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【第8閑】 ライオン東方渡来伝~獅子流転綺譚~ 其の弐

獅子吼ししく


「獅子奮迅」


「獅子身中の虫」


 いきなりだが、見て分る通りこれらは全て「獅子」の語を用いた故事である。

 実はこれ、全て仏教の布教に由来(ここでは説明を割愛しますので、各自で調べてみて下さい)した故事なのだ。但し「仏教用語」とは違うので誤解無きように。

 「仏教由来の獅子を使った故事」と言うのはおそらく単なる偶然などではなく、それだけ古来より「獅子」と「仏教」に密接な繋がりがあったと言うことの証左であり、また「獅子」と仏教が同時期にセットで中国に入ってきたことを窺わせる事例である。

 因みに自分が辞書で調べたところ、「獅子」の語を用いた故事は前述の三つだけしかなく、あとは諺や慣用句の類にしか「獅子」の語は用いられているだけのようです。


 さてそんなこんなで中国に伝わったライオン=「獅子のイメージ像」であるが……中国でデザインが独自アレンジされて――実物からかけ離れた装飾が施された「石獅子」が作られるようになり、唐の時代の仏教ブームに際して、仏教の全国への伝播と共に獅子は「石獅子」と言う石像となって、全国に広まっていったと考えられます。



 唐代の仏教ブームと言えば、かの玄奘三蔵が七世紀半ば頃に西域へ往復に十七年間を費やした旅をして、唐の国へ経典を持ち帰ったことが知られています。

 後年この玄奘三蔵の旅を下敷きにして、十三世紀以降に西遊記と言う物語が成立したわけですけど……この西遊記の作中の世界観では、仏界>道教の天界という力関係が前提になっている辺り、成立当時の中国国内における仏教の影響力の強さが窺い知ることが出来ます。


 もう一つ余談―― 

 ネットの某所で「ゴテゴテと装飾を施されて実物からかけ離れたデザインになった中国版獅子は、竜や麒麟のように幻獣化された」といった旨の記述を見掛けたのですが、ハテ? 自分はそのような事実を聞いたことがありません。

 実際、「石獅子」のウィキペディアの中国語のページを拙い自動翻訳で読んでみたところ、「当時の殆どの中国人は実物の獅子を見たことがなかった為、石獅子をイメージだけで作った」「中国の有名な幻獣と違い、獅子は幻獣化されなかった」といった旨の記述が読み取れましたし、うーん……


 ――閑話休題。 



 ここからは、いよいよ「中国版獅子“像”」が日本に渡来する段となります。

 本物のライオンからかけ離れた姿にアレンジされたこの「中国版獅子“像”」は、日本に伝わった後にさらなる「変貌」を遂げていくことになるのです――


 さて前回、日本には古来より「獅子」が渡来するずっと前から、“しし”と呼称されている動物が二種存在していたと書きました。よね? 

 「いの“しし”(猪)」と「かの“しし”(鹿)」のことです。

 これまでに説明した通り、「獅子」と言う名称はサンクスリット語の「simhaシンハ」を音訳して漢字を当てたものであり、「獅」と言う漢字も「獅子」の為に後漢以降に作られたらしい……と書きましたが、前回「獅子」と日本の元祖“しし”の名称が被ったのは「偶然だったらしい」と書いたのはこういった経緯があった為なのです。 


 因みに中国語では――「いの“しし”」は「シィ」或いは「野豬イェヂュ」、「鹿(かの“しし”)」は「鹿ルゥ」と言うので、それらの発音は日本に渡った際に訛化していないと思われます。



 「獅子」の日本への伝来とは――日本側から見れば「獅子」とは日本語で“しし”であり、それは「いの“しし”」と「かの“しし”」に続く第三の“しし”の登場を意味していた訳で……その為、在来の“しし”と区別する必要が生じたのは容易に想像出来ることです。

 その結果、中国版獅子は「唐獅子からじし」と言う新たな名前が与えられたと言う訳です。またその時点で唐獅子はその呼称に反して、中国版獅子とは異なる別物に変化して行ったのだと言えそうです。


 唐獅子とは――日本では古くから、絵画や文様などのモチーフとして使われてきた伝統的な図柄であり(狩野永徳の「唐獅子図屏風」が有名)、さらにそれに加えて牡丹の花を添えた「唐獅子牡丹」も伝統的な図柄となっています。


 で唐獅子とはその名の通り「唐の国の獅子」と言う意味である。これはつまり唐獅子と言うのは、唐代に日本に伝来したと言う事実を明確に表した名称でもある訳です。穿った見方をすれば、仮に隋代に伝来していたら、隋獅子と言う名称になっていたのかも知れず……

 因みに七世紀から約三百年栄えた唐より前に、唐を国号に冠した国が幾つか中国には存在したそうですけど(例…春秋時代の晋は当初は唐と称していたらしい)、常識的に考えればそんなマイナーな古い小国に由来している訳が無い、なんてことは言うまでも無く明らかです。


 またさらに八世紀の盛唐期になると、中国原産の牡丹が観賞用として栽培されるようになったとのことですので、先に触れた「唐獅子牡丹」の牡丹は唐獅子の後を追って八世紀以降の奈良時代の日本に入り、唐獅子と組み合わされて「唐獅子牡丹」が誕生した……と言うことになります。


 因みに猪肉の鍋料理のことを「ぼたん鍋」と雅な名で呼ばれるのは、唐獅子牡丹に由来していると考えられます。


 ところで「唐獅子(牡丹)」と言えば、ピクシブ百科事典によると「ライオンを元に想像された幻獣。中国をはじめ、東アジアの伝承などに散見される」と記述されているのですが……「中国をはじめ、東アジアの伝承などに散見される?」はて? そうなんですか? ソースは?

 先述した通り、「ライオンを元に想像された幻獣」と言う表現にも語塀があり、事実と異なっているように思うし、「幻獣」と言う分類にも個人的には違和感を覚えます。


 そもそも「幻獣」と言う語に「明確な定義なんて無い」に等しいので解釈は個々人の自由ではあるのですけど、「唐獅子」を幻獣認定するなら「信楽焼きの狸」「赤べこ」「ダルマさん」なんかも幻獣と言うことになってしまいそうな気がするんですけどねぇ……?

 


  唐の国に話を戻しますと――唐獅子、牡丹、そして「唐草文様」(次回で触れます)……とこういったものだけを見ても、遣唐使を通して唐から日本に入ってきた文化が如何に多かったのかが窺えます。

 また約二百六十年と言う長期に渡る遣唐使による留学・朝貢を行ってきた故か、唐が滅んだ後になっても、日本では中国のことをずっと「からの国」「唐土もろこし」と俗称していたくらいですから、この時期に受けた唐の文化の影響力は計り知れません……


 さてなんか話が色々脱線してしまいましたけど、次回の予告を少しだけ――時期が前後しますが、中国版獅子は石獅子としてオブジェ化されただけでなく、もう一つの文化を生み出しました。

 それ(・・)は唐の時代に生まれ、おそらく中国版獅子=唐獅子と同時期に日本へと渡り、唐獅子と同様に日本で独自の変化を遂げた、さらなる亜流の獅子文化……正月の風物詩としてよく知られるモノ――そう「獅子舞」のことである。これについてはまた次回の講釈にて――

 


【其の参につづく】

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