第二十七話 夜討
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精禅寺焼失からその三日後、この日飛若は清泉の町中にある中禅宗の地下隠れ家にやってきた。
中は酷い惨状で大勢の負傷した僧徒が横になって苦しむ姿が目に見えた。
「ひでえな……」
飛若は負傷してる僧徒達を眺めると、大半の多くが腕や足を切断され、包帯から血が滲み出ているのを目の当たりにする。
「おのれ、辻頼め! 良くも我が同胞を……!」
輪西は負傷した彼らを見て、憎々しげに拳を握り締めると、横から木葉尼が言う。
「まだ、京氏が関わってるとは、決まったわけではなかろう」
「いや、同胞の知らせによると、一人だけ忍人を捕らえ、拷問で吐かせたところ、やはり奴らは辻頼に雇われた忍人であった」
木葉尼は少しだけ俯くと輪西に問う。
「これからどういたす?」
「無論、戦える者全てを率いて辻頼に報復をかける!」
それを聞いた途端、木葉尼は慌て始める。
「これほどの惨状をきたしたのにか!?」
「無論! このまま黙っていられる程、我らは府抜けてはおらぬ! そうであろう皆の者!」
輪西のその問いかけに、僧徒達は『おう!!』と掛け声をする。
「報によると、辻頼は毎晩、部下と共に南通りの『色場屋』という遊郭で女と戯れておるらしい。そこを狙う!」
「というと?」
飛若は首を傾げると、輪西は答える。
「我らで色場屋を攻め入る!」
輪西のその言葉に木葉尼は途端に慌て始める。
「馬鹿な! 遊郭には罪もない男女もおるかもしれぬのだぞ!」
「罪ならある」
その時、輪西は冷酷な口調で答える。
「聞くところによると、この色場屋という店は辻頼が秘密に営んでおる遊郭で、各地で集めた奴隷なども扱っておると聞く」
輪西はそう言うと、木葉尼に訴えるかのように言い寄った。
「良いか? 本来、この黎門の国で遊郭が存在すること自体、禁忌なのだ! そこに通う男女も同罪だ!」
輪西のその猛獣のような威圧的な目力と発言に、流石の木葉尼も圧されてしまう。
「辻頼含め、遊郭におる者、全てを皆殺しにする! それが此度の作戦だ!」
「なんの為に!?」
「見せしめにする為である! 斯様なふしだらな行いをすれば、斬られるという事を国中に見せつけるのだ! そうであろう皆の者!?」
輪西は怒り狂いながら、またもその場にいた僧徒達に問い詰めると、彼らは『おう!!』と掛け声を上げる。
「私は反対だ! 男女関係なく遊郭におる者全てを殺すなど、人として出来ぬ!」
「お主のどの口がそれを言えるのだ? その汚れた乳を持つケダモノめ!」
その途端、輪西が木葉尼を罵った途端、彼女は咄嗟に腰の剣に手をかけてしまう。彼女にとっての禁句なのか、怒りに満ちた表情で輪西を睨みつけるが、彼女はそれをプルプルと体を震わした状態で必死に我慢した。
「やはり、ケダモノは所詮ケダモノよのう。ならば皆に聞こう! 木葉尼の意見に賛同する者はおるか!?」
輪西はまたもや僧徒達に問いかけると、手を挙げる者は一人もいなかった。
「では、拙僧と共に遊郭に向かう者は!?」
すると、輪西のその言葉に僧徒達全員が手を挙げると、木葉尼は落胆する。
「決まりだのう」
輪西はそう呟くと、この場にいる僧徒達に宣言した。
「今宵、我らは夜討ちをかける!」
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その夜、二日月が現れる清泉では、中禅宗が動き始めた。輪西は五十名程の僧兵を率いて、南通りにある遊郭、色場屋へと向かっていた。
この時、飛若と木葉尼の二人もその中に混じり、飛若は今回の夜討ちで大勢の人間に顔を見られるだろうと悟り、備ノ国で手に入れた狐の面を被って顔を隠していた。
僧兵達は全員、長物の武器を置いていき、刀だけを携えていた。狭い室内では、長物の武器はかえって邪魔でしかなく、刀での戦いが有利であるからである。
だから、今回の木葉尼も愛用の薙刀は置いていき、腰に携えてる平形の剣だけで、戦いに挑もうとしていた。
やがて、彼らは目的の地である遊郭に着くと、そこは飛若も生まれて初めて見た不思議な世界であった。
揺れるかのような光る怪しく妖艶な灯り、派手な外見はないが、階上の部屋の障子には女性の影が見え、店の奥からは、微かな女性の喘ぎ声が聞こえて来る。
輪西は一番前に出て、その遊郭の中へと入ると、店中に響くほどの大声を上げた。
「頼もうーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
すると、奥から店の主人が現れ、丁寧な口調で笑顔を作った。
「おやおや、これはこれはお坊様方、一体どのようなご用件で?」
主人は首を傾げながら輪西に問うと、その瞬間!
シュピン!
輪西は突然、居合い斬りで主人の首を跳ね飛ばした。
笑顔を保ったままの主人の首はまるで鞠のように店の奥に転げ落ちると、そこにたまたまいた女性がその笑顔の首と目が合ってしまう。
「きゃあああああああああああああああああ!!!」
女性が悲鳴を上げる中、返り血を浴びた輪西は首のない主人の胴体を踏みにじる。
「主人よ。用件はこれである! かかれーーー!!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
輪西が太刀を掲げながら叫び、前に出ると僧徒達もまた雪崩れの如く、一斉に店の中へと入って行った。
「中禅宗じゃ!」
「であえであえ!」
すると、その異変に気づいた男達は奥から次々と現れ、腰の刀を引き抜いて彼らを迎え討つ。
おそらく、辻頼の配下であろう。
「一人も逃すな! 皆殺せ!!」
輪西は怒り狂うかのような大声で部下達に命じ、男女関係なく次々と目の前の人間を斬りながら、階段へと上がった。
「行くぞ、木葉尼!」
「承知!」
飛若と木葉尼の二人もまた腰にある刀と剣を抜くと、遊郭内の敵と戦い始めた。
狭い室内である遊郭は男達は刀で斬り合い、女はそれを見て悲鳴を上げる。
「忍人らもであえ! 辻頼様をお守りするのだ!」
すると、階上の幾つかの部屋の障子が急に開き出すと、そこには黒ずくめの装束を着た忍人が二十名ほど現れた。
「忍人だーーー! 忍人が現れたぞ!」
僧兵達のその知らせを聞いた輪西は確信した。
「間違いない! 辻頼はここにおる! 皆で首を獲れい!!」
刀同士で打ち合う金属音、斬られる度に飛び散る鮮血、人間の叫び声、次々と床に倒れて中には階段から転げ落ちる者達、まさに凄まじい光景であった。
「ぎゃっ!」
「ぐあっ!」
狐の面で顔を隠した飛若は横や背中を見せた者達を次々と斬ると、ある部屋の前に着いた。
ガラララララ
彼は障子を思いっきり開けると、そこには淫らな服装で戯れていた男女がいた。
「うわぁああああ!? なんて格好してんだお前らは!!」
驚く事もない。遊郭だからである。彼は途端に顔を真っ赤にしながら後ろを向くと、
「中禅宗か!? おのれ!!」
すると、男は急に横に置いてあった刀を手に取り、抜刀で飛若に斬りかかった。
だが、その刹那、飛若はその殺気をすぐに察知し、そのまま振り返りながら片足でしゃがんで横斬りを下に避けるのと同時に男の腹を斬った。
「ぐっ!」
臓物ごと腹を斬られた男はそのまま手で腹を押さえながら、仰向けに倒れて苦しみ出すと、飛若はすぐさまその倒れた男の後頭部に刀の切先で止めを刺し、苦しみから解放させる。
その飛若に殺された男をヘタっと横座りした遊女が見下ろす。
「女か」
飛若は遊女を見ると、そのまま見逃して後ろを振り向き、その場を去ろうとした途端、遊女の目の色が突然変わる。
遊女は蛇みたいに飛若を睨みながら男の握っていた刀を手に取り、その先端を向けて飛若に刺しかかった。
しかし、その刹那、飛若はまたもその殺気を感じ取り、避けるかのように左に一歩踏み出すと、その遊女の持った刀の先端が彼の脇腹を擦り切りつける。
「ぐっ……このぉ!」
飛若は襲いかかってきた遊女に対し、容赦なく刀で斬り捨てると、遊女はそのまま倒れた男の上にお覆い被さり、息を引き取る。
「馬鹿な! 何故女まで戦う!?」
飛若は遊女のその突然の行いに理解できなかった。しかし、今はそう考えている場合ではないと悟り、思考をすぐに切り替えた。
唯一言えるのは、ここは敵だらけだという事である。
一方、その最上階である三階では、次々と忍人と部屋の障子を斬りながら突き進む輪西とその部下四名が、必死に京辻頼を探し回ると、ある個室にたどり着く。
「でえい!!」
輪西は個室の障子を斬ると、そこには黒ずくめの忍人十名とその奥に太刀と盃を手に持ち、遊女二人を抱きながら座っていた男がいた。
二人の遊女は突然障子を斬って現れた輪西達を見て、怯えながら男に抱きつく。
「その方が輪西入道か?」
男は静かな声で覗き込むかのように輪西に問うと彼は答える。
「如何にも! 貴様が京辻頼だな!?」
男は無言で頷くと、そのまま立ち上がって盃の酒を一気に飲み干して輪西に投げつけると、輪西はその盃を太刀で一閃する。
「京辻頼! その首、頂く!」
そして、輪西達はその場の敵に襲いかかると、狭い個室内での斬り合いが始まった。
その時、辻頼もその場で戦うのかと思いきや、太刀を持ちながら窓から出て行った。
「逃げたぞーーー!」
部下の僧兵が叫ぶと、輪西はすぐさま後を追い、窓から出ると、そこには屋根に登る辻頼がいた。
「屋根の上だ!」
輪西もまたその屋根に登って追う。
そして、二人は屋根の上にたどり着くと、お互い面を向けた。
騒動の音と叫び声が聞こえる遊郭、鋭い刀剣のように細く赤く光る二日月の現れた夜、そよ風が揺らぎ屋根に立つ二人の男。
辻頼は怪しい笑みを浮かべながら太刀を抜き、鞘を捨てて輪西に話しかけた。
「今宵は良い月じゃ。どうせ斬るなら、華やかな舞台で太刀合い、散ろうではないか」
「美学など無用!!」
輪西は問題無用の勢いで辻頼に斬りかかり、お互い太刀を交えた。
「貴様の美学など、その首ごと断ち斬った後に、屍ごと屠ってやる!!」
「ふっ、下賎な」
怒りに身を任せながら打ち込む輪西に対し、辻頼は鼻で笑いながら、それを太刀で受け続け流す。
屋根の上は金属音が周囲に打ち響くほどの二人の凄まじい決闘が物語る。
一方その頃、二階の奥のとある部屋には、ある人物がいた。
「……」
華奢な体にボロボロの薄い衣を纏い、金のように光る山吹色の長い髪を持ち合わせ、狐の耳と尻尾を生やした少女であった。
狐の種族、稻族の少女であった。
この何処中つ国にいる異族の内の一つ、稻族は各地を転々とする半農半猟の狩猟民族で、世間ではその金のように光る山吹色の髪の毛は高価な織物の材料として使われ、その死体は畑の肥やしにすれば、未来永劫豊作になると言われている種族である。
その稻族の少女の瞳はまるで死んでるかのように光を表さず、濁りきっていた。
「ひ、ひぃ! 何故、中禅宗がここへやって来た!?」
その横には中禅宗の襲撃に怯えて腰を抜かした中年の商人がいた。奴隷商人である。
「こ、来い小娘!」
奴隷商人は慌てながら、狐の少女の手を強く掴み、おぼつかない足でどこかへと連れていく。
そして、その場所に辿り着いた途端、その少女の死んだ目は途端に驚愕の目へと変わる。
「……!」
少女のその目に映ったもの、それは布団である。
「儂はここで殺されるかもしれぬ! じゃが、せめて死ぬ前に良い思いをさせろ!」
「い、嫌……!」
少女は抵抗しようとするが、その商人の手に力が及ばず、押し倒される。
「稻族の髪の毛は売れるから、そろそろ切り時かと思いきや、髪を切らずに丸ごと買いたいという者がおって、この遊郭に来てみれば、中禅宗の坊主どもが来るなど聞いてはおらぬぞ!」
奴隷商人はどうやら、その奴隷少女を商取引で高値で売る為にこの遊郭にやって来たのであろう。
「確か、まだ生娘であったな……!」
少女の胸元の服に奴隷商人の分厚い手が掴まれると、一気にその服を剥ぎ取られる。白い乙女の柔肌が晒け出される。
「好みではない。かといって童好きでもない。じゃが、最期にその女体に刻ませてくれ!」
奴隷商人は少女の裸体を見て興奮しながら、自らも服を脱ぎ、褌を解いた。
少女は目に涙を浮かばせながら、胸の内にある思いを抱く。
ーーうらは何の為に生きてるの……? ただ、売り物にされる為に生かされてるの……? それともいつか肥やしにされる為に生かされてるの……?
ーーこんな辛い思いをするなら、化け物でも何でもいいから、うらを殺して……!
ザクッ!
「あがぁ!!」
その時、奴隷商人は突然、苦悶の表情を浮かべると、その股倉の下に刀が食い込み、血が流れて出てるのが見えた。
その後ろには、狐の面をつけた飛若が立っていた。彼は一気に刀を引きながら斬ると、奴隷商人の股倉から大量の血が溢れ出た。おそらく脈を斬ったのであろう。
「あ、あああああああああああああああああ!!!」
奴隷商人は絶叫し、股を手で押さえながら転げ回る。
「だ、誰か……ガッ!」
奴隷商人は誰か助けを呼ぼうとした途端、飛若はその首筋に上古刀の切先で止めを刺した。
首の髄を切先で斬られた奴隷商人は即死する。
「……!」
少女はその体中に返り血を浴び、狐の面を被った少年を見上げると、その自分と同じ狐の姿に何処か懐かしさを感じる。
やがて、飛若は血塗れの刀を持ちながら、その少女に目を向ける。
「お前は身に覚えがある。確か、あの稻族の奴隷だな?」
彼は以前、牢に閉じ込められていた時に、彼女が奴隷商人に商品として展示されていたところをたまたま見た事を思い出した。
「怨みはないが、敵である限り死んでもらう」
飛若は上古刀を上に掲げながら、狐の少女を見下ろす。鋭く細い月の背景を背に、狐の面で見下ろすその形相はまさに妖怪そのもののようにも見えた。
ところが、少女は逃げるどころか、そのまま何もせずに目を閉じた。
「なぜ、目を瞑る? 俺に殺されるのが本望なのか?」
目を閉じたままの少女は小さくコクリと頷くと、彼はある過去の記憶を思い出した。
ーー構いませぬ。小鳥子は飛若様に殺されるのなら本望でありまする。
それは以前、小鳥子と出会った時に、彼女を殺そうとした時の事である。
「ちっ! 一体、何なんだよ女って……!」
飛若は左手で頭を押さえながら苦悶する。先ほど仇なのか分からぬが、自分に襲いかかってきた遊女を殺し、それに続いて今度は殺されるのを願う少女に出くわし、彼はその次々と降りかかる女の意味の分からぬ行いにひどく葛藤する。
その狂い、葛藤しだす飛若を心配そうな目で見た少女は彼に話しかけようとする。
「あ、あの……!」
「って、さっきから思うが、どいつもこいつも少しは隠せええええええええええええええええええ!!!」
その時、先ほどから葛藤で苦しんでいた飛若は別の意味で追い討ちをかけられたかのように発狂し、床にある布団の毛布取って、少女に投げつけた。
「???」
少女は状況が理解できず、頭についてる耳をピクピクと動かしながら、キョトンとした表情で飛若を見た。
「俺に裸を見せるなあああああああああああ!!!」
飛若の裸嫌いがその場に炸裂する。
その頃、屋根の上にいた輪西と辻頼の二人は未だに太刀で打ち合い、一対一の決闘を繰り広げていた。
「ハァ、ハァ……!」
「ゼェ、ゼェ……!」
二人は互角の腕でなかなか決着は着かず、お互い息を乱し、ただ体力を削り合っていた。
「いい加減、大人しく拙僧に討たれてはどうだ?」
「ふっ、何を戯けた事を、これでも儂は武を志す者だ。公家の血筋を引いてるとはいえ、儂は儂なりに武の志を貫く!」
「貴様のそのくだらぬ志、無様に断ち切ってしんぜよう!」
輪西は物凄い形相で辻頼に猛攻を仕掛ける。
輪西は怒りを心を込めた剣技で、辻頼は冷静な心を込めた剣技でお互い激しい打ち合いを繰り広げる
そして、お互い自分の間合いに足を踏み入れた途端、二人の時が一瞬で止まり、虚空の世界が開きだす。
その一瞬の時の世界に入った二人はその領域を逃さず、二人はお互い渾身の一太刀を入れ、長きに渡る決闘に決着をつける。
二人はお互いの一太刀を入れて、すれ違った途端に静止する。
「ぐっ……!」
その瞬間、輪西の左肩から血が噴き出し、彼は苦悶の表情を浮かべる。
「ふ、見事だ……!」
辻頼は笑顔を浮かべながら輪西を称えた途端、右手の指三本と左腕が斬り落とされ、胴体から大量の血が噴き出し、その場に崩れた。
「その方のような強者に……出会えて……良かっ……」
「でりゃああああああああああああああああ!!!」
その時、輪西は辻頼に最期の言葉を言わせまいと、怒り狂うかのように倒れている辻頼の頭を足で踏みつけ、その首に目掛けて太刀を振り落とし、首を斬った。
「京辻頼の首、獲ったああああああああああ!!!」
鋭く細く、赤い二日月の夜を背景に屋根の上に立った輪西は、辻頼の死体を蹴り落とし、その首を高々と掲げて叫ぶ。
屋根から落ちた辻頼の首なしの死体に大勢の僧兵達が飢えた狼のように群がり、一斉にその死体に目掛けて刀で刺しまくった。
華々しい武人の最期とは思えぬ、惨い死に様であった。
一方、飛若はやっと服を着てくれた狐少女を後ろに連れて一階へ降りようとしていた。
「たくっ、なんで俺はこんな事をしてんだ……!」
彼は自分でもよく分からないこの複雑な気持ちを抱えながら、少女の手を引く。
「……」
強く握られるその手からは飛若の温もりが少女の小さな手に伝わり、少女は頬を少し赤く染める。
「斬り損ねた者はおるか?」
「いや、この辺りの者は全て斬ったと思われるが?」
その時、階段を降りるとその先に二人組の僧兵がいるのが見えた。
「ちっ! こっちだ!」
飛若はその二人の僧兵を見た途端、すぐに進路を変えて裏口へと回った。
急足かつ静かに進む彼らは辺りを警戒しながら、決して僧徒に見つからないように裏口を目指す。
そして、彼らは裏口にたどり着き、その扉を開けて外に出ると、
「なっ、飛若殿!?」
その裏口の路地にいつの間にか木葉尼がいて、バッタリと飛若と目が合ってしまう。
「こ、木葉尼……!?」
手に血の付いた平形の剣を持った木葉尼と狐の少女を連れた飛若はお互いに驚愕する。
「飛若殿、何故その娘を連れておる?」
「……!」
木葉尼は飛若の後ろにいた狐の少女に気づいて問い詰めると、彼は下を向きながら黙り込んでしまう。
「この遊郭におる者は皆斬り捨てるという計画であった筈であろう?
「くっ……!」
木葉尼のその問いに俯いた飛若は何も言えそうになかったが、すぐに彼女に面を向けて答えた。
「俺の勝手だ」
ただ、それだけだった。特にそれ以上何も答えなかった。
「防人じゃーーー!」
「やって来たぞ!」
「退け! 退けい!」
その時、僧兵達のその退却の声が彼らにも聞こえてきた。
木葉尼は狐の少女をじっと見下ろす。ピョコンと生えた耳とふわふわの尻尾、異族の証であるその部位を見て木葉尼は目を閉じた。
「行け」
その時、意外な事に木葉尼は彼らをあっさりと通した。
「ここだとすぐ見つかる。その娘を連れて早く去れ!」
「お前……!」
「私は何も見なかった。ただ、それだけだ」
木葉尼はそれだけを言い残すと、彼女はそのまま彼らに背を向け、どこかへと去っていった。
飛若はその彼女の後ろ姿を見た後、すぐに狐の少女の手を強く握った。
「行くぞ! 俺について来い!」
飛若はそう言うと、そのまま少女の手を引っ張りながら走り出し、二人は夜の町へと消えていった。
やがて、彼らは南通りにある大橋にたどり着くと、その場で足を止めて息を荒げる。
「ハァ、ハァ……! ここまで来ればもう大丈夫だろう……!」
二人は橋の欄干(手すり)に手を置きながら、ゆっくり呼吸を整えると、ようやく落ち着きを取り戻す。
「お前、名は?」
その時、飛若は狐の少女に問いかける。
「……」
だが、少女は答えない。
「名を名乗れ」
「……」
飛若は少女に改めて聞くも、少女はただ黙り込んでしまう。
「名前ぐらいあるだろう? なんて言う名だ?」
その時、
「ぐすっ……えぐっ……!」
少女は急に泣き出した。
「お、おい……! なんで泣くんだ? 泣くほどの事かよ!」
飛若はその途端に涙を流した少女に慌てると、少女は泣きながら答える。
「覚えておりませぬ……」
「何?」
飛若は疑問の表情を浮かべながら、首を少し傾げる。
「名前は……当の昔に忘れました……」
少女はそう言いながら泣きじゃくった。
「困ったな。名前が無かったらどう呼べばいいものか」
飛若は少し考えながら、橋の下の川を眺めた。
「どうしたものか……」
彼は困った表情で流れる川の水を見下ろすと、あるものに目が入った。
(川藻……?)
それは透き通る川の水の底に生えてる植物、川藻である。
綺麗な水に揺られて育つその緑色の水草を見た彼は、泣いてる少女に目を向けると、その白く艶のある瑞々しい頬に涙が溢れるのを見て呟く。
「瑞藻」
その時、少女は飛若のその呟きを聞いて、突然泣き止んでしまう。
「瑞藻って呼んでいいか?」
飛若は少女に問いかける。
「瑞藻……」
少女はその少年から瑞藻という名を与えられた途端、天にも登るような感情を抱く。
「ば、馬鹿! そんな目で見るのやめろよ! こっちだって小っ恥ずかしいんだ!」
飛若は狐の面で素顔を隠してるのにも関わらず、赤面しながら顔を横に振り向けた。
「そなた様は……確か先ほど、飛若殿と呼ばれましたような……?」
少女は先程、木葉尼が少年に呼びかけた名を思い出し、彼に問いかけた。
「よ、よく覚えてたな……! そうだ。俺の名は飛若だ」
彼は改めて自分の名を名乗った。
「あ……!」
その時、少女は彼の脇腹から血が流れているのに気がついた。
「血が出ております……!」
「あ? こんなもん擦り傷だ!」
少女は慌てながら飛若の脇腹に手を近づけると、彼はその手を振り払ったその瞬間、突如強い風が彼ら二人に襲い、その勢いで飛若の狐の面が軽く飛ばされた。
お面が取れ、その彼の素顔が晒け出た途端、二人はお互いの顔があってしまう。
飛若のその凛々しい美貌の素顔を見た少女はトクン!と胸の鼓動を高鳴らし、顔を赤くした途端に頬に手を当てて目を背けてしまう。
「ん? どうした?」
「い、いえ……!」
ドキドキと心臓の音が鳴る胸を手で押さえた少女を見て、彼は呼びかける。
「まあいい、瑞藻」
その時、少女はまたもトクン!と心臓の音を高鳴らしてしまう。
「もう一度言う」
彼は深く息を吸い、もう一度呼びかける。本当にこの名前でいいのか? 少女はこの名を気に入り、受け入れてくれるのかを知る為に。
「瑞藻」
美しい名で呼ばれた少女は何故か彼に顔を向けられず俯いてしまうが、恩人に与えられた名前に応える為、目を瞑りながら勇気を振り絞り、彼に顔を向ける。
そして、頬を赤くした表情でゆっくりと目を開け、彼と面を向かい合わせながら応えた。
「……はい……!」
無数の星が輝く天の川の夜と河原から飛び舞う蛍の群れの灯り、天と地、二つの川の美しさが一体となり、大橋の上にいる二人を美しく照らす。




