53 述懐
《 Side ティナ・ライデル主教 》
天音詩織殿と知己を通じたこの短い時間でさえ、その立ち居振る舞いや雰囲気からして一廉の貴人であると拝察する。
護衛の任に就いているとの事だが、安直に暴虐に逸る気質とは全くの正反対と言えよう。
しかもこの天音詩織殿は医術にも精通しているとの事で、我が身の苦痛を診て頂けるとの事。日に日に悪化しつつある症状に気丈にも耐えてはいたが、その苦悶にも耐えかねてきていた現状では、願ったり叶ったりの御言葉であった。
そしてそんな天音詩織殿に簡易的に診断された結果が『神威による聖痕の後遺症』とは……。
天音詩織殿のこの診断結果には、納得するしかなかった。
それにしても『聖痕』とは……、的確過ぎて反論さえできない。
自分でもよく生きていたものだと痛感する。
あの時、いつもの場所で、いつもと変わらぬ職務である『盗み見、覗き見』を執り行っていたのが、私ことティナ・ライデルなのでした。
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どこの光景かも知れぬ光景を何の感慨も湧く事なく、ただ観ていたのだ。
私にとって意味のないそんな光景が突如暗転する。
次いで『暫くの間、見る事は叶うまい』と思っていた星空を眺めていた……、いや、あれは星海の中を漂っているかのような感覚に陥ったのです。
そして何かの強大な存在を感じて探ろうと身構えたその瞬間に、全ての方向から引き千切られるのではないかと錯覚するほどの『力』で引っ張られそうになったのです。とにかく必死に抵抗しようと己の身を抱くように試みるが、逆に苦痛が増すばかりでした。
もはや限界に達して、身と精神が持たぬと覚悟を決めたその矢先、今度は瞼を閉じているのにもかかわらず直視できないほどの光が溢れていく。
例えるならば真夏の太陽を直視しているかのようで、とてもではないが耐えられるようなものではない。まさに目を通して頭の中まで灼熱に直接さらされて神経が焼かれるほどの光量と言っても過言ではないほどでした。
二重の苦痛で『もう無理だ……、耐えられない!』と諦めた矢先に
「おっと、何だこの挙動不審な機構は? 帰還増幅系に迂回で噛ませてあるのか? 小賢しい真似をしてくれる……。では遮断で」
という声が頭の中に直接響いたかと思うと、瞬時に五感を強制的に閉鎖されたのだ。正確には閉鎖などと言う生易しいものではない。
例えるなら『神経と器官ごと一気に抉り出されて引き千切られた』という方が的確だろう。文字通りの強制遮断【シャットダウン】とでも言い習わせるだろう……。
だが恐らくは的確な対応だったのだろう。
相手にとっても、そして私にとっても……。
あと数瞬……いや、一瞬でも遅れていたら私の精神の方が焼き切れて崩壊していたはずだ。
あの状況を一事で言うなれば何と言えばよいのだろうか……。静止、停止というべきか凍結というべきか……。何にせよ、もはや自分では何もできない状況であった。
『脱することが出来ない』のは勿論の事だが、『中断することさえできない状態』だったのだ。
『抵抗など無意味。逃れる術など無い……』そんな虚無に捕らわれ、諦観に捕らわれた事を覚えている。
そして覚えているのは、そこまでだ。そこで記憶が途切れている。
次に覚えているのは、目を覚まし意識が醒めた時の状況だ。
自分がいたのは寝台の上ですらなく、薬液で満たされた浅い槽に仰向けで横たわっていた事を覚えている。
助け出され救護されたのだが、外傷が無いのにも関わらず昏睡状態に陥っていたらしい。
教皇様の指示で治癒術に秀でた者達が総動員され、治癒術を幾度となく施されたが回復の兆しさえなかったとの事だ。
また、その際の診断では原因不明としか判らなかったらしい。
相当に焦ったのか、市井の怪しい占い師や祈祷士まで連れてきて診断させたが、やはり原因不明との事だった。
ちなみにその後、その占い師や祈祷士は、誰も知らない遠方の地に『旅』に出たと、その者等を見送った聖堂騎士に聞いたのだった。
なんにせよ、意識が戻ったことは教皇様にとっても慶事であったらしく、御自らから足を運ばれ、暖かい『労わりの言葉』をいただいた。
そして私が療養している間に、かの部屋の浄化も済ませていたらしく、定例業務の再開を促されたのだ。
私達もその事に従事するために養われており、奉職する事に何の違和感もなかった。
少々の躰の痛みは残っていたが、時が立てばそれも収まると考えていた。
そして、かの部屋たる『映し視の幻室』に赴いたその時の違和感。
今までの壮麗で厳粛な雰囲気から一変していた。
別段、今迄の装飾や配置が変更されているわけでもない。
何も変わらないはずなのに受ける印象が、何故にこうも変わっているのだろうか……。
虚飾と虚構、虚栄が充満しているこの部屋の、なんと虚ろなことか……。
これが偽らざる印象だった。
そんな印象と虚しいばかりの心中をひた隠しにし、またいつもの職務【盗み見】を執り行うべく、法陣を起動させ儀式を執り行う。
……そして、起動できなかった。
時を変え、日を改め、儀式の手順を確認し、記録を読み返し、儀式を繰り返す。
それでも起動できない。連日、試行するも起動できない。
焦燥感ばかりが募っていく。
さらには儀式を行うごとに悪化する体調に、徐々に心中に不安が立ち込めていく。
起動できない日が続いて行くと共に、私達に対する扱いも荒くなっていく。
そしてある日を境に、おそらくは見限られた。
教皇様が視察に来られ、起動できないことを確認すると小さく一言述べられたのだ。
その一言は恐らくは思わず出た意図せざる一言であったのだろう。
教皇様さえ、呟いたことすら覚えていない意図しない、意識しない一言。だからこそ、本心とも言えるたった一言を紡いだ。
――「使えない輩だ」――と……。
そこからは筆舌に尽くしがたい屈辱の日々だ。
届けられる食糧は見るからに減り、警備の者達の応答もおざなり。
しまいには、その警備の者達から色欲のこもった視線まで感じられ始めた。
いままでは教皇様直属であり存在すら秘匿されていたのだから、他の上級神官に会う事も、呼ばれる事も無かったのだ。
それが突如の事、何処からか聞きつけたのか上級神官達の会合や所用での会談などの際に『お茶汲み』と言った給仕の真似事や、『壁の花』でいることを命じられたのだ。また別の上級神官には、遠回しに身体すら求められた。
これにはさすがに絶句してしまい、体調不良で夜伽【よとぎ】のお勤めが出来ない、また無理にお勤めしてもそれが『死因』で私が死亡したともなれば、醜聞として雅名に傷がつくので、回復の暁には……等と、なんとか応えを捻り出し窮地を脱していく。
私は体調不良を理由に挙げられるが、他の巫女候補たちはそうもいかない。
まだ若い故に身体までは求められてはいないが、早晩毒牙の餌食になるだろう。
教会ほどの大組織なのだから、先の警備やこの上級神官達や一部の大主教などの屑が入り込んでしまうことは否定できない。
だが自浄作用が全く機能しておらず、何故に斯様な屑が高位神官の位階に就いているのかまでは理解できない。
おそらくは教皇様の神機妙算【しんきみょうさん/深慮遠謀】の類なのだろうと、自分で自分を説き伏せていく。
また幼子達もどうなるかわからない。魔力が高いというだけで親元から引き離されて私たちの下で養育されているのだ。
それが教皇に見限られたのだから、今迄通りに養育する事など出来なくなるだろう。
心中に翳が差すが此れと言って打開策も無い。
ただ悶々としながら無為に時が過ぎていく。
日に日に待遇が悪化していく。
焦燥感を募らせるが、解決策が見つからない。
そんな時、教皇より呼び出しを受けた。
ご寛恕【かんじょ/心広く許す】していただけたのかと期待していくが、「急ぎベルザルの大主教座光神教会に赴き、危難にある教会を救え」と、別の命を受けた。
その際に、「今回の事案に関しての免責と嫌疑の解消が真の目的だ。されど困難を伴う長期の務めとなる故に、関係者全員を連れていくことを特別に許す」と内示される。
そして『急ぎその任に就き、成就せよ』とのお達しだった。
これは危難に瀕する私達には『渡るに船』であり『河に懸け橋』であったと言えよう。
私だけや極少数で任地に赴任し務めを果たすとなると、残った者達に『如何なる災禍が訪れるか』と内心で危惧していたのだ。
私にとって苦楽を共にする者達であり、家族同然の存在なのだ。
どのようにして任地に共に行けるようにお願いするか、教皇様の御言葉を聞きながら思案していたのだった。
なんにせよ、懸念事項が解消されれば、後は実行するのみである。
すでに護衛や旅程、費用は用意されており、また私の体調を気遣っていただいたのか、友邦の教会までは出来るだけ馬車などで行けることになっていた。
だがグラン国境以遠は徒歩となるとのことだ。
いまだ全快には程遠い。厳しい旅になるだろう。
だが教会の庇護が無ければ、いまの私達では生きていけないのだ。
選択肢など、初めから無いのだった。
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《 光神教会 教皇 》
「ようやく出立しましたか。手筈は整っているのですね?」
「万事抜かりなく手配しております。一行はグランを抜けてラルキ領に到達次第、『盗賊の襲撃に会う予定』です。敬虔な信徒が危難に遭っているベルザルの大主教座光神教会を救うべく、無理を押してでも赴く途上にて落命する。美談と共にラルキに責を負わせることもできましょう」
「誠に、胸の痛む話です」
何気ない会話をしている教皇と、信頼厚き側近の枢機卿。
この枢機卿は、聖堂騎士団の団長職をも兼務している教皇の最側近であった。
この両名を含めた教皇派の上級神官数名は、すでにベルザル大公国が潰え去り、同じくベルザル大主教座光神教会の鐘楼にベルザル大主教が掲げられて【吊るされて】いることも知っていた。
「あの巫女は、内情を知りすぎています。(あの業務も外部に露見すれば教会は瓦解してしまう。また歴代教皇の直轄ゆえに内部にも漏れ出る事など許容できない)」
「……」
「『何かあるのでは?』と考える上級神官たちの庇護の下に行かせるわけにはいきません。全く利に聡く、手回しまで早い上級神官には困ったものですね。(飼い殺しでも良いが、次代の教皇に復旧できない『映し視の幻室』を引き継がせたとしても無益どころか、それが端緒となって露見するかもしれない)」
「……」
「ならば、次の策の糧となってもらうしか使い途がないのが現状です。(ラルキの地にて斃れたとなれば、それを口実、端緒として介入・干渉の契機にはなる。そうそう、あの部屋も取り潰し記録も破棄しなければ……)」
「……」
「ところであの者らの存在を漏らした者達は、言いつけ通り『修行の旅』に出てもらいましたね? (余計な手間を掛けさせてくれる。所詮、愚か者が紡ぐ言葉は愚かな響きしかないという事か)」
「諸事万端全て遺漏なく、滞りなく執り行われまして御座います」
「全く手間のかかる事です。(本当に……)」
非常に沈痛かつ愁いを帯びた表情を浮かべて述懐しつつも、非情な策を弄する教皇であった。
お読み頂きありがとうございました。




