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58 閑話 黒き波濤と、現実逃避と逃避行

 ギ、ギギ。

 ザ、ザザ、ザザ。

 見渡す限りの黒、黒、黒。


 この黒き波濤が押し寄せた後には、動く物等一つとてない。

 軍隊蟻の集団……、大集団が移動を開始していた。

 斥候の蟻が戻り『ある方面で苛烈な抵抗を受け一部の隊に若干の損害が出た』という。

 だが『もう一方の方面では然したる抵抗もなく蹂躙し尽くした』との報告が挙がっている。

 ならば、その方面に進出しよう。


 進軍を開始せよ。我らが母たる女王のために!

 ギ、ギ、ギギ。

 見渡す限りの一面の漆黒。軍隊蟻の大集団が織り成す進軍の行進が始まった。



 ・

 ・

 ・



 《忘却された国、ハイト》


 ここはハイト連合王国の王都ハイト。

 かつて、この王都から順調に領土を拡げ、希望の都市ハイトとまで謳われた。

 そして幾つもの都市が存在したハイト連合王国。


 そんな栄光のハイト連合王国も今や昔。

 今やハイト連合王国の都は、この王都ハイトを残すのみとなっていた。

 

 既に本国からの連絡、そして本国への連絡も途絶えて幾星霜の年月が経っている。

 ヒトの生活圏・勢力圏の拡充を企図した当初の遠征……否、大遠征は輝かしい成果と筆舌に尽くしがたい失敗に彩られ、いまや……確実な破局に向け着実に歩を進めていた。


 ・

 ・

 ・


 本国でもあるアルス大帝国が成立し、度量衡・言語が規定されて一応の安定を見たアルス大陸では、余剰戦力と貧民対策が新たなる問題として持ち上がっていた。


 そこで掛かる問題を一挙に解決する策として、大山脈を越えて新天地を拓くという案が浮上していく。

 アルス大帝国としても、帝国を構成する各諸邦の戦力を遠方地へと引き離し、あわよくば消尽させようと考えていた。

 また現在の帝国全体における人口扶養力以上の人口は、治安悪化や政情悪化の直接的原因・間接的遠因ともなることから、移住・移民をさせることでその懸念を低減化できるとの考えに至った。


 各諸邦も長年の戦乱で疲弊しており、加えて不平不満をその胸に抱く好戦的な士族を内部に抱えたままでは復興もままならない。

 

 双方の思惑は完全には一致していなかったが、実状がその間隙を埋めた形であったといえよう。もっともその実状といえば、良く言えば『移住・移民策』とも言えるが、悪く言えば『棄民策』と言えるのが実態であったのだが……。


 なんにせよ、そんな帝国諸邦から合同派遣された軍勢が大山脈を越えて、先遣隊として橋頭堡を確保し陣営を構築していく。そして、そこを起点に徐々に開拓が行われていったのだ。

 また同時に周辺には警戒線が引かれ、今のところは然したる脅威となる存在もいないことが判明する。

 俄然、勢力圏の維持とさらなる拡大に腐心していく。

 此の開拓移民は、良く言えば『移住・移民策』とも言えるが、その実態は『棄兵棄民政策』であった。もっとも、その側面は巧妙に隠されており、また望外の成果のみが誇張され喧伝されていく。

 誰もが開拓の成功を確信し、そして新天地への羨望から更なる大規模な移民が募集されることとなったのだった。


 アルス大帝国が成立してから月日も流れ、漸くのことで社会も安定し始めていた。だが、反面において安定は固定化を招き寄せ、社会の階層流動性が徐々に落ちていく。そんな鬱屈としたアルス大陸から、未だ全てがまだ流動している新天地での旗揚げを夢見て、各諸邦の貴族の系譜に連なる者達や中小商家、下層民や物乞いまでが大挙して大山脈を越えていく。


 皮肉なことに、この一連の大移民の移動が刺激となり帝国各地で活況が呈されていった。

 移民団や増派される軍勢の迅速な移動・物資の護送にと、順次街道が整備されていく。また途上の街道筋の街の整備開発や、その街に食料などを供給する農地の再開発が進展していく。

 こうしてアルス大陸内での経済活動が活発化し、農地などが整理拡充されたことで農業生産力が向上し人口扶養力も上昇していく。そして人口の増加は商工業の振興を促したのだった。

 過年のような移民熱は幾許か鎮静化はしたが、それでもまだ移民の熱気は完全には収まらずに猶も続いていた。だが、この移民の流れが思わぬ出来事で止まってしまう。大山脈が文字通りに分水嶺【ぶんすいれい】となって、『移民元』と『移民先』の双方で深刻な問題が生じたのだ。



 貴族が物乞いに身を窶【やつ】し、物乞いが貴族・豪商に躍り出るこの新たなる約束された地は、あまりにも急速に拡大し膨張していた。


 新天地の開拓が成功確実となり情勢が安定軌道に乗るや、その志を一つにしていた合同軍は途端に野合の衆になり果てて、遠方の己の属する領邦の権益伸長に邁進し始めたのだった。

 また齎される利益と権益に目が眩んだのか、はたまた要らぬ欲に刺激されたのか、アルス大帝国の各諸邦もまた、殊もあろうに齎された利益で軍備を拡大させ始めた。軍備が整い始めれば、野心も同じく整い始める。ある諸邦が軍備の拡大を始めれば、対抗上近隣の諸邦も軍備を拡大せざるを得なくなる。

 こうして帝国内で、誰が始めたのかさえ判らずに、いつの間にか内紛に突入したのだった。

 当初は、唯の権益争いと高を括っていた帝室は、事態を軽視していた。

 それどころか帝国諸邦の戦力が消尽することを、ほくそ笑んでさえいたのだった。

 しかし事態は予想を超えて急拡大し、遂には一つの領邦が滅亡する事態を迎えてしまう。

 好活況からの生産力増大が武具の生産を助長し、人口扶養力の向上は兵の補充を可能にしていたのだった。

 帝国内の領邦が潰えるのを看過した帝室は、この状況を黙認しているとして信用と権威が失墜し、その影響力は霧散してしまう。

 かくして、止める者もなく帝国内での本格的内戦となり、各諸邦がその故地で再び存亡を賭けた戦いと策謀を始まれば、もはや大山脈の向こうの派遣地に物資・軍勢を送ることなど出来ようはずが無い。


 新天地たる彼【か】の地でも、遂には日々少なくなる物資をめぐり派遣軍内でも抗争が勃発してしまう。

 確かに順調に開拓は進んはいたが、多年に渡る移民の流入過多で、完全なる食糧の自給には未だ未達なのが実情であった。

 確かに開墾の方針は堅持され、食糧増産の方針も堅守されてはいる。だが、それとて有り余るほど余剰に生産が出来ているわけではない。

 農作物である以上、昨日今日明日で直ぐに増産という訳にはいかないのだ。

 現状、『輸入ありき』の前提で、何とか食い繋いでいける段階に留まっているのが実情であった。

 必然、このような状況では『緊急時の備蓄』に物資を回すことも出来ずにいる。

 また直ぐに必要とされる全ての物資を自弁する『自給自足体制』は容易に確立は出来ない 。工作物といった物資類もまた、未だアルス大帝国からの供給に頼っている状況だったのだ。

 更には、アルス大陸内での内戦で劣勢に陥った諸邦が、起死回生と存続を託して子息・子女を秘かにこの新天地に送って来る。

 また争いがあれば優位に立つ者と劣位に甘んじる者が出てくるのは必定であり、巧みな勢力均衡の上に成立していた派遣合同軍の均衡が崩れていく。

 結果、さらに派遣軍内での内部抗争が激化していった。


 日を追うごとに軍勢が内部抗争で消耗していく。

 ここが開拓地と言う名の最前線だという事を忘れての内輪もめの日々。

 最前線の開拓地からも警戒の任に就く軍勢をも引き抜き、内部抗争で更に消耗していく。

 最前線の警戒線に穴が開き始めていたが、いままで然したる脅威が存在しなかったことから『これからも脅威は無いはずだ(・・・)』等という根拠のない理由で、この危険な状況を漫然と放置していた。


『何事も起こらないはずだ』等と、一体誰が保証しているのか? 

 そんな当然の疑問も内紛の緊張が高まると共に、都合よく失念されていく。

 正に『昨日も何もなかった。そして今日も何事も起こらなかった。だから明日も何事も起こらないはずだ』等という幸せな日常を妄信し、『備えあれば嬉しいな』の格言を忘却していたのだ。


 それどころか、あの開拓地域は『どこそこの勢力下にある』という理由で荒らされた挙句、農作地が放棄されていく。結果、この地での生命線たる収穫量も減少に転じていった。

 またアルス大陸という主たる交易地が内戦状態になり通商路が断絶されたことから、交易品を介しての貿易も途絶し、物資の欠乏と歳入の低下が止められない。

 そんな状況下においてすら派遣軍での内部抗争が止まらない中で、ほんの一部の者達だけが其の出自を問わずに心を一つにして、懸命に現状を維持しようと苦心していった。

 (この一派が後に続くハイト王族の祖となる。今までは合同派遣軍ということで合議制であり、これが抗争の終息を遅らす遠因とも成っていたのだった。)


 物資の欠乏と収穫の減少が誰の眼にも明らかになり、『此のままでは飢饉になって全てが霧散してしまう。あのアルス帝国に舞い戻りたいのか?』と懸命の説得と時には苛烈な処断で抗争を何とか納めていくのだった。

 皮肉なもので『苦難に陥り、このままでは全てが崩壊し破局する』というそんな事態が目に見えて、初めて国としてまとまったのだった。


 漸くの事で国情が纏まりつつあったが、このときすでに意志ある敵体者が侵入を開始していた。

 警戒線に穴が開いたまま放置していたため、侵入を察知するのがあまりにも遅きに失していたのだ。

 また、ようやく内部抗争が収まりをみせたが、新たなる統治体制の構築と軍の再編に手間取っていたのも致命的であった。

 明確な意志ある敵体者の侵入に気がついたときには、既に全てが手遅れの状態に陥っていたのだ。

 既に領内深くに侵入され、各地に駐留している兵団に連絡をつけて集結する間もなく、各個撃破されて深刻な損害を受けていたのだ。

 そして、混乱の中でようやく判明したその敵対者は、ダンジョンであると判明する。それも大手のダンジョンであった。

 その大手ダンジョンからの魔物どもから苛烈な襲撃が波状的に行われていく。

 防衛にあたる戦力が各地で壊滅的損害を被り、もはや国としてその版図を維持できないのは必然であっただろう。

 戦況は悪化の一途を辿り、開拓地を含めた国土の三割以上を放棄せざるを得なくなる情況に追い込まれていく。

 そしてダンジョン勢への服属と屈辱的朝貢を迫られるに至った。

 徹底抗戦を声高に叫び、勇士達が打って出ては踏み潰される事が幾度も繰り返され、遂には降伏せざるをえない状況に陥ったのだった。

 

 ダンジョン勢へと服属したその後に待っていたのは、屈従と共に更なる悲劇であった。

 他のダンジョン勢力との戦いに残存戦力の過半を投入させられ、戦力を磨り潰されていく。

 戦線に投入などと言い繕ってはいるが、実態は棄兵策だ。

 ダンジョンからの支配に抵抗する兵力を磨り潰されては、もはや抵抗のしようもなくなる。

 さらには減少した兵力を口実として、我らハイトの本拠地防衛のためと言う名目で、ダンジョンからの戦力駐留まで認めさせられていく。

 我が本拠地の防衛などと恩着せがましく言ってはいるが、その実態は監視と威圧と恫喝だ。


 そしてハイトから派兵した軍勢といえば、戦地での地勢や敵の編制・兵数といった基本情報すら伝えられることもなく、ただ最前線に立たされる。

 そして支援もなく敵主力兵団への攻勢に投入されていったのだ。

 ……正に『捨て駒』だった。


 戦場で勝てば勝ったで、恩賞もなく、補給も補充もままならずに更なる最前線に投入されていく。

 敗退すれば敗退したで、撤退時の最後尾たる殿軍を命じられ、撤退さえ許されずに全滅していく。

 それどころか敗退の責任まで擦り付けられ、更なる派兵を強要されていく。

 熟錬兵など、とうの昔に霧散している以上、碌【ろく】な訓練すら受けていない経験不足の新兵が最前線に投入され、更に敗退。

 棄甲曳兵【きこうえいへい/戦いに敗れ、惨めに逃げ惑う】を繰り返し、兵員と物資が消尽していく。

 其れでも繰り返される戦力と物資の供出で、遂には基幹人口すら減少に転じていったのだった。


 訓練すら受けていない新兵という余りの弱兵ぶりに、使い物にならないと罵られ、漸くのことで派兵の命令が止まったのだった。

 だがその代わりとして、更なる多大な貢納を強いられていく。

 指定量に達しなければ攻め滅ぼすとまで言われれば、応じざるを得ない。

 だが、そもそも貢納するための物資すら欠乏しているのだ。

 相次ぐ戦力供出で開拓に回せる人員がいなかったのだから、収穫量の増加など当然に望めはしない。

 どんなに切り詰めようが、足りないものは足りないのだった。

 そのため領民から無理やり掻き集めて指定量を貢納したのだが、その結果は民衆暴動に発展してしまった。

 そして、ダンジョンからの駐留部隊による介入で暴動を鎮圧され、死傷者が多数発生してしまう。

 結果は、弾圧と抑圧と飢饉で二十万以上の領民が、その年を越せないという大惨事を招く事になってしまったのだった。

 この苦難に逃散した民達といえば、大山脈を越えられずに放浪の末に無惨な靴松を迎える事になった。

 餓死するか、凍死するか、喰われるか、ダンジョンの兵に捕縛され処刑されていったのだ。


 本国のアルス大帝国に救援の密使を送ろうにも、大山脈を越えられずに捕縛される。そして謁見の間に引き出され、『見せしめ』としてその場で喰われることが幾度となく繰り返されていく。

 そして、その度に貢納する量が増加し、それに比して人口も減少していった。

 いつしか怨嗟の声すら途絶え、ただ『諦観』のみが全土を覆い尽くしていく。

 停滞から『緩やかではあるが、確実な破局』への道を歩み始めていた。

 その道は破局に繋がると判っていても、もはやその道しか残されていなかったのだ。


 ・

 ・

 ・


 あれから幾年が経ったのだろうか……。

 すでにあの『崩壊の刻』から幾代もの王位が連ねられていることから、優に二百年……、ことによったら三百年は経ったのだろうか。

 おそらくアルス大帝国も既に潰えて、その名を史書に留めるのみだろう。


 過酷なまでの貢納で国が疲弊する事が幾度も繰り返されて、その度に万単位で領民が消えていった。

 記録では往時で二五〇万以上とされた人口も、今や既に二十万を割り込むまでになっていた。

 人口も減り、それに伴って生産力も落ちていく。

 皮肉な事に、十分な生産力すらないことから貢納も減っていった。

 『減っただけで、無い訳ではない』現状を評するならば『搾取どころか、もはや家畜同然の扱い』であったが……、我らには抗する術すらなかった。


 この急激な人口減少の過程でも、なんとか伝承しようとしたものがある。

 記録と記憶と文字だ。『知識と歴史』と言い換えてもいいだろう。

 教えられるほどの知識を持った者達が、骸になる前に全力で残したものだった。

 だが最近では、その記録と記憶が散逸し遺失していく。


 それでも文字が喪われる恐怖から、識字だけは徹底して教えられる。

 もし文字が喪われたなら、それはどういう結果を伴うだろうか……。

 相手の言う事だけが『事実で真実』になる。

 たとえ疑ったとしても自己の記録が無い、又は在っても

 それは真偽の判定すら、もはや行うことができないということ。

 そして最終的には『疑問にすら思わない』という事になりかねない。 

 それはもはや、『言い表しようのない、喩えようのない恐怖』でしかない。

 かつての輝かしい勲も今や昔だが、その輝きは確かに伝わっている。

 伝わってはいるが、今ではそれを伝える文字ですら消失が危惧される状況だった。


 そんな中、我らの支配者たるダンジョンは順調にその勢力を拡大していた。

 拡大するに伴い、その最前線はこの地からも遠のき始めていく。

 最前線からも遠く離れ、もはや出涸らしとなったこの地には利用価値すらなくなったのか、監視の目も緩み、次いで駐留していた軍勢もその姿を消した。

 旨味も無い以上、脅す価値も守る価値も無いという事なのだろう。


 正に自嘲するべき状況であるが、千載一遇のこの好機を捉えて活路を見出すしか採れる策が無い。

 同じく占領された他の地域の者から聞いたライフィン山嶺の向こうにあるという独立勢力と、なんとしても連絡を取り……、来援を願うしかない。

 最悪全てを捨ててでも、その独立勢力が治める地に向けて脱出するしかない。

 どれだけの民がその地に辿り着けるかさえ不明ではあるが、艱難辛苦の旅となる事は間違いない。それも我らに残された『気力と体力』から勘案するに、最後の旅になるだろう。


 ライフィン山嶺の向こうにあるという独立勢力との交渉に失敗すれば、ここハイトの地で『確実な破局』に向けて衰退し、いつしか滅することだろう。

 たとえ移住交渉に成功しても、彼の地で如何なる境遇が待ち受けているか判らない。

 彼の地の統治者が、暴君で圧政を敷いていることも考えられる。

 それでも一縷の望みを託し、使者を送らねばならないのだ。

 ……いまは貢納も減り兵力の供出も無いとはいえ、いつまた求められる……命じられるか分からない。

 この地での……、これ以上の領民の命で贖【あがな】った貢納や派兵は、もはや不可能な段階にまで来ているのだった。


 信頼のおける者を、ライフィン山嶺側の独立勢力との交渉に臨む使者として出立させる。

 長距離の移動のため大人数の護衛もつけたが、急使ともなるため強行軍となるだろう。

 なけなしの財貨と喜ばれるかは不明だが、貢物も持たせている。

 出立していく使者の背を見送るが、巧くいくことを祈るしかない。


 そして時が過ぎ、今回の往時から観れば減ったが、それでも多いと言える貢納を行うべく準備をしていた頃だった。

 余りにも想定外の、そして驚天動地の報せが齎された。

 なんとダンジョン側が大敗を喫したというのだ。

 相手たる軍隊蟻の大集団は大地を文字通りの黒一色に染めあげ、ダンジョンの主戦力を蹂躙したという。

 ダンジョンは実に五割以上の戦力を消失し、本拠さえ風前の灯火だという。

 何とか頑迷に抵抗している軍団からの報告が、こちらに流れてきたのだ。

 情報提供の見返りは、食料及び物資の『補給要請(・・)』だった。

 有無を言わさずの命令では無く、『要請』つまりは『お願い』というところに、相当の苦境に立たされていることが窺える。

 そしてその軍隊蟻の数が判明したが、……その数推定六〇〇万以上……。


 ムリだ……。とてもではないが、抗しきれるものではない。



 あの強大なダンジョンが、もはや風前の灯火とまでなっている。

 その強大なダンジョンにさえ抗することができない我等など、水の中の蝋燭も同然だろう。

 我らを支配するダンジョンが陥落すれば、確かにその軛【くびき】から解き放たれ、屈従からは逃れられる。


 だが、その強大なダンジョンを打倒した軍隊蟻が襲来したらどうなるか?

 少なくとも収奪の対象としてだが、ダンジョンは我らを生かした。

 確かに『生き地獄』ではあったが、それでも多大な犠牲を払いながらも何とか今の今迄、生きてはこられた。家畜同然とはいえ、生きてはこられたのだ……。


 だからこそ……、だからこそ今一度、己に問う。

 『……軍隊蟻が襲来したらどうなるか?』


 ……とてもではないが、話が通じるとは到底思えない。

 そもそも軍隊蟻と話せるわけがない。

 軍隊蟻にとって、生きとし生けるもの、その全てが食料としか見做【みな】していない。

 ヒトが己の食する物の意見を問わないように、軍隊蟻も問う訳がない。


 実は、私は知っているのだ。

 軍隊蟻が如何なるものかを……。


 それは体長二メルトルから四メルトルで肉食性。

 蟻とは思えないその余りの大きさに『匹』とは呼ばずに『体』と呼び習わし、その習性たるや飾る言葉の必要もなく『獰猛』の一言である。


 地竜が集団の軍隊蟻に襲われ喰い殺された逸話もある。

 その生態は頂点に女王が一体おり、以下に無数の指揮官、兵隊、雑用がいる。

 冬季には、やや活動が鈍る。 

 甲冑のような外骨格、噛みつく力がとてつもなく強い。

 敏捷性は並なれど、登攀力【とはんりょく】に優れており、崖や壁面を難なく登る。

 また統率力も優れており、長距離を整然と進む。などなど……

 『見かけたら逃げるか、諦めろ』とも伝わっている。


 加えてアルス大帝国成立の遥か昔に、軍隊蟻の一団が大陸に襲来し、その地域一帯が灰燼に帰したことも知っている。


 そして大陸全土が灰燼に帰そうとしていた今際【いまわ】の際で、氷龍が数十体飛来し、全てを氷結させて砕いたことも知っている。

 その後に、その氷龍数十体が全力で軍隊蟻の本拠地たる蟻山を凍らせ、そこがいまは『永久凍結山嶺』や『封印山嶺』と伝え呼ばれていることも知っている。


 これらの事は、ここハイトに移民してきた各地の貴族・商家・下層民達がその故地で伝え聞いた伝承の全てを書き残した物に記されている事だ。

 アルス大帝国さえ知らない事柄も多いだろう。


 そのような伝説・伝承を『あのダンジョン』にお知らせする必要などない。

 そもそも貧弱な我らの知識など聞かれていないのだから、このような貧相な知識など……教える必要もないッ!

 (だいたい、報せようにもその術【すべ】がないのだから、如何【いかん】ともし難い。かかる状況を鑑みれば、我らとしても正に『遺憾の意を表さざるを得ない』とでもいうべきだろう)


 そんな事よりも風前の灯とは言え、まだダンジョンが抗しているこの隙に……この地を離れるべきだろう。

 向かうは『ライフィン山嶺の向こう側』しかないだろう。

 軍隊蟻の襲来という緊急事態なのだ。事ここに至っては、ライフィン山嶺側の意向などを汲む余裕はないし、悠長に待ってなど居られない。

 ライフィン山嶺側にも、軍隊蟻への警戒を促さねばならないのだ。

 この軍隊蟻の襲来という報せは『良い手土産』になるはずだ。 


 大山脈を越えてアルス側に出るのも一つの手ではある。

 だが、我らとて小さくとも灯る矜持があるのだ。

 我らを見捨てたアルス大陸になど、戻りたくもないわ!



 ここはハイト連合王国の王都ハイト。

 しばらくすれば、……ここは廃棄都市ハイトとなるだろう。

 そして私はハイト連合王国、国王アラン・リュング。

 私は後の世で、なんと呼び習わされるのだろうか……。

 愚王か、廃王か、失地王か、売国奴か……、はたまた……。

 いずれにせよ、いまの私には関係のない事だ。


 ・

 ・

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 《 ある大手ダンジョン 》


 それは『封印されし凍結山嶺』の麓の凍土を切り崩し、鉱脈を探している際の出来事だったらしい。

 『らしい』という表現なのは、その第一発見者ともいうべき者が既に存在しないからだ。正確には原形を留めてはいないだろう。その点は断言できる。


 問題は、その開けられた坑道から、一体の巨大な蟻が這い出てきた事から始まったらしい。この最初の遭遇では、巨大蟻の駆除には成功したようだ。

 『ようだ』というのは、もはやその周辺に近づく事すら不可能であり、調べる事すらできないからだ。


 続く数日間は、ただ一体が這い出てくるだけだった。

 だがそれが一体が二体、二体が四体、四体が八体、八体が一六体、一六体が三十二体といった具合で、急増し始めた。

 しかも、現れる間隔が徐々に縮み始めている。

 それに気が付いたときの担当者の不安は、いかばかりであっただろうか……。

 今となっては、もう推し量る事すらできないが……。


 そしてある日を境に試掘場のみならず周囲の街や駐屯していた部隊からも、突如として連絡が途絶えた。

 様子を探るために派遣された隊も、軒並み消息を絶っていく。

 静かに、そして着実に黒の滲みは拡がっていき、やがて黒き波濤となって各地に押し寄せ、その全てを飲み込んでいったのだった。


 ・

 ・

 ・


 いま作戦会議が執り行われているが、誰もが焦燥感を滲ませた表情をしている。

 押し止めるどころか、各地の要衝地が軒並み孤立しているか陥落している。

 連携を取ろうにも、軍団・兵団がどこにいるのかさえ不明な状況なのだ。


 そんな沈痛な雰囲気の中、一際喚き散らしている者こそが此のダンジョンを率いるダンジョンマスターであった。

 おそらくは自分の不安感を追い払おうとして、無意識に語気が強まっているのだろう。そんな心情を、この部屋にいる者全てが等しく理解していた。何故なら自分もまた同じ心情を抱いていたからだ。


「一つ、シューバル第九軍は、いま現在どの地点にまで進出しているのか?

 二つ、シューバル第九軍は、どの地点を攻勢発起点として攻撃を敢行するのか?

 三つ、シューバル第九軍が敢行する攻勢開始の時機は、いつか?

 四つ、シューバル第九軍と連携するため、いかほどの戦力投入を求めるか?


 この四つを可及的速やかに明確にするのだッ!

 たかが蟻など、我が六〇万の戦力を糾合して再編し、来るシューバル第九軍の確実かつ決定的攻勢との協調攻撃で、一瞬のうちに打ち払ってくれるッ!

 蟻なぞに、蟻なぞに、この私が築き上げたダンジョンが後れを取ることなど、許されない事なのだッ!」


 ダンジョンマスターに仕える古参の補佐が、その要望を手際よく書き留めて確認のために部屋を退出していく。


 実はこの時、すでにシューバル第九軍は軍隊蟻の黒い波濤に飲み込まれ全滅していた。

 伝令すら出られずにいたのだから、総司令部にいる者達は当然ながらそれを知る由もない。

 また突如攻撃された各地の部隊も決死の覚悟で伝令を送り出すが、文字通りに『死の顎【あぎと】』に捕捉され目的地に到達できずにいたのだった。


 そのため、すでに存在していないシューバル第九軍を反攻作戦の根幹に据えるという空虚な作戦が練られていく。


 各地の軍は『全滅乃至は壊滅』し各戦線は崩壊しつつあったが、それでも何とか防衛戦を繰り広げている軍団もあるにはあった。

 だがそれとて要塞や堅固な防衛拠点に拠っての拠点防衛である。つまりは『点』での防衛であって、他の部隊などと連携し『線』の防衛を構築する時間も余力も既に無い状態であった。もっとも地上を走っての伝令が外に出られない以上、連携のしようもないのだが……。


 伝令網が寸断されたため、全体の状況把握が遅れていく。

 それでもなんとか前線が崩壊し大打撃を受けていると判明したのは、貴重な有翼魔獣を使っての空中機動で、ようやく総司令部に届けられた報せからだった。

 この有翼魔獣は集中運用による『空での優勢を確立』し、以て地上部隊を支援するという戦闘教義【ドクトリン】が大成功を収めたため、前線の各隊から集団運用のために引き抜かれていた。そのため貴重な有翼魔獣を多数有しているのは、集中運用を担う基幹軍団の直轄部隊か、本営の直轄部隊くらいだったのだ。

 確かに有翼魔獣を前線に配置すれば、空に上がる前に攻撃を受けた場合、撃破される恐れがある。

 また前線と基幹軍団司令部との距離も、さして離れているわけでもないことから、『前線から軍団司令部への伝令』は地上を走っての伝令でも事足りてはいたのだ。

 また緊急性を伴うような『軍団司令部から前線部隊への伝令』は常時司令部にいる有翼魔獣を使った方が迅速に届けられるので、一応の理には適っていた。

 実際にいままでは上手くいっており、この仕組みで順調に勢力を拡大していたのだった。


 そして、この仕組みで出来得る限り迅速に総司令部に届けられた報せとはいえ、飛行による移動というあくまでも現実の手段に依拠している以上、どうしても時間はかかってしまう。

 あまりに広すぎる勢力範囲が、此処で裏目に出てしまっていた。

 戦況が後方の総司令部に届けられるこの間にも、前線は黒い波濤に飲み込まれていく。

 前線に展開していた部隊も、何が起こっているのかさえ理解できずに果敢に軍隊蟻相手に奮戦し、そして虚しく蹂躙され、立て直すこともできずに消滅していった。


 ようやく反撃を行うための指示が発出されても、届けるべき部隊が既に存在していない事が続発していたのだ。

 そして、命令を受領すべき部隊が既に全滅しているという報せを届けるために、さらに時間が掛かるという悪循環に陥っていたのだった。


 そしてこの悪循環は、本拠たるダンジョンに置かれた総司令部でも起きていたのだった。

 それは本拠地の目前に軍隊蟻が迫って初めて、破局的状況に陥っていることに気が付くほどであった。


 地平線まで見渡す限りに、大地は黒一色に埋まっている。

 概算で六〇〇万以上の軍隊蟻が蠢いていた。

 総司令部の面々は、事ここに至って初めて絶望的なまでの絶対的戦力の差を思い知らされたのだった。

 

 降伏と恭順の使者が軍隊蟻の元へと赴くが、問答無用で噛みつかれて喰われてしまう。

 そして遂に攻撃が始まるが、軍隊蟻が動くだけで地響きが鳴動していく。


 ダンジョン側の最後の抵抗も虚しく弾かれ、あれよという間に蹂躙されていった。

 ダンジョンマスターも古参の補佐も、幹部連もその全てが軍隊蟻の『死の顎』の前に、等しく消えていく。

 ダンジョンマスターは、その最後の瞬間まで「来援はまだか! 第九軍は何処にいるのか!?」と喚いていたという。


 しばらく鳴り響いていたバリバリといった何かをかみ砕く雑音も消え去り、不気味なほどの静寂が訪れる。

 そこには黒以外に動く者は……いない。

 一陣の風が吹きつけているが、その風に翩翻【へんぽん】と翻【ひるがえ】る旗すらなかった。

 

 ここに、ある大手ダンジョンの一つが完全に潰えたのだった。


 やがて、この地で其の大手ダンジョンの名を畏怖をもって呼ぶ者も、いつしかいなくなった。

 忘れ去られたのではない。

 その全ての者が、軍隊蟻に喰われたのだ。


 もはや、その名を記憶と記録に留めおいたのは、遥か遠方に落ち延びた者達のみであった。




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