幸田露伴「いさなとり」現代語勝手訳(1)
幸田露伴「いさなとり」を現代語(勝手)訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように、あるいは随分勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
浅学、まるきりの素人の私が露伴の文章をどこまで現代語にできるのか、はなはだ心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
この現代語訳は「日本近代文学大系 6 幸田露伴集」(角川書店)を底本としました。
ただし、読みやすいように、適当に段落を入れ、(*)において、筆者なりの注を付け加えましたが、底本中の岡 保生氏の注釈(頭注)も参考にさせていただきました。
全100回。
第一から第百まで、各章に副題のようなものがありますが、すべて付いている訳ではありません。
第一 長閑な日の光り
伊豆の国、下田に蓮台寺村という所がある。南は川一つ隔てて谷津、北は河内堀の内へと連なる天城山道。いずれもこれと言って景色の好い場所もない所だが、住めば草葺きの家でも春雨に趣きを感じ、犬ころも尾を振れば愛らしく感じるのと同じで、そこに田舎普請のがっしりとした家を構えて、都の便利さも羨ましがることもなく、我が村を世にも嬉しいユートピアと決めてのことか、心穏やかに、ゆるゆると毎日を暮らして余生を楽しむ老翁がいた。
彦右衛門殿と若い者の雑談でも殿付けで呼ばれる身分で、田畑山林を相応に所有している上、貧しい者を憐れむ侠気強く、用水堰の修復、土橋の架け替え、鎮守の宮の屋根葺きなどにも進んで思い切った寄附をするので、自然と誰もが好い人だと褒め尊んでいた。小学校の教師までもが道で会うと帽子を脱いで道を譲るくらいの徳があるので、
「神様もあのような結構な人を守護られているに違いない。その証拠に、今年六十五になるが、杖もつかず、眼鏡も掛けておられず、歯は気の毒に抜けたけれど、耳も遠くはなっておられない」と、小作人の久作が噂をすれば、
「次の世もきっと有り難い所に行かれるのでございましょうよ」と、年中財布の中に木の数珠を入れて持っている婆も皮肉っぽく言ったりしたが、可哀想に、それ程の彦右衛門も良いことばかりでまとまっている訳ではない。
今年十五になるお染という美しい娘がいるが、後にも先にも子どもはただそれだけで、家を継がすべき男子はおらず、達者とは言いながら、還暦も過ぎ、仮に若い妾を置いたとして、また今更めでたく、男子が生まれたとしても、その子が一人前になって、風にも雨にもしっかり耐えることの出来るようになるまで生きることはもはや望み薄である。
ことさら他人とは違って、男女間の色事は毛虫より嫌いで、こればかりはなぜそれ程までにと言われるまで、烈しく強く酷く、召使いが色っぽい話などをすれば憎み卑しんだ。すべてにおいて男が女に下らない世辞を言ったり、女が男にあやしい眼遣いをする類を大悪事のように思う癖があり、自身、妾の「め」の字も耳に入るのを嫌う有り様なので、将来に関しては、詰まる所、お染に良い婿を取るより他はなかった。
田舎家の春は一段と長閑で、蕗の薹が背戸の垣根にほつれ乱れ、土筆が柴橋の麓に伸びているのを無邪気な里の子が摘む風情は面白く、あるかないかの柔らかい風が若葉の柳枝をうなづかせて、緩く流れる小川の水面に翆の影を乱れさせる景色も面白く情緒がある。
彦右衛門は自分の家の裏つづきの道をそぞろ歩き、麦畑、菜畑の間を過ぎながら後を振り向いて、小さい傘を片手について来る娘を見れば、田舎好みだと都会の人は笑いもするだろうけれど、目も覚めるような花簪の大きいのを、この頃ここらにも流行出した桃割れという髷にさせた娘のお染の姿。金に物を言わせて過日買ってやった鶸茶天鵞絨の鼻緒の付いた木履を穿いて優雅に歩む足も、流石に溺愛して野良仕事などはさせないので、白く柔らか気で、爪際も汚く泥などは付いているはずもない。背中から照る太陽の暖かさに顔を少し紅めたのが美しさを一層増している。我が子ながらいつもより可愛く感じ、何と言うこともないが、莞爾と笑いを洩らして立ち止まれば、お染もやがて追いついて、元気の良い眼の中になだらかな光りを湛え、これも何とはなしに莞爾と笑い出し、
「ホヽ、父様の足元の、それその誰かが穿き捨てた古草履から陽炎が立っております」と、別に可笑しくもないことをさも可笑しそうに言えば、他人なら分からないだろうが、親にはそのおかしさが分かって又々微笑み、
「あヽ、気持ちのいい天気じゃ」と喜ぶ。
日没頃、小作人達がいつもの通り、鋤、鍬などを担ぎながら彦右衛門の家の前に来て、一礼してそれぞれの家に帰っていくが、その中に一人気の利いた男がいて、昼間主人親子が畠に出ていた時、お染が頻りに草花を摘んでいたのを見て、花を欲しがっているのだろうと考えてか、どこかから取ってきた辛夷の見事な花の枝をお嬢様にと差し出したが、お染は受け取るだけで礼も言わず、男が帰った後、ポイと捨ててしまった。
夜になって、読み書きの出来ない彦右衛門夫婦はいつもの通り、お染に郵便で来た新聞を読ませ、それを楽しげに聞いていた。
つづく
100回までの長丁場ですが、興味のある方にお読みいただければ幸いです。