第七話 大蛇
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暗い常闇の世界にいた飛若は、そこで目覚めた。
「ここは……?」
その異様な光景に飛若は身に覚えがあった。
白く濁った湖、墓だらけの峠、目の前には石で出来た鳥居と、『飛若』と書かれている小さな墓が建てられ、更にその向こうには森林が覆い茂る古墳があった。
以前に夢で見た事がある不気味な世界である。
「シュルルルル……」
その時、飛若は正面から何やらゾッとするような視線が突き刺さり、彼はその方向を見ると、古墳の森の奥からバキバキと草木の折れる音が聞こえてくる。
闇に包まれた森から現れたもの、それは大蛇であった。
銀色の鱗を持ち、目は紅く光り、舌舐めずりをする巨大な蛇が、向こう岸の古墳の森から獲物を見るかのように飛若を睨みつける。
「いや、これは夢だ。前に見た、ただのおっかねえ夢だ!」
彼は早く目を覚めようと、頭を抱えながら強く念じる。
「目を覚ませ! 早く元の世界に戻るんだ!」
この不気味かつ恐ろしい暗黒の世界から早く逃げたい一心で、彼は自らの髪の毛を強く握り締める。
「馬鹿メ。夢デハナイ」
「……!」
その時、何かの不気味な声が耳元に過ぎった。
「クカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ」
ケタケタと笑うその声は、古墳の森の奥に潜む大蛇の方から聞こえてくるのが分かり、飛若はその方向に目を向ける。
「お前なのか? 俺に話しかけてきたのは!?」
茂みの奥で潜む大蛇はニヤリと笑みを浮かべる。
「お前はなんだ! 一体、ここはどこなんだ!?」
動揺する飛若に大蛇は答えた。
「ココハ黄泉国ヨリ外サレシ異界、底根国ナリ」
「底根国だと?」
底根国という初めて聞いた言葉に、飛若は怪訝な表情を浮かべた。
「黄泉国なら聞いたことはあるが、底根国なんて聞いたこともねえ」
黄泉国とは、何処中つ国とはまた違う世界で、死者が集うと言われているあの世のことである。
「コノ底根国ハ我ガ怨念ニテ作リ出シタ精神世界デアル」
飛若は大蛇のその怨念という言葉を聞いて一度怪訝な表情を浮かべると、すぐに先ほど小鳥子が言っていた神楽と呪いの事を思い出し、全てを察し始めた。
「怨念だと? ということは、お前……!」
「ソウ、我ハ汝ヲ呪イシ者」
「……お前が!」
飛若は遂に呪いの主と対面し、一度落ち着かせてから大蛇に話しかけた。
「お前は誰だ! 一体何が目的なんだ!?」
「我ガ前ニ姿ヲ現ス呪ワレシ者ヨ。我ガソノ問イニ答エル義理ハアルト思ウタカ?」
大蛇が言葉を濁そうとするその態度に飛若は苛立ちを始める。
「ふざけるな……! こっちはいきなりお前に襲われて呪われたんだ! こんな気味の悪いところに来てまで答えないなんてあるかよ!」
「ナラバ汝ヲ、今ココデ喰ロウテモ良イガ?」
「……!」
大蛇のその小さな一言を口に出した瞬間、周囲の木々や水を震わすほどの強い殺気が放たれ、飛若はそれにゾクッと体を震わして圧倒されるが、小鳥子の決して恐れてはいけないという言葉をすぐに思い出し、心を冷静に保ち始める。
「クカカカカ! ナカナカ見所ガアルノウ。マア良イ、汝ノ問イニ答エヨウ。我ガ一体何者カヲ。ソシテ我ガ望ミヲ」
大蛇は自らのことを飛若に語り始めた。
「我ハ神」
「な……! 神だと!」
飛若は驚愕する。
天地の根源を超越し、人々から崇拝される神が人間に牙を向け、その神が彼自身を呪った事に。
「何故、神が俺を呪うんだ! 神を殺した俺への神罰か!」
「汝ナドドウデモヨイ、イヤ、呪ウナラ誰デモ良カッタ」
「なっ……! 誰でもいいって……!」
「タマタマ目ノ前ニオッタ汝ヲ呪ッタノダ」
「バ、バカな……!」
大蛇のその自分勝手な言動に飛若は絶句する。
「汝ハ我ガ使命ヲ担ウ者ナリ」
「使命だと……!」
「如何ニモ、我ガ望ミヲ果タス者、ソレコソ汝ナリ! 汝ハ人ヲ殺メ続ケ、我ガ使命ヲ果タス者ナリ!」
「一体、何を言ってんだ!?」
「汝ガ人ヲ殺メ続ケル事デ人ハ憎シミガ生マレル! 憎シミハ新タナ憎シミヲ生ミダス。我ハソレガ望ミ! 人間共ニ永遠ノ災厄ヲ与エ、多クノ者共ヲ殺ス為ニナ!」
何なんだこのイカれた化け物は? とても人々から崇められる神様とは思えない。もはや、ただ人を殺す事しか頭にない相手だと彼は思った。
しかし、話が通じなさそうな相手でも飛若は自分の呪いを解くために頭の狂った大蛇に問い詰める。
「どうしたら、俺の呪いを解いてくれるんだ? 何でもするから教えてくれ!」
「言ッタ筈デアロウ。永遠ニ殺シ続ケルノガ望ミダト。ソノ使命ヲ汝ガ永遠ニ背負ウノダ。ソノ使命ヲ投ゲ捨テル事ナドサセヌ! 即チ、呪イヲ解ク術ナドナイ!」
「……!」
飛若は落胆した。つまり、呪いを解く方法がないどころか、解かせる気も全くないということである。永遠に人の命を奪うことこそが、この化け物の望みだからである。
自分はこの化け物とは何も関係が無かった。
たまたま偶然に森で遭ってしまい、たまたま目の前にいた彼を呪ってしまっただけなのであった。
「モシ、汝ガ人ヲ殺メルノヲ止メタラ、ドウナルカ分カッテオロウノウ?」
大蛇は膝をついている飛若にある一言を呟く。
「ソコノ水ヲ見ヨ」
彼は大蛇の言うとおりに、目の前にある湖の水に近づき、その水面に映る自らの姿を眺めた。
その瞬間、水面に映る自分に突然異変が起きた。
飛若の体がバキバキと変形し、手は鉤爪になり、全身は銀色の鱗とギョロっとした無数の目玉が覆われ、頭はギチギチと二つに割れて口の形となって鋭い歯が並び、「キィーキィー!」と鳴き声をあげる。
世にもおぞましい化け物に変わり果てた自分のその姿を飛若は目の当たりにする。
「う、うわあああああああああああああああああ!」
飛若はその水面に映った化け物に恐怖を感じ、すぐさま湖から離れようとする。
「クカカカ! カカッタノウ! 汝ノ心ノ隙、決シテ逃サヌ!」
その時、突如古墳の森から太い蔓が飛び出し、飛若の手足を拘束した。
「な、何をする!」
「我ハモット人間ガ絶望スル顔ヲ見トウ。然レバコソ、汝ノ一番大切ナ物ヲ奪ウ!」
「俺の大切なもの……?」
大蛇は飛若のその瞳を遠くから覗く。
「見エルゾ! 汝ノ一番大切ナ物。ソウ、汝ガモットモ大切ナ者ニ対シテノ想イ。即チ恋心ダ!」
大蛇のその言葉を聞いた瞬間、飛若はある少女の笑顔が頭に過ぎる。
「俺の……小夜に対する恋心だと……?」
彼はそれを聞いた瞬間に更に怯え、蔓で拘束されても尚、暴れ始めた。
「い、嫌だ……! 俺の小夜に対する恋だけは奪われたくない!」
飛若はなんとかその場から逃げようとするが、いくら暴れても身動きが取れず、大蛇は水面を渡って飛若の前に近づく。
「やめろ!」
「汝ハコレヨリ多クノ人間共ヲ殺メ続ケルノダ! 永遠ニ!」
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「例エ汝ニドレホド過酷ナ運命ガ訪レヨウトモ、コノ腐リキッタ世ニ災厄ヲモタラセイ!」
その瞬間、大蛇は飛若の首筋にその鋭い毒牙を刺し、毒々しい黄色の液を体内に流し込んだ。
「カハッ……!」
噛まれた飛若は段々と意識が遠のくなり、その首筋の傷穴から何やら桃色の光が溢れて消滅する。
「クカカカカカ!」
やがて、桃色の光が消えると、大蛇はケタケタと笑いながら、意識を失いかける飛若に対して声をかける。
「飛若ヨ、汝ハ強ウナル。人デアリ人ナラザル者……ソウ……鬼神トシテ……」
視界が段々と暗くなる彼に対し、大蛇は最後にある言葉を伝えた。
「三ツノ毒ダ……。三ツノ毒ヲ探セ……」
その言葉を最後に飛若は底根国で気を失い、やがてこの世界から消えてしまう。
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「飛若様! 飛若様!」
その時、飛若が目を覚ますと、そこには彼の頬を両手で触れながら、必死に声をかけてくる小鳥子がいた。
「ご無事でございまするか?」
「無事じゃねえさ……」
彼はゆっくりと上体を起こして小鳥子の顔を見た。すると、どういうわけか彼女のその瞳は白く濁り、光を失っている。
「飛若様の身に何かよからぬ事が起きましたか?」
小鳥子は心配そうに彼に聞くと、飛若は自らの目に手を当てて涙を流し始める。
「俺がもっとも大切に想っていた人に対しての恋心を奪われたよ……」
「……!」
その言葉を聞いた途端、小鳥子は絶句する。危険と分かっていた筈なのに、神楽で呪いと対話させるなどという提案を飛若に押しつけてしまった彼女は自らの犯した罪悪感により、その場に土下座をして謝罪し始めた。
「申し訳ございませぬ! 小鳥子が危険と分かっておりながらも……!」
小鳥子は彼に必死に謝り続けるが、当の本人にはその思いは届かなかった。
何故なら、もう奪われてしまったものは戻って来ない。
「恨むなら小鳥子を恨んで下され!」
「もういいんだ」
飛若はそれ以降、何も言わずにそのまま横になる。
大事なものを奪われて、よほど精神的に落ち込んでしまったのか。彼はそのまま自分の殻に閉じこもるかのように身を丸めた。




