【第9閑】 ライオン東方渡来伝~獅子流転綺譚~ 其の参
『多くは大陸からもたらされたとされているが、起源は中国説やインド説など各説あり定かではない。観察したところ、日本の獅子舞材料があるためマジャパヒトの王と日本の天皇との間の良好な関係のボディに頭部のための木と布で作られているジャワ島からの獅子舞に似ています。ジャワのライオンは、紀元前14世紀に日本にもたらしました』
いきなりですが(前回と同じ始まり方で申し訳ない)、これ何て書いてあるか意味を理解出来ますか?
なんか外国語の文章を無理矢理翻訳したかのような文章ですが、おそろしいことにこれ日本語版ウィキペディアの「獅子舞」の項目の「起源」に関する記述なのである。
そもそも「ジャワのライオンは、紀元前14世紀に日本にもたらしました」などと言う記述なんかは、小学生でもデタラメと分ります。
古代日本に関して公式に言及された記録と言えば、最古の書物は魏志倭人伝であり、国内最古の文献は古事記(こっちはまともな歴史書ですらない)――の二つだけであり、どちらも西暦以降の時代のものです。
紀元前十四世紀だと邪馬台国より時代が古い(笑)……っていうかこれあまりにも恥ずかし過ぎる文面なので、誰か早いところ修正してやって下さいな。
さてウィキペディアの記述は何も考えずに鵜呑みにすると危ないよ、と言う情け無い証左を示したところで――「獅子舞」の話である。
「獅子舞」の起源は判然としませんが、唐獅子と同様におそらく中国の唐代辺りが発祥ではないかと推察されます。中国の獅子舞を舞獅と言い、それが日本へ伝来したのも唐獅子と同時期か少し後の頃かと考えられます。
直前にウィキペディアの不備を指摘しておいてあれなのですが……「(旧)秋畑村」の項目の記述によると、日本における最古の獅子舞の記録として「創始と言われる三匹獅子舞が伝承されて」いる旨が、西暦七〇八年に記された文献に残されているとのこと。また――
『獅子はインドで人を食べて生きていたが、インドに人間が少なくなってきたので大和の国に行こうとしたところ、それを察知した日本の神が狐を天竺の権田河原に遣わし、獅子に「大和では人を食べる代わりに悪魔を退治すれば食べ物を与えられ、悪魔祓いの神としてあがめられるだろう」と諭し、狐が先導役になって日本にやってきたとされる。演じられる際に、狐役が獅子舞を先導することから、この系統の獅子舞は稲荷流と呼ばれるようになった』……とあります。
狐の方は兎も角、「三匹獅子舞」において「獅子が三匹」であることの由来が全く分かりません。これはもうお手上げです。なお狐の方に関しては推論が可能なのですが、こちらについてはまた別の機会に。
余談ですが中国南部の舞獅――南獅では獅子は三頭仕立てで、蜀漢の劉備・関羽・張飛の個性が付与されているとのこと。
この伝統が唐代より古くにあったのであれば、日本の「三匹獅子舞」のルーツはまさしくこれであるとして、話が綺麗に収まっていたところなのだが……残念ながら唐代初期頃には三国志の説話は、まだ民間に流布されていなかったらしいので、「三匹獅子舞」とは無関係なようです。
話を戻します――
「三匹獅子舞」に関する記述が事実なのであれば、中国で興った獅子舞の風習は飛鳥時代末期には日本に伝わっていたことになります。
ですが最初から日本の獅子舞スタイルが完成していた訳ではなく、これにはあるモノが欠けていました。それは――「昭和のドロボー」のテンプレとして有名なあの風呂敷の模様……そう「唐草文様」です。
この唐草文様はルーツは兎も角、唐獅子同様その名の通り唐の国からもたらされたモノです。
「同じ唐土モンだから両方くっ付けちゃえ」みたいに単純に考えた結果なのかは知りませんが、この唐草文様を獅子舞の獅子と合体させた結果、今日に知られる獅子舞ルックが完成した訳ですね。
なお唐草文様が日本に伝わったのは、奈良時代に入ってからだそうなので、あの獅子舞が出来上がった時期は、早ければ同時代には誕生していたことになりそうです。
ところで今更な話なのですが――我々は幼い頃から獅子舞を何の疑問も抱かずに、アレを獅子だと認識してしまっていますけど、冷静になってよく考えて見ればアレって全然「獅子に似てもつかないデザイン」になっているんですよね……獅子の原型を僅かに感じさせる唐獅子の方はまだしも、なんで獅子舞の獅子があんな奇抜なデザインになってしまったのか、全く持って不思議です。
因みに本場・中国の獅子舞――舞獅は先に少し触れた通り、南部の南獅と北部の北獅があります。
北獅のデザインは、ヨークシャーテリアやアフガンハウンドドッグのような長毛種の犬みたいにモフモフの長い毛で覆われており、毛の色は真っ赤で頭部は金色となっています。
一方の南獅の方は、長毛ではなく北獅より派手な装飾が施されてのが特徴。
といった感じで北獅も南獅も、どちらも日本のものとは全くの別物となっている訳ですが日本版獅子舞に比べれば、まだ獅子の原型を留めているような気もしなくはないですね……
さてここまで唐獅子、獅子舞と話を進めて来ましたが、察しのいい方はお気づきかも知れませんけど、「あれが抜けているんじゃないの?」と思いになられた人もいることでしょう。
そうあれですよ。寺社仏閣の入り口の前で門番をしているお馴染みのアイツ――「狛犬」のことです。
「狛犬」――コイツこそが今回のシリーズの大本命にして、このテーマの主役だと言っても過言ではありません。長々と続けてきて、ここでやっと登場と相成ったわけです。
とは言え困ったことにコイツの説明をどうやったらいいものか、非常に難しくかなりの困ったちゃんなのですよ。
これのルーツが中国の石獅子であり、おそらく唐獅子の前か同時期頃に日本に伝来し、狛犬に変貌を遂げたらしい、と言うところまではなんとなく分るのですが……なにせコイツってばコマイヌ――そう「犬」なのですから……
えーと狛犬の前身が石獅子であり、そのまた前身がライオンな訳で、本物のライオンは大型ネコ科動物……古代の中国人の方はどうだったのかは分りませんが、これはどうやら「昔の日本人は獅子をネコだと認識しておらず、イヌ科動物だと誤解していた」としか他に考えようが無いのですよね。
ネコ→イヌに転じてしまったことも疑問なのですが、それよりもそもそも何故名前がズイイヌ」でも「カライヌ」でもなく「“コマ”犬」なのか? と言う根本的な問題があったりする訳ですけども、予定していた字数が尽きてしまったので……これについてはまた次回の講釈にて――
【其の肆につづく】
★オマケ
四~五世紀頃……日本への漢字伝来
六世紀半ば頃……日本への仏教公伝
西暦五八一年……隋興る
西暦五九二年……飛鳥時代の始まり
西暦六〇〇年……遣隋使を派遣開始
西暦六一八年……隋滅亡→唐興る
西暦六三〇年……遣唐使の派遣開始
西暦七〇八年……三匹獅子舞の記録
西暦七一〇年……奈良時代の始まり
西暦七九四年……平安時代の始まり
西暦八九四年……遣唐使停止の建議
西暦九〇七年……唐滅亡
もうちょっとだけ続くんじゃよ…




