第三十七話 記憶
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清泉の東の山奥に、とある洞窟があった。そこはかつて、黎門に仇なす者や不届き者を閉じ込める秘密の牢獄である。
しかし、時代の流れと共に人々の記憶からその存在は忘れ去られ、今となっては遺跡同様の場となってしまった。
湿気が漂う蒸し暑さ、天井から滴る水の音、岩場から生えるコケ、太い木材で作られた檻、拘束に使われていた鎖が散乱する地面、おそらく数十年くらい前までは使われていた廃墟の牢獄である。
その牢屋の中に飛若はいた。
「ん……」
彼はようやく目を覚ますと、辺りを見渡した。
「ここは……?」
目がまだ霞み、頭がボーッとする中、壁岩に囲まれた周囲を見た飛若は妙に手の痛みを感じる。
「……!」
すると、飛若はようやくここで気がつく。両手を手枷で拘束され、木造の檻を支える梁(天井柱)に繋がれた鎖に吊られ、壁岩にもたれながら、つま先立ちをして身動きが取れない姿になっていた。
「気がついたようだの」
その時、飛若の耳に聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
「木葉尼!」
ようやく目がはっきりと見えるようになった飛若の目の前には、同じように岩壁にもたれながら、手枷に繋がれて鎖に吊られ、つま先立ちをして拘束されていた木葉尼がいた。
「見ての通りだ。我らは囚われてしまわれた」
木葉尼の着ていた着物は妙に乱れていた。おそらく、あの二人に何かされていたのであろう。
「あいつらは?」
「今は何処へと向かわれた」
二人がいる牢獄の周囲には、先ほど襲ってきた比丘尼と女戦士の姿はなく、飛若はとりあえず一安心をする。
「何とか、ここから抜け出せるか?」
「そなたの刀と同様に、我が愛刀、柴薙も没されていては、手の施しようもあらぬ」
「そりゃあ分かってる。ましてやこんなザマじゃ、何も出来やしねえし」
「とはいえ、手が全く無いというわけではあらぬ」
すると、木葉尼はふと、自らの胸元に目を見下ろす。
「我が首に掛かっておるこの秘石さえ手に取れば、ここから抜け出せるかもしれぬ」
それは火打ち石と火打ち鎌を紐で通した首飾りであった。
「その火打ち石か? どうみてもタダの石ころにしか見えないが?」
「これはタダの石ではない……」
その時、木葉尼は何処か寂しそうな表情で目を細めながら、火打ち石を見つめた。
「何とか、我が手に飛ばせぬものかのう」
両手が使えない彼女は必死に顔を胸に近づけようとするが、なかなか火打ち石には届かない。
「よっ! ほっ!」
更に木葉尼は飛ぶように体を上下に跳ねて、火打ち石を揺らすが、その度に彼女の豊満な胸もまた共に上下に揺らし、飛若の目に見せつけていた。
「バカお前! 前が! 胸元が!」
すると、彼女の胸を見た飛若は顔を赤くしながら目を背ける。
「~~~~~~~~~~~~!?」
ここで木葉尼はようやく自らの着物がはだけ、さらしを巻いている巨乳が丸見えになり、勢いよく揺らしていた事に気づくと、彼女もまた顔を赤くしながら、飛若をジト目で睨んだ。
「ば、バカ者! あまり見ぬでおくれ……!」
「分かってる! だから、早くしてくれ!」
彼女は早くなんとか、頭上に吊られた手に火打ち石を掴ませようと、思いっきり体を跳ねた。
その時、首にかかった火打ち石の首飾りが手に近づき、その一瞬の奇跡を逃すまいと、素早く手で火打ち石を掴み取り、彼女の首にかかっている紐は、飛び降りる勢いで後頭部からブチっと切れてしまう。
「よし! 取れた!」
「やったか!?」
見事に火打ち石を手にした木葉尼が喜ぶと、飛若は目を大きく見開き、でかしたと言わんばかりに彼女を見たその時、事件が起きた。
勢いよく揺らしていた木葉尼の胸に巻いていたさらしがほつれ始め、スルスルと解けていったのだ。
「え?」
ポカンとした飛若だが、やがて彼の目に彼女の唯一隠すべき乳の部位が、その盲目と脳内と記憶に無理やり焼きつけようとして、彼は形相する。
「うわあああ! やっぱお前アホだろ!!」
「ほぇ?」
すぐさま目を背け、瞼をぎゅっとつぶり、真っ赤に熱した鉄のように紅潮した彼の表情を見た木葉尼は、ゆっくりと下を見ると、自らの乳房が柔肌ごと丸出しになっている事に気づき、みるみると顔を赤くしてしまう。
「きゃあああああああああああああああああ!!」
大人の女性とは思えないような、少女らしい叫び声を上げた彼女はなんとしてでも胸元を隠そうと体を動かすが、手を拘束されて隠せないどころか、動かすたびに乳房が勢いよく揺れ、無意識に飛若を誘惑させようとする。
「見ないで! あっち向いておくれ!」
「分かってるって! だから、早く隠せよ!」
「そんな事を申しても!」
二人が閉じ込められているその牢屋はしばらくの間、慌ただしくなる。
「やれやれ、何やら騒がしいのう」
その時、牢屋の外から突然、女性の声が聞こえ始めた。
「お前は!?」
比丘尼と女戦士の二人が戻ってくる前に、ここから抜け出す事を考えていたものの、思ったよりも早く戻って来た二人を見て飛若は驚愕する。
木葉尼はすぐさま気付かれぬように、手の中に火打ち石を隠し持つ。
「ようやく、目が覚めたと思うて来てみれば……」
拘束されている二人の姿を見て、比丘尼はクスクスと笑う。
「百千比丘尼様……!」
焦るような視線で睨む木葉尼に、比丘尼がゆっくりと近づくと、
ムニュ
「うっ……!」
比丘尼は丸出しになっている木葉尼の胸を両手で鷲掴みすると、彼女は頬を染めながら反応してしまう。
「木葉尼よ。先ほども申したであろう? そなたのこの胸は本来、殿方を誘惑し、慰め、子を育む為にあるのだと。童とはいえ、あのような凛々しい美男子にもっと見せつけても良いと思うが?」
比丘尼は彼女の胸を揉みながら、伺うように飛若を見つめる。
「い、いらねえよそんな胸!」
バチン!
その時、比丘尼は突然、平手で飛若の頬を強く叩いた。
「無知もまた罪じゃのう」
比丘尼は蔑むように飛若を見た。
「そなたは美しいが、意外と見損うものよのう。無知とはいえ、木葉尼の傷を平気で踏みにじれるそなたは、初心すぎるが故に、そのような事を申すのか? はたまた、そなたの呪いにより、人情が失いかけておるのか?」
飛若の顎に触れると、クイっと寄せながら、彼のその眼を見つめる比丘尼。
「お前らは一体何者だ!? なぜ俺を捕らえる!?」
比丘尼は飛若の問いに答え、自らを名乗り始めた。
「我が名は百千比丘尼。黎門の始祖、迦沙羅様の内弟子にして、千年の時を生きる法師なり」
比丘尼のその言葉に飛若の両眼が見開くと、すぐにその視線が鋭くなる。
「ハッタリを言うな! 人間が千年も生きられる訳ないだろ!?」
飛若の言う通り、この世には稻族のような、五百年を生きる長寿の種族は存在するが、千年も長く生きられるほどの種族は事実上存在しない。
「嘘にあらず、妾は古代の時代を生きた者なり」
すると、木葉尼は人差し指を飛若の額に当てた。
「お、おい何をする……!?」
「妾の生きてきた記憶、とくとご覧あれ」
その瞬間、飛若の脳内に異変が起こる。
「うあああああああああああああああああああ!!」
絶叫する飛若の頭の中に、見たこともない光景が流れるように映った。
それは、遠い太古の昔、豊かな大自然に囲まれた森に猛毒の怪物がいた。
獣の王として森に君臨する七つ頭の金色の大蛇は、黎教の聖女の前に現れ、出家を誓い、頭を下げていた。
その聖女の側に大蛇に怯える出家したばかりの少女の姿があり、それが後の百千比丘尼と呼ばれし娘であった。
やがて、その光景は徐々に消えていく。
「ハァ、ハァ……!」
比丘尼が飛若の額から指を離した途端、彼はその千年の記憶の一部から、ようやく解放された。
記憶にもない光景を植え付けられた飛若は、何故か底知れぬ疲労と吐き気を感じる。
「ウフフ、美男子が苦悶するその表情、妾の心までも恍惚とさせるほどに、恐ろしゅうものよ」
その時、比丘尼は飛若の胸元にそっと手をかけて開き始めると、ツツツーっと人差し指で彼の胸と腹をなぞった。
「くっ……!」
彼は顔を引きつりながらビクビクと震えるが、性感を刺激する比丘尼のその手は、徐々に彼の胸から腹へと降りると、更にその下を求めて手を下腹部に入れ始め、
「くるしゅうない。楽にせい」
「っ……!?」
妖艶な笑みを浮かべる比丘尼は飛若の耳に優しく語りかけながら、その細い手の指で求めるものを絡め捕らえようと、股倉をまさぐり始めた途端に、飛若は仰天する。
「触るなぁ!!」
彼は突然ブチギレ、比丘尼の手に掴まれる前に、顔に蹴りを入れた。
「気安く俺の体をまさぐるんじゃねえ!」
バチン! バチン!
口端から血を垂らした比丘尼は、飛若の頬に平手打ちを二発入れる。
「ウフフ、女の体も知らぬまだ未成熟の若き美男子を、最期くらいは無理やり成熟させられる快楽に堕としてやれたものを」
「うるせえ! 俺は人に裸を見られたり、体を弄られたりするのが、大嫌いなだけだよ!」
「初心よのう。もう少しのところで良い思いをしたものを」
吐き捨てるように睨んでくる飛若に、少し残念そうに微笑む比丘尼。
「何が目的なんだお前は?」
彼は比丘尼を睨みながら問いかけた。
「そなたにこの世から消えてもらう為である」
「ならば、さっさと殺ればいいだろ? 俺の体を弄ぶよりも簡単だろうが!」
「そなたを簡単に殺せば、物の怪として覚醒する事は承知じゃ。故に、ただで消えてもらうわけにはいかぬ」
すると、比丘尼は懐から白い粉の入った麻袋を取り出し、その粉で飛若の背後の壁岩に何かを描き始めた。
「この陣は、そなたを封印する術式が施されておる」
壁岩には異様な五芒星が描かれ、中央にいる飛若を囲った。
「これでそなたを永遠に封印させ、死ぬよりも辛い深淵に閉じ込める。そして深淵の世界で誰一人殺めず、やがて物の怪へとなるのだ」
「……!」
飛若の表情は凍り付くと、比丘尼は早速、印を結び、呪文を唱え始めた。
やがて五芒星から、黄色の光が輝き出し、飛若を包み込もうとすると、彼は抵抗を始めた。
「こんな術、封印される前に!」
飛若は手枷に拘束された左手を後ろの壁岩にうまく当てながら唱える。
『貪欲!』
刺青に犯された左手が、五芒星から発する光を一気に吸収していく。
「ぐわぁ!」
だが、その代償により、飛若は激しい苦痛を受ける。
「ウフフ、良い。真に良いぞ。その苦痛に歪む表情」
比丘尼はそんな苦悶する飛若を眺めながら、恍惚の表情を浮かべた。
「こ……これで……」
「封印を防げたと思うたか?」
安心する飛若に比丘尼は微笑みながら、印を結んだ。
「封印の術など、陣さえあれば、何度でも練り直すことは容易い。また、陣も崩れたら何度でも書き直せる」
「……!」
「さて、お主は何度耐えられるものかのう?」
飛若は比丘尼のその言葉に絶句した。
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「ぐわああああああああああああああああ!!」
比丘尼が封印の呪文を唱える度に、それを防ごうと飛若は貪欲という名の力を使い、封印を無効化して抵抗し続けた。
しかし、その代償として、彼のその身はひどい苦痛に襲われ、何度も何度も痛みつけられる。
だが、比丘尼は決して呪文を止めず、一夜中ずっと飛若に九字を唱えていた。
木葉尼は拷問のように苦しむ彼の姿を、ただ見てるだけしか出来ず、やがて見るに耐えずに目を逸らしてしまう。
それから、夜が更ける刻になると、飛若は遂に果ててしまう。
「ぅ……」
もはや、指一本も動かせず、呼吸も小さくなるほどに力尽きた彼は、吊られたまま虚ろな表情でぐったりと俯く。
「虫の息となっておるそなたもまた美しい」
比丘尼はただ微笑む。飛若のそのあられもない姿を見て喜んでいた。どうやら比丘尼は妙な趣味を抱えているようであった。
「ここまで疲弊させれば、もはやお主に抵抗の術はない。大人しく封印されるがよい」
「待……て……」
その時、飛若の口が開く。
「封印される前に……最後に……聞きたい事が……ある……」
虚ろな表情をした飛若は、力を振り絞って面を上げ、比丘尼を睨みつけた。
「お前の……変な……記憶を……見せられた時に……思ったんだ……」
それは先ほど彼に見せた比丘尼の千年前の記憶である。
「あの蛇は……なんだ……?」
彼が気がかりになった事、それは森に君臨した七つ頭の金色の大蛇であった。
「そなたに答える道理はない」
ところが、比丘尼は何も答えなかった。
「そなたはただこのまま、これまで犯してきた罪を悔いながら、封印されれば良い」
比丘尼は遂にトドメの封印術をかけようと印を結び始めた。
「お止めを!!」
その時、後ろから木葉尼の強い声が牢屋に鳴り響くと、比丘尼は静止する。
「その者は我が相方! 百千比丘尼様に刃を向けてしまった私はどんな目に遭わせても構いませぬので、その者だけはどうかお許しくだされ!」
彼女は飛若を助けようと比丘尼に懇願した。
「木葉尼よ。どんな事をしても構わぬと申したな?」
すると、比丘尼の表情はやがて微笑み始め、後ろにいた木葉尼に振り向く。
「良い事を思いついた。もう少し遊ぼう」
すると、比丘尼は何故か突然、飛若の手枷を外すと、力尽きた彼の髪を掴んで面を上げさせ、その額に白い粉で五芒星の印を描き、九字を唱えた。
「木葉尼よ。そなたの願い聞き入れてやっても良い。されど……」
比丘尼は飛若の頭を持ち、振り向いた。
「この者に、そなたの過去の記憶を見てもらうのと引き換えにじゃ」
その時、木葉尼は驚愕の表情を浮かべながら目を見開いた。
「よいぞ。その絶望に驚く顔、我が心を恍惚とさせる……! その表情は妾は好きじゃ……!」
性癖を刺激されたかのように、ゾクゾクと笑みを浮かべる比丘尼。
「この者に他人の記憶を覗く術をかけた。一切、鳴き声を上げず、そなたの過去の記憶を全てこの者に打ち明けたら、この者を許してやっても良い」
彼女の前に立っていた比丘尼は楽しそうに笑っていた。
「童よ。木葉尼の過去を覗くがよい」
比丘尼は虚ろとなっている飛若の頭を抱え、木葉尼の方へと近づく。
「ぃ……ゃ……!」
彼女は涙を浮かべながら絶句する。
「いやぁ!! やめてぇ!! 見られたくない!!」
木葉尼はまるで虐待を受けた子供のように、泣きながら嫌がり始めた。
「なんぞ、つまらぬのう。まだ見せてもおらぬのに」
「もう良いです! もう良いので、早くその者を封印してくだされ!!」
なんと木葉尼は先ほどとは真逆に態度を変え、我が身可愛さで飛若を売り始めた。しかし、比丘尼は聞く耳を持とうとせずに近づく。
「見ないで! いやぁ見ないで!! 私の醜い過去を見ないで飛若殿!!」
その情けない彼女の姿を見た飛若は心の中で思った。
(何故だ……? 何故、そんなにも怯えるんだ……? それほどにまでに、俺に見られたくない過去なのか……?)
その時、飛若の口が開く。
「や……め……ろ……」
彼は嫌がる木葉尼の為に、力ない声で比丘尼に止めるように言うが、比丘尼はそんな言葉を一切耳に傾けず、楽しそうに微笑みながら、彼女の頭に飛若の頭を近づける。
そして、その側近の女戦士が暴れる彼女を羽交い締めにして押さえつける。
「いやぁ! いやぁああああああああああああああ!!」
そして遂に、飛若と木葉尼の額が重なってしまう。
その瞬間、飛若の脳内はまるで川に流されるかのように、彼女の記憶の世界へと旅立ってしまう。




