私立探偵古柳雅夫の探し物
私立探偵古柳雅夫はとある案件の大詰めに入っていた。
集められた資料をもとに報告書をまとめ、あとはクライアントに内容を淡々と説明し、調査を続行するか否かを決めてもらうだけだ。
雅夫はキーボードを叩き、手元にある聞き取り調査の内容を打ち込んでいく。
ここであくびをひとつ……
「こら! また適当にやろうとしてるでしょ!」
あくびをした顔がよほど気に入らないのか、響はゲキを飛ばす。
「へいへい」
そんな響をいなすように軽口を叩く。
これには相手にしきれないというように、顔に「呆れた」という言葉を顔に貼り付けて手に持った湯のみにお湯を注ぐ。
響とは長い付き合いとなるが、こうして絡むのは久々のことだった。
出会いは幼稚園だったがその頃は大した絡みもなく。だがそのあとも小学校6年生まで同じクラスで、その頃にはもう今のような関係になっていたように思う。
2の7乗、1/128を乗り越えてずっとクラスが一緒だったのは一学年62人の我が学年においてはたった1組だったらしく、それをみんなにからかわれたのが響が俺にやたらとキツく当たる始まりだったようにも思う。
もしや俺のことが好きだったりして……
ゴトンッ
湯のみが置かれた音に、考えていたことを見透かされた気がしてビクリとした。
「ビビり……」
響はそう呟くと、どこか嬉しそうにしているように見えた。
雅夫はうまく返す言葉が見つからず結局図星を突かれたような形になり、お茶をひと啜りするとディスプレイに視点を戻した。
なんで俺がこんなことなんか……
そう思ってまたチラりと響の方を見ると、何かを察したようにツカツカとまたこっちへと歩み寄ってきた。
「あんた、"なんで俺がこんなことしなくちゃならないんだ〜"とか思ってるでしょ?」
雅夫は無言だった。
なにか言い返しても、どうせ言いくるめられるのがオチだと読めていたのだから。
沈黙は金、雄弁は銀。
そう言い聞かせるようにしてディスプレイとのにらめっこを継続した雅夫だったが……
「へぇー、結構進んでるじゃん」
と珍しくもお褒めの言葉をいただいた。
そう、やればできる。
やればできると言い聞かせてこんな年齢になってしまった。
同級生は結婚し、人によっては係長クラスに昇進している……そんな年齢。
やればできる。けどやらない。
やってみたらできるけど、続かない。
こんなことを繰り返しているうちに、あっという間に時間は過ぎてしまったのだ。
ほんと、俺はなにをやってるんだろう
「ちょっと読ませて」
響は雅夫とディスプレイの間に割り込むようにして、書き込んだ文字列を読もうとする。
そしてこれだ。
男を勘違いさせる女の行動第22条、不意に体を密着させ男の気持ちを揺さぶる。
つい最近から今までずっと心を揺さぶられ続けてきた雅夫だが、どうにか下心を持たないために平静を保ってきた。
響とは、つい先々週にいきなり連絡をよこしてきて、"会いたい"だなんて言うもんだか、俺はちょっとした期待を胸に響と喫茶店で落ち合ったのがはじまりだった。
愛の告白を期待してたわけではない。それでも心のどこかで、俺のことを気にでもかけていてくれたのかと思ったものだ。
だがそれはビジネスでの連絡だった。
『この一帯に住んでいる猫の個体数、性別、飼い主の有無、毛色、ナワバリの範囲』それらを調査した上でまとめて欲しいというもの。
昔から猫愛好家だった響らしい依頼だったが、詳しく聞くとなかなか手の込んだ金儲けの布石らしかった。
というのも、響の親父さんはこのあたりじゃ有名な規模の大きい会社の社長で、その親父さんが懇意にしている取引先の家族のお祖母様が飼っていた猫の"みぃ"だか"みけ" だかが老衰で死んでしまい、寂しくなったお祖母様がその猫の親類にあたる猫を御所望しているという。
その"みぃ"だか"みけ"が生前ウロついていた、矢吹町2番地周辺にその猫が愛人をたくさんこさえていて、そこにたくさん落とし子がいるかもしれないというのだ。
まぁ早い話が、代わりとなる猫が欲しいから、飼い主のいない"みぃ"だか"みけ" に似た猫を確保するための情報を取ってこいという話だ。
その心を埋めてくれる似た猫が、飼っていた猫の子供ともなればより飼い猫を失ったペットロスから立ち直らせてくれるというもの。
私立探偵を営んでおきながら、いざ仕事が舞い込むとウンザリする性質があり、さっさと断って仕事から……強いて言うなら響から逃れたかったが――
『30万』
これが響によって提示された依頼料だった。
仕事の出来によっては10万プラス。
雅夫にとって破格の条件だった。こんな仕事でこんなに金を払う客はいない。相場で言うならせいぜい7万円。なんなら3万円でもいいくらいだ。
10日間調査をすることになっていたが、こんなもの2.3日あれば終わるし、いっそそっくりな猫を捕獲してお届けも可能だっただろう。
……そのすぐ終わる調査の報告書を14日経った今書いているのは一旦棚に上げておく。
こんなにもらっていいのか? と聞いたところ、あーだこーだと説明してくれたが、結局のところ理由らしい理由はわからなかった。
「ふーん、こうやって猫の分布から分析したわけね」
読み終えた響は、納得したように頷いた。
「な、というわけでこの件はお終い。この旨を例のお祖母様にお伝えしてくれよ」
そう言った雅夫を響は睨め付ける。
「ダメよ」
そう言って雅夫の机から離れると、腕を組んで何かを考えるようにしなが少し歩いてから「うん、ダメ」とまた自分に言い聞かせるようにしてからこう言った。
「この調査はお父様に報告書を出して、それから判断してもらうことにするわ!」
パァっと顔を明るくさせ、なにか思いついたような愉快な表情をしている。
か、かわいい。
雅夫はそう思ってしまったことから、さっと顔を逸らした。
「お父様にあなたの仕事ぶりをしっかりみてもらういいチャンスだわ」
目を逸らした雅夫を説得するように、響は畳み掛ける。雅夫の背後に回り、肩を揉むように肘をグリグリして頭にふぅっと息を吹きかけた。
「か、勘弁してくれ」
雅夫を勘違いさせるスキンシップへ、そして響の親父さんに会わせられることに対して……
しかし、響は『もう決まったこと』とでもいうように、「じゃあそういうことで。明日までに頼むわね」と言い残し、古柳雅夫探偵事務所を出て行ってしまった。
(読みにくい部分はあとから直します)