響の部屋
雅夫は帰ろうとしていた。
早くあの不気味な文章の調査のための下準備をしたかったからだ。再起動を終えた箱達に更新プログラムを追加しなければならないし、何より自分でも失踪事件について調べてみたかった。
今から帰れば夕食までに最低限やるべきことはやれるだろう。
しかし夕刻を迎えて尚暗くなった倉間亭は雅夫を迷わせた。
あれ、ここ曲がったら玄関だったよな。
曲がった先には玄関ではなく2階へと上がる階段しかなかった。おかしいと思って戻ってからウロウロするも、またこの階段に行き着いてしまった。
まるで歩いているうちに構造を変え、挑戦者を迷わせる迷路のようだ、と雅夫は感じた。
三度目の階段到達に業を煮やした雅夫は、渋々その階段を上ってみることにした。登った先は相変わらず暗い廊下だった。廊下の果ては暗くて見えない。
この屋敷はどんだけ広いんだ……
窓の位置が高く、そこからうっすら見える暗い空からも自分が建物のどこにいるかわからない。
少なくとも2階にいては帰れないな。
そう思い1階へと降りようとしたところ響の声がした。
「雅夫さん!?」
その声にビクリとした。
何よりその呼び方に驚いた。
恐る恐る振り返ると、そこには30年ほどタイムスリップした響が立っていた。
クリーム色と白を基調とした落ち着いた出で立ちに、黒い髪をなびかせ、大きな瞳と驚いた顔に、少しだけ笑顔が混ざっている。それは響そのものに見えたが、頰には少し濃いめの皺があり、背は少し縮んでいるように見えた。
響の母親だ。
「す、すいません驚かせるつもりはなかったんですが、迷ってしまって……」
雅夫が後頭部をかきながらそう言うと、響と同じ笑い方をした。
「私もはじめてここに来たとき毎日迷ったわ」
そう言うと、また少し笑って雅夫を「こっちこっち!」と誘導した。
二人は1階へと降りず、2階の廊下の奥暗いところへ突入した。そのあといくつかの角を曲がると、一転やけに明るい区画へと出る。建物の中の造りはいつの間にか和風創りから洋風創りになっていた。
響の母親はいくつかあるうちの部屋の一つにノックした。
「響〜」
そのとき、はじめて帰る前に響の部屋に寄る約束をしていたのを思い出した。忘れて帰っていれば大惨事は間違いなかっただろう。
ま、結果オーライだ。
しばらくすると中から母親にそっくりな響がニヨニヨしながら顔を出し、雅夫を中へと招く。
後ろを振り向くと、響と同じ顔をした母親がこれまたニヨニヨしながら「ではごゆっくり」と二人を見送った。