第三十三話 福族
その昔、吉ノ国の東の山奥にある一つの集落があった。
深き竹林の森の奥にあるその集落に住む者達は主に洞窟で暮らし、獣や川魚、山の幸などの豊かな自然の賜物を生活限に暮らしていた。
渓流の滝の音が流れる水の音、集落の近くに福之塚と呼ばれる石塔と石像が建てられた黎教の古代遺跡、蟻の巣のように暮らす洞窟内に照らされる多くの松明、祖先が彫り残したとされる原始の洞窟壁画、透き通るぐらいに綺麗な地下水の池、大量の米と粟が貯蔵される穀物庫、地下資源を求めて掘り進める男達、掘り当てた瑪瑙や翡翠などの宝石を勾玉や装飾品に加工する女達。
彼らは特徴的な事に動物の毛皮を身に纏い、古代から伝わる平形剣を拵え、一部では顔に部族の象徴を表す刺青を彫り、灰色の髪を伸ばし、狸の耳と尻尾を生やした蛮族であった。
福族の集落である。
この山地は宝石が豊富に埋まっており、彼らはその宝石を掘り当てて加工し、交易をしていた。
そんな豊かな集落にある一人の少女がいた。
「ミカヤ!」
とある女性が少女の名を呼ぶ。
「ミカヤ、もうやめなさい!」
小さく小柄かつ胸は真っ平らで、腰まで届く長い灰色の髪を揺らし、狸の耳と尻尾を持ち合わせる少女の名は美伽文、福族の族長の娘である。
「母様! この者らが悪いのですよ!」
ミカヤは手に長い棒を持ちながら、その鉾先をボロボロになって泣いている三人の少年達に向けた。
「よって集って、女の子をいじめたのですから!」
そのミカヤの隣には同じ年頃の少女がいた。だが、母親はそんなミカヤを強く叱った。
「お止めを! 渠帥者(福族の首長の座)の娘であるあなたが、このような乱暴な事をしてはなりませぬ!」
「乱暴とは何か! これは成敗じゃ!」
「そなたは姫君であろう!? 姫がこのように雄々しい振る舞いをしてどういたす!?」
「では、母様は女は男の言いなりになればそれで良いと申すのか?」
まるで反抗期の子供のようにミカヤは母親と口喧嘩をする中、少年達は泣きながら彼女に謝罪をする。
「姫様……! ごめんなさい……もうしません……!」
「ったく、男のくせしてだらしないのう」
そのガキ大将みたいな振る舞いをするミカヤに母親は遂に我慢の限界が来た。
「ミカヤ! 今日という今日はもう許しません! 今度こそ私がそなたに女というものを教えます!」
「べーだ! 私はお姫様などという堅苦しいものなどには決してなりとうない!」
すると、ミカヤは母親の横をすり抜け、その場から逃げ出した。
「こら、待ちなさい!」
母親はミカヤを引き止めようとするが、彼女は楽しそうに笑いながら母に告げた。
「母様、私はいつの日か勇者になるのだ!」
それだけを告げると、彼女はキャハハと可愛らしい笑い声を上げながら、そのまま走り去ってしまう。
「全く、あの娘はなんであんな風に育ってしまったのやら……」
まだ年端も行かないとはいえ、やんちゃな娘に母親は呆れてしまう。とても姫君とは思えぬ性格に育ってしまった事に頭を悩ませていた。
「いや、原因はもう分かっておる」
母親は何故あんな性格に育ってしまったのかに心当たりがあった。
一方、母親の手から逃げてきたミカヤは洞窟の入り口に来ると、そこには竹林の森から数人の男達がこちらにやって来るのが見えた。
その中に大柄の体格で虎髭を生やし、威風堂々とした強面の福族の男がいた。ミカヤの父親であり、福族の渠帥者、名は嘔吐である。
「父様! お帰りなさい!」
彼女はその男達の中に父親がいるのに気づき、急いで彼らの下へと駆けつけた。
「今日はお早いですね」
「うむ、ミカヤよ。此度は大物の椒魚を獲らえた! 今宵はご馳走じゃ!」
「本当ですか!? やったー!」
椒魚とは、すなわち山椒魚の事で、その肉は福族にとっても、かなり愛されている程の美味である。
タグリの後ろには男達が必死に巨大な山椒魚を運んでいる姿が見えた。
ミカヤは彼らが狩ってきたその獲物に大喜びする。
「次いでに柿も沢山採ってきたぞ!」
「流石は父様! 狸の腹鼓らしき太っ腹さでございまする!」
ミカヤはでかしたと言わんばかりに父親に感謝した。
「でも、珍しいですね。椒魚を獲らえるとは、今日は何か祝い事でも御座いまするか?」
首を傾げるミカヤの頭に父親はポンと頭を乗せて撫で始める。
「実はのう、今宵は地野後 が帰ってくるのだ」
すると、ミカヤの表情はみるみると喜びの表情へと変わる。
「チノシリ様が!?」
ミカヤは子供らしくはしゃぎ回る。
「やったー! チノシリ様が参られるんだー! あはははは!」
「これミカヤ、あまりはしゃぎ過ぎると、転んでしまうぞ」
ミカヤのその喜ぶ姿に父親は笑顔で眺める。
その後、彼らは集落に着くと、村人達はその獲物に大喜びし、すぐに下準備に取り掛かった。
巨大な山椒魚を吊るして血抜きを始め、全身の血が抜けるまで、しばらく放置した後、今度は内臓を取り出す作業に取り掛かる。
ここまでの作業で半日が経ち、気づいたら夕方になった頃、集落に一人の旅人が訪れた。
その者は知性的な顔立ちで、毛皮の衣を身に纏い、腰に平形剣を携えた優男であった。
「おお、チノシリ様だ!」
「チノシリ様が参られたぞ!」
門番が里に伝えると福族の村人達が大勢集まり、彼を歓迎した。
「チノシリ様!」
「おお、ミカヤか!? 大きうなったのう!」
彼に向かって走りだし、腹に飛び込んできたミカヤを咄嗟に抱きとめて高い高いをするチノシリ。
「あはははは!」
子供ながらに無邪気に笑うミカヤ。
「チノシリよ。よくぞ参ったのう!」
「渠帥者様」
そこに渠帥者のタグリが現れてチノシリを歓迎する。
「渠帥者はやめよ。儂とお主は血の繋がる兄弟であろう!」
渠帥者は仲が良さそうにチノシリの肩を組んだ。
「嘔吐で良い」
「では、タグリ様」
「様もなんかのう」
自分の名を様づけで呼ばれたタグリは頭を掻きだす。
だが、その瞬間、
「ふっ!」
タグリは突然、左手でチノシリの喉元に貫手を放った。
しかし、チノシリは咄嗟にその貫手を歯で噛み付いて防ぐ。
「ちっ!」
タグリの手から鮮血が飛び散り、彼は苦悶の表情を浮かべると、指を噛み千切られる前にすぐさまその手を引っこ抜き、その場から少し離れて間合いを取り、腰の平形剣を抜き放った。
そして、チノシリもまた腰の平形剣を抜き始めた。
「ちぇりゃああああ!」
タグリの掛け声と共にお互い短い剣で火花が飛び散る程の凄まじい打ち合いの中、チノシリは平然とした表情をする。
「相変わらず、頭だけではない男だのう!」
チノシリの剣の腕にまるで歯が立たないタグリ。
「昔はただの頭デカっちのヒョロヒョロだった癖に、生意気な!」
タグリは強情にもチノシリに連撃を繰り出すが、その刹那!
チノシリはタグリの剣を弾き飛ばしてしまい、勝負は呆気なく終わる。
「ははは! 分かった儂の負けだ!」
突然の剣の試合に敗北したタグリは悔しさよりも、嬉しさの余りにチノシリを褒め称えた。
「いつの間にか兄のこの儂を超えおって。やはり、渠帥者の座は儂よりもお主が継ぐのにふさわしい」
「我は兄上のように人をまとめるほどの力などない。故に我は自由に一人で旅をする方が性分に合っておる」
弟の言葉に肩を掴むタグリ。
「真に欲がない男だのう!」
「兄上の方が強欲なだけです」
「此奴、言いおる!」
タグリは笑いながらチノシリの腹に拳で軽く叩く。
「チノシリよ此度はお主を歓迎する! 皆の者、今宵は勇者の帰還を祝って宴を開けい!」
そう言うと、村人達は大喜びで宴の準備を始めた。
巨大な火を焚き上げ、大型の山椒魚を炙って丸焼きにし、沢山の柿を用意し、酒を用意した。
福族の土地で獲れた食材で作られた豪勢な料理が並べられ、村中の福族が勇者の帰還を祝って、賑やかに宴を楽しんだ。
「チノシリよ! 今宵はお主の為の宴だ! 長旅の疲れを取る為に存分に寛ぐが良い!」
タグリはチノシリの盃に並々と酒を注ぐ。
「兄上、いつもかたじけない」
優男の外見をもつチノシリは見かけによらず、その並々に注がれた酒を一気に煽ると、彼もまた酒壺を持ち上げた。
「兄上も一杯いかがで?」
「わ、儂は結構だ……!」
「相変わらず、下戸なのは変わっておりませぬね」
こちらも見かけによらず、威風堂々とした風貌のタグリはどうやら酒が苦手なようであった。
「儂も、酒が飲める豪気な漢になりたかったのう」
豪快な髭面を生やしたタグリはしぶしぶと甘酒の入った盃に口をつける。
そんな愉快に酒を楽しむ二人に突如ミカヤが、猫のように割って入ってきた。
「チノシリ様! また私に剣を教えてくれませんか?」
「これ、ミカヤ! またそのような事を!」
母親は娘のその振る舞いに叱り出した。
「チノシリも余りミカヤに武勇伝を聞かせるでない!」
「これは申し訳ございませぬ、天伽文様。されど、子供というのは遊びが好きなお年頃、チャンバラくらいよろしいではございませぬか?」
「よろしくない! それ以前に女の遊びですらあらぬ!」
「母様、ご安心を。私は女などではありませぬ。この通り真っ平らな男ではございませぬか!」
ミカヤが突然、服の胸元を広げてその平らな胸を堂々と見せつけると、母親は仰天する。
「おやめを! しまいなさい!! 姫とあろう者がなんともはしたない!!」
「ははは!」
チノシリは少し酔っているのか、母親のその突っ込みに優しく笑う。
「笑うでない!」
「がぁーーーはっはっはっはっはっ!!」
「渠帥者様は笑いすぎです!!」
その彼らのやりとりにミカヤは楽しそうにケラケラと笑う。
「全く、この英雄と来たら……!」
母親は娘が福族の勇者と謳われているチノシリに憧れを持ってしまった事に頭を悩ました。
「話しを変えるが、チノシリよ。お主、南の地に向かったそうだのう?」
「然り」
突如、タグリの目つきが変わり始めると、その場は重い空気になる。
「して、どうであった?」
「酷いものでありまする。どこも朝廷軍との戦が絶えず、いくつもの里が滅ぼされてしまわれました」
巨大な焚き火を眺めるチノシリは、その炎が旅先で見てきた戦火の記憶と同じ光景のように見えてしまい、多くの人々の悲鳴が耳元に蘇る。
「朝廷はそれほどの手勢か?」
タグリの質問に無言でコクリと頷くチノシリ。
「和族の戦はまだまだ長く続きそうでありまする」
「ふーむ」
タグリは顎に手をやって深く考え込む。
「文化は違えど、黎教の信仰と寺院建立を受け入れた我が部族も、このままいずれ朝廷に屈服される日も来るのであろうな」
「父様! 朝廷軍など、チノシリ様とこの戦士ミカヤが捻り潰してしんぜます!」
「これ、ミカヤ!」
「ははははは! なんとも頼もしい!」
タグリは勇ましい振る舞いをする娘に笑い出す。
「されど、ミカヤよ。お主は戦士などではない。女子だ。いずれ、その平らな胸も膨らむ時が来る」
「膨らみませぬ!」
「まあ、そう捻くれるでない」
タグリはミカヤの頭に手を乗せた。大きくズッシリとした手の重さが少女に伝わる。
「良いか? 女子にも女子にしか出来ぬ立派な務めもあるのだ。お主もいつかは男を好きになり、子を産む時が来る。その時が来れば、殿方を支え、子を育て、いざ子を守れる者として頼りになるのは、女子だけなのだ」
「む〜〜〜!」
不満気に頬を膨らますミカヤ。
「女子という者は時に男よりも勇者よりも強い。お主ももう少し、強き母の言うことも聞いてあげよ」
ポンポンと我が娘の頭を優しく叩くタグリ。
「プンプン! 母様は強くありませぬ! 狩りも薪割りも戦も出来ぬ軟弱者です!」
「お、おい……ミカヤ!」
ミカヤは父親の手を振り払うと、母親を睨みつけて言った。
「母様、私は男ですからね!」
母親にあっかんべーをすると、ミカヤはそのまま宴の席を離れて、何処かへと走り去っていった。
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吉ノ国城下町、清泉の町中にある中禅宗の地下隠れ家。
静かな夜、孤独に囲炉裏の前で座る木葉尼は目の前でグツグツと煮えたぎる狸汁を眺めながら、過去の記憶を思い出す。
美伽文。それがかつての彼女の名であった。
もう出家して百五十年も経つが、木葉尼はかつて姫と呼ばれた頃の昔を思い浮かべながら、自らの大きく膨らんだ豊満な柔らかい胸を手で掴み、揉み始めた。
(いつから、私の胸はこんなにも大きくなってしまったのであろう……?)
彼女は虚ろな表情で女性の証であるその胸に嫌気が差した。
「よう、木葉尼」
そこへ飛若が現れた。
「あっ……」
突然障子を開けた飛若は目の前に自らの胸を揉んでいた木葉尼と目が合い、彼の顔は徐々に赤く染まっていく。
「ば、馬鹿! 何やってる!?」
彼はすぐに目を背けると、木葉尼もまた頬を少し染めながら胸を隠す。
「そ、そなたこそいきなり現れるでない……!」
ぎこちない思いを抱えながらそっぽ向く二人だが、飛若は大事な話しがある為に、この場の空気を変えようと両頬を叩き、用件を話した。
「輪西からだ。明日の夜、俺とお前で東町に向かい、要人を斬りに行く」
すると、木葉尼も正気に戻り、真顔で振り向いて頷いた。
「承知した」
二人は仕事の話に戻ると、その場のぎこちない空気が一瞬で変る。
あくまで彼らは死戦を生き抜く身として、お互い背中を預けるのを主とした条件で組んでいる相棒なのである。
やがて、飛若は何も言わずに囲炉裏の前に座ると、目の前と向かい合った木葉尼が口を開いた。
「飛若殿、良かったら狸汁はいかがか?」
彼女は自慢の狸汁を彼に勧めた。
「ああ、じゃあ頂くか」
すると、彼は懐からお椀を取り出し、木葉尼に渡すと彼女はお椀に熱々の狸汁を並々に注いで手渡した。
その時、
「熱ちい!」
偶然にも飛若の手に熱々の汁がこぼれると、彼は思わずお椀を落としてしまう。
「だ、大丈夫か!?」
つい、自慢の狸汁を沢山注いでしまい、落とす原因を作ってしまった木葉尼は慌てふためく。
「ああ、大したことねえ。ちょっと拭くものを……」
こぼしてしまった彼はすぐに床を拭こうと、その場に立ち上がろうとしたその途端、
「おわぁ!」
床にぶちまけた狸汁をつい踏んでしまった彼はそのまま滑ってしまった。
「危ない!」
その瞬間、彼女は咄嗟に仰向けに転倒する飛若を胸で抱き止める。
「無事か?」
「ああ」
とりあえず頭を打たずに済んだ彼は一安心をした途端、
ムニュウ
後頭部に何か柔らかいものが当たってるのを感じると、すぐさま彼はそれが彼女の豊満な胸だということに気がつき、暴れ始める。
「うわ! 離れろお前!」
「す、すまぬ!」
二人はお互いその場から離れてしまう。
「毎回毎回、お前わざとやってんだろ!?」
「そ、そんなつもりはない……!」
顔を真っ赤にした飛若に木葉尼はまたも慌てふためく。
「お前のその胸は何なんだよ!? 俺に色仕掛けでもしようとしてんのかよ!?」
目を瞑りながら訴えるかのように言葉を投げる飛若。
「俺にその胸を見せつけるんじゃねえ! 近づけるんじゃねえ! 俺に寄せつけるんじゃねえ!」
飛若は必死に彼女に訴えた。やがて、彼はゆっくりと目を開けると、
「……」
そこには呆然と立ち尽くす木葉尼がいた。
「そなたも私のこの醜い胸を見て蔑むのか……」
その時、彼女は突然暗い目をする。
「お、おい、どうした?」
まるで深淵の底を移すかのように暗い目をする木葉尼に飛若は少々困惑した。
「好きで私はこんな体になった訳ではないのに……」
感情をまるで表さず、まるで日本人形のようなその目に彼は若干の恐怖を感じた。
「私の胸に宿るこの呪われた怨念の塊を見て、そなたも私を穢らわしい化け物として見るのか……?」
「お、おい、木葉尼……!」
すると、ここで彼はようやく自分の思ったことを連発した言葉が彼女を傷つけてしまった事にやっと気がつくが、時はもう既に遅かった。
「消えよ」
飛若が慰めの言葉を言いかける前に木葉尼は声を出した。
「どうか私の前から消えてくれ……!」
彼女は自らの胸を隠し、涙を浮かべながら顔を背けた。
その姿を見た彼は木葉尼の言う通りに、その日は大人しく去り、宿に戻ることにした。
その後、彼は後悔してしまう。彼女を深く傷つけてしまい、泣かせてしまった事を。
ここから先は、しばらく木葉尼の話になります。




