74 閑話 いま明かされる衝撃の事実
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
旧年中は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございました。
移り変わる時代の潮流にも関わらず、変わらずお読みいただきました事、我ら一同ここに深謝致します。
何卒変わらぬご愛読の程を、宜しくお願い致します。
2026年/令和八年 元旦
《 ラルキ王城 上層バルコニー 》
「ふむ、もう新年の祝い日とはの……。時の流れの速き事よ、まさに『光陰矢の如し』であるな」
王城高層の張り出し部に悠然と立ち、降り注ぐ陽光を浴びながら独白気味に言の葉を紡いでいる天音詩織。
「祝い日とはいっても、毎年毎年繰り返される行事でもあるのよね……。確かに祝いたいという気持ちもあるけど、正直なところ『感慨一入【かんがいひとしお/ある出来事・状況に対し、しみじみとした感動や思いが湧き、深く感じ入る様子】』という訳でもないのよね……」
そこにリーナが姿を現わして、詩織の側に立つ。そして眼下に広がる街並みを見つめながらも述懐する。
「ここだけの話だけど、正直『あの教会【旧教】がやれと言っていたから、やっている』と言うのが実態だったと思うのよ。ついでに年始の挨拶で『長くて有難いお説教』を聴くのはウンザリしていたのよね……。その点『新教』の星光教会は良いわね。とても穏やかで緩やかだし、なにより朗らかで」
「うむ、ティナもアリシアも良くやっておる。街中を練り歩いて挨拶を受けながら祝福をして廻っておる。加えてリーナが『信教の自由』を保障する施策を打ちだしたおかげで、各地の有力な教団支部もここラルキ近隣に出来つつあるしの。さらに――」
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新興国ラルキの国主たるリーナは、解説を続ける詩織を観ながら思わず笑みを浮かべていた。その頭に思い浮かぶ言葉と云えば『僥倖【ぎょうこう/偶然の幸運】』の一言である。エミナが天音詩織と邂逅し客将として迎えていなければ、今この場に自分はいないのだけは断言できる。
もしかしたら違う物語では、私は全てを投げ出して、流れる雲のように諸国遍歴の旅にでも出ていたのだろうか……。
まぁ……、それはないわね。おそらく一年と経たずに行き詰まる自信がある。行き着く先は『野垂れ死』にか『落草【賊徒になる】』した末に討ち取られるか……、そんな結末しかないだろう……。
諸国遍歴の旅に出ずとも、おそらくは意味も無くただただ泣き喚き、己の不遇に嘆き、己を見出すこともしないこの世に怨嗟の声を投げつけながら、無聊を託つ【ぶりょうをかこつ/する事が無く、手持ち無沙汰で退屈な様子】日々を虚しく過ごした末に、何処かで人知れず死んでいたことだろう。
……いや、それすら許されずに己にとっては非業の死、他者にとっては日常に溢れ返る死を迎える事になったかも知れない。
何れにしても――『小人閑居して不善をなす【しょうじんかんきょしてふぜんをなす/品性の劣る者は、暇になると碌な事をしない】』――なのは間違いない。
その一方で国主として政に携われば、また違う事柄に不本意ながらも出くわす事にもなる。不善すらなさずに、唯々不平不満を述べるだけの者達がいる事を知った。それと同じく阿諛追従【あゆついしょう】のみを行う者がいる事も知ったのだ。
これらは貴重な経験であったといえる。
もっとも、このような者達の顔と名など覚えてもいないのだが……。
それにしても、なんと恐ろしい事か……。
誰にも覚えられる事も無く、思い返される事も無く、語られる事も無い。
その虚無に呑み込まれる恐ろしさたるや、想像を絶するッ!
だからこそ、私を信じて頼って来た者達の心を軽んじる事など出来ない。
私が光明を見た様に、私も民達に道を照らしたい。
その道を歩むか否かは人それぞれなれど、出来得る限り道がたくさんある事を教えたい。そして自ら歩もうとする者達を護りたい。
傲岸不遜な考えなのかもしれないが『民達の心からの笑みと笑い声』を護りたい。
それが私の内に秘めた多くの願いの一つなのだ。
だが私一人では『できる事など数えるほどしかない』のは言うまでもない。
だからこそ皆の手助けと協力が必要となる。
たとえ私の願いに賛同せずとも『反論の機会と反対の表明』をする事を、その者を含めて私は護ると誓う。
『効率が良いから弾圧する』などという安直な手段は、容易に自らも毒することになる。『目障りである、耳障りが悪い』からと言って報告を見ない、受けつけないでは、重大な事案があっても報告すら上がらなくなる。それは最終的には己の目や耳を塞いで歩くに等しい行為だ。
不協和音を聞きたくない、それどころか『予定調和の称賛』に浴し、礼賛に耽溺したい等と考えること自体が、一種の独善的・独裁的傾向を現わしているとも云える。
そもそも『全ての民の感情を制御したい』などと考えること自体が、傲岸不遜の極みだろう。
このように考える事が出来るのは、詩織に進講【しんこう/貴人に対して専門家が講義すること】をしてもらった事に起因している。
私が十全なる『領主教育』を受けていない事に不安があるとエミナに吐露したら、詩織に相談したらしく、ならば『妾が講義をしよう』という話になったのだ。
……詩織が講義できるという事は、詩織自身が『領主教育』を受けているという事の証左だが、そこは敢えて踏み込まないようにした。
そんなこんなで詩織に進講をしてもらうのだが、その度に『自分の幼稚さ』に身がつまされる思いがする。
例えば以前――『知らしむべからず、由らしむべし』――という題目について論議していたのだが、私は最初これを『民に教え知らせる必要は無く、また判る必要もない。ただ為政者の方針に従えばよいのだ』と解釈してしまった。
一方で詩織の解説では――「全ての民に等しく理解させると考える事自体が奢った考えである。政策の立案と施行には複雑な背景と道理、条理があるのと同じく、民の才知もまた千差万別であり、そのような民達に完全に理解させることは非常に難しい。 そうであるならば為政者の行う施策を信頼してもらうしかないとなる。 逆説的に述べれば、行おうとする施策を信頼してもらうには、為政者への信頼と信用が無ければならない。それ故に志ある者は、常日頃の言動と行動に留意しなければならないという意味も含まれておる』――と見事なまでに論じられてしまった。私と共に之【これ】を聞いていた者達は、あまりの恥ずかしさに赤面していたのを覚えている。
もちろん私も大いに赤面したが、同時に安堵もしたのだ。
同じような馬鹿げた解釈をした者達が、大勢いたからである。
そして此れだけではないのだ。こんな事が幾度となく繰り返される。
その度に『己の矮小さに恥じ入る』のだが、其れすらも詩織の談ではこう解釈されたのだ。
則ち――『己の知らない事が多くある事を知った。そして己もまた過ちを繰り返す事を知ったという事であろう。その事を学び得たのだから良いではないか』――と。
それから私は様々な事を『学んだ』のだ、そして『学べる』という環境が如何に稀有な事なのかをも、同じく学んだのだ。
そんな沈黙思考に浸っていたのだが、突如にして意識が急速に浮上する事になった。
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「――と、まぁ、公転軌道が一周したと考えれば、それはそれで感慨も一入ではないか」
詩織の放ったそんな何気ない一言。
その一言が、今迄の薄氷の如き常識を粉砕する。
「あの……、詩織様。公転軌道とは一体どのような事柄なのでしょうか?」
同じくバルコニーに出ていたエミナが困惑の表情を浮かべながら詩織に問うている。
「うん、公転軌道か? そうよな、今日は公務も休み故に時間もあるの。では天体軌道論に惑星物理学と惑星科学、それらの関連として地質学と気象、気候と農業分布と言ったところの『初めの触り』も共に考えてみるかの?」
「おお! それは実に興味深い論題です。早速、黒板などを用意させましょう!」
意気軒高にエミナが応え、イザヨイから齎された黒板を早速に歓談室に運ばせると共に軽食類も運ばせていく。一方でリーナは未だ沈黙思考に浸っていた。
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「陛下、詩織様から新たなる進講をお受けしますか? とても興味深い論題ですが」
「……」
「陛下?! どうしたのです、気分が優れないのですか? 何処か御体の具合が良くないとか?!」
「……ふァ?! え? 何?」
エミナが近づいて声を強めて問うたことで意識が浮上したが、あまりに急速に浮上したため現状がいまいち認識できていない。
「御進講を希望されますか? とても興味深い内容の様ですが」
「え? あ、そうなの? エミナが薦めてくるのだから面白いのでしょうね。受けてみるわ!」
「陛下、御歓談の折り失礼致します。星光聖教会ティナ・ライデル総主教猊下が、新年のご挨拶をとお越しでございます」
小間使いから伝言を受け取った侍女が恭しくリーナに内容を伝えていく。
「ふむ、ティナか。リーナよ、共に聴講させてよいか?」
「あら、ティナ殿がお越しなのね。
興味深い内容の進講なのだから、共に学び考えていきましょう。
新年の挨拶をお受けした後、『時間の都合がよいようでしたら、進講を受けて共に学び考えたい』とお誘いしなさい」
「畏まりました。そのようにお伝えいたします」
恭しくそして礼儀正しく侍女が下がっていく。
阿鼻驚嘆の新事実が明かされるまで、間もなくだった。
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《 星光聖教会ティナ・ライデル総主教 》
「――かように、惑星とは球体である。また自転周期を一日とし、公転周期を一年とする。加えて地軸はやや傾斜しており、これによって自転により生まれる昼夜の長さが一年を通じて変化していく。即ち昼夜の長さが変動する事で季節が移り替わるのじゃ。また季節による熱量の変化が、大気循環の気流を生み出し四季折々の気候が発生することになる。もっとも気象や気候の変化要因はこれだけではない。海流の温度や巨大山脈と言った地表面の影響も受ける事になるがの。このように地軸の傾き、地表面の隆起、海洋面積、惑星の自転、公転軌道などが絶妙に組み合わさることで、四季折々の多様なる気候と大気循環が生まれるのじゃ。さて、ひとまずはここで一区切りとするかの、なんぞ質問などあるか?」
皆が皆、待ちかねたかのように怒涛の質問が始まった。
「詩織様、この大地は平面と云うのが常識であり、世界の果ては大瀑布なのです。そして、そこに至れば誰も帰っては来れません。それこそが真実かとッ!」
「その『世界の辺縁』とやらを見たのか? 球体であることは数学的に証明できるが、それ以前に遠洋航海の船乗りに話を聞けば判る事ぞ? 遥か遠方の船の帆柱【ほばしら/マスト】がどのように見えるかを聞けばよい」
「詩織様、それではこの地が球体であるならば、一方向に進み続ければやがて反対から現れるという事でしょうか?! そんな事あろうはずが有りません!」
「そこなグラスの円周に指をなぞらせればよい。回帰するのは必然ぞ」
「詩織様、この大地が球体なのは可笑しいと思うのです。球体であるならば我らの反対側の地にいる者は天に向かって落ちてしまいます」
「うむ、良き質問であるな。それを説明するには時間が必要なのじゃ。この休憩が終わったら共に考察しようではないか」
「詩織様、それでは先ほど仰られた皆既日食や皆既月食も予測できるという事ですか!?」
「無論じゃ、次の皆既月食は三年後じゃな。そもそも皆既月食は『この惑星』の影に月が入る事により起こるのじゃが、その際に円弧が見えるじゃろ? つまりは、この地が球体である事の証左でもあるの」
「詩織様、御言葉ですが、その惑星とやらが自転しているとなれば、私達は目が回るのではありませんか? 其れでは真っ直ぐに歩くことも叶いません。ですが私は真っ直ぐ歩くことが出来ます。ほら、このように! 従って私は目が回っていない事になり、延いては惑星とやらが自転していない事の証左ともなるのではありませんか!」
「うむ、それはな、――」
「詩織様、そ、それでは――」
「詩織様、――?!」
「――!」
御進講を拝聴させていただきましたが、正に世界観が揺れるどころか崩壊しました。そんな衝撃の御進講が終わりを迎え、私は漸くの事で教会に戻って来たのです。
正直な話、どうやって戻って来たのかすら覚えていない。
それほどまでに、大きな精神的衝撃を受けたのです……。
ご挨拶に『伺う前』と『伺った後』では、私は生まれ変わったと言えるでしょう。
なんと私達が生きるこの大地は丸い球体であり、太陽の周りを周回しているのだそうです。
私が知っていると思い込み、そして信じていた事実は、『この世の中心はこの世界であり、この世界の中心は教会である』というものでした。
ところが詩織様の説では、全くの逆なのです!
では詩織様の説が『全くの虚構』なのかと言えば、そうではないと確信せざるを得ない説明なのです。
確かに所々で高度過ぎて理解が及ばないところも散見されましたが、それでも問えばかみ砕いて説かれ、求めれば詳説に解かれるその姿に、揺るぎの一欠片すら無いのです。
『疑いようのない事実が歓談室にあるという事実』が、あまりにも重いと言わざるを得ない。
―― 『事実と現象の解明は教会で説かれるんじゃない。歓談室で解かれるんだ!』 ――
そんな言葉がふと思い浮かんでしまいました。
この事実も衝撃ではあるのですが、事はそれだけで終わらなかったのです。
なんと『皆既日食』と『皆既月食』が、なぜ起こるのかを説明されました。
其れだけでは、ありません……。
『皆既日食』と『皆既月食』の時期を数学で計算し、予測する事が出来るというのです。
私は、思わず詩織様に『それは予言ではないですか!』と恥ずかしながらも、詰め寄ってしまいました……。
それほどまでの衝撃だったのです。
そんな私の不作法を、詩織様は気分を害される事も無く、ただただ鷹揚にお受けいただいたのが幸いでした。
恐らくは、思わず取り乱してしまうほどの衝撃を受けた私の心情をも汲んでいただけたのでしょう。
恥ずかしながらも、思わず取り乱してしまうのには『理由がある』のです……。
なにせ袂を分かったあの光神教会は『皆既月食』や『皆既月食』に託けては『神の御名』を連呼し、ときには『凶兆』だと激しく言い募って不安を醸成し、様々な貢物を求めたり反対派などを粛清したりしているのです。
そ、それのみならず市井の女人や貴種の女人、果ては幼子までを求めては……、口にするのさえ憚られる行状を……。
なんのことはない、自らの私利私欲を満たし、悦楽を得るために『神の御名』を騙っていたのですッ!
ドサッ!
其処に考えが及んだ時、私の視界は暗転したのでした。
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いつの間にか寝具に横たえられていた私は、目が醒めると共に身を起こそうとしましたが、アリシアにやんわりと止められてしまいました。
横たわりながら話を聞くに、どうやら私は気を失った状態で発見されたようです。アリシアは後遺症の再発かと危惧し、至急に詩織様をお呼びして診てもらったのだという事でした。
もっとも『単なる過労だろう』との事で安心しながらも、アリシアはこの寝所で不寝番をしていたのだと言うのです。
感謝の言葉しかありませんが、アリシアもあの御進講を拝聴していたのに、何の衝撃も受けなかったのでしょうか?
そんな事を何気なく問うと、どうやらアリシアもちゃんと衝撃は受けていたようです。
ただ私よりもその衝撃の度合いは、軽かったようですね……。
以前にアリシアから『黒騎士』の顛末を聞き及んでいたのを思い出しました。
想像する事すら難しい『地動説』よりも、家門の事ゆえに身近で想像しやすい『黒騎士』の顛末で、アリシアの胆力は鍛えられたのでしょう。その落ち着き具合に『然もあらん』と納得してしまいました。
ただアリシアの談では曰く――『毀誉褒貶【きよほうへん/人や物事の評価が誉める事と貶す事の両論が混在している】の振れ幅の大きさは、人それぞれです。『他者の唱える論と評』にのみ拠る事は、言うなれば『考える事の放棄である』と思うのです』――と諭されてしまいました。
加えて「詩織様の説を聞くに理路整然としており、至極もっともな考えかと思います。ただ検証はしたいと考えますので、まとまった空き時間に詩織様に御教授をお願いしたいと思います」との事でした。
アリシアの言葉は、示唆に富んでいますね。
私の重い胸中を整理するためにも、アリシアと同席して教えを乞う事にしたいと思います。
今回の事で『一方のみの論と評に依拠するのは危険なのだ』と身に詰まされる思いでした。
此度の実体験を伴った実感から、争いなり諍いなりがあったならば、必ずや双方の考えと主張を聞こうと秘かに誓うティナであった。
この日を境にティナはより一層精勤に励みながら、学究にも邁進する事になる。変化を恐れないその態度は、一部の宗派からは『節操無し』として蛇蝎の如く険悪されたが、大多数の者たちからは『穏健で懐が深く真摯である』との評を受け、またその智慧【ちえ】の輝きたるや『十指に必ず挙げられる』とも称されるほどであり、星光聖教会の『類まれなる総主教』として敬意と尊敬の念を以って遇される事となったのである。
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――『遍く万物に、光あれッ!』――
この語は、星光聖教会の唱えるとても有名な聖句の一つである。
これは『あらゆる差別を許容も認可もしない』というティナ・ライデル総主教の強い決意が籠っていると共に、学理の探究を推奨し、同時に『我ら星光聖教会は貴方と共に常にある』との宣言であると言われている。
そんな聖句と共に、同じく星光聖教会が広めた警句がある。
それは―― 『汝、死を忘れることなかれ』 ――である。
これは時代によって様々な意味が加除されて解されてきたが、根幹の意味と用例は、『人生の「儚さ」と「死」を意識し、以てこの瞬間の大切さを実感し豊饒にして芳醇なる人生を送れ』であり、『如何なる出会いであれ、二度と繰り返されることのないこの一時【ひととき】の大切さに思いを馳せよ』という意味も併せ持つとされている。
お読み頂きありがとうございました。




