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【第3閑】 幻獣王誕生~私論 ドラゴン考~ 後編

 聖ゲオルギウス――ドラゴン退治をした武人として知られる人物である。


 聖ゲオルギウスは3世紀後半の時代に生き、教義に殉じて聖人に列せられたと言う、実在したとされる人物です。それは即ち歴史上実在したドラゴンスレイヤーであると言う事になります。

 勿論ドラゴンは架空の存在であり、そちらの実情に関しては疑わしい訳ですけども……聖ゲオルギウスについては、聖人たちの伝説をまとめた書物「黄金伝説レゲンダ・アウレア」に記されています(とか言いつつ自分は未読であり、しかもこの書には聖ゲオルギウス以外にも、ドラゴン退治した逸話が記述されているそうなのですが、未確認の為詳細は分かりません)。


 

 聖ゲオルギウスのドラゴン退治はキリスト教圏では非常に有名であり、古くから絵画のモチーフとしてよく使われて来た為、Wikipediaを始め、「聖ゲオルギウスのドラゴン退治」で画像検索をすれば、そのドラゴン退治を描いたイコンや絵画などを確認出来ます。

 でその「聖ゲオルギウスのドラゴン退治」のイコンや絵画を見れば分かる通り、聖ゲオルギウスが退治したと言うドラゴンはとても小さくて、サイズ的にはイグアナかワニくらいの大きさでしかありませんし、ぶっちゃけ迫力の欠片も感じられません。


 仮にドラゴン退治が事実だったのだとしても、常識的に考えればそのドラゴンとは、どこかの誰か例えば商人などがインドかアフリカから持ち込んだワニが逃げ出したものがその正体だった、と考えるのが自然であり常識的な結論であろうと思われます……



 さてこのドラゴン退治の伝説では、「ドラゴンに生贄にされかけた王女をゲオルギウスが助けて、ドラゴンを退治する」と言う展開になっていますが、このプロットはギリシャ神話のペルセウスのアンドロメダ救出のエピソードに類似しています(素戔嗚尊スサノオノミコト八岐大蛇ヤマタノオロチ退治とも類似している)。

 と言うよりドラゴン退治を伝説化していくに当って、ペルセウスのエピソードから剽窃して作られたのが、英雄ゲオルギウスのドラゴン退治と言う物語なのだ、と考えるのが自然なのではないでしょうか?


 なお余談ですが古代~中世にかけてキリスト教では、殉教した英雄ゲオルギウスのドラゴン退治の物語を布教の為の宣材として積極的に利用していたフシがあります。


 この聖ゲオルギウスのドラゴン退治の伝説が成立したのは、Wikipediaによると11世紀から12世紀頃の事で、さらにその伝説を記述した「黄金伝説レゲンダ・アウレア」が完成したのが1267年頃との事なので、かの者の死後九百年以上も経った後で伝説が確立した、と言う事になる訳ですけど……唐突ですがここで棚上げされていた黙示録の「赤い龍」の問題について話を戻します。



 黙示録に登場する「巨大な赤い龍」の存在が世間に流布されていたならば、聖ゲオルギウスが退治したと言うドラゴンについても、どうせ尾ひれはひれがつくのであれば、「英雄ゲオルギウスが退治したドラゴンは巨大だった」と誇張されてしまうのが自然な帰結であるハズです。

 ところが退治されたドラゴンの姿は、聖ゲオルギウスに死後九百年以上に渡って、イコンや絵画において一貫してイグアナくらいのサイズでしか描かれていません。

 これはつまり中世ヨーロッパにおいて、「ドラゴンは巨大なもの」であると言うイメージがまだ確立されていなかった、と言う証左になる訳で……そして、これらが意味するところと言うのは……つまりドラゴンと言う幻獣を創生するに当って、黙示録に登場する「巨大な赤い龍」は、全く影響を与えていなかった、と言う結論に行き着いてしまう訳ですね。

 


 これ以降は、ぶっちゃけ面倒になったので駆け足で掻い摘んで説明して行きます。 

 

 北欧神話の「ヴォルスンガ・サガ」に登場する英雄シグルズは、洞窟で宝を守っていたファーヴニルが化けたドラゴン(或いはワームであるとも)を退治。「ヴォルスンガ・サガ」の成立は11世紀以降で、キリスト教化前に成立した物語であると言う。

 

 ドイツの英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の主人公・英雄ジークフリートは、シグルズと同一起源の人物とされる。ドラゴン(姿の詳細不明)を殺し、その返り血を浴びて不死身に。「ニーベルンゲンの歌」が成立したのは12世紀~13世紀頃との事。


 英国最古の叙事詩「ベオウルフ」では英雄ベオウルフが退治したドラゴンは、「財宝を守り、翼で飛び、口から火を吐く」といったドラゴンの基本要素が揃っています。この物語が成立したのは8世紀以降で、英国のキリスト教化される前の12世紀前には完成していたらしい。

 但し残念ながら、そのドラゴン像が確立するまでに至る過去の伝承は不明。おそらくケルト神話辺りの流れを汲んでいると思われるのですが……



 まとめに入ります。  


 シグルズとジークフリートが退治したドラゴンはドラゴン像が確立されていなかったのに対し、「ベオウルフ」のドラゴンはほぼドラゴンを構成する要素が揃っています。これはつまり「ベオウルフ」におけるドラゴンがドラゴン像を確立させたと見て間違いないと思われるのです。

 かの「アーサー王伝説」は11世紀にフランスに渡り、12世紀にはその内容がキリスト教化されて物語が確立されたと言割れています。で、おそらくかのドラゴンが登場する「ベイオウルフ」も「アーサー王伝説」と同時期にフランスに渡り、ヨーロッパ本土のキリスト教圏にドラゴンのイメージが伝播・拡大したのではないかと考えられるのです。


 ……とここまで書いて気がつきましたが、こんなに長々と書く必要などありませんでしたね。一言『「ベイオウルフ」が切っ掛けでドラゴン像が確立した』とでも書けば済んでしまう程度の話だった、と言う事実に気がついて愕然とするばかり(汗)


 とまあそんな訳で、ドラゴン像が確立されたのは中世後期からルネサンス期に入ってからなのかなぁ?と思う次第です。

 巨大化した理由? よく分かりません。おそらく巨人退治の伝承・伝説などからイメージがフィードバックされ結果なのではないかと……



 えー唐突ですが、以上を以て本項を終わりにします。えっ? オチがない? はい、そんなのありません……

 これは学術的な考察や卒論の類いではなく、所詮は素人の暇つぶしで始めただけの考察に過ぎませんし、ワイバーンと言う重要な存在や、紋章学やらにも触れられていなかったりして、この考察は滅茶苦茶穴だらけです。

 とゆーコトでオチのないままで無理やり終了とさせて頂きます。


 いや決して、これ以上考えるのが面倒になったとか、書くのが疲れたからだとか、飽きただけだとかの理由で辞めた訳じゃありませんよ! いやホントに違いますからね……!!



 えーと、これぞまさに竜頭蛇尾ってヤツですかね?……お後がよろしいようで。ちゃんちゃん。

つーかーれーたー……!!

もっとお気楽ご気楽なテーマで書けば、こんな苦労はせずに済んだのに……


もうこんな面倒なのは書きたくない……とか言いつつ、実はこのテーマまだ終わっていません。

「西洋の龍」の方だけで想定以上に長くなってしまいましたが、本当はまとめて書く予定でいた「東洋の竜」についてまでは書けませんでした。


とゆーコトで……

次回予定『幻獣王誕生~東洋偏~(仮)』

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