第三十話 学院
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あれから明後日の朝、この日から飛若は正堂院に乗り込み、門下生として通い始めることになった。ここで誰にも怪しまれずに要人に近づき、殺す為に。
彼は正堂院の門の前に立つと、その周りには正堂院に通う自分と同じぐらいの歳の門下生が大勢おり、門へと入って行くのが見えた。門下生はどれも育ちの良さそうな子供ばかりであった。
「ここか」
飛若は門の中へと一歩足を踏み入れた途端、周りの門下生から視線を向けられてしまう。彼はその視線に構わずそのまま足を進めたが、門下生達は彼を見ながら何やらヒソヒソと話しているのが見えた。
(バレてないよな?)
彼は正直不安に思った。この正堂院に紛れて要人を殺すという自分の目的が明かされてしまうのではないかという事に。
その時
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
どこからか甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「誰かぁ!!」
飛若は突如後ろから叫び声が聞こえて来るのに気付くと、そこには茶色に染まった髪を持ち、華奢な体に貴族装束を着た少女が馬に跨りながら、物凄い勢いで飛若に突進してきた。
「って、おわぁ!」
彼は突然現れたその馬に驚きながらそれを避けると、少女を乗せた馬は正堂院の門の前で暴れ出した。
「誰か助けよおおおおおおおおおおおおおおお!!」
少女は今にも振り落とされてしまいそうな馬にしがみつきながら周囲に助けを求めるが、門下生達はその突然現れた暴馬に驚き、誰も近づけずにいた。
「しょうがねえな!」
飛若は面倒くさく思いながら、その少女の乗っている暴馬にすぐさま近づき、その手綱を掴んだ。
馬はそれでも暴れようとするが、飛若は故郷で馬の世話仕事をした経験を頼りに、その手綱を上手いように扱い、ゆっくりと馬を落ち着かせる。
「こっちに飛べ!」
飛若は馬が落ち着くと、その上に跨る少女に手を差し伸べた。
「おお! では、お構いなく!」
少女は喜ぶかのように飛若に飛びかかり、彼はその少女を受け止めた。
「ふぅ〜かたじけぬのう。そなたには感謝いた……」
その時、少女は飛若の顔を見た途端、その美貌にトクン!と胸を高鳴らせた。
「いいから離れろよ……!」
「わわっ! すまぬ!」
柔らかく華奢な体を抱えた飛若は頬を染めると、少女はお互い抱きつく感じの体制になっていたのを察した途端に顔が赤くなり、すぐさま慌てながら飛若から離れた。
「大丈夫か?」
飛若は少女にどこか怪我が無いかを確認しようとすると、頬に手を当てて赤く染めていた少女はその顔を横に振りながら両頬を軽く叩いて正気に戻り、何事もなかったかのような表情を見せた。
「改めてそなたには救われた。かたじけぬ」
少女は飛若に感謝すると、そこへ二人の女と一人の男がこちらへと駆けつけてきた。
「姫様!」
三人は青い顔をしながら少女を叱った。
「あれほど馬に乗ってはいけませぬと申しておりますのに!」
だが、少女は全く反省もしていないような笑顔で答えた。
「良いではないか! 妾も馬に乗りたいのじゃ!」
「いけませぬ! また騒ぎを起こして、もしも怪我など致しましたら、奥方様が一体どんなお顔をされる事か……!」
「心配要らぬともよい。もう下がれ」
少女は平然としながらそう命じると、一人の男は先ほど暴れた馬の手綱を掴んで連れて行き、残りの二人その後に続いて、三人揃ってトボトボと正堂院の門から離れて行った。
「そなたには迷惑をかけてしまい申し訳ない」
少女は飛若に礼を言うと、もの珍しそうな表情で彼の顔を覗き込んだ。
「見慣れぬ者じゃのう」
飛若は怪しげに思われないように普通に対応して少女に答えた。
「まあな。今日からこの正堂院に通う者だ」
「左様か!」
少女は新しく来た門下生に感激すると、大はしゃぎで彼の周りを一周すると、笑顔で自らを名乗り出した。
「妾は千代と申す。そなたは?」
千代と名乗った少女は彼に名を尋ねるが、
「後で名乗る」
飛若は無愛想に千代に背中を向けてそのまま歩き始めた。
(別にいま名乗らなくても、公の場で名乗ることになるから、いちいち名乗るのも面倒くせえ)
(それに……なんかあの女苦手だ)
彼はこの千代という名の少女を何故か本能的に避けようとしていた。
「待て! 妾が名乗っていながら、そなたは名乗らぬおつもりか?」
千代はそんな彼の態度に不服に思い、飛若その目の前に立ち、両手を広げて通せんぼした。
「そなたが名乗らぬ限り、妾はここを通さぬぞ!」
千代は頬をプクーと膨らましながら不満そうに飛若を見ると、彼は面倒くさそうに名乗った。
「飛若だ」
飛若が名乗ると千代はニコッと笑いながらの彼の周りを子犬みたいに走り周った。
「飛若殿か! よろしく思うぞ!」
年頃の子供ように明るい笑顔で千代がはしゃぎ回るとここでまた事件が起きた。
「ぎゃっ!」
はしゃぎすぎた千代は正堂院の戸の横の壁に顔をぶつけて目を回して倒れ込むと、更にその衝撃のせいか屋根の上についてる瓦が落ちて、千代の顔面に直撃してしまった。
「大丈夫か?」
飛若は倒れている千代に手を振ると、彼女は何事もなかったかのように鼻血を出しながら、その場に立ち上がった。
「心配いらぬ! いつもの事じゃ!」
だが、鼻血を出してる千代を見ちゃいられないと思った彼は、自らの着ている服の袖で千代の鼻血を拭い始めた。
「と、飛若殿! 袖が汚れ……!」
「別にいいって」
千代は顔を赤らめながら遠慮しようとすると、飛若は全く気にせず、子供を扱うかのように千代の鼻を拭き続けた。
「す、すまぬ!」
千代は顔を真っ赤にしながら、逃げるようにその場を離れると、
「ぎゃっ!」
突如、うつ伏せに転んで地面に思いっきり顔をぶつけてしまった。
「だ、大丈夫かこいつ……!」
飛若は額に汗を流しながら、何かとてつもなく、面倒くさそうな相手に出会ってしまったという思いを抱え、倒れている千代を見下ろした。
それから飛若と千代は正堂院の中に入ると、その一室には大勢の門下生が座っており、飛若は適当に空いた場所を探して座りだした。
やがて、ワイワイと明るく会話をする座敷でしばらくの間に時が経つと、突然戸が開き、一人の僧が現れた。おそらくこの正堂院の師の一人だろう。
「此度は新しく参った者がおる」
僧は子供達にそう言うと、飛若の方に目を向けてこちらへ来る様に手で合図すると彼は立ち上がってその僧の下へやって来た。
僧は飛若を子供達の目の前に立たせて名乗るように言った。二度も名乗る事になるので、彼は面倒くさそうに感じながらその場で名乗った。
「津田氏庶子、飛若と申す」
津田氏、それは以前に飛若が殺害した津田鎌次郎という名の男の家系である。津田氏は武家として名高い氏族であったが、中禅宗の中でも最強と謳われた刺客四人衆の手によって本家は皆殺しにされ、輪西はその津田氏の名を使い、飛若を遠縁に当たる分家の生き残りとして偽わらせて籍を細工した。
飛若がその津田氏の名を騙ると、門下生達はヒソヒソと話しながら彼を珍しそうに眺めた。
分家とはいえ、津田氏と聞いて哀れんでいるのか、それとも怪しんでいるのか、彼はその門下生達の視線に緊張が走る。
「では、元の場所へ座るがよい。」
師にそう言われると、飛若は何事も無かったかのように先ほど座った場所へ戻ると、周りはまだ彼を見てヒソヒソと話していた。
「では、これより勉学を初める。千代殿。教書を読んでいただきたい」
「はい」
僧は千代に教書を開かせて読ませるように言うと、千代はスラスラと書に載ってる文を読み始めた。
「学びて時にこれ習う、また説ばしからずや。朋遠方より来たる有り、また楽しからずや。人知らずして怒らず、また君子ならずや」
さっぱり分からなかった。
学は勿論、今時の文化とは縁もない隠れ里出身の彼にとって、勉学のべの字も知らない境遇で育ってきたのは当然であった。
「よろしい。では、次」
僧は次々と門下生に教書を読ませた。彼はどうか自分にだけは当てないでくれと祈りながら、時を過ごすのをただひたすら待った。
その後、
「全く分かんねえ……」
今日一日の勉学が終わり、すっかり夕暮れになった空の下で正堂院の門下生は次々と帰ろうとすると、飛若は頭を抱えながら広場を歩いた。
間者として、誰にも怪しまれずに忍び込んでいるとはいえ、自分の不勉強さに思いやられてしまう感情を抱きながら溜息を吐いてしまう。
「どうされた? 何やら溜息を吐いておったがいかがした?」
すると、そんな飛若に千代が何やら心配そうな表情で声をかけた。
「いや、何でもない」
飛若は心配ないという素振りを見せても、この少女はまるで小さな動物のように彼にまとわりついた。
「もしかして、正堂院に馴染めぬのか?」
千代は元気のない飛若を気にしながら首を傾げると、彼は怪しまれぬように呟いた。
「それもあるが、俺勉強したことないんだ。防人としての戦いの術しか教えられて来なかったから」
彼は半分嘘を吐いたが、自分の不勉強さだけは正直に答えた。
「さようか。それは由々しき事じゃのう」
千代はそんな彼に悩みを聞くと、ニコッと笑い始めた。
「もし、よろしければ妾と共に勉学に励まぬか? 勉学の術を妾が手取り足取り教えようぞ」
千代はニコニコと無邪気な笑顔で飛若に接した。
「お前が?」
飛若はそんな千代に怪訝な表情を浮かべた。
「いやか?」
首を傾げる千代を見て、飛若はその場でしばらく考え込むと、途端に決心するかのように頷いた。
「いや、色々と頼む。」
「真か!? やったー!」
飛若は承諾すると、千代は途端に喜んで彼の周りをはしゃぎ回った。彼は学を知らないが、このまま怪しまれずに正堂院に馴染むには門下生と同じぐらいの知識が必要であると悟ったからであった。
「では、明日また会おう」
すると、彼は千代にそう言い残すと、正堂院に背を向けて宿に帰ろうとした途端、
「何を申しておる?」
千代はそのまま帰ろうとする飛若の肩を掴んで止め始めた。
「え?」
飛若は後ろから肩を掴む千代を見ると、彼女はニコッと笑いながら何冊かの教書を見せた。
「明日出来る事を今やらないでどういたす?」
飛若は正直帰りたかった。今日は何も分からない勉学に疲れた事と、空腹の影響で体がヘロヘロな状態により。
「さあ、こちらに来なされ」
だが、そんな飛若の手を千代は無理やり引っ張り始めた。
「って、ちょっと!」
彼は抵抗しようにも疲労と空腹により力も出せず、その無邪気な笑顔をした千代の意のままに正堂院の中へと連れて行かれた。
その夜、
「う~疲れた~」
彼はあれから正堂院に残って夜遅くまで千代に勉強を教えられ、飛若は明かりを灯さない夜の町中をフラフラとしながら歩いていた。
「たくっ、あの女、面倒くせえな」
彼は千代が自分にまとわり付く事にうざったく感じていたが、
「でも、どこか小夜に似てるな……」
同時に千代のその無邪気な笑顔が、彼が今まで大切に想っていた小夜の笑顔と何処か同じように見えていたのだ。
あの頃、無邪気に笑っていた時の小夜。
恋をするほど大切に想っていた小夜。
もう二度と会うこともない小夜。
自ら記憶に残る小夜のその笑顔が千代の笑顔と一致し、飛若は夜の町を歩きながら、しばらく千代という名の少女の事を思い続けた。




