梅日和、もしくは鬼の研究(900文字)
天神川は北野天満宮の梅園の一段低いところを、北から南へ流れている。
岸には金色の龍頭が繋留されていて、ちょうど花見客が乗り降りしているところである。
急いで乗りこむ。
舳先のほうに白髭の老人が立っていて、金の烏帽子と白い狩衣を身に着けている。
持っている金の錫杖を振りあげ、とんと甲板に打つと、繋いであった縄がするするほどけて、船が岸を離れていく。
鮮やかな朱塗りの橋をくぐり、梅の回廊を下ってゆく。
前方に架かっている橋を、異形の鬼たちが列をなして渡っているのが見える。
あそこは恐らく一条通りだろう。
名にし負う鬼の通り道である。
一条通りは平安京の東西を走る大路のうち、最も北の端に位置する。
一条通りから南が洛中、北は洛外。
人々が暮らす日常の領域とその外とを分かつ境界線である。
年がら年中京都の街を車で走っていて思うのは、今出川通りの北と南で気象が違うことである。
今出川通りは、ここいらでいうと北野天満宮の南端に接する東西のメインストリートで、一条通りよりも三百メートルほど北にある。
今出川通りから北はしぐれていても、南は陽が照っているのはしょっちゅうである。
午前中市内全域に雪が降った時には、午後は今出川通りから南は雪が融けていても、北のほうはまだ残っていたりする。
この気象の境界は、実際は今出川通りより三百メートル南の一条通りなのではないか、と私は睨んでいる。
いまでこそ一条通りが西行き一方通行の狭い通りで、そう頻繁に通る道ではないので、実感が湧かないだけだと考えるのだ。
平安京が造営された当時、大極殿は東の吉田山と西の双ヶ丘を結ぶ直線上にあった。
この東西のラインと、北の船岡山から真南に走る正中線がクロスする場所に、わざわざ大極殿を建てているのである。
正中線はそのまま朱雀大路となり、南へと延びている。
そして吉田山・双ヶ丘ラインに大気の流れ、龍脈があり、龍脈の北と南で気象の違いが生じるのではないか。一条通りがそのフィールドの境界を示しているのではないか。
鬼と龍脈――古都を蠢く異形の者たちの正体は、この街の地理的風土の特質が、そこに暮らす人々の想像力を介して現出した幻なのではないだろうか。