49 秋分
審判が開始の合図を出す。その瞬間、勇者は無鉄砲に突っ込んでくる。だからここは、とりあえず避けずに……
「顔面へ……パーンチ」
勢いよくこちら側に飛んで来たから、拳を前に出す力と合わさって、下手したら頭が砕けるだろう。しかし、バカではなかったらしく、奴は体を少し捻らせて避ける。
「あーあ。今避けた後に向きを変えて俺を斬りつけることできたのに……」
「う、うるせぇ!〈剣技:閃光〉」
軽い挑発に簡単に乗って、勇者はいきなり剣技を発動する。〈剣技:閃光〉はただの一回だけ突きを出す技なのだが、名前の通り属性は光で、届かなくても攻撃が遠くへ飛んでいく。
「この攻撃はまあまあかな?」
左肩に当たったが痛みは特に無い。少し強く人間がぶつかった衝撃だけで退屈だ。
「近寄らないと当たらないからねっ」
次は俺の番。一回の蹴りで勇者の元へ急接近し、一瞬だけ殴りに貯めを入れる。点で近付いた俺に勇者は驚いたのか、後方に体制を倒しかけていた。
鳩尾辺りに握りしめた右の拳を寸止めで出す。
「〈拳技:破挙〉」
当たっていなかったので、スキルの効果は一部しか発動しない。その一部の効果が衝撃波。衝撃波だけで勇者の鳩尾を圧迫し、上へ飛ばす。だが流石は勇者なのか、上方へ飛ばされたのに剣技を発動して攻撃してきたのだ。
「〈剣技:烈断〉!」
聖剣に赤々と燃える炎を灯した技。ただ、威力はまだまだのようだ。降下中に二、三回聖剣を振り火球を飛ばしてくるが、大きさは小さく、炎の威力も弱い。
だから軽々と火球を避けることが出来た。俺の真上まで落ちて来た勇者は大きく振りかざした聖剣で叩き斬ろうとしているようだが、まだムラがある。
「空中で点になった的って攻撃を当てやすいんだよ?」
勇者の落下予測地点から少し位置をずらし、足を大きく上に蹴り上げる。丁度足が伸びた先には勇者が居て、簡単に鳩尾に入った。そこから蹴りを連続で繰り出し、ついでに殴る。
「うっへ、柔らかっ。下手したら君を殺しちゃうよ?」
舞台にうつ伏せになった勇者は無理矢理立ち上がる。
「ぐっ、ま、まだだ……俺が…勇者が負けるわけには……」
「……」
あ、こいつはもうダメだ。キリカを守る以前の問題だ。下らない。肩書きに、職業に執着するなんて……
「お前、ツマラナイ人間だな」
「ッ‼︎」
勇者の目に怒りが灯る。蔑まれたからか、憎しみを孕んだ怒りの言葉が俺に飛んでくる。
「煩い!お前に何がわかる!誰にも認めてもらえなくてグレて、髪を染めてでも存在を主張しても相手にしてもらえない!この悔しさが魔王に……お前に分かるのか!」
それはここに召喚されるまでに奴が経験した事。悔しかったという感情が溢れ出たセリフ。
「だから?それだけか?それだけが勇者と言う役職に執着する理由か?言っておくがお前は勇者に選ばれたんじゃ無い。お前はたまたま勇者として呼ばれただけだ。勇者だから特別?魔王だから悪?それは誰が決めた?」
無いはずの知識が湧いてくる。その知識から俺の口は勝手に喋る。
「お前が勇者なら問おう。お前が思う人間とはなんだ?」
「そ、それは……」
「他者に認められたら人間なのか?なら認められていないお前は何者だ?」
怒りの行き場が分からなくなって来ている勇者。こんな奴に俺は怒りを覚えたのかと情けなく思うほど下らない人間だった。
「……もうやめだやめ。今、決着をつけようか」
思考が混濁し始めた勇者の元へ歩み寄る。そして顔にめがけて殴ろうとした時、懐かしい顔を見つけた。
「委員…長……」
殴るところをとっさに変え、俺から見て左側の胸部を殴る。
勇者が倒れて俺と目があった委員長は驚きの表情をあらわにした。
「しょ、勝者!ケイト=オリサカぁぁぁぁぁぁ‼︎」
実況は勇者が勝つと思ってたらしい。あ、よく見たら俺側の観客席キリカとシャヌアと他少ない人数しかいない。え?そんなに俺不人気なの?
「勝者であるオリサカさん!今の心境は!」
面倒臭い勝者インタビューが来た。丁度その時にキリカは、俺が舞台の端に投げた武器を持って来てくれていた。
「特に優越感はないです。むしろ勝った心地はしないし、俺が勇者さまに怒りを覚えたのがバカらしく思えました」
音声拡散魔道具を突きつけられたからそう答える。
「ただ、これだけは言っておきます……キリカは誰にも渡さない」
「ケイトさんっ!」
「っ⁉︎」
最後の一言を言った時、アトラとともにキリカが抱き着いてくる。
―幸せそうで何よりだわ…ケイト。それにしても酷い戦い方だったわね?
サナも見ていたのか、辛辣なコメントをくれた。
誰もがこれで一日のビッグイベントが終わるのかと残念に思っている決闘場。賭けに勝ち大金を得た人は笑い、負けた人は背を丸め帰って行く。何気に今日も平和な一日が続いて少し不安だったりする。イゴールナクの件もまだ知らない事だらけだから焦っているのだろうか?でも、俺には焦る理由がない。
「あれ?」
キリカと一緒に決闘場の舞台から降りようと移動し始めた時、ドサッと本が落ちる音がした。すぐに足元を見ると、アルガンスの父、チャービィの家で見つけた死霊術大全だった。
同刻。
決闘場の地下。
地下には沢山の牢屋がある。その一つから声が聞こえる。
「今日は……今日は…穂熟の月……か……何日目だ?……あ、ああ…23か……」
獄中に居るのは煤で黒く汚れた痩せ細った男。着いてしまった中性脂肪が痩せ細った身体には合わず、ブヨブヨと気持ち悪い容姿に男を変える。元貴族で華やかな生活をしていた彼は、獄中の質素な配給食だけでは飢えを増させるばかりだった。
「あぁ……神よ。今日、死霊術大全をあなた様に捧げます………」
自分の領地で非人道的な政治を行い国家転覆も図っていた事が発覚した罪人にはただ獄中で死刑の執行される日をただただ待つだけだった。薄暗く、まともに身体を清潔に保つことのできない空間では体臭が日に日に酷くなる。さらに他の罪人の酷い体臭も混ざって、まともな人間では入る事ができない。
罪人の男は外なる神に祈る。ただ、己の生存を願いながら……
穂熟の月23日目。秋分。