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47 吟遊詩人と絵巻と、瓦解と。

 ここはミルライア王国。ベルザル大公国の近隣諸国の一つである。

 いま現在においてもベルザル大公国のある地域では、何やら『争い』が起こっているらしいと噂話が広まっていた。そんな物騒な地域からは遠方に位置する『とある大きい宿場町』の酒場では、また別種の喧騒と賑わいが満ちていた。


 伝え聞くところによると『ラルキ戦役』とやらも収束し、冬の静寂【しじま】が等しくおりて、凍てつく寒さが身に染みる。

 いまはまだ冬半ばであり、春は未だ遠くにあり手を伸ばして触れられるほどに近くはない。

 ここは大きい宿場町ゆえに当然のように何件もの酒場があり、外の凍てつく寒さから逃れようと客が足早に訪れる。

 給仕の女を口説いての一夜の戯れを求める者から、誰かを待っているのか連泊するので食事を求める者、果ては闇夜に紛れて去って行く者。様々な客が来ては去って行く。

 賑やかな街並みの、そんなどこにでもあるであろうこの酒場といえば、いまや一種異様な雰囲気に包まれている。

 客席は満席にも拘らず、酒場につきものの騒めきが聞こえないのだ。店先には満員御礼の札が下げられ扉すら締まっており入店が出来ない。そのため通りの者達はなにが起きているのかわからず、旅行く者達もまずは宿を押さえるなり腹ごしらえをするなりせねばならず、興味はあるが深入りはしない。

 それでも時折、漏れ聞こえる嘆声や喚声が興味をそそるが、満席では仕方ない。店の名だけ覚えて、次の機会を待つことにする。


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 ・

 ・


 そんな店の中では、リュート弾きが綺麗な歌声と奏でる音色を以って様々な『場面』を高らかに歌い上げていた。

 すでに事の発端たる『序章』は終えている。

 その序章は、再序盤からいきなりの戦闘で始まり、そしてまさかの敗北。

 通常では考えられない激しい展開。

 次の展開に期待して、酔った観客の関心は早くも盛り上がりを見せており、期待は最高調へと『まっしぐら』で駆けあがっていく。そして暴れ馬の如く高揚しているのも判った。

 酔客の次の場面を急かす目は一様に興奮に彩られている。だが『歌い手』としては、その荒ぶった眼の色を見ると『山中で肉食獣に追いかけまわされた苦い経験』を思い出してしまう。まぁ……、ここは酒場なので『命の危険はない』と平静さを取り戻す。

 それほどまでに酔客は喰い付き、絵巻に夢中で『まっしぐら』なのだった。

 ここまでは『大成功』である。


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「そして、清涼のエミナは白き花に手をやり目礼するや、その至誠と共に駆けだしていく」


 ~~ 野に咲く花は、野に咲く花は、誰が為に咲き誇るのか♪ それは己を見出せし者のために咲き誇る♪ ああ、その胸に秘めたるは主への忠心。その至誠と志は、野に咲く小さな白き花と共に見事に咲き誇る♪ ~~


 リュートの音色が響くが、客の騒めき一つ上がらない。酔客すら押し黙り、固唾をのんで絵芝居を食い入る様にみている。

 リュートの弾き語りは珍しくはないが、これが絵幕付きとなると、それはいままでにはない新趣向。

 吟遊詩人の見習い弟子が、両端の巻き軸を、専用の道具を取り付けた壺の口に入れ、人の背丈以上もある大きい絵幕を器用にクルクルと巻いて、絵を繰り出している。しかも描かれた絵が見たこともない画法で描かれており、描写も詳しく見ていて飽きない出来栄えだった。

 この時代の絵画と言えば、皮紙に描くのであまり洗練されてはおらず、題材も穏当な風景が主流であり、政治的題目や戦闘を描くなどありえなかった。にもかかわらず、この絵巻きは遠い異国の出来事とはいえ、人の政治が織りなす悲喜劇を伝えていた。


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「いまこの場にて我が髪を斬り落とし、以て誓約の証とせん!」


 ~~ 徐に閃くは白刃の軌跡。描く先には乙女の黒の御髪おぐし。刃の光を追いかけ流れて落ちるは黒の帳♪ その手に持ちて誓約の証とするは、その至誠を映す如何なるものにも染まらぬ黒き房。エミナに去来するは如何なる想いか♪ ~~


 殊にこの場面は、女性客には衝撃だったらしく『なッ?!』 といった声にならない悲鳴が飛び交っていた。

 この時代、女性が髪を斬ることは『禁忌』とまでは言わないまでも、相当に覚悟がいる行為でもあった。

 戦乱の時代でもあり、性にも奔放で大らかな時代であったとはいえ、普通は婚姻時までは肩から腰位までは伸ばしているのが当たり前であった。嫋やか【たおやか/しなやかで優しく、優美で上品な様】な長い髪は女性の魅力を十分に引き出す資質の一つとも言えた。

 そのため未婚女性が髪を切るのは、『花街に属する』か『修道院に入る』か、『病気』か『長期の旅人か兵士か傭兵』もしくは『何らかの罰』くらいでしか考えられなかったのだ。したがって誓約の証として己で髪を斬り落とす等まったく考えられず、だからこそ『貴い高潔な行動』と受け止められたのだった。


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「この失策を繕【つくろ】うため、ラルキを独立させ伯妹に難題を押し付けて、その責任を問う事にしよう。事が収まればラルキを攻めて征してしまえばよい。たかが田舎の一都市、どうとにでもなる。辺境に咲く美姫と謳われるが、所詮は田舎女。そんな田舎女がどうなろうと我の心は痛みはせぬ。いや領地を失った悲劇の伯妹を娶る『寛大な公子』という名。悪くはない名だ。よし我が娶ってやるか、歓喜の涙を流すであろう。それに田舎女など飽きれば捨てればよい、理由などいくらでも付けられる」


 ~~ ああ、ラルキ、ラルキ。偏に民の安寧を願う姫と忠臣達。されどその思いは届かない。彼方にある濁り歪んだ水面に映るは、歪みし像♪ 歪んだ像が思うは如何なる策か♪ ~~ 


 このことは詩織と弥生が『まぁ~、こんな考えなんだろうな』と多分に推測し脚色して脚本を描いていた。

 多分に演出と想像が入ってはいるが、大本の発想と方針からそう大きくは外れていなかった。

 しかしこの場面は、違う意味で殊の外に刺激が強く、謳い上げた吟遊詩人に殺意を向けてくる酔客、特に女性客が多数いた。

 また罵声が飛ぶと言ったことはない。だが逆に不気味なほどに沈黙が場を支配している。そんな不気味とも言える静寂を受けて、吟遊詩人は『ここは酒場なのだ……』と思い出した。

 ……酔客ゆえに『現実と歌劇の境が曖昧』になり、過激な凶行に及ぶ恐れすらある。

 ……先ほどまでは酒場ゆえに『命の危険はない』等と高を括っていたのだが、いまや『酒場だからこその危険』があるのだという考えに至った。それほどまでに、何らかの『危険な兆候』を確実に感じ始めていたのだ。


 当然ながら『場の雰囲気を読むこと』に長けている吟遊詩人は『身の危険』を感じ、歌いながらもリュートと絵巻を懸命に指差し、これは『歌劇で絵巻です』と必死に主張する羽目になる。


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「ラルキを独立。……それは『ラルキを、民を見捨る』ということ……。我らに『死ね』という事か?」

「如何様に解釈されようとも、それは貴国の勝手。我らは大公閣下の『御言葉』を伝えているに過ぎません。閣下」


 ~~ ああ、民など民など、世話せずとも勝手に増える雑草か。王の筆が描く数字の先には、いまを懸命に生きる民草の影♪ されどその息遣いは聞こえず、声も聴かず。ただの数字となり果てる♪ 生かさず殺さず搾り上げ、役に立たねば使い捨て♪ 己が纏【まと】う見せかけの、外面【そとずら】だけは気に掛ける♪ 己の小さき面目を護るためなら、民草なぞ枯れ果てても良しとして♪ 体裁【ていさい】悪く、聞こえも悪しともなれば、独立させて勝手に死ぬのは貴殿の自由と謳う♪ ~~


 謳い上げる吟遊詩人もこの場面は『相当に気に入らない』のであろう。

 かなり感情移入しており、嫌みを塗して情感豊かに謳い上げていく。だがその実、悪し様に扱【こ】き下ろす内容であった。しかもそれを美声で謳い上げるので、より皮肉さが増している。見ている客も一様に、苦虫を噛み潰したように渋い顔をしていた。


 ・

 ・

 ・


「……これが国のすることなの? 何のために我らの先達は戦ってきたの……。皆は……領民を飢えさせるために戦ってきたの? いったい何のために貴女は女の髪を斬り落とし、私は領民を飢えさせることになるの……。国が……、国が我らを国民として見ず、虚ろな単なる数として……見捨てるというならば……、我らもまた国を見限ろう」


 ~~ 嗚呼、その影は小さく震える。

 胸中を去来する想い、察するには余りある。

 落日の陽光が照らすは、偏に民の行く先を憂う誠にして真の志士。

 民を護らんとするその決意、己が身は民と共に常に在らんと欲すその至誠。

 その秘めたる志は、新たなる陽光となりて遍く光り輝く――ッ!  ~~


 一方で続くこの『場面』では、情感豊かに声量豊かに謳い上げていく。明らかに『お気に入りの場面』であることは一目瞭然であり、また酔客たちも、その手に握る杯に力が入っていた。ここに歌い手と客の心は一つになったのだ。


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「――我もまた臣たるエミナに習い、女の命ともいえる髪を斬り落す。この髪を以て誓約の証としよう。また我が身を望むならば臥所【ふしど】を共にしよう。血を望むならば我が血にて杯を満たそう。猶も足らぬとあれば、我が名と家名も証として立てよう。裏切りの名なら二度と名乗りはしない――」


 ~~ 言うやいなや、伯爵家伝来の懐刀を己のかいなに添えるや、斬り裂いた♪ 紅き血潮に流れしその覚悟、乙女の柔肌に伝うは高潔なる決意。その血潮は家名を繋ぐが、約を違えば名乗りはせぬとまで誓う♪ ~~  


 皆が、時が止まっているのではないかと思えるくらいに、絵芝居に見入っている。

 そして腕を斬る段になり『ああ~』と嘆声が漏れ、水面【みなも】にたつ波紋の様に広がっていく。

 すでに涙ぐんでいる者さえおり、そっと目頭を拭っている。

 誰もが、そんな事さえ気がつかず、そして気にならないほどに夢中になっていた。 


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「――我が民に慈悲を、ここに伏してお願いする」


 ~~ そこには朱色の花冠を供に咲き誇る大輪の花がありました♪ 高貴なる者の義務、いまは美しくも虚ろなるその言葉♪ その高貴なる者の義務を、その身を持って見事に咲かせし仁愛の花♪ 偏【ひとえ】に民の安寧を願いしその大輪の花の名は、ラルキに気高く咲き誇るリーナ・デ・ティリス♪ ~~


 グズッ……感極まったのか鼻をすする者。

 ウェ~ンと隠し切れずに、大泣きする者。

 感涙のあまり、もはや絵を見ることができずに顔を伏せる者。

 感情が高ぶり、そのままでは料理を乗せた盆をひっくり返しそうだったからか、給仕でさえ立ち留まっていた。


 ・

 ・

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「伯妹の誓約は妾が保証しよう。約を違えれば妾が伯妹を斬る。剣聖の印にてその証とする。足りぬか?」


 ~~ ゆるりと、そして悠然とその歩を進めし者が一人。その手よりトスリと柔らかく投げられし白の印籠には剣聖の印が燦然と輝く♪ ああ、あのかくも世に名高き剣聖が、御自らリーナの誓約を請け合いて、約を違えば斬るという♪ なんたる高潔なる志であるか、世に名高く謳われし剣聖、まさに剣聖たる由縁かな♪ ~~


 ここで決めセリフが出て『ウォ~ッ!』『ヒュ~ッ!』という感嘆の声が、そこかしこで木霊していく。

 杯から酒が零【こぼ】れても、気にもしていない。

 酒場の主人は机が濡れたことに眉を顰めるが、すぐに酒の注文が大量に入り始め、これには思わずニンマリしてしまう。 


 さらにラルキ城市が独立を宣言し、諸宮連合がこれを承認していく。また独立祝賀の品として糧食と軍資金が贈られたことが謳い上げられていく。そして危難に苛まれていたラルキ城市に一時の安寧が訪れたことが伴奏と共に語り紡がれ、リュートが奏でる余韻とともに終幕した。



 ここで、絵芝居が終わりを迎えるが、皆が皆、やんややんやと拍手喝采で喚声を上げている。

 大盛況でリュート弾きの吟遊詩人も大量の投げ銭の嵐に戸惑いつつも、満面の笑みを湛えている。


 吟遊詩人と言えど、此度の絵巻付きの歌は多分に博打じみた冒険だった。

 大枚はたいて組合から絵巻を購入し歌を覚えたのだ。確かに初めて聞いたときは『大当たりの予感』はあった。だがその予感が揺らぐほどに高額なのだ、特に絵巻一式が! 

 ラルキ内は安定し始めたが、それ故に競合者も多くなる。

 だからと言ってラルキから近場のベルザルは、不穏な空気が漂っており敢えて避けた。

 そこで足を大きく延ばして、ここミルライア王国の宿場町に狙いを定めたのだ。

 だが、この絵巻は人の背丈よりも大きい絵幕であり、結構な厚みもある。当然ながら、かなりの重量もある。反面、紙という極薄の皮紙を使っているので、厚さに比して謳い上げることが出来る『場面』も相当に多いという代物でもある。

 移動には時に担いで歩き、時に乗合馬車などを乗り継ぎ、漸くここまで来たのだ。         

 新たな演目ゆえに、入念に下準備も行った。そして本日、満を持しての『初上演』に漕ぎつけたのだ。

 そしてこの拍手喝采で確信した。この『絵巻』を上演すれば確実に購入金額以上の儲けがでる。それも『大きく儲け』が出るッ!


 この地までの旅程では、不安で寝付けない事もあった。飯も味がしなかった。

 だが、これで今日から安眠できる、飯も喉を通るし、懐も温かくなる。

 良かった……、本当に良かったッ!

 苦労も一入故に、感無量の一言であった。


 ここは大衆酒場。

 本来なら『一夜の酔い』と『戯れの喧騒』が満たすべきところに、酒場にあるまじき真逆の『感動の大渦』が渦巻いていたが、酒場の主としても酒と料理の売り上げが急上昇してご満悦であった。




「ごんな、ゴンな慈ひひ富みゅ領じゅさばばいるんだだァァ~(訳:こんな慈悲に富む領主様がいるんだなァ~)」

 もはや耐え切れず嗚咽を漏らしながら述懐しているためか、まともに発音すらできずにいる者。

 そんな心から? の述懐が聞く者の心に響き、更に嗚咽が拡がっていく。


「いやァ、それにしてもマジで信じられないぜ。これ実話なんだろ? この伯妹は大きくなるぜ、賭けてもいい!」


「俺も伯妹に賭けるぜ「あ、私も」「俺も乗るぜ」」


「伯妹に全員賭けたら、賭けにならないだろうがよ~(笑)」


「な~に言ってんだ~! いまや伯妹殿下はラルキの国王陛下だろうがよ~(笑)」


「おう、そうだったな(笑)」


「臣下のエミナ? だっけか? こいつもまたスゲ~よ。単身乗り込んで交渉をまとめたんだろ? しかも髪切って証を立てると言ってよ。普通なら捕まって弄【もてあそ】ばれて終わりだろ~によ」


「諸宮連合も話を聞いてやる度量はあったんだろうな~。褒めてやる、ガハハ~」


「お? わかってるね~。ダンジョンの度量もそうだが、このエミナの誓約があってこそ、伯妹の誓約も引き立つってもんだ」


「わたしはあの場面が好きかな。ほらこうやって胸の白い花に手をやって目礼するところ。なんか忠臣ッ! て感じがさ。伯妹との関係が言葉で言わなくてもよくわかる。あれほどの忠臣って、そうはいないんじゃない?」


「ここまでの忠臣は、まずいないだろうな~。仮に、どこかの貴族がエミナに引き抜きかけても、……まぁ「「「無理だし、無駄ッ!」」」だろうな~」


「いまどき、こんな話聞けるとはなァ。今日の酒はうまいぜェ~」


「しっかし、このベルザルってのは酷えェな……。失策のツケをラルキの伯妹に押し付けて、あとで娶ろうなんて考えだったんだろ? あまりにも露骨すぎるだろ?! マジで、とんでねェ~屑だぜ」


「まったくだ。それを読んでイ、イ? 「イザヨイ」そう、そのイザヨイってのと諸宮連合もラルキの独立を支持して糧食と軍資金を贈ったんだろ。なかなかできることじゃないぜ」 


「違うって! 確かに独立祝賀の品は贈ったが、それは剣聖様が保証したから贈ったんだよ! そこんとこは理解しとかないと!? やっぱ俺みたいな常に意識高い奴じゃないと、気がつかないのかねぇ……」


「ああ、それは確かにあるな。しっかし、やっぱりこの伯妹もスゲェよ……。髪を切るのは言うに及ばず、望むならば臥所を共にし、血を望むならば我が血にて杯を満たす。足らぬならば名と家名も誓約の証にするとまで言ったんだろ……。領民のためにとは言え……普通出来るか、ここまでの事を?」


「そうそう、しかも、その誓約を見て「伯妹の誓約は妾が保証しよう。約を違えれば妾が伯妹を斬る。剣聖の印にてその証とする。足りぬか?」ってか? かァ~、痺れるし憧れるとはこの事だよな。マジかっけぇよ、剣聖様。しかも眼が醒めるどころか酔いすら醒めるほどのスんゲェ~美人なんだろ? 才色兼備の麗人っているんだな。いやはや、まじスゲェ~の一言だわ」


「語彙力が足りないのかしら? さっきからスゲェーしか言ってないわよ? だけど、「約を違えれば妾が伯妹を斬る」って、この私が評してもスゲェ~! としか言いようがないわね、さすがの剣聖様だわ。惚れるし、濡れるわ~」


「おい、どうよ? 今晩此れからよ。……ふへへ」


「もう、しょうがないわね。私も気分が盛り上がってるしィ~……、かかってこいや!」


 中には、恋仲なのか夫婦なのか、なかなかに艶めいた会話が漏れ聞こえる。

 一部では別の意味で盛り上がっているが、全体としても大成功であった。

 酒場の主は吟遊詩人を呼んで、今後の興行予定を組み直していた。

 場を提供した酒場の主も、詠【よ】んだ吟遊詩人も、絵芝居を思いついた詩織も、制作した弥生も、扇動役の間者も……すべてが予定通り、いやそれ以上の成果であった。


 じつは、ハンゾウの手の者が混じり、話をうまく誘導しようとしていたのだが、全く操作することもなく話が異常に盛り上がっていった。逆に『妙な方向に話がいくのではないか? と、内心では気が気ではなかった』との報告がハンゾウの下に送られるほどだった。


 ここはミルライア王国、ベルザル大公国の近隣諸国である。

 そして此処は、ラルキの遥か遠方に位置する大きい宿場町の『とある酒場』。

 今日は大盛況であり、次回もまた大盛況になるであろうことが『約束された酒場』である。


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 元はと言えばこの絵巻は、ラルキ城市と周辺領域に『ラルキ国と諸宮が相互承認により建国されたこと』と、『なぜにエミナや伯妹(現国王)が御髪おぐしを斬ったのか』の説明、及び『そこに至るまでの事の経緯』を領民達に説明するために詩織が発案し、弥生が制作したものだった。

 試験がてら、ラルキ城市の酒場で吟遊詩人を使って披露させてみたところ……、戦が続き、ささくれだった心に一陣の涼風が流れたのか、連日連夜の大盛況。ついでに街中に活気が戻って来るという『おまけ』が付いた。

 またもともと娯楽も少ないうえに、吟遊詩人の『持ち歌』にも限界があったところに『概ね』に事実に則した新曲が披露されたのだ。それも、つい先ほどまで至近で行われていた事柄ではあったのだが、自分たちが知っている事といえば『虫喰いで穴の開いたような事柄』であって、いまいち全体像が判然としない。そこに穴を埋める『欠片』が新たな色合いをもって歌と共に絵巻付きで現れた。大当たりしない方がおかしい状況でもあった。


 吟遊詩人の紡ぎ出す音色と歌声、そして絵巻物語の影響は急速に拡大していく。

 加えて『城勤めの雑務働きに就くメイド』や『侍女』、ラルキ市街の『多数の妙齢の女性』が髪を斬り落とすことで、伯妹(現国王)や軍師のエミナに敬意と敬愛を、行動を以て表し始めていく。

 また髪を切る事には、多分に実利上の問題の解決という要因もあった。

 長引く戦乱やベルザルの虐殺で壮年層の男が減少しており、社会活動や経済活動に支障が出始めていたのだ。そのため女性が働き始め、社会への参画と進出が進展していくが、長すぎる髪はその活動に有形無形の支障を及ぼしていたのだ。例えば荷下ろし、荷運びに従事するにしても『長く嫋やかな髪』は魅力的ではあったが、巻き込む危険や事故を誘発する要因でもあった。するべき仕事は山積しており悠長に髪を結う暇もない。そのために、ある程度の長さで切ってしまうという判断は、理解できるのであった。


 さらには、そんな敬愛する伯妹(現国王)やエミナの行動と言動に対し、現剣聖たる詩織が保証をするという『ありえない出来事』が起きた。そして獣人たる剣聖の助力があってこそ、今の自分達がいることに気がついた者達は、あまりの衝撃に『頭の中の差別的な既成概念』までが痺れた挙句に粉砕されてしまい、獣人への感情が急速に改善していった。


 そして新たに建国されたラルキや諸宮国家群で、一山当てようとする商人や、流れの吟遊詩人などが来訪し始める、市街の女性の様子に奇異な感じを受ける。なぜか髪を斬って『短くしている女性』が多いからだ。

 しかし訪れたばかりで、皆目状況が分からない。

 商談の端緒にしようと伯妹やその臣下たるエミナ、城勤めの下女や侍女などが髪が短いことを『女こその媚【こび】(つまりは身体)を売って保身を図った』とか『獣人風情が将など笑止千万』など侮蔑的に揶揄すると、なぜか酒場や宿屋からは追い出され、商取引は『即時中止と拒絶』が続発していく。


 ある時など酒場で昼飯をとっていたら、後ろの席から『ガチャン!』と大音量が突如聞こえてきた。その場にいた新参の来訪者たちが振り返れば、胸ぐらを掴まれ机に叩き付けられているこれまた新参の旅商人の姿が眼に入って来る。一方の叩き付けたラルキ在住の取引相手は未だ若かったが、その眼は『冷酷そのもの』であり、『マジに殺す気か?!』とさえ思ったほどだった。

 さらに酷い時は、裏道の側溝にそっと畳まれて遺棄される者まで出たが、伯妹やエミナ、剣聖を侮辱していたと判ると、なぜか犯人捜しは途端に終了してしまい、泥酔の末の事故扱いになるのは『公然の秘密』であった。


 そんな状況が理解できない故に商取引も頓挫し続ける。

 しかたなく酒場で自棄酒を煽り、くだを巻く者達がかなりの数いたのだ。

 そんな時に新作の『絵巻』とやらと歌を聴いて、漸く理解したのだ。

 誰だって文字通りの命の恩人を侮辱されたら、面白くはない。自分だって、もし同じ状況なら黙ってはいないだろう。

 そして自らの浅はかさと、押し寄せる悔恨の念を抱き、人知れずに涙するという循環が繰り返されていった。


 ラルキに新たに来訪した者達は多い。そして人が集まる所に『消費』と『機会』と『財貨』も集まるのだ。当然ながらそれらを狙って『流れの吟遊詩人』と『海千山千の商人』も多くなる。


 各地を渡り歩く『吟遊詩人と商人』ともなれば、同じく各地の『唾棄すべき貴族領主』など、いくらでも見聞きしているのだ。

 だからこそ『もはや貴人など物語の中にしかいない』と考えていたのだ。

 現実にはいないからこそ『せめて物語の中にだけは居てほしい』という虚ろな憧憬と虚しい願い。

 現実に諦観していたからこそ『そんな貴人が現実にはいるはずがない』という考えに至り、意図せずに侮辱的な言葉が出てしまった。

 だが、なんとここラルキに『本物の貴人』が実在し、実際に危難に際しその身を賭して『民の安寧』を願ったという。


 高貴なる者の義務【ノブレス・オブリージュ】。

 実に、いつ久しく聞いていない『流麗なる言葉』が胸中に蘇る。


 自棄酒は瞬時にして『美酒』へと変じた。できればこの『美酒』を仲間達にも味わわせてやりたい。

 そんな純粋な心を、誰も咎めることはできないだろう。

 結果、各地の取引先の街で、雑談がてらに話され、酒場で、宿屋で公演されていく。

 水面【みなも】に広がる波紋は幾重にも幾重にも重なり、そして大きくなっていく。


 ・

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 《ベルザル大公国執務室》


「なッ?! なんだ、これはッ!?」

 ベルザル大公国執務室内で第二公子は、上がってきた報告書に附されていた絵巻の写しを握り潰して絶句していた。

 すべてが既成事実の様に絵巻になって、公都市内どころか国内全域に流布しているという。

 たしかに絵巻に描かれた方向性で事を運ぼうとした事は事実であり、一概に否定できないのが苦しい。

 否定をすれば、説明を求められる事になる。だが説明すれば、やはり同じではないかと断じられてしまうのだ。


 なにより、ラルキ領内で殊もあろうにベルザル国軍が虐殺と略奪、凌辱を行ったことが、絵巻と歌謡【かよう】に記されて露見してしまった。このことは大きな動揺と波紋を呼んだ。事態の収拾を図るため撤退してきた軍勢の指揮官級と目に余る実行犯を処刑したが、責任を押し付けての処理と曲解され大きな反発を招いてしまう。

 しかも国軍が自国民に対して行った恥ずべき行為の為に、ラルキ領民が流民とならざるをえなくなった責任を伯妹にのみ押し付けて、戦乱が収束したら圧力をかけて政略結婚で娶ろうとしていたことまで描かれてしまっていた。(このことは詩織と弥生が、まぁ~……、『こんな考えなんだろうな』と推測して描いていた)

 事ここに至り、ベルザルの『信頼と信用』が失墜しつつあることに思い至り、思わず絵巻を握り潰してしまったのだった。

 そんな動揺をしている第二公子のもとには、次々と難題が山積していく。

 もはや一つの事柄を解決している間に、三つの難題が積みあがっていくという末期的状況下にある。


「殿下。男爵は不予につき自領に戻るとの由にございます」

 不予とは病の事だが……、病なのに、どうやって自領に戻るのだ? と、取って付けたような理由に思わず嘲笑の笑みが零れる。

 しかしそんな感慨もすぐに忘れてしまうほどに、難題が山積し判断を求められていく。


「殿下。暴動を鎮圧する必要があります。ご許可を」


「殿下。御用商人が、先の供出糧食の代金清算を求めております。ご許可を」


「殿下。伯爵閣下なのですが、公都邸宅にはすでに使用人もおらず、また御本人も公都の中には居られないご様子。御領地に無許可で戻られたかと。使者を送り問い質しますか?」


 どれもこれも神経を使い、疲労を誘発していく。

 疲労は蓄積し、不安が心情に影響し始め、思考にも影が差し始める。

 ついには不意の質問が、詰問に聞こえて怒声を発してしまった。


「殿下。公都には十分な食料がもはやありません。如何すれば……」


「うるさい! パンが無ければ草でも食っていろ! 草がなければ土を喰え!」


「……」

 その様子を部屋の隅で控えながらも見ていた雑用をこなす小者【こもの】は。やたらと慇懃【いんぎん】に一礼し、踵を返して部屋から去っていく。

 そして扉をくぐり廊下に出るや駆けだした。見限ったのだ。


 そして控えの小部屋に入るや、無言で予備におかれているナイフ・フォーク・スプーンなどの銀製カトラリー一式、皿など一式、水差しポット・燭台などなど、かさばらず換金性があるであろう物を片っ端からカバンに放り入れる。

 急いでいるのにも関わらず『割れないように、傷がつかないように』と丁寧な手の運びなのは、さすがは城勤めであるとも言えた。

 目ぼしい物をあらかたカバンに入れると、身嗜みを整えて平静を保ちつつ、料理を運ぶ台車の中にカバンを置く。そして、その台車に大盤の白布地を掛けてゆっくりと運び出していった。

 慌てず騒がず、ゆっくりと慎重に急いでいくが、途中で警備の騎士に見咎められてしまう。


「どこに行こうとしているのか」


「……で、殿下の命【めい/指示・命令】ですので、お通しください」


「殿下の命令だと?」

 不審に思い台車を検【あらた】めれば鞄があり、その鞄の中には換金性の高かろう物がゴロゴロと入っている。


「「……」」


「何卒、殿下の命なればご内密に。では失礼いたします」

 顔色を蒼白にして、急いでこの場を去っていく小者。そんな小者を、警備の騎士は黙って見送った。

 おそらくは『殿下の命令ではない事』はすぐに判った。

 単に内情を見知って、見限ったのだろうと思う。

 ラルキに派遣された軍とラルキ建国祝いにより釈放された捕虜が戻ってよりこのかた、食料流通と備蓄が急速に減じて市内各地で飢えが散見され始め、困窮と共に暴動が頻発し始めていた。

 騎士と称されようとも『下級騎士』ともなれば、市井の者達との暮らしぶりは、そう変わらない。

 幸い職務上、食料は比較的入手し易いが、それとていつまで続くのか、一抹の不安が過【よぎ】ってしまう。

 妻や我が子が『飢えで苦しむ姿など見たくはない』と考えるのは至極当然であろう。

 そこに、自分よりは『内情に詳しいであろう者』が演じた先ほどの一幕が、小さくとも確実な一滴となり、やがてその心中に大きな不安が宿り始めた。

 そしてこの不安は、消えない波紋となって徐々に態度に現れていく。

 『不安が不信へと、不信が疑心へと、疑心が疑念へと、疑念が疑惑へと、疑惑が猜疑へと、そして猜疑は確信へと変わっていく』には、そう大して時間は掛からない。


 なにやら深刻に思い詰めた様な、様子のおかしいその騎士に、仲の良い同僚の騎士が声を掛け、問い詰めれば先ほどの一幕を自分の抱く思いと共に吐露し聞かせる。

 そして聞かされたその想いは『他の者へ、また他の者へ……』と広がり始め、各々が抱く不安と共に伝播し始めた。

 それは伝言の要領で、徐々に悪い方へ悪い方へと話が拡大し始めていく。


 ……そんな不安はやがて凝集【ぎょうしゅう】し、春を待たずに政治的理念や要求ではなく、食料を求めて『生存を賭けた内乱』が勃発した。

 ベルザル大公国が、文字通り音を立てて瓦解し始めたのだ。



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