最高のモーニングサービス
朝。日差しを浴びた霧が捌けるよう意識が覚醒する。
昨日帰ってきて残していた仕事をやろうと探偵事務所まで辿り着いたまでは良かったが、結局事務所のパソコンを起動したところでソファで寝てしまった。
柊一郎から任されていた仕事も大切だが、請け負っていた仕事が他にもいくつかあった。その中の明後日が納期となる交通量調査の分析を箱達が終えていたので今日にも取りまとめて提出したかったのだが、結局明日に縺れ込むことになりそうだ。
とりあえずコーヒーでも飲もう。
そう思ったとき、丁度ソファの横のローテーブルにゴトンッとコーヒーが置かれた。
お、ありがたい。
雅夫は感謝して目覚めの一口を味わう。
ドリップ機でも使ったのか不純物が少なく、透き通った、それでいて純度の高い濃厚なコーヒーの風味が鼻腔を通過する。
「朝一のコーヒーのお味はいかがでしょうか?」
「上品な口溶けに風味の良さが際立っている。朝一はインスタントをそのまま溶かしがちなところをドリップという一手間を加えたことで……」
雅夫は話している途中であることに気がついた。
話している相手は一体誰なんだ?
「おはよう、寝起きなのによく喋るわね」
雅夫が声のする方向を見上げると、そこにはレディススーツ姿の女が立っていた。細い腰によりお尻や胸が強調されてスタイルの良さが際立っている。
朝から目に良いものを見たと思った。
吸い込まれそうな大きな瞳にツンとした鼻。無駄がなく女性的にまとまった輪郭をサラリとした髪が覆っている。男を刺激する薄ピンク色の唇はやや口角が上がり、ニヨニヨしている。
その女は響みたいな表情をしていた。
……というか、響そのものであった。
「なによジロジロ見て……朝からムラムラしただなんて言わないでよね」
雅夫は口に含んでいたコーヒーを慌てて喉に送り込み、なるべく被害が出ないようコーヒーカップもローテーブルの奥に避けてから咽せた。
ゴフッ
「……汚いわねぇ。ほらティッシュあるから口拭いて」
響はそう言うとティッシュ越しに雅夫の口に指を充てがう。
口越しに感じる彼女の指の感触に不覚にも興奮を覚えそうになり必死に耐えた。拭ったあとちょんちょんして周りについた汚れまで取ってもらうと、ようやく解放されたので口を開いた。
「なんで響がいるんだ?」
「なんだっていいでしょ」
響はそんな質問は愚問だというように、まるで答える気なしというように向こうから荷物を運んできた。
「朝ごはんも作ってきたの。雅夫くんろくなもの食べてないでしょ?この前ご飯作ってあげたらあんまりガッつくもんだからよっぽど食べてないって感じだったから」
鞄に入っていた包みを広げると、そこにはサンドイッチが入っていた。中身はよく見えないが、隙間からハムやレタスらしきものが覗いている。
仕事場に無断で入ってきて、しかもまた男を勘違いさせるようなことをしてくる響を追い出したいところだが、とりあえずこのサンドイッチはいただこう。
とりあえずハムサンドらしきやつから……
パチンッ!
食欲で口の中が唾液で充満するのを感じながら手を伸ばしたところ、響に手を叩かれ睨め付けられる。
「ちゃんと手洗ってから食べなさい」
雅夫と響の関係、それはこの様子から見てもわかるように大人の男女という関係ではない。幼馴染だからという言い訳は成り立たないこともないが、実のところこれではお母さんと子供の関係である。それも力関係のハッキリした母と子だ。
響が与え、それを雅夫が享受するだけの関係は男女関係というにはかなり無理があると、雅夫自身痛感している。
だからこそ、雅夫は響がやることに勘違いしきれずにいるのだ。
雅夫側からは響に何も与えていない、与えるものも何もない。響が甲斐性なしの男に入れ込むダメ男好きならこういう男女関係もなくはないんだろうが、それこそこちらから断りを入れるべきだろう。
手を洗って響に許可をもらった雅夫はそんなことを思いながらサンドイッチを口に運んだ。
うまい……
ほどよく焼かれたパンはパリッとしながらも湿度を保ち弾力を失っていない。挟んであるレタス、ハムはアップルソースと塩味の効いたチーズとマヨネーズがほどよく混ざり合い口の中で溶けていく。
こっちのはタマゴサンドか。噛むと圧力で横から溢れ出たが、卵とマヨネーズのバランスが絶妙だったのか溢れずに粘り気をもってパンの間に戻っていった。その実、タマゴの部分はとても濃厚でにわかに胃が活気付いた。おそらくタマゴとマヨネーズ以外にも何か入れたのだろう。
「どう?おいしい?」
響は両手で頬杖しながら真正面から雅夫を観察していた。食べるのに夢中だったせいか、そんな可愛いことをしている響が眼中になかった。
不意に意識の中に入ってきた響に照れが隠せなくなり、そんなわけでサンドイッチの感想を忘れ、照れを隠すべく顔を背けることに集中する。
「おいしい?おいしいでしょ?」
相変わらずの追求にタジタジになりながら、ようやく"照れ"と"口からサンドイッチがこぼれること"の両方を回避する形で……
「お、おいひぃ……すごくおいしぃ……」
「でしょう? やっぱ私才能あるわね」
なんという自画自賛。
だが、その賞賛に値するサンドイッチだろう。
朝から寝起きにドリップしたコーヒーを出し、そのあと作ってきた絶品と言えるサンドイッチを出してくれる。そんな幸せなサービス、この世にあるのだろうか?
雅夫は至って満足というように残りのサンドイッチを頬張り、コーヒーを啜る。
そう、雅夫は食べ物に弱いのだ。
ついでに響にも弱い。