偉大なる倉間一族
中善神社通りを右に折れ、その先の谷川書房を今度は左に曲がったところに倉間亭が建っていた。
和風の木造二階建て。
一見ちょっと大きめの普通のお宅だが、隣に見える一転地中海風の白を基調とした建物も倉間亭の一部で、建物の向こう側にある神社の森のような庭も、敷地の範囲内だというから驚きだ。
さらには、後ろにある谷川書房もかつて社務所として利用していた建物で、その両隣の美容院も文房具屋も元は倉間亭の建物らしい。
ここら一帯は、ほぼ倉間亭の一部と言っても差し支えないのだ。
昔はここら一帯を指揮する商人の家庭で、当時は各地で商いをする家系の御子息を預かり、商売のいろはを教える養成所として機能していたらしい。
それから時代は変わり、敷地の建物を貸し出し独自に商いをさせ、近隣の交通の便を考慮して敷地を私道で裂き、今のような形に行き着いた。
今は亡き響のお爺様は、財を持て余さず社会に還元することがより多くの人の、そして自分自身への利益につながると考えたらしい。
そして事実そうなった。倉間亭は単なる庄屋から運送業、鉄鋼業、製本業、卸売業で成功を収め、今では12の会社からなるグループ会社としてまた一帯の雇用を生み経済を支える存在になっている。
大層ご立派な一族だ。その大層ご立派な一族の娘が響なのだ。
雅夫は気が進まなかった。
まるで自分自身の小ささと、その偉大な倉間一族を比較されているようで、何よりこれから響の親父さんと話すことで、それらが明るみになるような気がしてならなかったのだ。
もしそうなれば、響もガッカリするかもしれない。
なんで響……?
思わぬ人物からの評価を気にしていたことがわかり、釈然としないままインターホンを押した。
そして程なく響が出て、「入って。話は通してあるから」と雅夫に入るよう促した。