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66 錬キン術

 Side: 天音詩織


 コンコン、コンコン。

 部屋の扉からやや控えめにノック音が響き、来訪者の存在を告げている。

 いまこの客室は剣聖の執務室兼私室として使われている。

 もっとも客室と言っても相当に広い。王城内で自由に使える部屋では最大級と言っても良く、その厚遇ぶりが窺える証左でもあった。


 またさすがは一国の政庁でもあるラルキ王城というべきか、その部屋の扉は仕上も良く、立て付けも良い。また質の良い木材の使っているためか音の響きも良く、心地よい音色を立てている。

 そんな音色を聞きつけ、詩織付きの三名の侍女のうち一人が扉を開けて、小声で用向きを聞いていく。

 そして詩織に言伝を伝えるべく、しずしずと歩を進めていく。


「御公務中、失礼いたします、天音様。城門に天音様より依頼されたという商人が参っております」

 用向きを聞いた侍女が、一心不乱になにかを著している詩織に向かって声を掛けてくる。


「うむ? ……おう、きたか。では、休憩がてら見に行くとしようか。 ところでお主、妾につくのは今日が初めてか?」


「は、はい! 誠心誠意、お仕え致します!」


「うむ、頼むぞ。ところで名は?」


「ファナ・カーンと申します。お見知りおきを賜れば幸いです」


「ふむ、ではファナよ。妾のことは詩織と呼ぶが良いぞ」


「え、あの……、そのような非礼は、その……」


「構わぬ。時と場所と場の状況をわきまえればな。 それにお主らならば、その使い分けは出来よう。ほれ、言うてみよ。ん?」


「し、詩織様」


「良き哉良き哉、では行くとしようか。皆、供をせよ、ファナもな」


「はいッ!」


 詩織特有の人心掌握術なのか、はたまた天然なのか、日替わりでつく侍女の名を全て覚えていく。

 そして城内を何気なく歩きながらすれ違う際に、名前呼びで声を掛け、また何気なく服装の身嗜みなどをそれとなく手直ししていく。

 また、このような所作は侍女のみではない。

 夜間の警備兵の詰め所にふらりと顔を出し談笑したり、見回りの際に城壁上の兵に声を掛けたり、居り悪く天候が悪くなれば、蝋塗りの簡易耐水外套【イザヨイ製】を手ずから持って行ったりする。


 当然に剣聖たる天音詩織の名は高まるばかり。

 実力は傑出しており、更に名声もある。

 そこに人望迄兼ね備えたならば、凡庸な君主ならば脅威と見做して警戒し、排しようとするのが常なれど、ラルキ国王と軍師は「さすがは剣聖である」と称賛していたのだった。


 ・

 ・

 ・


 そんな詩織と言えば、悠然と城門迄歩みを進めていく。

 そして城門脇の番兵の詰め所前で、緊張して佇んでいる者に声を掛けていく。


「待たせたの。ん? おお、店とて多忙であるのに、店主殿にご足労戴くとは痛み入る。忝【かたじけな】い」


「と、とんでもござりましぇん。あ、天音しゃまに、お、おかれまひぃては、ぎょ機嫌麗しく存じ上げ奉りあげましてございましてございますッ!」


 頭が地に刺さるのではないかと思うほど深々と礼をしているが、あまりの緊張に語調が変であるという事さえ気が付いていないようであった。

 もっとも気がついたとしても、どのように接してよいのかまでは、判らないのだが……。

 ここは王城なのだ。当の詩織は頓着しないが、周りの目というものがある。

 また他の貴族などに非礼を見咎められれば、思いもよらない罰を受ける事すらある。 言うなれば緊張しない方がおかしいとも言えるのだ。


 もっとも店主とて詩織と初対面というわけではない。

 店にふらりと訪れた詩織から依頼を受けた際に、内容の確認がてらに話しはしているのだ。

 身形【みなり】も然ることながらその身に纏う雰囲気からして、最上の客と判断してはいた。 だが、依頼着手金も受け取り、納品場所を確認したときに「王城で」と応えられた際に、呼吸が止まりそうになっただけだが、それはまた別の話だろう。


 お供の侍女と衛兵も、このやり取りを見て、思わず吹き出して笑いそうになる。

 しかしそこは俯いたり貌をわずかに背けながら身を震わたりと、創意工夫を凝らしてなんとか堪えている。


 剣聖の手前という事もあるが、この商人が緊張しているのも理解はできるからだ。

 身形は至って普通だろう。

 そう、至って普通なのだ。

 王城の城門にまで罷【まか】り越しているというのに、至って普通。

 いや、おそらくはこの商人にとっては身嗜みを精一杯整えて、『普通』に至っているのだろう。

 ただ常々貴族などをみている感覚で普通ということなので、市井の民からすると相当に頑張っていることになる。

 見るからに大店や御用商人ではないだろうこの商人、おそらくはラルキの城下町に店を構える商店主なのだろう。

 そんな商店主が慣れないことをして己が恥をかいても、詩織にはなんとか誠心誠意、己が出来る限界で礼節を尽くそうとしていることを笑う事など出来ない。

 もっともこの商店主とて、知己を得ることで、後々の商いに繋いでゆきたいという心積もりもあるにはあるのだろう。


 そんな当然の算段もあるが、王城に参って詩織に声を掛けられて品を収めることの方が、この商人にとっては『大変な名誉である』と考えているのも見て取れるのだ。


(ちなみに気位のみが天を衝くほどにそそり立った短慮な貴族ならば、非礼が過ぎれば、問答無用で無礼打ちにされて殺される危険もあり、不当に品を献上させられることもある。したがって、小商人としては貴族というのは、あまり好ましい取引相手ではないという事情もある。逆に礼節を知り温厚な貴種というのは取引相手としては最上の部類に入ることになるのだ)


 また城勤めの衛兵と言えど、当然ながら皆が皆、貴種の係累というわけではない。

 人数的に市井の者達が兵役に就いている事の方が多い。

 そのためこの商人の心情もまた、汲み取れるのだ。


 もっとも最近は、軍師のエミナ・リュティガーや剣聖の天音詩織に連なるという自称 『親族』やら『近縁者』が、稀によく来訪しては追い返されているのだが、そのような自称『親族や近縁者』の心情は、敢えて汲み取らないようにしている。


 そんな緊張しながらも感動している商店主に、詩織は店主の緊張をほぐすためか雑談していた。

 ついでに野外とはいえ門内に設置された机の上で、目当ての品の検品を行っていた。


「ふむ、良いの、実に良い。 手間暇かけて取り除いたのか、不純物も無いの。 これは選り分けに時間が掛かっておろう。実に良い仕事よな」


 己が手が汚れるにもかかわらず、平然と黒い物体を持ちながら手触りを確かめている詩織。

 満足して確かめ終わった詩織には、待機していた侍女からすぐに濡れた手拭き布が差しだされる。

 それを受け取り、手の汚れを拭いながら店主に声を掛けていく。


「あ、ありがとうございます。物自体は竜亭山嶺近くまで冒険者を雇って採取いたしております。

 また選り分けにつきましては粉砕の後、五段階の篩【ふるい】を三回かけ、最後に家人と私で、目視にて粒の大きさを出来得る限り均一に均【なら】しております。品質に関しましては、間違いのない物と自負しております」


「うーむ、文字通り微に入り細を穿つその心配り、感服ものよ。

 しかし竜亭山嶺とな? 不穏な響きよな、危険なのではないか?」


「そこは依頼料も考慮されております。また剣聖様のお言いつけ通り『命大事に』を徹底させるべく、冒険者達にも討伐ではなく採って戻って来る事を至上命題とするようにと厳命致しております。

 冒険者達にまでお心を配っていただきました事、本人達になり替わりまして篤く御礼申し上げますと共に、私からも心より感謝致します」


「うむ、丁寧な仕事ぶり、誠に見事よな。また機会があれば頼むとしよう」


「ありがとうございます。冒険者達にも剣聖様よりの温かきお言葉は、必ずお伝え致します」


「良き哉、良き哉。 ではこの見事なまでの仕事に見合う対価の清算をせねばならぬの。これ、ファナよ。持って参れ」

 ファナから盆に載せた袋を受け取り、中身を確認もせずに、そのまま店主に渡してしまう。


「では、これで」

 まるで酒代を渡すが如く、あまりに自然に袋を渡すので店主も何の疑いもなく受け取ってしまうが、余りにも……軽い。

 また受け取った際に僅かに――『チャリッ!』――という音がした。

 『ジャラッ!』ではなく、『チャリッ!』である。


 つまりは隙間なくみっちりと詰められて擦れ合った際に上がる『ジャラッ!』という音ではなく、隙間だらけで枚数が少ないからこその『チャリッ!』という軽い音。

 音の軽さに比肩するが如く、袋の重みもまた軽い……。

 困惑しながらも、お代の確認をするべく袋の中を見るが、己が目を疑ってしまう光景が目に入ってきた。

 本来ならば大銀貨がジャラジャラと入っているはずが、なぜか大金貨が複数枚、袋に入っているのだ。


「お、多すぎます! 納めました品の売価の十倍以上は、さすがに受け取れません!」


「よいよい。竜亭山嶺とやらまでわざわざ採りに行かせ、更には不純物の除去に、選り分けまで行っておる。また店主自ら出向いて説明までしてくれたのだ。 その労をねぎらうのは、道理というもの。

 それでも多いと思うならば、冒険者の依頼料に多少の色をつけ、また家人共々食事でも振舞うがよかろうて。受け取っておくが良い」


「お、お心遣い、深く感謝いたします。

 冒険者達にも必ずや色を付けた報酬を渡すことを、確約いたします」


「うむ、それと家人には美味い食事でも振舞うが良いぞ。あはははッ!」


 店主の緊張もだいぶ解けてきているようだが、代わりに高揚しているようで、だいぶ饒舌になっているようだった。

 そんな店主に億劫がらずに付き合う詩織に、益々感動する店主という構図が繰り広げられていく。 


「おっと、楽しい会話というのは時が過ぎるのが早く感じるの。

 店主殿とて商いがあろうに、妾の雑談につきあわせてしまい、すまぬの。

 では妾は、これにて辞するとしようか。 また機会があれば、声をかけようぞ。

 道中、気を付けて戻られよ」


 詩織の合図で侍女が品を持ち、共に城内へと戻っていく。

 そんな詩織たちを店主たちは、飽くことなく見続けているのだった。


 自室に戻った詩織は、侍女達に荷を置かせる。

 その際に、細々としたものを追加で用意させていく。

 これといって特別な用品という事は無い。

 水甕と敷布、鞣【なめ】した皮革、砂を厚く敷いた大きい盆、筆、板、紙。

 ここは王城故に、このような品々は常備されている。

 そのため直ぐに手配されて部屋に持ち込まれ、詩織の指示の下で配置もすぐに整えられていったのだった。

 最後に、お付の侍女達には室外にて待機してもらうことになるのだが、その際に侍女たちから難色を示されてしまう。


 もっとも詩織は冗談めかして――「女子【おなご】という者は、とかく秘密が多いものなのじゃよ」――という理由にならない理由で押し切ってしまったが……。


 部屋に己一人でいることを確認した詩織は、やおら納品された大きい壺に入った上質の黒鉛を一掴みし、軽くニギニギしていくが、やや分量的にしっくりこないのか、黒鉛の入った壺に戻す。

 そして再び一掴み。

 だが、やはりお気に召さないのか、はたまた馴染まないのか再び壺に戻す。

 このような事を数回繰り返していたが、ようやくしっくり来る分量の黒鉛を握ったまま、立ち位置を変えるべく、床に広く敷かれた皮革のある場所へと移動していく。


「さて……。フー~……、 ゥングゥゥ~――ッ!!!」

 息を整えて一気に掌を力強く握り込む。


 ゴゴゴゴゴゴゴッ!

 握り締めた掌の周りでは陽炎がユラユラ立ちこめていく。

 さらにはジュッ、ジューと音が漏れ始め、何やら不穏な音すら聞こえてきている。

 そして、微かだが眩い光すら漏れ始めていく。


「フゥ~ゥ――……、まァ、こんなものかの」

 しばらく力強く握り込んでいたが、そんな声と共に脱力し、そして無造作にポイッと何かを放り投げた。

 その投げられたモノが、コロンと近場におかれた砂の入った大きい盆の中に転がり込む。

 すると途端にモノと砂の接触面から水蒸気が立ち込めていく。

 相当な高温なのか、その光景はしばらく続いていた。

 そんな作業? が幾度か繰り返されていく。


「良し、手慣らしはこんなものかの? さて、では……と」


 そんな事を呟きながら、再び黒鉛を掴んでいくが、先ほどとはやや様相が異なっていた。

 両の掌で黒鉛を大きく掬い、再び分量を調整していく。

 そして先程と同じく、敷かれた皮革の上に移動する。


「どれ、フゥ~――……。 ンフッ! ン”ゥゥ~――ッ!!!」


 先程と同じ手順ではあるが、その様相はやや異なっていた。

 両の掌を合わせているのだ。

 そして、力の入り具合もまた違うようであった。

 先ほどの生成過程に伴う現象が、よりはっきりと見られ、また室温もなぜか上昇し始めていく。

 こんなことを都合三度繰り返していく。


「ンフゥ~ゥ――……、よし、なかなかの出来ではなかろうかの」


 最後の一個を仕上げると、やはり路傍の石を放り投げるかのような気楽さで放り投げる。

 ただ器の中に投げ込まれたモノが発した音は、先ほどまでの軽い音とは違う。

 ゴンッ! という聞くからに重い音がしていた。

 つまりこの ”ゴンッ!” という重い音が三回鳴ったことになるが、誰も気に留めない。 当然今この部屋には詩織一人のみだからだ。

 お世話係の侍女達は室外の廊下で待機中。

 したがって後片づけも、詩織が行っていく。

 まァ、後片づけも手間取るようなことはない。

 床に敷きれた厚手の布が複数枚。その上に敷く鞣した皮革が同じく複数枚。防火用水甕、上質の黒鉛がぎっちり詰まった大きい壺。砂敷きの大盤の深い盆くらいである。

 見ようによっては、まるで何かの儀式でもしているかのようであった。

 ただ、儀式にしては危険そうなものがないので、準備のために用具類を部屋に運び込んだ侍女たちは、不思議がっていたが……


 そんな備品の後片づけ【部屋の片隅に寄せた】を恙無く終えると、砂盤に歩み寄り、転がっているモノをしげしげと眺めていく。

 そして出来上がったモノを片手で掴みあげ、窓辺で陽光に翳している。


「まだ熱いの。自然冷却するとなると、いましばらく時がいるか」


 出来に満足しながらも室温が上がっていることに気が付き、窓を開け放つ。

 すると、そこから涼し気な風が流れ込み、籠った熱気を払っていったのだった。


 ただ詩織としても、このまま自然冷却するまで漫然と待っている訳にもいかない。

 そこで板に紙を敷き置いて、黒鉛を水で溶き、さらさらと水墨画を複数枚描いていく。

 その際に少量を敢えて書き損じ、丸めて廃棄するという簡単な偽装工作を施しておいた。

 これで、もし部屋の掃除などで侍女たちが立ち入ったとしても、絵を描いていたという証が立てられるのだ。


 一段落が付き、気分転換に見回りに出かけるべく仕度をしていくのだが、ここまでで一時間も掛かっていない。

 そのため部屋から出てきた詩織を見て、侍女達は「あれ、もう終わったのですか?」といった表情を浮かべていた。


「妾は見回りに出る。そこな用具はそのままでよい。日を改めて、また使うでな」

「はい、かしこまりました」

「さて、どこに行こうかの」


 独り言ちながら歩を進める詩織を見送る侍女たち。

 詩織が何をしていたかなど詮索する勇気など元よりないうえに、この短い時間にあの用具類では、なにか込み入った事が出来るとは、とても思えなかったのだ。


 いくら侍女達が戦闘訓練を受けていようが、未だ課程の途上。

 しかもその戦闘訓練の大本【おおもと】の教官は、剣聖の天音詩織なのだ。

 わざわざ不興を買う真似などしない。

 もとより詩織に敬意と尊敬の念を抱いている上に、剣聖は己の行動で信頼と信用も得ていた。


 そんな詩織がわざわざ述べているのだ――「女子【おなご】という者は、とかく秘密が多いものなのじゃよ」――と。


 これは――『あまり深入りするな』――という警告なのだと、侍女達は解釈していた。

 誰もが詩織様だからという事で、あえて疑問を持たないようにしている。

 信頼と信用の賜物といえるだろう。

 今日も快晴である。

 皆の心のように、一片の曇りもないのだ。


 因みに、翌日掃除のために部屋に入った侍女が水墨画を目撃し、侍女達はその情報を共有するのだった。


 ・

 ・

 ・


 後日、完全に冷めて常温に戻っているモノは長い棒の先に固定され、棒自体もがっちりと重い台座に固定し、直立させて佇んでいる。

 また部屋自体も陽光を広く取り入れるべく窓に掛けられたカーテンも大きく開けられている。

 そして今日も今日とて、侍女達は室外の廊下で待機中。

 (侍女たちは、また絵を描いていると考えていた。確かに絵を描いているときに周囲に侍女達がいては落ち着かないだろうと、納得していたのだ)


 準備ができた詩織は、やおら刀を抜き放ち『突きの構え』をとる。


「ン~……? ン――……。ン? ン――……、ンッ」

 なにかがしっくりこないのか、幾度か突きの構えを変えていく。

 そしてある構えで得心がいったのか、動きが止まる。

 やおら左手を伸ばし、右手突きに構えた刃の先に添えるや、


「フッ!」という気魄と供に突きを連続で繰り出していく。

 また棒を中心にして円弧を描くように詩織自身が回り始めながらも、なおも連続で突きを繰り出していく。

 その様は、一条の光のみが途切れることなく幾つも乱舞していく一種幻想的な光景を醸し出しているが、それと共に「シュカッ!」という擦過音や「チュインッ!」という切削音も聞こえていた。


 そして一通りの作業? が終わるや、固定している棒からモノを無造作に刀で打って上方に撥【は】ね上げた。

 そして落下してくるモノに対して、またも「フッ!」という気魄と供に突きを連続で繰り出していく。

 その様は、先程と同じで一条の光のみが途切れることなく幾つも乱舞し、伴奏の音も奏でられていく。

 最後の一突きと共に跳ね上げ、緩やかに落ちてくるモノを納刀した右手でパシッと横合いから掴みとり、またもや陽光に翳して観ている。


「ふむ、なかなか良い出来ではあるまいか。

 光輝57面体金剛石【ラウンドブリリアントカット・ダイヤモンド】。

 気分も乗っておる。次もやってみるとするかの」


 そんな事が何回か繰り返されていった。

 最後の一つを仕上げた後、大玉の一個を陽光に翳して観ながら独り言つ。


「うむ……。生成過程で澱【おり】や濁り、鬆【す】なりが入るかと思うたが、すべて成功とはの。 いい仕事しておるではないか。

 さすがは妾と言いたいところじゃが……、全て成功ともなると、これはこれで、いささか造り過ぎたやもしれぬの。

 此方【こちら】でもできるかと試しにやっては見たが、こう容易くできるとは思わなんだわ。 しかしカット段階では大玉が容易で、小玉の方が的が小さいだけに些少の誤差とは言えやや難しいとはの。なかなかに、ままならぬものよ」


 手元の大玉一個から詩織は視線を移していく。

 詩織の視線の先には、陽光を受けて輝く大玉二個、小玉七個があった。

 もともと大玉一つ作成するつもりであったが、手慣らしと習作がてらに複数個作ってしまったのだ。


「これでは『錬金術』ならぬ『錬筋術』よな」


 苦笑とともに独り言ちながら、謀らずとも予備品をも創りだしてしまった詩織は、その用途を思案しつつ切り屑などを集めていく。

 そして後片づけが終わると、またもや、さらさらと水墨画を描き始めるのだった。


 ・

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 Side:ラルキ王国政府要人一同


 飾り付けも品良くあしらわれた応接室。

 そして応接室ゆえか、とても明るい。

 そんな部屋に据えられているのは当然ながら豪華な長机であり、そんな机の上には黒のクッション上に置かれた大玉としか言いようがないダイヤモンドが一個置かれ、一際輝いている。

 そして、そんなダイヤモンドを挟んだ対面には、椅子ではなく、床に平伏し萎縮しながら震えている者がいた。


「へ、陛下。わたくしめがなにか意図せずに御勘気に触れるような粗相を致しましたのなら、心よりお詫び致します。

 なにとぞ死を賜ることは、お許しくださいます様、お願い致します。

 ようやく、ようやくこの歳になって念願の子を授かったのです。

 妻も子を授かったことを殊の外、喜んでおります。

 なにとぞ何卒、罪一等を減じ死罪だけはご容赦いただけますよう伏してお願い申し上げます」


 どうやら無理難題を押し付けて、不出来や不手際、些細な瑕疵を責め立てて難詰し誅殺されると思ったようだ。


 王城内の広い一室で泣きながら、懇願している大店の宝飾商の主を見ながらも、国王のリーナや軍師のエミナと言った主だった面々が呆気に取られてしまい、誰もが言葉を紡ぐことが出来ない。

 さりとてこのまま呆けている訳にもいかず、困惑しながらもリーナが言葉をかけていく。 


「その、そう取り乱したりせずに落ち着きなさい。私はこのダイヤモンドの価値を鑑定していただきたいだけなのですよ。死罪になどしませんから」


「へ、陛下。その価値の鑑定と申しましても、その……」

 顔を伏せながらも、なんと言えば語弊がないかと思案するが、相応しい言葉が見つからず苦悶している商会長。


「? どうしたのです?」


「……此れは確かにダイヤモンドなのですが……、その……、値【ね】は無いのです。……いえ、付けられないのです」


「「「「「?」」」」」

 その場にいるお歴々は、皆が皆、怪訝な表情を浮かべていた。


「如何なるものでも値を付けて価値を表すのが、商人というもの。

 その商人が値が無い、付けられないと述べるとは、これはまた異な物言いです」

 怪訝な表情を浮かべながらも、当然の言葉を紡ぐエミナ。その言葉に同じ感慨を抱くお歴々の面々。自分達の経験からも、商人が『値が付けられない』等という戯言を述べているのが信じられないといった表情を浮かべている。


 そも貴種ともなれば、商人ともベルザル時代を通じてそれなりに付き合いはある。 領内整備や冠婚葬祭の際の品物の調達、また飢饉や戦役といった喫緊の支出ともなれば家財の質入れ・処分や借入れなどなどの付き合いであり、当然ながら長い期間の付き合いとなる。

 そんな様々な付き合いの中で学んだ事と云えば、概して商人の値付けと云うものは非常に厳しい、文字通り幾度となく苦渋を飲まされた事があるのだ。

 まして中小の貴族ともなれば猶更である。


 もっとも貴族の側とて、借財の踏み倒し、減額命令、百年以上の超長期の返済、献上品の強要、廉価販売の強要といった強請り紛いのことも行っているので、商人からすればお互い様だと考えていたのであるが……、そこは敢えて言い募らないだけの分別があるのが商人人というものである。


 しかしいま現在の状況は、そんな切迫した状況ではない。

 『買い取れ』と言っているのではなく『価値を鑑定しろ』と言っているに過ぎないのだ。それにも関わらず、この宝石の値が付けられないというのだ。

 この大店の宝飾商は相当に良心的な商人のようだ。

 これが悪徳な商人なら、いい加減な値付けを口にするだろう。

 だからこそ余計に困惑するのだ。

 良心的な宝飾商が『値が付けられない』という事は、真に値が付けられないという事になる。

 そして『値が付けられない』という事は、言い換えれば『価値が算定できない』ということであり、極言すれば『価値が無い』ともなる。

 では件の物自体が偽物なのかというと……、そうではない。 この良心的な宝飾商は自ら――「此れは確かにダイヤモンドだ]――と述べているのだ。

 これでは『ダイヤモンドなのに、価値がない』ことになってしまう。


 だが、いま目前にあるモノは、明らかに見たこともない大きさと透明度。

 そして燦然とした輝きを齎している精緻を極めたカット。

 これに『価値がない』とは、どうしても思えない。 

 まさに意味が理解できないとは、この事だろう。


 だからこそ、一層に『怪訝な表情を浮かべたくもなる』というもの。


 さりとて怪訝な表情を浮かべたままでは、話が進まない。

 そのため、エミナが皆を代表して皆が内心で同じく思っている問いを問いかけたのだ。


「どうしても、値を付けよと仰せられるならば、その……『一国相当』かと」


「はい? 国がどうしたのですか?」


「最低でもこの大玉一個で『一国相当』の値かと……。 お、恐れ多くも陛下の御代の治世に浴する御国と等しき『値付け』をするなど、不敬極まることは重々承知しております。 で、ですから値が無い、付けられないと申し上げましてございます。 ひィ~、お、お許しください! 何卒、何卒、我が命のみでお許しください! 妻と子だけはお許しを~!」


 もはや錯乱しており取り乱している大店の宝飾商を当惑げに見やりながらも、壁際に控えている者達に合図を送り、大店の宝飾商を下がらせる。別室にて丁重にもてなし、念入りに労を労うためだ。

 当然ながら、この『丁重に』と『念入りに』という言葉の意味するところは、真の意味での『丁重に』と『念入りに』という事だ。

 含意に富んだ婉曲的表現、寓意を塗した意味合いとしての『丁重に【痛めつける】』とか『念入りに【口封じ】』ではない事は附言しておきたい。


 その後、別室にて待機していた別の宝石商と職人が呼ばれ、同じく鑑定を行わせるも、同じく『値はつけられない』との鑑定が出る。

 我がラルキに良心的な商人が多いことは喜ばしいが、これはこれで別の問題が出てくることになる。

 そのため、値が付けられないのであれば、割って小さくすることは出来るかとの問いに、宝石商は――「これは神々が御創りになられた造作物、それを割れとは!?」――と驚嘆のあまりに言い放ち、そのまま卒倒してしまう。

 職人と言えば滂沱の涙を流しながら――「陛下は私に神の造作物に傷を付けさせ、また我が名に『痴れ者、恥知らず』という汚名を塗し、永遠に語られることをお望みですか? ならばいまここで死を賜りたく存じます」――と言い出してしまう。


 先程と同じく丁重に労を労うべく宝石商と職人を下がらせた後、入れ替わりに侍女と衛兵を呼び出す。

 件の『光輝57面体金剛石【ブリリアントカット・ダイヤモンド】』を引き取らせて下がらせるためだ。

 リーナ・エミナ・近衛団長・侍従長・近衛騎士たちといった者達が、この部屋の中で『神々が御創りになられた造作物/国に等しき価値』とまで言わしめる光輝57面体金剛石【ブリリアントカット・ダイヤモンド】と共に居たくなかったからだ。


 そして黒布が掛けられた黒漆の盆に、同じく黒のクッション上に載せられたダイヤモンドを、侍女が頭上に恭【うやうや』しく掲げて部屋から下がるべく、静かに歩を進めていく。

 その間も、この部屋は静寂に包まれており、また侍女達の一挙一動をお歴々は注視していた。


 そんな盆を持つハメになった当の侍女は呼吸することさえ憚【はばか】られ、その瞳は虚ろで光を喪い、微かに手足が震えている。

 漆器のお盆を掲げたその侍女の周囲を固める補佐の侍女と衛兵たちの顔色といえば、青を通り越して真っ白で、その手足はなぜか同側の手足が同時に出て歩くという珍妙な振る舞いをしていた。


 鑑定させるために、ダイヤモンドを持ってこさせた際の所作とは全く別の様相であり、明らかに通常とは異なる稀有な『作法』であった。


 初めにモノを持ってこさせた際は、侍女は腰の高さの位置で盆を持ち、その周りを衛兵に護られながら、しずしすと歩を進めていたのだ。

 侍女も衛兵も国の首脳部たるお歴々の面前ゆえに、やや緊張している感があるのはやむを得ない事だろう。

 そんな状況下でも、明るい応接室に入ったことで一際輝くモノが目に付く。

 当の侍女や衛士達は自分達で運んでいる盆に載せられた一層輝くモノを見ながら「うわぁ~、やっぱり綺麗でデッカい宝石ィ~! すご~いッ!」や「デェ、デケェェエエッ!」くらいの驚嘆・感嘆具合だったのだ。もちろん声には出していないが。


 それが、いまやその手で掲げ持つモノが「神々の造作物/一国に相当するお値打ちモノ」となっては、罷り間違って落とそうものなら自分の現実の首のみならず、家門一族郎党親類縁者の首すら危ない。

 そんな代物を持って『下がれ』と言われる己が身の不運を嘆く暇すらないほどに、恐れ慄き緊張していたのだった。 


 ――ガチャリ――


 扉が静かに閉ざされると、ラルキ国王リーナを含めた室内にいるお歴々がようやく息を吐き出す。

 そして無意識に汗を拭いたり、襟元を擦って息苦しさを紛らわせたり、深呼吸して息を整えたりと思い思いの行動に出ていた。

 そのような不作法を見咎めるものはいない。

 なぜならリーナ自身がそのような行動をしており、いまは頭を抱えて苦悶しているからだった。


「どうするべきか……、諸卿の知恵を借りたい……」

 力なく声を掛けるリーナ。


「「「「「……」」」」」

 文字通り声もなく応える諸卿。


「詩織から、『あれ』を担保に『土地と資金』を借りたいとの申し入れがあったのよ? 使途は孤児院の建設と傷病兵の療養施設。そして寡婦と帰還兵の経済支援よ。

 本来、これらの施策は国がやらなければならない事柄なのだけど、いざやろうとすれば、なんだかんだと口出しをしてくる者達がいる。 それを詩織が己の責任で実行すると言っている。早急に返事をしなければならないわ」


「「「「「し、しかし『価値は一国相当』との事……。一体どうすれば……」」」」」

 皆が皆、頭を抱えて苦悶していたのだった。

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