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第九話 涅槃

 


 太古の時代、かつて何処中つ国(いずこのなかつくに)には石槍や黒曜の鏃などを用いて、獣や魚を獲る原始の民がいた。




 しかしある時、人々は文字と農耕を発見し、やがて『古代神朝』という名の文明の祖を創り出した。



 更に人々はあらゆる知識を覚え、剣や鎧などを作り出す製鉄技術、町を造りだす建築技術、道術と呼ばれる五行『火、水、木、金、土』を操る陰陽学(または道学)、風水学を学ぶ占術や(まつりごと)など、多くの学を世に広めて文明に繁栄を築いた。



 それが古代神朝時代と呼ばれた世である。



 だが、ある時、文明は突如、滅亡してしまい、人々はかつての繁栄から瞬く間に廃れ、政も一切ない無秩序な時代が七百年もの間、続いてしまった。



 ところが、長年、秩序のない世に苦しめられた人々は、ある時にようやく手を取り合い、再び文明を創る事を決意し、こうして出来たのが第二の文明、和族政権を中心とする王朝、『栄和(さかえわ)王朝』が誕生し、その君主である大王尊(おおきみのみこと)が、代々、三百年間、何処中つ国を治めた。



 現世に残された歴史は、古代神朝滅亡から栄和朝廷統治までの千年の記述しか存在しない。









 ーーーーーーーーーーーーー





 飛若は小鳥子の手を掴みながら松明を灯して洞窟を進み続けると、その先である広間に辿り着く。そこは彼にとっても今までに見たこともない光景であった。


 太古の時代に造られた迷宮、地下水脈によって流れる大滝、透明で綺麗な水が流れるように造られた水路、壁側はおそらく粘土で固められて平らにされ、無数の古代文字が彫られていた。


 更にそこにあらゆる巨大な剃髪した石像が何体か立ち並び、片合掌をしている姿が見えた。



 まさに神秘的な古代の建造物である。



「まるで遺跡だな」


「というよりも遺跡の筈です。それも千年も前から造られた古代神朝時代の遺跡です」


 飛若はその古代遺跡を見て、まるで自分が違う世界に来たかのように心を奪われる。



「ご用心して下され。涅槃には沢山の妖怪がおりまする」


「分かっている。今のところ、この広間にはいないようだがな」


 正直、飛若の内心は好奇心と高揚感に溢れており、あらゆる石版と石像を眺めていた。



「あっちこっちの石版に何か彫られているな」


「黎教の碑文の筈です。古い経文が記されておりまする」


 黎教とは、この何処中つ国全体に広まっている最も栄えた宗教であり、その歴史もまた古く、千年もの大昔にある古代神朝時代から存在しており、世は国教として扱われている。


「駄目だ。文字なんて見たこともねえから、全然読めねえ」


 隠れ里で育ち、主に畑仕事と馬の世話ぐらいでしか生活してなかった飛若は当然、字は勿論、学問の類いとは無縁の人間であるが、彼はその不思議な文字で記されている石版の内容に興味を示していた。


「おい、ところでそろそろ教えてくれ。涅槃って一体何だ?」


 飛若は妖怪が現れるような気配を感じない事を察すると、小鳥子に先ほどの話の続きを聞き始めた。


「小鳥子も出家はしておりませぬので、全てを知っているわけではありませぬが、知っているところまではお教えいたしまする」


 小鳥子は飛若と共に歩きながら、淡々と語り始めた。



「涅槃とは、その昔、黎門の始祖である聖女、迦沙羅(かさら)様が悟りを開き、人間本来を苦しませている心、即ち煩悩という名の苦しみから人々を救う為に、各地を転々として瞑想をし、その土地を浄化して作ったとされる迷宮にございまする」


「それとあの妖怪共と一体どんな関係があるんだ?」


 何故、そんな黎教の聖域に、こんなにも邪悪な妖怪が数多くいるのか、飛若は疑問に思った。



「伝説によると、目的は分かりませぬが、逢魔神と呼ばれる妖怪の王が、迦沙羅様の瞑想とその信者達の修行を邪魔させるために、涅槃に妖怪を集わせる呪いをかけたと言われておりまする。それ以降、千年もの間、涅槃には多くの妖怪が住みつくようになり、人が近づけぬ危険な領域になったとされまする」


「つまり、ここは聖域ではあるが、同時に妖怪が巣喰う祟り場でもあるという訳か」


「左様にございまする」


 小鳥子は答えると飛若は後ろの頭を掻いた。


「俺自身は呪われるは、人に殺されかけるは、落武者に襲われるは、洞窟に閉じ込められるはで、今度は妖怪の巣窟に来てしまうとは、どこまでツイてないんだ俺は……」


 飛若は地面を見下ろし、溜息を吐きながら呟く。



「なんとか、二人でここから出られる方法を探さなきゃ……」


「飛若様」


 その時、突如小鳥子は両手で飛若の右手を取り、その人差し指を咥えて舐め始めた。


 彼女の温かい舌と唾液が指に絡みつく。



「な、なんだ! いきなりどうした!?」


 飛若は顔を真っ赤にして、すぐに小鳥子の口から手を離した。口から糸を引く彼女は白く濁った瞳を可愛らしい上目遣いで彼を見つめる。


「どうです? 風は感じますか?」


 すると、小鳥子の唾液が付いた人差し指がひんやりと冷たくなり、どこからか空気が当たるような感覚が微妙に感じる。


「ああ、微かだが、確かに感じる。という事は……どこかに出口がある筈だ!」


 飛若の表情は徐々に希望に満ちて、喜びだそうとした途端、すぐに急変する。



「って、自分の指で確かめろよお前!!」


 彼は小鳥子に思いっきり突っ込みを入れる。



「小鳥子は目がこうなっておりますので、飛若様に小鳥子の目の代わりになっていただきたく、肌で感じさせる為に舐めさせていただきました」


「だったら、俺にそう言えよ! 自分でやるからよ! わざわざ俺の指を咥える必要なんかねえだろうが!!」


「クスッ」


 小鳥子は自らの口元に手を当てながら、クスクスと笑い始めた。おそらく、落ち込んでいた飛若を元気づけさせる為にわざとやったのであろう。


「ちっ! ほら、出口まで連れてってやるからついてきな」


 飛若は照れ隠しをしながら、小鳥子の手を掴んで連れて行くと、ここでまたも事件が起こる。なんと彼女は大胆にも飛若の腕にしがみついて、自らの腕を組んだのである。



「出来ればこうさせて下され」


「なっ……!」


 飛若は更に顔を赤くしながら驚愕する。少女の柔らかい感触が腕に伝わり、彼は振りほどこうと考えるが、相手は目が見えない少女である。とても乱暴には出来なかった。


「くそ! 分かったよ。今の内だけだぞ!」


 彼は遂に観念し、小鳥子のしたいようにさせた。


「かたじけのうございます。んふふ~ん」


 彼女はまるで猫みたいに飛若の腕にスリスリと頬ずりをしながら、無邪気な笑顔を浮かばせて悦楽に浸る。


「お前本当は目が見えるんだろ! ええ!? どうなんだ!?」


 彼は彼女を問い詰めたが、当の本人は何も答えず、ただ幸せそうにくっついていた。







 ――――――――――――――






 それからしばらくして、二人は風が吹き出ている道を辿りながら涅槃の奥へと進むと、いくつかの穴を見つけ、その風が吹き出る方の穴を進む途中に何度か蛙の妖怪と出くわし、飛若はその蛙を斬り殺しながら進み続ける。


「ゲコ!」


 刹那、飛若は目の前にいた蛙の妖怪に目掛けて太刀で斬り下ろし、その脳天を真っ二つに両断した。


 人間と違って骨格が柔らかいのか、刃こぼれした太刀でも斬りやすい相手ではあった。


 一体、何体の蛙の妖怪を殺したのか本人は分からぬが、彼は妖怪の血に塗れながらも、ただひたすら出口に向かって歩き続ける。


「ちっ! この蛙共は一体何なんだ?」


 飛若は次々と現れてくる蛙の妖怪にいい加減に鬱陶しく感じた。



「その蛙の妖怪は大きいのでしょうか?」


「大体、牛より少し小さいぐらいかな?」


 彼は蛙の死体を眺めながら小鳥子に伝えると、彼女は答える。



「おそらく、蝦蟇(がま)でしょう。良くいる下級の妖怪です」


「さっきから思っていたが、お前いろんな事に詳しいな」


 飛若はその知識の豊富な小鳥子に対して、少し怪訝な表情を浮かべた。


「各地を転々と旅をしてきたら、いろいろな人の噂話をお聞きします」


 外の世界を全く知らない飛若が世の中に疎いのか、それとも小鳥子自身が、世の中に対しての常識がなっているのか、飛若は小鳥子に対して疑問を抱える。


「ん? じゃあ、お前は今までどうやって生きてきたんだ?」


 ふと、飛若は思った。以前、故郷にいた頃、村にも小鳥子と同じ巫女がいた。唯一、彼女と違うのは、小鳥子より遙かに年配で完全に盲目になってしまった巫女であったが、彼はその巫女の普段の生活を端から見ていたのを思い出す。



「巫女って普段引きこもっている印象があるが、お前これまで旅をしながら、一体何を生業として食ってきたんだ?」


白拍子(しらびょうし)です」


「白拍子って事は芸者か?」


 小鳥子はコクリと頷く。白拍子とは、主に女性が男装をして、宮中や城内、富豪の屋敷などに参り、舞いを披露する者の事である。


 頭に烏帽子を被り、腰に刀を拵え、扇を用いて舞うという、伝統舞踊である。



「小鳥子は各地の『座』にて白拍子の舞いを披露し、報酬を受け取りながら旅をしておりました」


「へぇ~、畑仕事や馬の世話ぐらいしかやってなかった俺に比べたら、自由気ままで良い仕事してるなお前」


『座』とは、主に職人や芸人などの職業を持つ者が集まる衆であり、分かりやすく言うと同業者の組合のことであり、我々がよく知る別の異世界の言葉を使ってしまうと、『ギルド』のことである。


 例で言うと、要人を護衛する腕利きの用心棒が集まる「用心座」、薬師が薬草を集めて薬を調合する「薬師座」、杣師(木こり)が集まり木々を伐採する「杣師座」など、他にもあらゆる座がこの世に存在して、経済が成り立っている。



「小鳥子の乳母は昔から歌舞座で白拍子をやっており、小鳥子もその乳母から舞いを習いました」


 飛若は先ほど小鳥子の神楽の舞いを見た時、その踊りの上手さに納得した。



「これまで白拍子として人に舞いを見せて、金を受け取って商売をしてきたって事は、お前相当舞いが上手いんだろうな」


「それほどでもありませぬ」


 小鳥子は照れながら笑うと、白く濁って光を失っている目を輝かせながら飛若にある願いを伝えた。



「もし、良ければ、この涅槃から無事に出られましたら、飛若様に小鳥子の白拍子の舞いをお見せしてもよろしいでしょうか?」


「なんでまた? 俺は隠れ里の農民育ちだから、あまりそういうのは見たこともないし、そこまで興味もないが?」


 飛若はまたも怪訝な表情を浮かべると、小鳥子は頬を少し赤く染めた表情で答える。



「その、飛若様に見て頂きたく……」


「俺に?」


 飛若はそんな小鳥子の仕草を見て、首を傾げる。


 しかし、それは飛若に振り向いてもらう為の彼女なりの好意的なお誘いであった。


 本来、白拍子の舞いはとても美しく、男性にも人気があり、非常にモテる職業である。


「まあ、ここから無事に出られてからだな」


 だが、飛若は淡々と答えると、小鳥子はムスッとした表情になり、その様子を見た彼は小さく呟く。


「なんで、こいつはまだ会って間もない俺なんかに惚れたんだろ……?」


 彼はそれ以降何も言わず、小鳥子と共にその風が吹く先へと進み続ける。





 しかし、その時、


「オオオオオオオオォォォォォォォォーーーーー!」


 突如、どこからかこの世の物とは思えない慟哭が洞窟の奥から響き渡り、涅槃全体を震わし、その勢いで天井から砂と石が二人に降り注ぐ。


「今度は何だ!」


 やがて慟哭が治ると、何やら二人の背後から鈍い地鳴りが聞こえてきた。まるで巨大な生き物の足音みたいに。


「何かがこちらに参りますね」


 小鳥子は真剣な表情に変わる。


 すると、暗い奥の洞窟のその先に何か赤い光が見え始め、その得体の知れない光こそが足音の正体だと飛若は察した。


 そして、洞窟の奥でその足音のする赤い光の正体が遂に現れ、飛若はその姿を遠くから目に焼きつけた。


「オオオオォォォォ……オオオ……オオオォォォォ……!」


 それは巨大な骸骨の化け物であった。


 下半身は無く、その足音の正体は手で這いずる音であり、燃えるような赤い妖気を全身に纏い、狭い洞窟を掻い潜りながら、彼ら二人がいる方へと近づいてくる。


「おい、なんかすげえデカくて赤い骸骨の化け物が来たぞ!」


 飛若のその言葉を聞いた小鳥子は、その一瞬で表情は真っ青になる。


「すぐさまお逃げに!」


 すると、小鳥子は飛若のその袖を掴んで警告する。



「おそらく、餓者髑髏(がしゃどくろ)です! この涅槃の主でしょう!」


「餓者髑髏だ?」


「大勢の死者の怨念が集まって生まれた妖怪です!」


 小鳥子のそのあまりにも絶句した表情を見て、飛若はすぐに自分達が今置かれてる状況が危機的状況だと察する。



「その慌てぶりだと、普通じゃ倒せない相手のようだな」


「勿論です! 先ほどの蝦蟇とは違って上級の妖怪でありますので、触れれば死の呪いを受けます! それに餓者髑髏は怨念だけでなく妖気の塊で出来た幽体に近い存在で、骨以外の所は刀や弓矢などすり抜けてしまう最悪の相手です!」


「だったら、逃げるしかねえな!」


 飛若は小鳥子をすぐに背負い、そのまま走り始めた。


「オオオオオオ……オオ……オ……オオオオオオ……!」


 餓者髑髏は幸いにも手で這いずりながら狭い道を移動しており、人間の足よりかは明らかに動きが遅かった。


 だが、二人が逃げている途中、彼らにも予期せぬ事が起きる。


「道が二つある! どっちに行く?」


 飛若の目の前には、二つの道が分かれていた。



「もし、どちらかの道を間違えたら、その先が行き止まりになる事も考えられまする」


「じゃあ、どうすればいい? このままあの化け物に捕まって呪い殺されるのを待つのか!? 生きるにはどっちかの道に賭けるしかねえだろ!!」


 飛若のその慌てぶりに、背負われた小鳥子は一旦、彼の背中から降りた。


「どうかお気を静めくだされ。まだ、希望はございまする!」


 すると、小鳥子はすぐさま風呂敷の中から不思議な形をした横笛と、瑪瑙で出来た勾玉を取り出した。


「どうか物音を一切立てず、動かぬようにお願いいたしまする」


 小鳥子は横笛の管頭(頭部分)にある勾玉型の溝に瑪瑙の勾玉をはめ込み、唄口に口を当てる。




「降霊、『磐土(イワツチ)』、口寄せ!」




 彼女はそう唱えると、横笛を奏で始めた。古来より伝わる伝統かつ神秘的な音が洞窟中に響き渡る。


 すると、小鳥子は短い曲を終えると、すぐに飛若の手を引っ張り、分かれ道の間に身を屈めてお互い体を密着させて息を潜める。


「お静かに……」


 やがて、餓者髑髏は二人の前に現れる。


「オオ……オオオオ…………オオオオオオオオオ……!」


 餓者髑髏は呻き声を上げながら、二つの道を見回す。


 餓者髑髏の歪んだ視界からは、彼ら二人はただの岩にしか見えず、こちらには気づいてはいなかった。





 大自然の精霊、万神を神楽笛で降霊して、その力を借りる巫女特有の巫術、『口寄せ』である。


 小鳥子が降霊したのは岩の精霊、イワツチであり、彼女はその岩の精霊の力を借りて、ただの岩に化けていた。



「オオ……オオオオオ……オオオオオ……オオオオオオオ……!」



 餓者髑髏は岩に化けた二人に全く気づかず、そのまま何事も無かったかのように、右の道へと進んで行った。


「どうやら、行ってしまったようだな」


 飛若はその餓者髑髏の後ろ姿が、やがて暗闇へと消えていくのを見て、ホッと一息をして安心をすると、



「って、いつまで俺の体に引っ付いてんだよお前!」


「んふふ〜ん」


 小鳥子が嬉しそうに、密着している彼の胸にスリスリと頬ずりをしているのに気づいた飛若は、怒鳴るように言い放つ。


 しかしその時、飛若の胸の中で悦楽に浸っていた彼女はある事に気づき始める。


 彼の体から何か温かいものがじんわりと小鳥子の頬に伝わり、彼女はハッとそれをすぐに察し始めた。



「もしかして……飛若様、血が!」


「ああ、分かっている。俺も大分限界が来てきたな……!」


 飛若は顔面蒼白で額に冷や汗をかいていた。彼の体中の傷が開き始めて、血が流れ始めたのである。


 失血の症状が現れ、体はふらつき、視界もぼんやりとしていく。


 当然であった。傷だらけの飛若はここまで散々、蛙の妖怪と戦ったり、餓者髑髏から逃げるために目の見えない小鳥子を背負ってきたのである。


 怪我人である彼の体に負担がかかるのは当然の結果であった。


 目の見えない彼女でも飛若が具合の悪そうにしているのは、彼の荒くなった息づかいで十分理解していた。



「もう少し先に進んだら、少し休むもうぜ……」


「しかし、飛若様! このまま無理をして体を動かせば命が……!」


「分かってる……だが、ここは危険だ。あの化け物がまた来るかもしれねえしな……!」


 飛若は息を荒げながらも、先に進むことを優先にした。



「承知しました。ですが、小鳥子の肩にお掴まりくだされ」


「ああ、かたじけねえ……!」


 すると、飛若はフラフラとしながらも、小鳥子の肩に腕を組み始めた。彼女の華奢な体にずっしりとした男の重みが乗っかり、彼のその血の温かみが彼女自身にも伝わる。


 それから飛若は松明を持ちながら、ぼんやりとした視界で道案内をし、小鳥子がその彼の体を支え、二人はそのまま餓者髑髏の行った道とは、正反対の左の道へと進んで行く。



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