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近頃の私は  作者: 山田文香
7/8

それから私は慌ただしく後輩に業務を引継ぎ、20日間残っていた有給も買い取って晴れて無職となった。彼へは、事後報告となった。

「・・・はい?」

あからさまに軽蔑の意をこめた目付きで彼はそう言った。予想通りの反応だったけれど、窮屈、そう思った。向上心高く生きることは彼の長所だと思う。けれど、他人への評価基準にさえも当てはめてしまうのははっきり言って短所だ。

「びっくりしたー?ま、お金もそこそこ貯まったことだし旅行にでも行こうかな〜なんて!」

ブレない、ブレない。私はブレない。そう言い聞かせて、私は無表情に言った。インスタントのトマトソースパスタをフォークに絡めながら、彼の圧力に耐える。

「引くわ。ニートじゃん」

冷めた彼の言葉が小さい針のようにピュッと飛んだ気がした。心臓に刺さって、その患部からシュルシュルと空気が抜ける。

私は何も答えなかった。


昼食を終えた後、私たちはいつものようにソファで映画を観た。ふと飲み物を取ろうとテーブルに手を伸ばした時、コップが触れて誤ってチャンネルを変えてしまった。

「あっ、いところだったのに」

「ごめんごめん」

はあ、とわざとらしくため息をついて「気をつけろよな」と彼は呟いた。彼には、その上品さとマイペースさからは想像もつかない気の短い瞬間がある。特に自分の楽しみを邪魔されることに対しては許せないようだった。

長男なんだな、と思う。私は、長男坊は導線が短い、と偏見を持っている。だけどそれは情の厚さゆえの不器用さで、次男坊は他人への興味が薄いゆえにおおらかだ。ちなみに姉のいる弟は、かゆいところに手が届くエスコート上手だ。女ってこうすれば喜ぶんだろうというポイントを心得ていて無意識に計算できるから、モテる。

と、そんなことばかり考えているから映画の内容はほとんど覚えていなくて、スターウォーズを3作連続で観たけど全然面白くなかったなあという感覚だけが残る。私には、目の前の出来事に主観的に集中できない程に邪気が有り余る。

そして夜はピザを取ろうということになって、私はネットでピザを注文した後、シャワーを浴びることにした。浴室でシャンプーをしている頃、バイクのエンジン音が聴こえて「ピザが届いたな」と考えていた。

濡れた髪をタオルでおさえながらリビングに向かい、ソファで携帯ゲームをしている彼に「ピザ届いた?」と聴くと、こちらに顔も向けずに「チャイムが鳴った気がするけど面倒だったから出なかった」と答えた。

「えっ。なんで?」

思わず太い声が出た。

「ゲームがいいところだったんだもの」

うるさいなあ、大声出すなよと言いたげな顔で彼は振り返り、そんなことを言った。一瞬思考が追いつかなくて、その後やっと言葉の意味を理解した私は血の気が引いた。彼のその非常識な発想に、体温が下がるほど引いたのだった。

「ピザ、来てたんじゃない?」

あまりの衝撃に逆に冷静な私は、落ち着いてそう言った。

「来てたかもしれないね」

彼もまた落ち着いてそう言った。落ち着いて、というより当たり前のようにそう言った。

「でも、帰っちゃったんじゃない?どうするの?」

「電話したら?」

「私がするの?」

「・・・俺がするの?」

沈黙の中に、彼の携帯ゲームのデジタルで軽快な音楽がやけに大袈裟に響く。それがひどく不快に感じ、ふたりの間に漂う不協和音を悪化させたのではないかと思う。

「はいはい、すればいいんでしょ」

そう言って立ち上がったのは彼だった。私の目はもうすでに彼を捉えていなくて、とにかく空中のなにもない一点を見つめていた。感情を処理することで精一杯だった。

引くわ、ニートじゃん。昼間の彼の心無い言葉を何度も反芻する。繰り返す度に喉の奥が震える。引くわ、じゃねえよ。苛立ちのあまり、思いっきり脇汗をかいていた。シャワー浴びたのに最悪だ。

気づくとピザが到着していた。すっかり気をとりなおした彼は、「食べよう〜」と言いながら缶チューハイに手を伸ばしている。プシュッという食欲そそるキレのいい音で我にかえった。

と、同時に彼がえっ、と不機嫌な声をあげた。

「これさあ、コーンマヨネーズと明太子チーズのハーフ&ハーフじゃないじゃん。俺の苦手なバジルとかめっちゃのってるんだけど」

はあ、と彼の小さなため息が私の前髪をいやらしくなびかせた。もしかして間違えて注文したの?それとも嫌がらせ?と彼は続けて、何も答えない私の態度を見て見下すように首をかしげる。

汗でだくだくの脇とは違い、手足は異様に冷たかった。思考に邪魔されて気づかなかったけれど、心臓は高鳴っているようだった。トン、トン、トン、トンと小刻みな鼓動が遠くのほうから訪れて、やがて全身を煽った。

お前のそのため息や仕草こそがこの世で一番最悪の嫌がらせだと思った。

怒りで頭に血がのぼるとは違う感覚だった。もう二度と取り除くことが不可能な程の冷たい感情が私を包む。トン、トン、トン、トン、トン、トン、トン、トン。

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