【第7閑】 ライオン東方渡来伝~獅子流転綺譚~ 其の壱
えーと…TS論の息抜きのつもりで、軽~い内容のものを一回きりで、と言う予定で書いていたのですが…「全5話の長丁場になりました(汗)
かつて今は亡きピー・プロが製作した「快傑ライオン丸」と言う特撮ヒーロー番組がありました。
この「快傑ライオン丸」は時代設定が日本の戦国時代であるにも関わらず、ヒーロー名が「ライオン丸」なのである。
「戦国時代なのに横文字? 英語? そもそも当時の日本にライオンって存在しなかったよな? しかもデザインがやたらリアルだし。設定に色々無理あり過ぎじゃね?」と冷静なツッコミを入れまくったちびっ子も、当時少なからずいたと考えられます。
はい、確かにおかしいですし、所詮は昔の番組の子供騙しと言ってしまったらそれまでなのですが、この点に関しては一応こじつけることは可能です。
ライオン丸を産み出した果心居士は、その昔チベットで修行したと言う設定があるので、チベットに行ったついでにインドに立ち寄り、そこで西洋人(旅商?)と実物のライオンに遭遇して、西洋人に「ライオン」と言う言葉を聞いて知ったのかも知れない。であればライオン丸とネーミングしたとしても一応筋が通るのかも? って感じで……
あれ? そーいえばライバルのタイガージョーっていたような、ゲフンゲフン……で因みにこのライオン丸に変身する主人公の名前を獅子丸と言いまして……って「獅子」?
日本どころか昔の中国にもライオンが生息していなかったのに「獅子」とな? ライオンは「何故」に「獅子」なの?
ってことでかなり強引な前振りとなりましたが、そんな訳で今回のテーマは「ライオン」と「獅子」、それらにまつわることを書きます。
日本には獅子=野生のライオンは生息していた事実はありません……ですが代わりに、かつて日本において別の「しし」は存在していたのです。
古代日本において猪は「いの“しし”」、鹿は「かの“しし”」とそれぞれそう呼ばれていました。
そのように呼称されていた名残りとして、猪と鹿の食肉はどちらも「しし肉」と呼ばれることがあります。特に猪の場合ぼたん鍋を「しし鍋」と呼ばれることがありますし、諺の「しし食った報い」の“しし”とは猪のことです。
また今では日本庭園の様式美の単なるオブジェと化した、時代劇などで定番のあの水を溜めた竹の筒がカコーンと鳴るアレは、元々は庭に迷い込む“鹿”を追い払う為のギミックとして作られたもので、その名も「鹿威し」と言いますし……
とこのように“しし”と呼ばれていた名残りが色々残っている訳ですけども、他にも鹿を「鹿の子」(今では字義通りの「鹿の子供」と言う意味で使われています)、猪を「豕」と言う別の古い呼称があったことから見ても、鹿と猪は密な扱いを受けていたことが窺えます。
これは確証のある話ではないのですが、“しし”の語源は「四肢」からだった可能性も考えられ、他の四足歩行のケモノ(狼・狐・狸・熊)などが“しし”と見なされなかったのは、鹿と猪だけが食肉の対象で、他の一部の獣が神の使いとして神聖視されていた、などの理由からだったのではないかと推察される(あれ? たぬき汁は……?)。
或いは昔の日本人は食肉の対象となったケモノの総称として、一括りに“しし”と俗称していただけと言う可能性も考えられますが……
余談ですが、この“しし”のように本来別のものに対して名前を当てられていた生物の例として、因幡の白兎の「鰐(ワニ」が有名です。今でこそワニと言えば大型爬虫類の生物として知られていますが、古代日本では魚類のサメの古語として使われていました。
あと他にもアフリカ産の首の長い哺乳類・キリンは、中国の幻獣・麒麟からその名を借用して、日本語名として命名されたりなんてことがあったり……
――閑話休題。
話を戻します――このように多くの事例があることから、古代日本において元祖“しし”が猪・鹿であるのはほぼ間違いない事実であり、“獅子”誕生の経緯の状況を考えると、後述する理由によりライオンを指す“獅子”と元祖“しし”の名前が被ったのは、偶然のことだったらしい、と言う実態が見えてくるのです。これに関しては次回含め順を追って後で説明して行きます――
そんな訳で、ここからは本題であるライオンについて話を移します。
野生のライオンはアフリカやインドに生息している大型ネコ科動物ですが……このライオンが漢字文化圏の中国に渡った来たのは後漢の時代の頃だったようで、仏教と同時期だった可能性が高いと考えられます(理由は次回で)。
またなんでも始めは、西域の商人が「生きた本物のライオン」を皇帝に献上したのが、中国(前漢か或いはそれより前の時代だった可能性も)にもたらされた最初のライオンだった……と言う話もあるようなのですが、皇帝への献上品にされたくらい本物のライオンは中国では希少な存在であった為、古代の中国人の殆どが本物を見たことが無かったのは確実でしょう。
で後漢から唐代にかけて西域より――所謂シルクロードを経由して、仏教と共にガンダーラ美術が中国に入ってくるようになり、その頃に「二次創作のオブジェ」と言うカタチでライオンの姿が改めて紹介されるようになって、中国でも一般に知られるようになったらしいのです。
この「二次創作のオブジェ」と言うのは仏教の仏門の守護獣として門に鎮座されたライオンの石像や、「獅子座」という仏像を乗せる台座などのことで、これらのモノが仏教文化の一部として中国に渡って来て、その文化に倣って中国の仏門や宮廷などに、「石獅子」と呼ばれるライオンを模した石像が置かれるようになった、ということみたいです。
因みにインド発祥の獅子像について異説として、「マウリヤ朝のアショーカ王の紋章がライオンだったからであり、それが後に中国に渡ったのだ」と言うものがあるようなのですが、アショーカ王が生きた時代と言えば紀元前三世紀であり、中国への仏教伝来は西暦に入ってからなので、時間が空き過ぎている為、この説は無理があるような気がします。
なお当時のインド・ガンダーラではライオンの名前を、サンスクリット語で「simha」と言い、それが中国に渡った時に、音訳に近い漢字に置き換えられて「獅子」となったとのことです。
さて問題は「獅」と言う漢字なのですが――
「師」に“獣”偏をつけた構成になっていますが……そもそも「師」の部首である「帀(音・ソウ、訓・めぐる)」と言う漢字は漢代以降に成立したとのことなので、比較的新しい漢字だと言えましょう。 また「獅」と言う漢字は「獅子」以外での使いどころが不明な漢字となっています(他に何かありましたっけ?)。
これは順当に考えますと、最初に漢代に「帀」が作られ、次に「師」が成立したのちに、「獅」が作られたということになります。
またそういった時系列的な経緯から成立した時期を考えると、「獅」はライオン=「獅子」と言う名称の為にわざわざ新たに作られたらしい、と言う実態が見えてくる訳です。
因みに「帀」と言う漢字は、現在日本では使われいない中国だけで使用されている漢字であり、「帀」は部首としても「師」「獅」など数える程しか使用されていません(どなたか「師」の左の“へん”の名称を教えて下さい。調べても分りませんでした)。
あともう一つ――「仏」の旧字「佛」は「仏陀」のサンスクリット語を音訳する際、その為に創作された漢字だったらしい……とのことですので、これは「獅」の字の創造に関する考察の補強材料になるのではないかと。
……えーとさて、予定の字数を超えてしまった為、今回は中途半端なところで終わりとなります。
中国に入ってきたライオン=「獅子像」のその後や、日本への伝来については……それはまた次回の講釈にて――
【其の弐につづく】