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第一話 飛若



 その昔、我等が暮らすこの世、即ち『何処中つ国(いずこのなかつくに)』では、古の時代から、和族と呼ばれる普通の人間の他に、独自の文化を持つあらゆる種族、人々に災いを与える妖怪などが存在していた。


 その何処中つ国の北の果ての雪山奥地に、臼井村という名の世俗から離れた小さな隠れ里があった。


 雪が被さる広大な水田、川の流れに任せて動く水車、谷の底には万が一の時に飢えをしのげる隠し田が耕されており、茅葺き屋根の家や社が建てられた小さな村里である。


 この地の気候は寒く、雪解けの水が流れる渓流地であり、雪が全て溶ける春頃には肥えた土が現れ、川の水はそのまま飲めるほど綺麗で沢山の魚も泳いでいた。


 また季節によっては多くの山菜やきのこも採れ、獣の群れもよく現れるほどの豊かな土地であり、村の百姓や狩人は生活に困らない普通の暮らしをしていた。


 この村にある一人の少年がいた。


「ハァ、ハァ、助けて……!」


 村はずれの森林で必死に駆け回るこの少年の名は飛若(とびわか)、齢十二でつい最近、声変わりしたばかりの元服間近の少年であり、細身の体に白い衣を身に纏い、腰まで届くほどのボサボサとした長い黒髪を伸ばし、その顔立ちはどこか凜々しく、瞳は不思議と輝いていた。


 彼はまだ幼名を名乗っており、村では馬の世話仕事を生業として暮らしているごく普通の少年である。


「こら! 待ちなさい!」


 その飛若の後ろから執念深く追いかけてくる少女の名は小夜(さよ)、こちらも齢十二にして、桜の花のように桃色に染まった短い髪を肩に揺らし、華奢な体に白い衣を身に纏い、肌白く細い肢体をした少女である。


 彼女は飛若の幼馴染みである。



「どこまで逃げるのよ!」


「どこだって良いだろ! 頼むから見逃してくれ!」


 彼は必死な表情で後ろから追いかけてくる小夜に言った。



「駄目に決まってるでしょ!」


 だが、小夜の足は止まる気配を一切見せない。


「キャッ!」


 その時、小夜は突然、木の根に躓いて転んでしまう。


「いたた……」


 うつ伏せに倒れた彼女は痛がる素振りを見せる。


「さ、小夜!」


 彼は後ろで突如転んでしまった小夜に気づくと、すぐに逃げる足を止めて、彼女の下へと向かう。


「大丈夫か? 小夜?」


 心配そうな表情で小夜に近づいて声をかけたその時、小夜の目は突然キュピーンと光り出す。


「捕まえた!」


 その瞬間、小夜は彼に飛びかかり、体に両手を回して、力づくで押し倒してのしかかる。



「畜生! 謀ったな!?」


「えへへ! さぁ、トビ! 観念しなさいよ!」


 飛若は力尽くで小夜を引き剥がそうと暴れるが、


「クソ! 相変わらず女のクセになんて馬鹿力だ!」


 見かけによらず力持ちの小夜の腕には敵わず、彼は為す術も無く力負けしてしまう。



「頼む! 離してくれ!」


「誰が離すか! もう逃げられないわよ!」


 どう足掻いても逃げられない、二人がそう確信したその時、飛若はふと、あることを閃いて小夜に声をかけた。



「な、なあ……小夜?」


「なに? ここまで来ておいて見逃せとは言わせないよ!」


「そ、そうじゃなくて、ほら、あれだ……」


「?」


 小夜は首を傾げながら飛若を見つめると、彼は一呼吸してある事を呟く。



「俺達はまだ十二だっていうのに、こういう事はまだ早いと思うんだが……?」


 小夜はよく見ると、飛若の体に抱きついている状態に気づき、雪で冷え切った自らの体から彼の体温が伝わってくる。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」


 その途端、小夜は恥ずかしさのあまりに顔を真っ赤にしながら、すぐさま飛若の体から離れてしまった。



「ハハ! 引っかかったな!」


「ハッ! トビ、よくも!」


「残念だったな! あばよ!」


 飛若は勝利を手にしたと確信し、そのまま森の奥へ逃げようと、後ろを振り返って走り出したその途端、


「ぶっ!」


 ボスッと飛若の目の前で、何か大柄な人間の体のようなものにぶつかった。彼はそれが何なのかをすぐに察して、恐る恐る顔を上げてみると、


「よくやった小夜ちゃん!」


 そこには十人ほどの村の大人達が縄を持ちながら、極悪な表情で立ち往生していた。


「げ、いつの間に!」


 飛若はその大人達を見て、驚きのあまりに思わず仰天する。



「小夜ちゃんが時間稼ぎをしてくれた間に回り道したんでな!」


「このクソガキが! もう逃げられねえぞ!」


「観念するんだな!」


 村の大人達はへへへと悪人面で笑いながら手をゴキゴキと鳴らし、飛若に一歩ずつ近づいてくる。



「えへへ~とぉ~びぃ~? さっきはよくもやってくれたわね~!」


 更にその後ろに小夜がユラリと現れると、女の亡霊のような表情で笑いながら近づいてくる。


 完璧に挟まれた状態であった。


「ウソだろ……?」


 逃げ場を失った飛若は、小夜を含む村人達のその不気味な笑みに恐怖を感じ、彼のその表情は真っ青となって、雪のように凍り付いた。


「やれ!」


 一人の男が冷酷な声を発したその瞬間、小夜を含む大人達全員が、まるで獲物に襲いかかるオオカミのように一斉に飛びかかった。


「オラ押さえたぞ! とっとと縛りつけろ!」


 大人達は力づくで飛若を地面に押さえつけると、もう逃げられぬようにと手足を無理やり縄で縛りつけて捕らえた。



「飛若捕らえた~!」


「連れていけ!」


 大人達は飛若を拘束すると、そのまま肩に担いで村まで連れて行く。


「イヤだ! イヤだぁあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 飛若の悲鳴は、山奥にいる鳥や獣の耳にも聞こえるほどの響きであったが、その声は村に着くまで続いた。





 ――――――――――――――――




「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 白い雪が被さる森林の奥に小さな村があり、その村の中心に建てられた社から飛若の悲鳴が響く。


 この村は十年前に、各地の凶作と非情な年貢米の取り立てに苦しめられた百姓衆が流民としてこの地に流れ着き、まだ開拓したばかりの新しい村であった。


 しかし、多少の信仰に近いものもあり、社には陰陽師を生業とする村長(むらおさ)が住み、この村を治めていた。



「この不届き者め!」


「痛てえ!」


 社の中からは、老婆の怒鳴り声と共に、何かで叩かれる音が響く。



「たくっ、飛若の奴め! 勝手に祭壇に供えてあった桃をこっそり食いやがって!」


「あの罰当たりめ!」


「ずっと、正座しながら叩かれてろ!」


 村の男達は呆れながら、次々と社の中から出てくると、その中に小夜が渋々と現れた。


「まったく! なんでトビはいつもいつも祭壇の桃を勝手に食べるのかな?」


 小夜は飛若に呆れながらも村の大人達と共には帰らず、ただ一人、社の外でポツンとしゃがんで、彼の仕置きが終わるのを待っていた。


「あれほど言ったのに、本当に懲りないんだから……」


 飛若は普段、害は無いのだが、桃が大好物であり、この日たまたま流れ着いた行商人から、季節的に高価な桃を供え物用として、村長が買い占めて祭壇に供えていたのだが、その報を聞きつけた飛若は社でこっそりと人がいなくなる隙を突いて、バレないように一つだけ桃を食べて逃げ出したのである。


 しかし、後で村長は祭壇の桃が一つ消えたことに気づくと、村長は犯人を見つける為に高度な占術を使い、飛若がやったという事を見事に当て、後は村人達に追われるという自業自得な制裁を受けてしまう。


「早く終わらないかな?」


 小夜は少し寂しげな表情で、彼を待ち続けていた。


「あとで打ち身に効く薬でも届けよっと」


 昔からの幼馴染である少女は、少し頬を染めながら呟く。


 それから半刻が経つと、ようやく彼の悲鳴が静まり、社の中からボロボロの姿をした飛若がようやく現れる。


「クソ……! あのババアめ……!」


 痛々しそうによろめく姿を見た小夜は、心配そうに彼に近づく。



「大丈夫?」


「見ての通りだ……!」


 痛々しい紫色の痣が、顔や腕に浮かび上がっているのを見せる飛若。


「まったく……ちょっと見せて」


 すると、その姿を見た小夜は、他に怪我がないかを調べようと、飛若の着ている服を脱がそうと優しく手にかける。


「おわぁ! 何するんだ!」


 彼は顔を赤くしながら小夜から離れ始める。


 恥ずかしそうな仕草をする飛若に、小夜は尚も上目遣いで見つめながら、その胸元を広げようと掴んでくる。


「だってボロボロでしょ? せっかく体の傷を見てあげるんだからさ」


 まるで姉が弟の面倒を見るかのように接してくる小夜に、飛若は照れくさそうな表情で赤面しながらそっぽ向く。



「余計なお世話だ!」


「いいじゃない。こんな可愛い少女が見てあげるんだからさ!」


 小夜はそんな飛若にニコッと無邪気な笑顔を見せると、彼はジト目で呟く。


「な~にが可愛い少女だよ。怪力娘が一緒にいてもなにも嬉しくは……ガフゥ!」


 その瞬間、飛若の顔面に小夜の鉄拳が食い込み、体ごと吹き飛ばされてしまう。


「いててて……!」


 彼は顔面を痛々しく手で押さえ、口の中から血の味を感じながら起き上がると、そこには見かけによらず、両手で巨大な岩を持ち上げ、先ほどまでの無邪気な笑顔とは正反対な鬼の形相をした小夜がいた。



「だ~れが怪力娘よ! 誰が!」


「ま、待ってくれ! 落ち着け! せっかくの可愛さが台無……ぎゃああああああああああ!」


 彼はその最後の言葉と共に、そのまま岩の下敷きにされてしまった。


 その後、仕置きを終えた小夜は、ボロボロの飛若の腕を強引に引っ張り、村人達のいる広場へと向かうと、



「飛若どうしたんだ? そのケガは?」


「長の仕置きにしては、ちょっとやり過ぎに見えるが?」


「一体、何があった?」


 村人たちが飛若の姿を見ると、そこには先ほどよりも更にボロボロになり、痛々しそうな表情をした飛若がいたが、小夜は何事もなかったかのように笑顔で答える。



「何でもありません。バカが少し懲りてなかったので、懲らしめておきました」


「よくやった! 小夜ちゃん!」


 村人達は小夜の横でしくしくと泣いている飛若に一切同情せず、彼女の頭を撫でて褒め称えた。



「相変わらず小夜ちゃんは頼りになるな~!」


「えへへ~それほどでもないよ~!」


 小夜は村人達の褒め言葉に照れ笑いをする。。


「いや、本当だよ! 村一番にすばしっこい飛若を追い詰められるのは、小夜ちゃんしかいないって!」


 確かに飛若は村で一番機敏であった。


 それこそうまく行けば獣の足にもついていけるかもしれぬほどで、時にはカモシカのように山を駆け回われるほどに村では有名であった。



「あ~! また私のこと力持ちって馬鹿にした~!」


「いや……実際、力持ちってほどの力量を超えてるんだが……」


 飛若は小夜に聞こえぬように、ボソリと小さな声で呟く。


 実際に小夜は一見すると華奢な体つきをした少女に見えるが、日頃、百姓としての畑仕事をして鍛えられているせいか、見かけによらず類い希な怪力を秘めていた。


 それこそ大岩を持ち上げられるどころか、本来、村の男達が集まって持つような丸太や米俵なども軽々と一人で持つこともでき、力仕事に関しては村から頼られる存在であった。


「去年の喧嘩祭りもヤバかったしな……」



 飛若は以前に年に一回行われる喧嘩祭りをやっていた頃の事を思い出した。



 それは男女関係なく毎年、夏の季節に神前にて喧嘩を披露し、荒ぶる神を楽しませるという、この村独自の風習がある。


 そのような荒々しい祭りが去年もまた行われた時も、小夜の喧嘩ぶりは凄まじかった。


 大の男でも小夜に敵う者など誰一人おらず、まるで赤子を扱うかのように力任せで大人の男達を次々と簡単に投げ飛ばして勝利を収めていた。


 もちろん幼馴染みである飛若もまた小夜に挑んだが、当然の事ながら小夜の力には敵わず、呆気なく負かされてしまった。


 しかし、その時の小夜は馬乗りになりながらも、飛若に勝ったと思いきや、何故かすぐに逃げるように飛若から離れて顔を赤くしていた。


 勝負に納得していなかったのか、または弱い男が嫌いなのか、その時の小夜の仕草は飛若には全く分からなかった。ともかく小夜はそれほどの力量を持っていた。



「しかし、相変わらず君たち仲いいな!」


「え~? そんな事ないよ~。ね~トビ?」


 小夜は否定しながら、飛若に無邪気な笑顔を向けると、


「あ、ああ……!」


 彼はそんな小夜を見て、少し照れながら頷いた。


(小夜ってかなり可愛いんだよな……)


 飛若は心の底でそう感じた。


 自分にとって、今まで小夜はただの幼馴染だと見ていたが、ここのところ最近は小夜を見るたびに胸の奥が締め付けられるような感覚に悩んでいた。


 ただ、その痛みが一体何なのかは、彼自身にもよく分からなかった。



(俺にとって小夜は一体何だろ……?)


(何なんだこの気持ちは……?)



 飛若はここ最近、ずっとその事で悩んでいた。そんな中、その二人のやりとりを見た村人達はニヤニヤと笑いながら、彼らをからかい始める。


「なんかお前ら二人を見てると、まるで夫婦(めおと)みたいに見えるぞ?」


 村人の一人がそう言った途端、小夜はボン!と急に顔を赤くした。


「ちょっ! め、夫婦だなんてやめてよ……! 私たちはただの幼馴染なだけで……!」


 小夜は全力で否定し、飛若もまたそれに釣られて顔を赤くする。


「そ、そうだ! 俺たちの関係はただの腐れ縁だ……!」


 二人は慌てながら否定しても尚、村人達は彼らを弄り続ける。



「おやおや? お気に障ったかい?」


「お似合いだと思うわよ?」


「あなた達ならうまくやっていけそうだけど?」


「もういっその事、ここで祝言を挙げてやるぞ?」


「赤飯炊いてやるか?」


 などと村人達はニヤニヤ笑いながらからかうが、恥ずかしさが頂点に達した飛若は途端に強がり始める。


「だ、誰が! こんな鬼のような怪力娘を嫁なんかに……って、ちょっと待って! 待ってくれ小夜!」


 飛若は横から急に殺気を感じて振り向くと、そこには先ほどと同じように大岩を持ち上げて鬼の形相をした小夜がいた。



「誰が、何だって?」


「い、いや、何でもありません! ごめんなさい! だ、だからその……い、い、いい、岩を……うわぁあああああああああああああああああああああああ!」


「待てえええええええええええええええええええ!」


 飛若は遂に恐怖に耐えきれずに逃げ出すと、激怒した小夜はそんな彼に灸を据えるべく、力任せに岩を持ちながら追いかけ回した。


 村人達はその様子にハハハと笑いながら、まるで我が子を見ているかのような感覚で二人を眺める。



「本当に元気だな! あいつら!」


「そうね。二人とも既に両親は他界したのに……」


「あんな風に元気に育ってよかったよ」


 彼ら二人には親がいなかった。飛若は父親の顔を知らないどころか、生まれてすぐに母親を無くし、小夜は物心ついた時に流行病で両親を失ってしまった。


 親がいないという二人の不幸な経緯で、村人達は彼らの成長を生まれた時から心配していたが、その必要がない事をこの場にいる誰もが悟った。


「助けてええええええええええええええええええ!」


 山中に響くほどの悲鳴を上げる飛若は、またも小夜に暴力を振るわれる羽目に遭ってしまった。


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