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第三話 化物

 


 あれから五日後の朝。



 いつものように飛若は馬糞の臭いが、鼻に突き刺さる馬小屋を嫌々と掃除し、小夜は自慢の怪力で天秤棒を担ぎ、ご機嫌そうに鼻歌を歌いながら、川から水を汲んで足場の悪い田畑まで楽々と往復して運んでいた。


 だが、その日、村人達は何やら騒いでいた。



「大変だ!」


 仕事をしていた二人に突然、声をかけたのは与助という名の小作人であった。



「飛若! 小夜ちゃん! ちょっと来てくれ!」



 何やら相当慌てているようで、二人はすぐさま彼の後を追う。


 二人はよほど重大な事だと思いながら、後をついて行くが、やがて、二人がたどり着いたところは村の作物の種が蓄えられている蔵であった。


「クソ! やられた!」


 中を覗くと、種籾を入れていた幾つかの大壺が立ち並んでいるが、その何個かの壺が割られており、破片と種籾がその場に散乱しているのを見て、多くの村人達が悟った。


 何者かの手によって食い荒らされていたのだ。種籾は毎年、稲を作る為の大事な生活源であり、村人達の多くがそれを見て悔しそうな表情を浮かべる。



「もうすぐ田植えが始まるのに三割ほど食われたぞ!」


「おい、見てみろ! 足跡がある!」


 その時、蔵の裏を探った村人の一人が、その辺りの雪面を指差すと、何やら小さな足跡が北山の方へと続いていくのが見えた。


「こりゃ、見たところ雪坊の足跡だのう」


 雪面の足跡を手でなぞった熟練の狩人がその足跡の正体が雪坊だと察する。


「妙じゃのう」


 その時、年老いた老婆が、付き添いの者と共に現れ始めた。


 白い狩衣装束と烏帽子を身に着け、家宝の銅剣を拵えたその老婆は、この村を治める村長であり、長年、陰陽師を生業として、学問や退魔の術に長けた者である。


 村長は雪面の足跡が続く森を眺めながら静かに呟いた。


「もうすぐ春になるというのに、今更雪坊がこの人里に現れるのは珍しいのう」


 老婆は顎に手を当てながら、深く考え始める。雪坊は冬の季節に現れる小妖怪ではあるが、春初めに出てくるのは到底あり得なかった。


 というよりも、本来は猛吹雪が吹く頃に、人々が家の中に籠もっている隙を狙って蔵を漁る妖怪であるが、ここ最近は段々と温かくなり、雪も降らず徐々に溶け始めている時期が続いており、この寒帯の地で暮らす村人達にとっても、これは本来あり得ない現象であった。



「しかし長、出てきてしもうたものは仕方ありませぬ」


「早いとこ退治せぬと、今年の稲刈りに響きますぞい!」


 雪坊は見かけによらずしつこく、一度、蔵の食料に手をつければ確実に二度来るという習性を持つ。


 つまり、このまま春まで待って種籾を全部食い荒らされるか、それとも食い荒らされる前に、雪坊を退治するかのどちらかを決めなければならない状況に陥っていた。


「うむ、皆で雪坊を討ちに参ろうぞ」


 村長は雪坊の退治を決断すると、村人全員がそれに賛同した。今年の収穫と自分たちの生活の為に。


 しかし、村長は何故か老体の身でありながらも、森に向かって歩き出す。



「まさか長まで行くつもりで?」


「うむ、少し気になってのう」


 陰陽師の風水学は土地巡りや開拓にも関係し、村長はこの土地に何か異変が起きたのではないのかと疑い、それを確かめるためにも自ら森に向かうことを決意した。



「どうかあまり無理はなさらぬように」


「心配要らずともよい」


 村人達は村長の老体の身を案じてその周りを囲って支えようと向かうが、本人は気にせずに一人で歩き始める。


 村長は年寄り扱いされるのが、好きではないようであった。


「変だな~。俺この前、大方やっつけたばかりだぞ?」


 その村人達の後ろにいた飛若は、頭上に石を何回も飛ばしながら怪訝な表情を浮かべた。


 五日前に山の中で雪坊を五匹見つけて、村の蔵を漁らせない為に全て退治した彼は、当分は現れては来ないだろうと、あの時は思っていたが、また現れてしまった事に関して妙な疑問を抱く。


「ほかにもいたってことでしょ? 行こう。私たちみんなで退治すれば事が終わるよ?」


 その横にいた小夜は手に棒を持ち、村人達の後を追いながら北山へと向かう。


「仕方ねえ。行くしかないか」


 そして飛若もまた、頭上に飛ばしている石をその辺に投げると、彼女の後を追う。


 二十四名の村人一同は、農具を手に持ちながら北山を目指して一列に歩き、雪坊の足跡を辿りながら、森の奥へと進み続ける。










 森は白い雪に覆われ、所々の木々の枝に乗っている雪はたまに落ち、鹿や鳥などの獣の鳴き声も微かに聞こえ、透明で冷えきった川には、魚が泳いでいるのが見えた。


 やがて、村から半里(約二キロ)ほど離れた所まで着くと、列の先頭に立つ小作人の与助が何やら前方に指差す。


「いたぞ!」


 村人達はその与助の声と共に、その方向を遠くから眺めると、雪坊の群れが見えた。


 数えると五十匹ほどの群れである。


「やはり、妙じゃ。この時期にこれほど一斉に現れるのは、ただ事ではない」


 村長はその雪坊の群れの光景を見て、怪訝な表情を浮かべる。


「そんなことを言っている場合じゃないですぜ長!」


 だが、村長のその様子を見た村人達は、それよりも早くなんとか全ての雪坊を退治する事に専念した。


「やっちまえ!」


 先頭に立つ小作人の与助が一同全員に叫ぶと、村人達は持っていた農具を掲げながら、雪坊の群れに襲いかかった。


 彼らは農具で次々と雪坊を殺し始める中、その後ろで構えている飛若と小夜の二人もまた参戦する。



「いくぞ小夜!」


「うん!」


 彼らは二人で組んで雪坊の群れに挑みかかり、飛若は素手で、小夜は棒を使って雪坊を退治する。


 まず飛若は、動きの遅い一匹の雪坊の足を掴んでぶら下げると、両手でその体をへし折って即死させた後にポイっと捨て、鶏のように次々と雪坊を捕まえて作業をするかのように一匹ずつ始末する。


 一方、小夜は手に持っていた棒を力任せに振り回し、周囲にいる雪坊をまとめて叩き飛ばしてしまう。


「さすが、小夜だな」


 飛若は小夜が棒を振り回す度に、五匹ぐらいが叩き飛ばされるその光景に、感嘆の眼差しで眺めた。


 村人達はそうやって小妖怪を次々と退治すると、やがて雪坊の数も減っていき、彼らはもう一頑張りしようと精を入れる。



 しかし、その時、


「ギャー! ギャー!」


 突如、西の山谷からカラスの群れが、この世のものとは思えない悲鳴を上げながら羽ばたき、村人達はその声にビクッと驚く。


「な、なんだ……!」


 カラスの群れは何かに怯えるように、東の遥か遠くへと飛んで行った。いや、カラスだけではない。


 今度はどこからか雪坊の群れがまた現れ、更には鹿の群れやキツネ、猛獣のオオカミや大熊までもが現れ、村人達はその猛獣の群れに驚いた。



「く、熊だ!」


「狼だ!」


 猛獣が突然現れるのを見た村人達は、その場から逃げようとするが、どういう訳かオオカミや大熊は何故か村人達を襲わないどころか、他の獣もまるで何かに怯えるように、東の方へと逃げて行った。



「おい、なんで俺たちを襲わない?」


「分からん。どういう訳だ。こりゃあ?」


 村人達は逃げていく獣の群れを眺めるが、すぐにカラスや獣の群れとは反対の西の方向に顔を向ける。


 獣の声がようやく静まると、森は不気味と静かになり、彼らはその何故か妙に重く感じる空気に不安を感じる。


 飛若は目を細めて遠くを見ると、森の奥で何かが動いているのが見えた。


「なんだあれは?」


 何やら嫌な予感がした。


「お、おい! こっちに向かって来るぞ!」


 村人達は流石に危険を察知し、農具を構えてこちらに向かってくる得体の知れないものに対して挑もうとすると、やがて、彼らの目の前にその正体が現れる。



「フーーーーーーー! フーーーーーーー!」


 そこに現れたのは今までに見たこともない生き物であった。


 頭は銀色の鱗を持つ三つの蛇の頭で、胴は純白の毛を生やした猪の巨体で、鷲の翼と鋭い足爪を持つ、異形な姿をした化け物である。


「ば、化け物だ!」


 小作人の与助がそれを見て恐怖のあまりに叫び出すと、村人達は慌て始め、村長もまたその化け物を見て絶句する。


「あれは(ぬえ)じゃ!」


 村長はその化け物の正体を口に出す。



 鵺とはあらゆる獣が何らかの原因で混ざり合ってしまった妖怪であり、森の獣を喰い尽くし、人里を襲うと言われている化け物である。


 鵺の襲撃で有名なのはその昔、大きな町や都に現れ、屋根を渡って城や宮中に忍び込み、貴族が喰い殺されたと言われる記述が今も残されている。


 それほど鵺は凶暴な化け物であった。


「フーーーーーーーーー!」


 鵺は村人達を見た瞬間、まるで獲物を見るかのように目の色を変えて襲いかかる。


「皆の物! 下がっておれ!」


 その時、鵺を見て焦る表情を浮かべた村長が先頭に立つと、手で印を結び始めて九字を唱え始めた。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」


 その瞬間、村長の印で結んだ手から火の玉が放たれ、鵺の頭に直撃する。


「ジャァアアアアアアアアアアアアア!」


 鵺の頭は焼かれて怯みだし、その叫び声は辺り一面を震わせるほどのものであった。


「流石村長! 陰陽師が使う『道術』はいつ見ても凄えな!」


 村長が使った陰陽師特有の能力、『道術』は「火、水、木、金、土」の五つの素である五行を操る術であり、これらは陰陽学の学問も必要だが、生まれつきの才と修行もまた必要なものであり、また、使い方によっては代償が伴う場合がある術であった。


 村長はこの道術を使って化け物に挑むが、陰陽師の本来の目的は人や妖怪に向ける為でも、戦いの為にあるものでもなく、人々の生活を導く賢者であり、決して道術は人などに向けてはいけないものであった。


 しかし、この時代、戦いに使える術は何でも使うという思想が広まり、陰陽師もまた、この道術を使って戦いに利用する者も大勢いた。




 村長は不本意ながらも、村人達を守るために、道術の五行の一つである火行の術を使って鵺に対抗する。


 しかし、鵺はどういうわけか村長の道術にはあまり効いていない様子で、むしろ逆に怒り狂い、村人達に襲い掛かろうと突進して来た。


「こりゃまずい! 皆の者、散れい!」


 村長のその言葉に村人達はすぐさま散り散りになり、鵺から逃げ回った。まるで草食獣の群れが猛獣の牙から逃れるかの如く。



 その時、


「いや、助けて!」


 鵺は何故か小柄な小夜に目をつけ、彼女を追いかけ回した。


「小夜!」


 その光景を遠くから見た飛若は驚愕し、すぐに彼女を助けようと鵺の方に向かおうとすると、その手を村長が掴む。



「飛若! 行くでない!」


「うるせえ! 小夜が!」


「お主まで巻き込まれるぞい!」


 村長は必死の思いで飛若を説得するが、


「離せ!」


 彼はそんな村長の言葉を聞き入れず、その手を強引に振り払って、小夜の下へと駆けつける。


「待つのじゃ! 飛若!」


 村長は手を振りほどかれても尚、彼の名を呼ぶが本人の耳には一切届かない。幼い頃から、共に過ごしてきた大切な人を見捨てるなど彼には出来なかった。


「小夜!」


 彼女の名を呼ぶ中、鵺に追い掛け回されていた小夜は遂に崖にまで追い詰められ、もはや逃げ場を失ってしまう。


 鵺はニヤリと笑みを浮かばせ、三つ頭のその口から毒牙を剥き出しにして、目の前の小夜に襲い掛かる。


「きゃああああああああああああああああああ!!」


 小夜が悲鳴を上げたその瞬間、飛若は目にも止まらぬような速さで地面に落ちている小枝を素早く手に取り、鵺の頭に跳躍して、その目玉を小枝で突き刺した。


「ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 鵺は悲鳴をあげながら暴れ回り、その周辺の木々をその爪で薙ぎ払いながら怯む。急所を突いた一撃であった。



「大丈夫か?」


「う、うん……!」


「逃げるぞ!」


 飛若は小夜の手を掴んで、その場から逃げようとすると、目に枝が刺さったままの鵺はもがきながらも、再び彼ら二人に別の目を向け、怒り狂いながら襲い掛かる。


「ちっ! 向こうに行け小夜!」


 飛若は後ろから追ってくる鵺を見ると、せめて小夜だけでも無事でいて貰おうと、彼女を先に行かすように命じた。



「え? 何を言ってるの!」


「いいから行け! 行くんだ!」


 オドオドしている小夜を見て苛立った飛若は、その場から彼女の背を押して離れると、彼は小夜を庇うように鵺の目の前と対面して誘い出す。



「おい、こっちだ! 小夜に近づくな!」


「フーーーーーーーーーーーーーー!」


 鵺は一つ目の頭の片目を潰された痛みに怒り狂い、激しく吐息しながら両手を広げている飛若を見て襲い掛かる。


「飛若! 馬鹿な真似はよせい!」


 その時、村長は飛若の前に現れ、腰に佩いている古の時代の遺物である銅剣を引き抜いて手に持ち始めた。


 村長が先祖代々から受け継がれた家宝の銅剣である。村長は銅剣と共に印を結び始めたその時、


「「ぐわっ!」」


 村長の九字の印は間に合わず、鵺は道術を放つ前にその巨体で彼らに体当たりし、ぶつかった二人はその場から体ごと飛ばされてしまい、その衝撃で村長は手に持っていた銅剣をつい落としてしまう。


 やがて、その隙を見つけた鵺は舌舐めずりをしながら、飛若に目掛けて襲いかかろうとしたその時、


「ギャアッ!」


 どこからか岩が飛来して、鵺の頭部に見事に当たった。


 痛恨の一撃を食らった鵺は悶絶しながら、その岩が飛んできた方向を見ると、そこには小夜が立っていた。


「トビに手を出さないで!」


 小夜を見た鵺は遂に完全にブチギレ、その毒牙を剥き出しにして彼女に再び襲いかかる。


「小夜!」


 それを見た飛若は咄嗟にその辺に落ちてあった村長の銅剣を素早く拾い、小夜に襲いかかる鵺に向かったその刹那、飛若は間一髪で銅剣を鵺の胴体に深く刺した。


 その時、握っていた柄の部分からドクンドクンという感触が手に伝わり、彼は心臓を見事に刺した事を実感した。


「ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 鵺は断末魔の叫び声を上げた瞬間によろめき、遂にその巨体は地面に倒れて地響きを鳴らした。飛若はそれを見て鵺は死んだと確信する。


「小夜、無事か!」


 飛若はすぐさま小夜の下に駆け付け、両手で彼女のその肩を強く掴んで、目を見つめながら問いかける。



「うん、大丈夫……」


「よかった!」


 目の前に来た飛若を見た小夜は、少し顔を赤らめながら怪我が一つもないことを伝えるとようやく彼はホッと一息をつく。



「立てるか?」


「とりあえずは」


 二人はその場から立ち上がり、村長の老体を介抱しようと向かったその時、



「オ……ノ……レ……」



 後ろに倒れていた鵺は突如、人の言葉をしゃべりだし、よろめきながらその場から立ち上がった。


「バ、バカな……! 心の臓を刺してもまだ生きてたのか!」


 飛若はその光景に絶句して、小夜と共にその場から逃げようとした途端、


「逃ガサヌ!」


 鵺は最後の力を振り絞り、前足で後ろから飛若の両腕を掴み、うつ伏せに押さえつけた。


「トビ!」


 更に鵺はどういうわけかその場で結界を張り、近づいてきた小夜を妨げる。


「三ツノ毒……」


 その瞬間、鵺の全身から無数の長い棘が生えだして飛若の背に向ける。


「我ガ怨ミヲ思イ知レ!」




 鵺はその言葉を発した瞬間、無数の棘が飛若の背中に一斉に刺した。


「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああ!」


 飛若は激痛のあまりに断末魔の叫び声を上げ、狂い、暴れまくるが、彼の両腕は鵺にしっかり拘束され、その場から逃れられなかった。


 鵺は物凄い速さで飛若の背中に何度も刺し続けた。というよりも何かを彫っているようにも見えた。


「いや、やめて!」


 まるで拷問をされているかの様な光景を見た小夜は、彼を助けようと必死で結界に何度も体当たりし、拳を叩きつけるが、ビクともしない。


「うわあああああああああああああああああああ!」


 喉が枯れそうになるぐらいの叫び声を上げた飛若は、遂に力尽いてぐったりと気を失ってしまう。



「トビ!」


「クカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ!」


 そして、鵺は途端に棘で刺すのをやめると、ケタケタと笑いながら、その場で塵と化して消滅してしまった。


 その後、ようやく結界は解かれ、痛みの余りに気絶した飛若は何事もなかったかのように解放され、小夜はぐったりとしている彼の身を抱えた。


「まだ息がある!  早く手当てして!」


 小夜は飛若が微かに息をしている事をすぐさま感じたが、ひどい熱にうなされ、滝のような汗を流して苦しんでいる事を村人達に伝えると、彼らはすぐさま駆け付けて、急いで飛若を村まで運び始めた。





 ―――――――――――――――




「ん?」


 その夜、飛若が布団から目を覚ましたその時、視界に移ったそこは見覚えのある場所であった。


 薄明かりの松明がその場を灯し、お香の匂いが鼻に香る中、右を振り向くとその奥には祭壇があり、陰陽道学を象徴する五芒星の旗印が飾られ、左を向くとそこには村人達が集まって座り、心配げな表情で飛若を見ていた。


「トビ! よかった!」


 目を覚ました飛若を見た小夜は、涙ながらにホッと一安心をする。


「本当に……本当に心配したのよ……!」


 飛若は泣きじゃくる小夜を見つめ、また自分の体をよく見てみると上半身全体に包帯が巻かれているのに気づき、彼はこの場の状況をすぐに理解した。


 この様子だと、先ほどまで自分が生死の境を彷徨うほどに、容態が悪かったのであろうと彼は察した。


「飛若! 無事でなによりだ!」


 小夜以外の村人達もまた、飛若が無事に生還した事にホッと一息をして、彼はその村人達を見て静かに呟く。


「俺は……助かったのか……?」


 背中の傷に違和感を持つ彼は村人達と、そして何より幼馴染みの小夜にこうしてまた再び会えたことで、自分が今生きている事を実感する。


「小夜ちゃんに感謝しろよ」


「村まで運んでくれたどころか、一歩も側から離れずに看病してくれたんだからよ」


 村人達は飛若が布団でうなされ、苦しんでいたところを仲の良い幼馴染がわざわざ世話をしてくれたことを伝える。


「小夜が……? すまない小夜……」


 飛若は泣いている小夜の頰に優しく触れ、看病してくれた事に礼を言った途端、彼女はボン!と赤面して恥ずかしそうに離れ、胸を両手で押さえてしまう。


「皆もすまない」


 飛若は今この場にいる小夜以外の村人達にも礼を言った。


 その後、飛若は得体の知れないトカゲの尻尾と変な薬草を混ぜた薬を貰い、そのお椀に入った薬を彼は嫌そうに眺める。


 村長が丹精込めて作った大の大人ですら、嫌がって吐いてしまうほどに不味い、特製の滋養薬である。


 ゴポゴポと粘り気のある泡が吹くねずみ色のその液体は、この場にいる誰もが見ても普通の飲み物には見えなかった。


 しかし、彼は貴重な材料で自分の為に作ってくれたその薬を決して拒まず、黙ってお椀を受け取り、口をつけて途中で吐かぬよう一気に飲み干した。


「うぐっ……!」


 吐き気のするような甘苦く、渋い味わいが舌の上に広がると、彼の顔面は蒼白になり、気分を悪くして再び布団に戻って横になる。


 それからしばらくの間、彼は布団の中で安静にしている時、ある一人の男が戸を開けて入ってきた。


「飛若、長が参ったぞ」


 すると、その男の後ろから村長が現れた。


 老体の身でありながらも、ゆっくりと社に上がり込む老婆のその顔は、何やらひどく重い表情を浮かべていた。


「皆の者、無事でなによりじゃ」


 村長はまずこの場にいる全員に慰めの言葉をかけると、すぐに包帯姿の飛若をじっと見始めた。


 その表情はとても真剣な眼差しである。



「長、飛若はどうですか?」


 隣にいた付き添いの男が村長に伺うと、老婆はゆっくりと首を縦に振って頷く。


「うむ、飛若よ。包帯を解いて背中の傷を見せよ」


 村長は彼にそう言いながら近づき、その場に膝をつけた。

 飛若は長の言う通りに、背を向けて、体に巻かれてある包帯を解き始めて老婆に見せた。



 すると……


『なっ……!』


 その場いるほとんどの者が、飛若のその背中を見て驚いた。


「おい、どうしたんだよ皆?」


 村人達の驚愕する表情を見た飛若は、彼らのその慌てように戸惑ってしまう。特に小夜は今にも悲鳴を上げそうな表情を浮かべている。


 何やら悪い予感がした。


「うむ、飛若よ。ここに鏡が二つある。今からこれを合わせてお主の背中を映す。落ち着いてよく眺めるがよい」


 すると、村長は銅鏡を二つ用意して、一つは小夜が持ち、もう一つは村長が持ち、二人でお互い合わせ鏡をする。すると、


「な、なんだこれは!」


 そこに映った飛若の背中、そこには傷ではなく刺青がついていた。


 鮮やかな青緑色の鱗と狂気の眼を持つ蛇が背中に描かれ、その姿はまるで今にも生きているかの様に繊細で、触れたらその毒牙で噛みつかれてしまいそうな異様な雰囲気を漂わせていた。


「何でこんなものが……!」


 あの化け物は何故こんなものを自分に彫ったのか、飛若はその不気味な刺青に動揺する。


「少し近う見せよ」


 すると、村長はその刺青が一体何なのかを調べようと、そっと飛若の背中に手を近づけたその瞬間、


 クカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ


「ぐぅ……!」


 突如、村長の耳元にいきなり不気味な笑い声が聞こえ始めた途端、酷い頭痛に襲われ、頭を手で押さえながら苦しみだした。


「長!」


 その様子を見て驚いた付き添いの男が、村長のその老体を支える。


「安心せい……!」


 村長は息を乱しながらゆっくりと呼吸し、その身を落ち着かせて平静を保つと、再び飛若の背中を見た。


「危うく心を狂わされるところであった……! じゃが、その刺青の正体を暴いたぞ……!」


 顔中にびっしりと汗を浮き出している長は、真剣な目で飛若にある衝撃な一言を伝えた。




「飛若よ……お主はこれから人を殺し続けなければならぬ……」




「なに!?」


 その瞬間、飛若は驚愕した。


「ど、どういうことだババア!」


 村長は飛若のその動揺ぶりを見て、真実を伝えたくはないように口黙ってしまうが、やがて受け入れなければならない定めだと覚悟して、彼に丁寧に説明した。



「お主の背中に刻まれているその刺青はただの刺青ではない。恐ろしいほどの強き呪いが秘められておる」


「呪いだと……?」


 飛若は村長が言うその呪いという言葉を聞くと同時に、後ろの背中に目を向けながら刺青に触れる。



「うむ、その刺青は徐々にお主の身を覆い尽くし、やがてお主は化け物になろう。例え自らの命を絶つも、お主のその身と心は呪いによって侵され理性を失い、見境なく人を襲い、人を喰らい続ける人ならざるケダモノになるじゃろう。骨になるまでじゃ。呪いをくい止めるには人を殺して、その呪いの怨みを静めるしか他にない」


「……!」


 その場にいる誰もが、老婆のその残酷な真実を聞いて、言葉を失ってしまう。


 だが、飛若は動揺しながらも村長に訴える。


「ちょっと待てよ……! 俺はこれから人を殺し続けて、生きなきゃいけねえのかよ……! ふざけてるのかよババア!」


「長! 何とか呪いは解けないんですか!?」


 小夜も村長に飛若を助けて欲しいと言わんばかりに迫るが、そんな彼女の言葉も虚しく村長は無言で首を横に振った。



「儂とて、年老いていようとも、元は都で陰陽の勉学を学び、修行をしてきた陰陽師じゃ。呪術の類いもまた学んでおる。長年多くの呪いも祓ってきた。祓える呪いならとうに祓っておる。じゃが、これほど強い怨念を持った呪いは生まれて初めて見た! いくら儂でもこれほどの呪いを解く事は出来ぬ!」


「そ、そんな……!」


 小夜は絶望した。いや、小夜だけではない。この場にいる村人全員、そして誰よりも飛若自身がこの場にいる者達の中で一番絶望して落胆し、その場は重い空気で沈黙する。


「な、なあ……? 飛若はこれから人を殺し続けるんだよな……?」


 すると、飛若の呪いの事を聞いていた村人の中の一人が何やら怯えながら、その場に立ち上がった。


「どうせ人を殺さなきゃいけねえ呪いだって言うんなら、こいつは絶対俺たちに手を向ける筈さ! なら、その前にいっその事、今ここで殺そうぜ……!」


 それを聞いた瞬間、別の一人が怒りながら立ち上がり、その怯えている男に向かって言い放つ。


「何を言うんだ! 村人を殺すなんて出来るもんか!」


 そして、小夜もまたそのあまりにも非道な言葉に対し、怒りながら立ち上がる。


「そ、そうよ! トビを殺すなんて、それがこの村の人間が言う台詞なの!」


 だが、そんな二人の言葉を無視するかのように、もう一人の男が立ち上がり荒々しく前に出た。


「いや、この村の為だ! 飛若を今ここで殺せ!」


 そんな飛若を殺そうとする彼らに対し、またもう一人の村人が立ち上がって彼らを必死に落ち着かせようと説得した。



「長の言った事をもう忘れたのか? 飛若を殺しても、その身は化け物となって骨になるまで人を襲い続けるんだぞ!」


「ならば、生きたまま焼き殺せばいい!」


「なんて事を……!」


 その場にいる村人達は次々と立ち上がり、もはや彼らは飛若を殺すか殺さないかで言い争うようになった。


 自分達が助かりたいが為の者達と、飛若を助けたいが為の者達で双方は議論する。



「静まれい!!」



 その時、村長は突如ドスの効いた声を放ち、この場で騒いでいた村人達をその一声で静止した。



「ゴホゴホ……!」


「長!」


 すると、村長は突然咳き込み、付き添いの男がその体を支え始める。


 血走り始めたこの場の村人達を、一度落ち着かせる為に喝を入れる行いであったが、老体にはかなり無理をした様子である。


「なに、心配ない……」


 村長は一旦一息をすると、すぐに真剣な眼差しで飛若を見つめる。


「飛若よ……お主をここで殺めるのは儂とて、とても辛い。かと言って、お主と共にこの村で生きることは真に難しい。そこで儂は決めた」


 村長は悲しい目をしながら決心し、飛若に残酷な言葉を告げた。




「飛若よ……村から出てゆけ。そして、二度と戻って来るでない」




「そ、そんな……!」


 小夜は村長のその言葉に絶望した。今までずっと仲良く一緒にいた、かけがえもない人がこの村からいなくなってしまうことに。


「明日から村を出よ。それとなまくらじゃが、持って行きなされ」


 村長はそう言うと、隣の部屋の奥にしまって置いておいた小刀を手に持ち、飛若にそのまま渡した。装飾も何も施されてない無銘の小刀を手に乗せ、彼はそれを見下ろす。


「その小刀の意味は分かるな? 今後、お主はあまりにも過酷な定めと向き合わなくてはならぬ。それはもはや常人の精神をも狂わすほどの定めじゃ。その小刀で人としてあるが為に使うか、はたまたその定めに耐え切れず、自らの手でその命と共に人を捨てるか、お主で決めるのじゃ」


「くっ……!」


 飛若は手に持つ小刀を強く握りしめながら、悔しそうな表情を浮かべる。


 これから人を殺し続ける為にこの小刀を使うか、それとも人であるのを諦めて自ら命を絶つのかというあまりにも残酷な二つの選択に。


「長! 一つお聞かせ下さい! 今日現れたあの化け物は一体何なのですか!」


 小作人の与助が村長に聞くと、本人はその質問に答えた。


「あれが何かは儂にも分からぬ。じゃが、儂が唯一感じたのは、余りにも強く、恐ろしいほどの凶暴かつ獰猛な怨念だけであった」


「……!」


 陰陽師であるこの老婆でも解けないほどの強い呪いが、この世に存在することに飛若は額に一筋の汗を垂らす。







 ―――――――――――





 その翌朝、飛若は自分が住む小屋で旅支度を終え、懐に小刀を隠し、小さな風呂敷を手に持ち、小屋から出てきた。


 風呂敷の中には必要最低限に生きられる荷物が入っていた。


 食料である(あわ)と豆、水の入った竹筒と火打ち石、決して快適には過ごせないが、何日かは野宿をするには十分な荷物であった。


 家を出た彼はそのまま村の広場を通ると、飛若の姿を見かけた村人達は無言で見て見ぬふりをしながら、畑を耕す。


 当然であった。皆恐れていたのだ。運が悪かったとはいえ、これから人殺しを続けなければならぬという呪いを背負う彼を、見送れる者などいなかった。


 飛若はその村人達の態度を見ると、何も言わずにそのまま村を出ようとする。最後に自分に声をかけてくれる者など誰もいない。



 ただ、一人を除いては。



「行っちゃうんだね……」


 村の外に出て百歩以上歩いたところで、その後ろから声をかけた者がいた。振り向くとそこにいたのは幼馴染の少女、小夜である。


「ああ……」


 飛若は静かに頷く。


「なんか別れるとなると、今になっていろいろと思い出すね……」


 寂しそうな声で呟く小夜のその悲しそうな表情を見て、彼自身もまた胸を痛めた。


「一緒に水遊びしたり、一緒にイタズラしたり、一緒にケンカしたりして……グス……!」


 その時、小夜のその瞳から涙が溢れ始めた。


「私が森で迷子になった時も……ボロボロになるまで私を探して……えぐっ! 私より力弱いくせにおんぶしてもらって……村まで連れてってくれたこともあったよね……?」


 小夜は泣きながら、今までの過去を振り返る。二人でこの村で育ち、二人で過ごしてきた今までの日々を。


「ああ、思い出すな……」


 彼もまた、いま目の前にいる小夜と別れてしまう事に寂しさを感じる。


「正直トビがいなくなっちゃうなんて辛い……辛すぎるよ……!」


 小夜は泣きながら呟くと、突如飛若の体に飛びついて抱きつき、その胸に自身の顔を強く埋め始めた。


 小さな頭が胸に強く押しつけられた彼は、その胸の中で彼女の熱い吐息を感じる。


「トビ! 私……トビの事が大好き! 小さい時からずっと……大好きだったの!」


 その小夜の突然の告白に、飛若は驚くのと同時に、今まで小夜に対するこの淡い気持ちが一体何なのかが、今ここでようやく分かった。



「俺もだ。俺も今まで小夜の事が好きだった……」


「トビ……」


 小夜はしばらくの間、その場で飛若の胸に抱きついたままでいた。


 彼ら二人の幼い頃からの両想いは、今ここでようやく結ばれたのである。飛若の胸の中で眠るかのように顔を埋めた彼女は、彼のその胸元の服を掴んで小声で呟いた。



「お願い……行かないで……! ずっとこのままでいて……!」


「ごめん……さようなら……」


 すると、彼は謝ると、小夜から離れようとした。



「お願い……トビのお嫁さんになってあげるからさ……ね?」


 しかし、小夜から完全に離れて背を向けると、彼女はそれに泣き叫ぶ。



「お願い!! いやだああああああああああああ!! 行かないでえええええええええええええええ!!!」



 それから飛若は小夜と別れてそれ以来、二度と村に戻る事はなかった。












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