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私の彼は、出張が多い。いたって普通の営業マンだけど、ベンチャー企業だから全国各地に営業所がなくて手分けして全国をまわる。月の半分は地方にいて、残りの時間で私たちはデートをする。
彼の業績が右肩上がりなのは良い事だけど、住職という約束された将来があるのにそんなに仕事頑張らなくて良くない?というのが私の本音だ。しかし、本人曰く「経験の浅い住職に説得力はない」らしく、お父様が引退されるまでは一般企業で修行したいらしい。住職に何かをそんなに説得される場面があるわけ?と私は思うけど、足を引っ張るほど私も甲斐性がないわけではないので、大人しくお留守番している。
まあ、大人しくといえば嘘になる。
サトル。こいつは私の「親友」ってやつで、そういえば苗字は知らない。ついでに言うと、サトルという漢字表記も知らない。
出会いは高2の体育祭。一番の盛り上がりを見せるチーム対抗リレー中、当時粋がってヘビースモーカー気取っていた私は白熱するグラウンドから離れ、校舎裏のトイレの壁に隠れて一服していた。ここはほとんど人通りもなくて、穴場スポットだった。
そこへふらりとやって来たのがサトルで、その華奢で色白で薄い色素の癖毛のこんなやつ、これまで存在すら知らなかった。だけど同じ色の体操服を着ているからおそらく同学年で、そしてそのポケットから当時のマイルドセブンを出したことに一瞬ぎょっとした。
「あ」
サトルはそう声を漏らし、その重たそうなひとえまぶたで私を見た。「ライターある?」
私はまたもうひとつびっくりして、「あ」「えーっと」とかそんな曖昧なことを言いながらポケットを探って火をつけてやった。気だるそうなサトルの前で、スムーズじゃない自分がかっこ悪いと思った。
「ども」
サトルは短く言って、ぷかぷかと煙を吐いた。
私は自分のことを、わりとかっこよく煙草が吸えるオンナだと思っていた。人差し指と親指で煙草をつまむのが、逆に慣れている風になるのだと気に入っていた。だけどそんなことを計算している時点で幼いのだ。煙草が嗜好品ではなくアクセサリーだと思っている私は、そこらじゅうにいるただの尖った思春期なのだ。サトルだってきっとそのはずだ。私と同じ、思春期だ。
この先、高校生という束縛から逃れ、社会に解き放たれたら私はきっと敷かれたレールをおとなしく走る。こんな尖った気持ちはどんどん靄がかかり、いつか見えなくなるのかもしれない。だけど目の前のこいつは、レールから外れて「自由人」とか「旅人」みたいな風吹かしてるんじゃないかと思った。私は、自分自身のことをきっと心底のワルじゃないんだなあと思った。
社会の評価軸に自分を置かず自由に生きる自分、はたまた社会的地位を築きながら向上心高く働く自分、どちらも憧れる。でも、結局どっちにも転ばず普通のOLにとどまるのだろう。
「大物になりそう」「海外に移住してそう」など、友達と呼ぶのも若干躊躇う程度の仲しか築けていないが、わりと会話をするクラスメイトたちは、私のことをこんなふうに評価してくれている。
だけど私は気づいている。体育祭や文化祭に真面目に参加せず、授業もサボり気味で、だけど自分なりにこだわった制服の着こなしと、もともと悪くない容姿がまわりの同級生と比べて少し大人びて見えるからそう思わせているだけだと。私は何の才能もないのだと。
ぷかぷかと実にうまそうに煙を吐くサトルの口元をじっと見つめていると、「君、かっこ悪いね」と聞こえてくる気がして恥ずかしくなった。
私はそいつに見せつけるように、新しい煙草に火をつけた。そして言った。「ねえ、あんたドーテー?」
うわああああ、やばぁ。言ってみてからそう思った。精一杯かっこつけたつもりだったのに、顔から火を噴きそうになった。なんでこんなこと言ったんだろう。別にこんなやつ、童貞だってヤリチンだって何だって良いのに。
すると、サトルら思いの外しっかりと私のほうに向き直って、そして視線まで合わせてくれて言った。
「うん、ドーテー」
その耳たぶが少し火照っていたのが私は忘れられない。
そしてその後ふたりはトイレの中へ倒れ込んだ、なんてのは安いドラマだけの話で、私は恥ずかしくてすぐにその場を去ってしまった。冷んやりとした秋の風が火照る頬にペタペタとはりつく。
そして唯一の参加種目である綱引きにだけは出て、だけどなんだかいつもより浮かれていて、何もかもどうでも良い気分なって閉会式も出ず帰宅した。
それから本当に彼に抱かれてしまうのは2年後で、高校時代からずっと付き合っていた社会人の彼氏と別れて気怠く過ごしていた短大の夏の夜中、サトルのお姉さんの軽自動車の後部座席で。サトルは高校を卒業してからスーパーでレジのバイトをしているなんていう、第一印象で抱いた彼への憧れをぶち壊しにしてくれる日々を送っていた。私は勝手に憧れて勝手に幻滅した。そうすると気負いなんてものはもう微塵もなくて、あっさりと体を委ねていた。
隔週木曜日の夜中、「今日バイトだったの?」「うん。明日は学校?」「うん、午後から」というお決まりのセリフを交互に発して、そしてお互いの寂しさとか虚しさとか、暇とかを処理するのが私たちのお決まりだった。
そのうちサトルがバイトの掛け持ちをするようになったり、私に新しい彼氏ができたりして、疎遠になりながらも何かのタイミングでまたふと連絡をとりあって夜中に会うという、特に盛り上がりもしない関係だった。サトルはいつもお姉さんかお母さんの軽自動車を勝手に乗っていて、「バイトして金貯めて、自分の車買う」なんて言っていた。 つまんないやつ、と思って聞いていた。
そんな私たちの関係を深める出来事があった。それは、彼氏に振られてヤケになって、酒を煽り泥酔している私をサトルが迎えに来てくれたというものだった。覚えていないけど、私がサトルに電話をしたらしい。その日はいつもみたいにお姉さんかお母さんの軽自動車じゃなくて、たくまが少ないバイト代で頭金のみを貯めて結局ローンで買ったタントらしかった。
普段、世間話なんてしないから知らなかったけど、先月から正社員での働き口が見つかったらしい。
「いつもは車だけど、今日は」
サトルはそう言って、そして私たちは初めてラブホテルに入った。たくまは初任給で、私にホテル代を奢ってくれた。
何が私たちを打ち解けさせたのかはわからないけど、それからはふたりで旅行になんかも行くようになった。
疎遠になったり再会したり、そんなどっちつかずな気まぐれな関係は相変わらずだけど、今現在は再会している期間だ。
「ボーナス入ったし、寿司でも行くか」
そんなことを言って、サトルは私の機嫌をとるようになっていた。
あの気怠い感じとか、物静かな感じは単なる照れ隠しだったようで、サトルもそこら辺に転がっている若いひょうきんな男の子だ。いや、正社員として働くようになってから徐々にそうなっていった気がする。生活リズムを夜型から朝型へシフトするだけで、その人間をまとうオーラがこんなにも変わるのかと驚かされる。やはり人間は太陽の光を浴びて生きるようにできているらしい。
ご飯を食べて、ラブホテルに行く。それがあの頃より少しオトナになった私たちのお決まりだった。
今月頭、出張の支度をしながら彼は行った。
「三週間、不在にするからね。誘惑に負けちゃだめだよ」
誘惑と言われればマスダさんが思い浮かぶ。別に誘惑なんてされていないけれど。私にとっちゃサトルの存在なんて、誘惑という言葉から連想される甘くて怪しいイメージは湧かないけれど、お寿司というエサに釣られているといえばこれは誘惑なのだろうか。
「サトルゥ。私、会社辞めるんだよね」
「んー?ついに辞めるんだ?楽しくなさそうだったもんな」
「まあね。お金なくなったら養ってくれる?」
サトルは少しの間黙って、それは困るというような表情で「寿司くらいなら」と言ってくれた。