第四十三話 秘石
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満月が照らす夜、満ち潮で海面が上がった海辺で、ミカヤは水浴びをしていた。全裸になった少女は体中についた汚れを落として身を清めるている最中、その周りに海の発光生物の群れが寄ってきた。
ウミボタルである。
月光が輝く夜空と、海水の中で青白く光るウミボタルの群れが一体となって、水中に浸かっているミカヤの裸体を覆い、艶のある乙女の柔肌を美しく輝かせる。
なめらかで柔らかな肢体、細くすらっとした腰周り、そして、故郷にいた頃よりもかなり発育した大きな胸、それはまるで人魚を思わす姿であった。
少女はその青白く光る海で、どこか切なそうな表情で自らの胸を両手で掴んだ。
「また……大きくなった……」
成長期なのか、それともここ最近、まともに食べていたせいなのか、この頃、発育がとても良かった。
だが、今思い返せば、人肉を食べ始めたあの時から、自分の胸が成長していたのかもしれない。
「結局、どうあがいても私は女子なのだな……」
ミカヤは残念に思った。自分は強い男になりたかった。多くの者達を脅かすほどの大戦士になりたかった。叔父のような英雄になりたかった。
「母様、女として生まれた事を一生恨みます」
一体、女というものの何が良いのか? 男より力が弱く、胸が邪魔くさく、常にお上品にしなければいけない生き物の何が良いのか?
ミカヤはただ、そう思いながら寂しげな表情で俯く。
その後、水浴びを終えると、岩場のある岸に上がって着替えようとした時、
「あれ? ここに置いてあった私の服が……」
先ほど、すぐ近くの岩に置いてあった着物が何故か消えていた。
「かかれい!」
その時、周りの岩の陰に隠れていた数名の村人が一斉に現れ、ミカヤに襲いかかった。
「きゃっ!」
ミカヤは裸のまま村人達に取り押さえられてしまう。
「やっと捕まえたぞ!」
「この化け狸め!」
「とことん、手こずらせやがって!」
彼らは憎々しげな表情で若い娘を見下す。
「貴様ら……!」
手足を押さえつけられたミカヤはキッ!と村人達を睨みつける。
「観念しな!」
「婆さんの仇だ!」
「この際、焼き殺してしまえ!」
散々やりたいだけやって、逃げ回っていたミカヤに、目を血走らせた村人達が竹槍を向けようとすると、
「おい、ちょっと待て」
その内の一人の大柄な男が急に止めに入った。
「なんだ? こんな時に」
「邪魔するんじゃねえよ!」
村人達は突然止めさせようとした男に、苛立ちの目を向けると、彼は少しなだめながら、ミカヤに問い始める。
「まあ、待ってくれ。これは一体、誰の髑髏だ?」
すると、大柄な男はこっそり盗んだミカヤの着物と持ち物の中から、人間の髑髏を見つけて、それを取り出した。
「お前、婆さんだけでなく、他にも誰か殺したな?」
「なっ!? このアマ!」
その途端、一人押さえつけていた村人が、ミカヤの頬を拳で殴りつける。娘の口から鮮血が砂浜に飛び散った。
「それによく見たら、前に見た時よりも明らかにデカくなったよな? その乳」
のぞき込むようにミカヤの裸を見る村人達。
「おかしいと思ってたんだ。一体何食ったら、こんなに乳がデカくなるのかを」
すると、ミカヤの持ち物を持つ大柄の男は、今度は肉の塊を取り出す。
「これ婆さんの肉だよな?」
チラチラと媼の肉を周りに見せつけると、
「こ、こいつは……!」
「噛みちぎった痕がある……!」
村人達はその食いちぎられた痕と歯形を見て、絶句する。
「てめぇ、人間の肉を食ったな!?」
怒りを露わにした村人の一人が、ミカヤの頬を殴りつける。
「この化け物め!」
「信じらんねえ……!」
「もはや、同じ人間じゃねえ!」」
村人達はまるで得体の知れないケダモノを見るかのようにミカヤを蔑む。
「まあ、待て。このままタダ殺すだけじゃ、コイツのしたことの罪は釣り合わねえ」
「なら、どうすりゃあ良い?」
すると、大柄な男はミカヤの顎を掴む。
「こうやってよく見たら、結構可愛い面してるじゃねえか」
大柄な男はミカヤの生まれつきの美貌を見て、へへへと下品に笑い始める。
「皆で凌辱しよう」
それを聞いた周りにいた彼らは、ニヤリと笑い出す。
「丁度、良い体に育ってるし、喰い殺された奴も本望だろう?」
「何をする……?」
ミカヤはゴソゴソとする男達に首を傾げた。
「いいか、押さえてろよ!」
やがて、彼らは服をはだけて、毛深い上半身が現れる。
「うっ……!」
ミカヤはその醜い男達の姿を見て、何故か吐き気がした。
「こいつ! 人間喰ってこんなに乳を大きくしやがって!」
「喰われた奴の無念を思い知るがいい!」
そして、彼らは裸姿のミカヤに群がる。
「……やってみるがよい! 何をするのか分からぬが、どんな事をされても、私は貴様らには屈せぬ!!」
だが、ミカヤは群がる男共に恐れを抱いても、意地を張って村人達を煽った。
しかし、その時、
「やめよぉ!!」
突如、凄まじい怒鳴り声がその場に響く。
「な、なんだ……!?」
その声に驚いた彼らは、聞こえてきた後ろを振り向くと、そこにはミカヤの母、アマカヤがいた。手には何故か、火打ち石を持っていた。
「汚らわしい手で、我が娘に抱きつこうとするなぁ!! 触れようとするなぁ!!」
まるで、殺す気の勢いで怒鳴り散らす母親は、手に持っていた火打ち石をカチッ!カチッ!と打ち始めた。
「母様……?」
ミカヤは先ほど母親に勘当されたばかりなのに、その本人が何故か突然助けに来たことに頭が追いつかず、首を傾げる。
「おい、おっかさんのお出ましだぜ」
「こんな体しか価値のない人でなしの小娘を庇おうなんて」
「子が子なら、親も親だな」
ミカヤを襲おうとした村人達は立ち上がり、良いところを邪魔しようとした母親を睨みつけた。
「やってしまえ!」
彼らは毛深い手で母親に襲いかかろうと迫る。
「頼むから点いておくれ夫婦石よ! 一度だけでも良い! 今この時こそ、その力を目覚めておくれい!」
母親はまるで早くしろと言わんばかりに、必死の思いで叫びだし、何度もカチッ!カチッ!と火打ち石を打ち続けた。
「亡き夫よ。どうか私に力を! 古より秘められし福族の奥義で、我が娘を守護し、この醜き者共全てを、太古の妖炎でもって焼き尽くせい!!」
カチッ! ブォオオオオオオオオオオオオオ!!
火打ち石から火花が飛び散ったその瞬間、母親から緑色の豪炎が現れる。
「な、なんだ!?」
燃え上がる緑色の炎はやがて、炎そのものを背負うように、母親の背中と一体になる。
「我が娘から離れよぉ!」
母親は一番に娘を襲うとした大柄の男に迫り、その頭を掴んだ。
「ひゃあ! うわあ! うぎゃあああああああああ!!」
頭を掴まれた大柄の男は、母親の手から炎が燃え移り、全身を焼き尽くされてしまう。
「ミカヤ!」
母親は一番にミカヤに抱きつき、誰にも手出しさせぬと包まり、我が娘を守った。
「私が間違っておった! 私がそなたをこんな風にさせてしまい本当に申し訳ない!」
「母様……」
泣きながら抱きつかれ、謝罪する母親に、ミカヤは胸の中で、炎とは別の温かさを感じた。
「こ、このアマ!」
「やっちまえ!」
村人達は竹槍を構え、母親の背に刺突しようと襲いかかる。
「ギャォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
娘に抱きついた母親は、まるで妖怪のように眼を妖しく光らせ、今までに発したこともない獣の鳴き声を上げると、背中の炎が噴き出すかのような勢いで燃え上がり、周囲の村人達を包み込む。
『うぎゃあああああああああああああああああ!!』
村人達は全員火だるまとなり、彼らは火を消そうと海に飛び込む。
だが、海水で火は消しても、炎は確実に全身を焼き尽くし、指一本も動けない瀕死の状態となり、その海水に含まれる塩分が、全身を焼かれた彼らを地獄の苦しみへと味合わせる。
「テ、テ……メェ……」
すると、その内の一人が岩場の岸に手を掴み、まるで動く屍のように這いながら最期の言葉を投げ捨てる。
「よく……覚えておけ……人の肉喰ってデカくなったその胸には……喰い殺された奴の怨念が宿ってるからな……いつか必ずお前に……災いが訪れるからな……この呪われた乳を持つ……化け物が……」
だが、その時、母親はそれ以上言わせまいと、娘を抱いたままその村人に背を向けると、またも炎が噴き出して焼き殺す。
「う、うわぁあああああああ!」
ところが、その時、緑色の炎を背負っていた母親は、途端にミカヤから離れ、真っ先に海へ飛び込んだ。
「母様……?」
ジュゥゥウ!と消火されて蒸気が立ち上げるのを見たミカヤは呆然とした。
「プハァ! あぶっ! ぶくっ……!」
すると、水面からなんとか顔を出した母親は、必死に息をしようと暴れていた。
「母様!」
すると、ミカヤはすぐさま母親を助けに海へ飛び込んだ。彼女は知っていた。母親が泳げないことを。
「母様! もう少しの辛抱を!」
唯一、泳げるミカヤは、溺れている母親を抱えると、岩場のある岸へと導く。
「ハァ、ハァ……!」
何とか、岸へ上がった母親の背中はひどく火傷を負っていた。
「やはり、偶然であったとはいえ、私程度の力では、まともに扱えぬ代物か……」
手に持っていた先ほどの火打ち石を見つめながら、残念そうに呟く母親。
「母様、それは……?」
「我ら福族の狸火を最大限に引き出せる奥義を目覚めさせる幻の秘石、夫婦石じゃ、渠帥者である我が亡き夫と梟帥である亡き弟が、代々受け継ぎ、誰にも知られぬよう福之塚の隠し祭壇に置いてあった福族の武を象徴する宝じゃ」
「そのようなものが、我が里にあったのですか?」
「如何にも、和族に盗られぬよう二人が打ち首になる前に、私に遺言を残して託した、いわば、二人の形見である」
「父様、チノシリ様……」
母親の持つ夫婦石と呼ばれた火打ち石に、ミカヤは優しく手を触れる。
「その背中の火傷は?」
「夫婦石の代償である。本来は、誰にでも火が点く代物ではないのは勿論のこと、自らのその身も焼かれる諸刃の剣であるからのう。唯一まともに扱えるのは、夫婦石に選ばれ、厳しい修行に耐えて代償を克服した者だけじゃ」
痛々しそうな火傷を負った背中を見たミカヤは、母親に問い詰める。
「なぜ、そうまでして、私を助けたのですか?」
ミカヤは理解出来なかった。親子の縁を切った筈の母親がここに来ることを。
「母様は先ほど、私を勘当したではありませぬか! なぜ、今更参ったのですか!?」
「そなたを育て直したいのじゃ」
ずぶ濡れの状態で母親は答えた。
「私はそなたが恐ろしい。あのように狂う我が娘を見て、私は子を捨てたくなったのは事実じゃ」
ミカヤを見て、母親は震えるが、恐怖を乗り越えようと娘の手を優しく触れる。
「だが、考えてみれば、人間、早々すぐには変わるわけがない。すぐに堕ちはしない。いつからじゃ? いつから人の肉を食べたのじゃ?」
「五月前です」
「随分と前だのう」
すると、母親は娘を強く抱きしめた。
「真にすまぬ! そのような前から過ちを犯したにも関わらず、今まで気づかなくて! 私がちゃんと見ていなかったから! 私がちゃんと食べさせてあげなかったから!」
母親は涙をこぼしながらミカヤに謝罪する。
「私を許さずともよい。私を恨んでもよい。まともに育てられなかった私には、それだけ許されぬことをしてしまったのだ。だが、ミカヤよ。せめて、私に母親の責任を最後まで取らせておくれ!」
「母様……」
抱きつき、泣きながら耳元で謝り続ける母親の声にミカヤの心は揺れ動く。
「もうそなたを決して飢えさせぬ。もうそなたにひもじい思いはさせぬ。私が全てを払ってでも好きな物を食べさせてあげよう」
「そんな……我らは貧乏なのですよ?」
「かまわぬ。遠慮などいらぬ。何が食べたい? 何でも申しておくれ」
母親のその言葉にミカヤは小さく好物の名を答えた。
「柿が食べたいです」
「それから?」
母親は更に尋ねると、ミカヤはかつて姫だった頃に食べたものを思い出し、またずっと気になっていた食べものを答える。
「お魚が食べたいです! 焼き鳥が食べたいです! 和族の評判であるお蕎麦というものを一度食べてみたいです!」
「なら、全部食べさせてあげよう。だから、もう復讐はやめて、あの婆様の肉を手放しておくれ」
「母様……!」
すると、ミカヤは何故か媼の肉の未練が消えていき、不思議と目から涙が溢れ、まるで訴えるかのように母親に今までの思いを伝える。
「ずっと、お腹が空いてました! ひもじく思いました! お腹いっぱい食べれるあの里の者共が恨めしく思いましたぁ!」
「分かっておる……!」
母親は泣きじゃくる娘のその声と思いをしっかりと胸に受け止め、満月の夜空の下で、抱きしめるミカヤの背中を撫で続けた。




