さ、巧さも見せてやらなくては』と、私等には恐ろしいほどの浪費を構わず、これまで連れ添ってきて何一つ悪いと思われることをされたことがなく、表面は柔和だが、腹は烈しくしっかりしておられると、村の者までが追従ではなく、本気で噂するほどの我が夫、無分別に贅沢をされるとは思わないが、狭小な女の気持ちからすれば、普段に引き替え、打って変わった派手な行い。少し気に掛かって止めてみても、一徹なお考えで、『心配するな。無茶はせぬ。何十年来、真面目に稼いだ夫婦の骨休めがてら、お染も喜ばすこれしきの散財、止める時にはキッパリ止める。何でもないこと。お前も気分よく保養すれば好い』と、取り合ってもくれず、面白くもない松源(*当時上野の不忍池にあった料亭)とか平淸(*当時深川にあった有名な料亭)とか、田舎者のこちらには劫って気詰まりのような座敷に通され、縮緬やら綾織やらの座布団に座らせられる窮屈さ。うちの夫は肝太く、しかも男なので悠々として楽しそうにしておられるけれど、またお染は自然にゆったり構えて平気みたいだけれど、蓑虫は紅絹片をあてがわれるよりは、織芥をあつめて作った自分の古巣が具合よく、家鴨は鯛より泥鰌が好き。私は絹布の着物を着た怜悧そうな御茶屋の姉様達に給仕されて甘いものを食うよりは、畳の赤い我が家にいて、筍の煮付けは塩辛くても、忠助の嬶が知恵を働かせて、裏庭の山椒の芽を置き合わせてくれたものを勧められた方が、よほど美味く心好く食べられると、一週間あまりを遊興してみた後の胸の中で感じたが、彦右衛門もただ娘を愛しがり、種々なものを見せてやることだけで満足している訳ではない。見るもの聞くものについて、お染が書物などで知っていることを言い出しながら、講釈じみた話をし、たとえば、上野の黒門を見ては、これこれの由緒があるのだと語り、電気燈を見ては、これこれの訳であると、問われるままに概略を語れば、夫婦共に眼を細くして、娘自慢に無量の楽しみを覚えるのであった。
梅吉は村では怜悧で通っている児であったが、東京に来てからはただキョトキョトするばかり。朝から晩まで無闇に面白がって、最早田舎のことは忘れたようであった。お染は何を見物しても、美しいとか立派だとか、精巧だとか、その場その場で言うだけで、別段深く感じてはいないようで、夜になれば、やはり親達に勧められて新聞を読み聞かす勤めは怠らなかった。
早くも二週間あまり経ち、見る所もあらまし尽きたので、横浜に行こうと言い出す彦右衛門。女房は我が家に近くなるというので喜ぶが、心で厭だと思う梅吉は、東京を去るのが惜しく、心残りがある。お染はどちらでもいい様子で、数々の雑書を買ってもらい、それを喜ぶだけであった。
つづく