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第四十四話 塗薬

 




 ―――――――――――





 快晴の朝日、メジロの鳴き声が聞こえる森林、チョロチョロと水の音が流れる小さな川、林のように覆い茂る蓼、特にこの山は蓼が多く生えている事から、昔から蓼山と呼ばれている場所であった。


 その蓼山の山中に、福族親子が歩いていた。



「この辺りには、里の者共はいないようでありますね」


「うむ、とりあえずは一安心かのう?」


 あれから彼らは、茅山近くの浜から離れて、この蓼山まで逃げてきたのであった。



「母様、一回休憩しましょう」


「ならぬ。この蓼山も危うい。出来るだけ遠くに向かうぞ」


「されど、母様の背中が……」


 大火傷を負った母親の痛々しい背中を見たミカヤは、心配そうに母親の身を案じる。顔中に汗がびっしりと浮かべながら、とても辛そうな表情をしていた為である。



「私なら平気じゃ。このまま山を越えよう」


 母親は里の者達の手から逃れる為に、出来るだけ遠くへ向かおうと先を急いだ。だが、母親は里の者達よりも心配していた事があった。



「それよりもミカヤよ。改めて聞くが、もう本当に復讐はやめてくれるのか?」


 首を傾げながら見つめてくる母親に、ミカヤは呟くように答えた。


「正直に申しますと、不本意であり、まだまだ私の気が紛れた訳ではございませぬ。あの里の者共は決して許せませぬから」


 娘は自分の身の内にある本音を、正直に母親に答えた。


「されど、母様がそのように深傷を負ってまで、身を挺して私を止めるのでしたら、私は復讐をやめましょう」


 彼女はこれ以上、母親を傷つけない為にも、復讐を諦めた。


 ミカヤは一つ勉強したのだ。自らの周りが見えなくなるほどの憎悪に狂い、その復讐によって返ってくるのは自分よりも、何も罪を犯していない母親だということを。


 ミカヤの罪はそれだけ重かった。



 母親はそんな娘の目を見て、言葉に出した事が本音だと悟り、一安心する。


「すまぬミカヤよ。そう申してくれたら、母は嬉しいぞ」


 母親は優しく笑顔を向けると、ミカヤはもう一つ、親に伝えたいことがあった。


「ですが、もし、昨日みたいに、また里の者共が現れて襲って来ましたら、私は迷わず人を殺める覚悟を決め、次は私が代わりに夫婦石を……」


「馬鹿者! 私などの為に軽々しく夫婦石を使うなどと申すな!」


 その時、先ほどまで優しかった母親の目は、急に厳しくなり、娘に怒鳴った。


「昨日、申したであろう。これは誰でもそう簡単に火が点くような代物ではないどころか。まともにすら扱えきれぬ諸刃の剣でもあると」


 福族の秘石である火打ち石を見せつける母親。


「良いか。我が背中を見よ。このような火傷を負ってしもうたら、そなたはもうお嫁には行けぬ。私はそなたのような可愛い娘が、お嫁に行ける事が何よりの望みじゃ」


「は、はい……母様」


 ミカヤはつい軽々しく言ってしまった自分の言動に反省して小さく呟く。内心、不本意であったが、必死で自分の事を思ってくれてる母親の望みを叶えるためにも、彼女はそれを受け入れた。


「それともう一つ、昨日みたいにあのような男共が迫られたら、受け入れて耐えるのではなく、我が身を守る為に死に物狂いで抵抗するのだ」


「つまり、あの者どもには容赦はいらぬと?」


「そうは申しとらん。されど、そなたは女子なのであるからに、その体は選ばれし殿方にしか抱かれなくてはならぬ。とはいえ、もはや姫ではないそなたには、選ばれし殿方には会えぬが、せめてその体は、この先好きになった殿方の為だけに抱かれておくれ。あのような好きでもない男共には決して抱かれてはならぬ」


「女子同士ならよろしいのですか?」


「そ、それは……!」


 その時、女の事を真面目に教えていた母親は、ミカヤの反撃のような質問に狼狽える。


「昨日、母様は私を抱いたではありませぬか。それと一体どう違うのですか?」


 首を傾げるミカヤを見て、母親は顔を赤くした。


「と、とにかく! いずれ、そなたにも好きになる殿方は現れる。その者に会ったらたくさん抱いて差しあげ、慰めてあげるのだ!」


「よく分かりませぬ」


 キョトンとする我が娘を見て、母親はしばらく深く考えると、顔を赤くしながら覚悟を決める。



「まだ早いと思うたが、この地を逃れたら、そなたには詳しく女子の体についてを教えて差し上げよう。子の作り方も全て含めて」


「子の作り方?」


 反対側に首を傾げ、頭の上に?を思い浮かばせるミカヤに、母親は頭を悩ませた。


「いずれ、分かる」


 母親はそれだけを言い残すと、後は何も言わなくなってしまう。






 それからしばらくの間、二人は無言で蓼山の麓付近まで歩くと、その先にある建物が見えた。



「あれ? あんなところに水車小屋がございます」



 人の気配も見えない山奥で、水の流れによって動くコケの生えた水車と、人が住める小屋が小さな川と隣接して建てられていた。



「誰か住んでおるな。周り道しよう」


 母親はきっと里の者の一人がいるだろうと思い、すぐにその場から離れようとした途端、



「おや、儂の家の近くで何をしておる?」



 その後ろから、突如老人の声がした。


「……!」


 その瞬間、彼らは驚き、すぐさま後ろにいた老人から離れた。



「なにそのようにカッカしておる? 別に取って食ったりはせぬ」


 だが、親子はとても信用出来なかった。この者も血なまこになって、自分達を探している里の者共の一人ではないかと嫌でも疑ってしまう。


「心配するでない。こう見えて、近頃、体にガタが来ておってのう。明日には、ぽっくり逝ってもおかしくはない。こんな体で何かやましい事するなど、到底無理な事じゃ」


 確かに見たところ、老人は杖を持つほどのヨボヨボであった。明日には死ぬかもという話はとても信じがたいが、とても何か出来るような状態には見えなかった。



「見たところお主、背中にひどい火傷を負っておるのう。儂はこれでも薬師で、丁度、火傷に効く薬も拵えてるから中へ入りなさい」


「お言葉に感謝いたしますが、我らは無一文の身であり、先を急いでいるもので」


「今更、金など望んではおらぬ。もうじき儂は死ぬからのう。それに儂はこれでも姥捨ての身、里におる身内からは大層嫌われておってのう」


 姥捨てとは、体が衰えて働けなくなった老人の口減らしにより、山に捨てる風習の事である。


 それを聞いた、親子はこの老人がこのような人気のない山奥で住んでいる事に納得した。


「ミカヤ。どうやら、この者は里の者ではないようだ」


「とはいえ、油断は出来ませぬ」


 母親は老人の言葉を聞いて安心するが、ミカヤは安心出来ず、警戒を解かなかった。


「儂を怪しんでおるのか?」


 老人は伺うように親子を見つめると、母親はヨボヨボである老人の善意を踏みにじる事が出来まいと折れてしまう。


「分かりました。お言葉に甘んじます」


「母様、しかし……!」


「良い。何も申すな」


 母親は老人の言葉を信じることにした。


「その代わり、今宵、我らを匿って頂きませぬか?」


「構わぬ。儂はもう里の人間ではないからのう」


老人は心配いらぬという素振りを見せながら頷いた。


「では、早速、中へ入るが良い」


 そう言うと、老人は水車小屋に親子を招き入れた。



 二人が小屋の中に入ると、そこには壁中全体が棚になっており、たくさんの薬の入った壺が置かれ、また、すぐ近くには、水車の力で動くカラクリが、臼の中に入った薬草を杵で潰している光景が見えた。


 親子はそれを見て思った。この老人は間違いなく薬師だと。


「さて、どこにあったかのう」


 老人は大量の壺を漁り始めると、すぐにお目当てのものを見つける。


「あったあった!」


 老人は壺を一つ持ってくると、カラクリの場にある臼の中から、薬草を一掴み取り、壺の中に入れて混ぜ合わせた。


「さあさあ、横になりなさい。塗ってあげるから」


 そう言われると、母親は囲炉裏の側の床にうつ伏せになりながら、火傷を負った背中を見せる。


「これが火傷に効く薬だ。かなり染みるが我慢するようにの」


 そう言うと、老人は母親の背中に薬を大量に塗りたくった。


「ぐうっ……!!」


 母親はこれまでに味わった事のない激痛を感じ、苦悶の表情を浮かべた。


「母様!」


「案ずるなミカヤ! 私は平気じゃ!」


 激痛に苦しむ母親の顔を見て心配する娘。だが、それ以上に薬を塗った張本人である老人は母親のその様子を見て驚愕した。


「ば、馬鹿な……! これを塗って、鳴かぬ者がおるとは……!」


 おそらく、本人もこの薬の痛みに耐えられる人間を初めて見たようである。


「良く効く薬は、染みるものだと聞いております……! 続けてくだされ……!」


 母親は遠慮はいらぬと言わんばかりに、老人に治療を続けさせた。


「う、うぬ……!」


 老人は額に汗を流しながら、薬を塗り続けた。だが、母親は呻き声を上げたものの、声を押し殺して痛みに耐え、気づけば壺いっぱいの薬を全部使ってしまった。


「信じられぬ……!」


 鳴き声一つも言わぬ母親に老人は、ただ唖然とした。


「ゆ、ゆっくり休むが良い……! 儂は痛み止めの飲み薬を作りに、ちょいと裏に生えておる薬草を取ってくる……!」



 そう言うと、老人はすり鉢を手に取ると、小屋の外へ出て行った。


「母様、大丈夫ですか?」


 うつ伏せに寝そべる母親を心配そうに見るミカヤ。


「うぅ……ううぅぅぅ……!」


 だが、その様子は、顔中に大量の汗が流れ、辛そうな表情で痛みに苦しんでいた。


「何かおかしい!」


 母親の様子に何か違和感を覚えたミカヤは老人を呼び戻しに外へ出た。


 そして、裏に回ると、そこには……。



「スズランと、そしてこの毒キノコを擦り合わせて……」


 それは悪意のある笑みでニヤけながら、何やら怪しいものを作っている老人の姿が目に焼き付いた。


「待て! 母様に何を塗らせた!?」


 ミカヤはヨボヨボである老人の杖を取り上げ、その襟を掴んだ。


「なっ……!? わ、儂は何も……!」


 老人は突然現れたミカヤに慌てると、彼女は怒りを露わにする。


「おのれ! ならば、無理矢理にでも吐かせてやる!」


 すると、ミカヤは老人を強引に小屋の中に連れて行き、カラクリで動く臼と杵の前に顔を近づけさせた。水の原動力で動く歯車と、野草を力強く潰す杵の音が、恐怖心を煽らせる。


「う、うわぁあ! 分かった! 正直に話す! だからやめておくれ……!」


「なら、はよ答えろ! 一体、何を塗った!?」


 怒りに満ち溢れるミカヤのその怒鳴り声に、老人は遂に観念する。


「薬ではなく、蓼の葉入りの味噌を塗ったのだ! 塩たっぷりの!」


「なんてことを……!」


 それを聞いたミカヤは絶句すると、それはやがて殺意へと変わり始める。


「なぜ、このようなことをした!? 返答次第じゃ……!」


「か、帰りたいのじゃ!」


 老人はミカヤの尋問に答えた。


「お主ら二人を討てば、帰れると思っての事じゃ!」


「どういう事だ?」


「儂はもう老い先短い! こんな山奥に捨てられ、一人で暮らし、孤独と共に生涯を閉じるのが、儂は我慢ならなかった! そんな時、里から罪人であるお主ら親子の知らせを聞き、お主らを討って手柄を立てれば、儂は里に帰れると思ったのじゃ! 許しておくれ! 寂しかったのじゃ!」


 もっと、効率の良い方法があったのではないかと言いたくなるような動機ではあるが、おそらく、もうまともに頭が回らなくなってしまうほどに衰えてボケているのだと彼女は悟った。


だが、そんな老人の動機にミカヤの怒りは決して治まらず、言い訳も通用しなかった。


「ならば、里よりもっと良いところに連れて行かせてやる! 黄泉の国という名の死の世界にな!」


「ま、待て! この地からすぐに逃れられる方法を教える! ここから、松山の海辺まで向かえば、船着き場がある! そこで舟に乗れば、この地からすぐに逃れられるであろう! だから命だけは……!」


「そんなことなど知ったことではない! 今すぐ死者が溢れかえる賑やかな場に行かせてやる! だから、もう寂しい思いはしなくて済むぞ!」


 すると、ミカヤはそのまま歯車で動くカラクリに、顔を押しつけようとした途端、


「よせ!」


 母親の声が娘を止めさせる。


「ミカヤ! 私は平気じゃ! だから、もうやめておくれ!」


「しかし、この者は母様を……!」



 その時、



「う、うぐっ……!」


 老人は胸を押さえながら突然苦しみだし、泡を吹き始めた。


「なっ! ど、どうされた……!?」


 親子はそれに驚くが、やがて老人は絶命した。


「なるほど、ぽっくり逝くというのは嘘ではなかったようですね……」


 おそらく、何か重い病気を抱えていたようであった。何もせずにあっさり死んでしまった老人の死体をミカヤは見下ろすが、それで彼女の気が済むわけではなかった。


「もう良い。せめて、誰なのかも分からぬほどに頭をメチャメチャに……!」


「やめよぉ!!」


 すると、母親は強い声を発して、ミカヤを止めさせた。



「もう良い。頼むから、またそのように荒れ狂うでない!」


「されど、母様!」


「ミカヤ! 私なら、もう大丈夫!」


 その時、母親はミカヤを強く抱きしめた。


「人間そうすぐには変わらぬ。ましてや、怒りと飢えに狂わされ、変わり果ててしまったそなたを、今更都合良くすぐに変われなどとは申さぬ。そなたの意思に反するその怒りそのものが、決して許さぬからのう」


 我が娘に優しく語りかける母親は、必死に自らの思いを伝えた。


「されど、どうか母の願いだけは聞いておくれ。どうかその杵を手放しておくれ……!」


「母様……」


 今も痛みで苦しんでいる筈なのに、母親は自分の身よりも、娘の心の方を案じていた。


 すると、ミカヤはその身の内にある狂いかけの怒りが徐々に静まり、やがて、手に持っていた杵を落としてしまう。



 それから、しばらくの間、彼ら親子は水車小屋の中で、お互い抱き合っていた。





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