44 貴き花の咲き方は
《 Side:ラルキ伯爵領伯妹、リーナ・デ・ティリス臨時領主 》
ラルキ伯爵領を独立させる旨を伝えてきた使者は、自分でも危険な役目だと判っているのか、足早にラルキより去っていった。
我らラルキとしても、特段引き留めようとも思わない……。
現状を鑑みるに、この使者を諸手を挙げて歓迎しようとも思わなかったのが本音だ。そも使者と交渉しようにも、『使者』にはそのような権限などないのだから。
使者との会談後は、すぐに散会となった。
不愉快かつ不可解な会談の感想よりも、山積し始めた問題の処理と対応が急がれる。
突如『ラルキの独立を認める』と言われても、その準備すらしていないのだ。
その中でも喫緊なのが、ラルキ領内と近隣からの避難民の受け入れだ。
冬の寒さに抗するのに必要な住居は、退去していった者達の分があるので、うまく割り振ればいいだろう。だが、最大の問題は余剰な食料が無いことだ。
都市住民自体の分は住民自身が用意しているが、避難民は何も所持していない。
振り分けようにも、その食糧自体が無いのだ。
このままいけば都市内で、住民同士で略奪が始まることになる。
我が信頼する軍師のエミナが、苦虫を噛みつぶしたような表情で語る。
「このような手法で来るとは……。問題の解決を押し付けられました。実に厭らしい方策です。領民を飢えさせれば『その責任はラルキに在り』という事になり、また占領しているダンジョン勢を糾弾するための方便ともなります」
領主代行たる私と言えば『政事の非情さ』と『己の無力さ』に、渇いた砂で水を掬うような虚無感を抱き始めてさえいる。
「エミナ……、これが国のすることなの……。何のために我らは今まで戦ってきたの……。祖先たちは父母たちは、皆は……領民を飢えさせるために戦ってきたの? いったい何のために貴女は女の髪を斬り落とし、私は領民を飢えさせることになるの……」
「……」
「国が我らを国民として見ず、ただの数として……搾取の対象として、道具として見捨てるというならば……我らもまた国を見限ろう」
ゆっくり立ち上がり、窓辺に立ちながらラルキ市街を見ている。
エミナに背を向けて見せないようにしているが、涙が頬を伝っているのだろう。
そんなリーナは窓から差す陽光に、照らされてはいる。
だが己が手を力の限りに握り締めていることは、躰が微かに震えていることからも察せられた。
その胸中に去来しているものは何なのであろうか……。
私には推し量ることすらできない。
ただ頭【こうべ】垂れるしか私にはできない。
それがとても……もどかしい。
しばらくして感情の整理がついたのか、それとも決断したのか、矢継ぎ早に指示を出されていく。
内向きの指示が終われば、次は対外的な指示となる。まずは諸宮との会談を設定していく事になるだろう。
そしてそれらの指示が動き出せば、次は私事の用向きとなる。
「入浴するから準備して。身綺麗にしておかないとね」
「エミナ、化粧を手伝って……。綺麗にね、これが死化粧になるのかもしれないから」
「エミナ、手が震えてるわよ」
「詩織殿、御免なさいね。せっかく貴女と知己を交わらせる機会を得たというのに、早晩ラルキは潰えるかもしれない。だからラルキから辞去してもいいのよ? だけど正直居てくれると心強いのだけど」
「侍女の皆も、着替えるのを手伝って。この正装きついからなかなか入らないの。次があったら……作り直さないと」
「大丈夫よ、できる限りのことはする。皆が私を守ってくれたように、私が皆を護るわ」
「侍女の貴女達とも、言葉を交わすのはこれが最後になるかもしれない。ふふ、まだ死ぬと決まってはいないけどね……だけど敢えて言うわ。いままでありがとう……」
「無知で無力な愚かな伯妹がいた事など忘れてもいいのだけれど、リーナという平凡な小娘がいた事は覚えていてほしいの……。ふふ、だめね。この言い方は命令のように聞こえる、ずるいわね。忘れて」
「領主としての責務を果たすわ。さぁ、行きましょう」
それら全てが、リーナが自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
とにかく、諸宮との会談を至急に行わなければならない。
ラルキの立ち位置を明確にしなければ、攻撃される恐れさえあるのだ。
無血開城とはいえ、実質は降伏しているのだ。
イザヨイが主力を担っていることから、他の諸宮が不満を表に出す事を自重している事は判っているし、同じく抑え込まれた不満が徐々に滲み出ている事も判っている。『ラルキから略奪できるものは全て奪い尽くし、完全に破壊してしまえば後々の憂いも断てる』と考えている節がある事も理解している。
それこそ今回の独立云々を嚆矢として、攻撃が始まるかもしれないのだ。
そんなことを考えながらも歩みを進めていたのか、いつの間にか城館の大広間に続く大扉の前に立っていた。そこで一旦立ち止まる。
この扉の向こうに諸宮の面々がおり、そしてその場で『ラルキの未来』が決まる。
それが『陰なのか陽なのか』までは判らない。
己の眼【まなこ】を閉じ、大きく深呼吸をして心を落ち着かせていく。
『これで本当に良いのか?』という思いが去来する。
こんな時に、かつてエミナに言われたことを思い出した。
「迷うのは当たり前です。但し決断したならば、迷いは捨てなければならない。決めたならば他は断ち実行せねば疑念を呼ぶ事になる。そして間違っていたならば、それを認めて正せば良いのです」
エミナの言は、いつも正しい。
そんなエミナと出会えたことは、貴族としてではなく、一人の人として『誇って良い』ことだと断言できる。
そして、私は貴女にとって『誇れる人』だったのかしら……。
できる事なら、そうありたいと切に願う。
眼【まなこ】をゆっくりと開け、姿勢を正す。
控えの侍女に目線を配り、扉を開けるようにと頷きで示す。
よしッ! 決めたからには、前に進む!
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広間の中には諸宮を代表するお歴々が居並んでいるが、やはり中央には主力となるイザヨイ勢が並んでいる。ただそのイザヨイの陣容が若干名増えているようだ。おそらく占領政策のために内政担当の者を呼び寄せたのだろう。その左右に各宮の陣容が並んでいる。
広間に入れば、やはりと言うべきか『微妙な雰囲気』が漂っている。
占領したラルキの旧主たるベルザル大公国が、その『ラルキの独立』を認めるという意味不明な行動に出てきており、しかも飢餓寸前の避難民が大挙押し寄せることまでが確定しているのだから、それも『宜なるかな【むべなるかな/もっともだ】』と言ったところだろう。
本来ならば、もう『ラルキを放棄して撤退したい』というのが、本音といったところかではないかと推察する……。
だが、諸宮がラルキを放棄し去るとなれば、文字通りにラルキは瓦解してしまう事になる。なんと奇々怪々な状況に陥っているのかと、自嘲してしまいそうになる。
そんなリーナは、諸宮の注目を一身に浴びて広間の中ほどまでその歩みを進めていく。
本来ならば、ここで膝を折り恭順の礼をとらねばならないのだが、せっかくベルザルが『独立を認める』という奇策を打ってきたのだから、それを利用しようと考えたのだ。
もっとも、そんなベルザルの奇策ですら『くだらない駆け引きの手札』としてしか、その価値を見出せない。
全く『余計な事ばかりしてくる』ことを恨めしく思う。
だがそんなことは『噯気にも出さない【おくびにもださない/真意を秘して、そのそぶりすら見せない】』事は言うまでもない事だ。
簡単な挨拶をして、すぐに本題に入ることにした。
悠長に言葉を暈したり、小出しに探り合っても益はないどころか、時間の浪費にもつながる。
「諸宮の皆様方も御了知の通り、わがラルキ伯爵領はベルザル大公国より『独立を認められラルキ市国として成立』致しました。またラルキ市国としても、ここに独立を宣言するとともに、以後、我がラルキはベルザルと決別し、イザヨイ宮へと服属致します。
また恥ずかしき事ながら、我が領内は現在荒廃の一途をたどっており、また冬の到来も間近ゆえに、避難民をラルキ市街へと収容致したく思います。ですが避難してくる領民達においては既に糧食が底を尽き始めており、領民に飢えが差し迫っております。急迫危急の事ゆえ、糧食の支援を切にお願い致したくここに奏上申し上げます」
淀みなく一気に口上を述べていく。取り繕って見栄を張る事など最早できない。
その余裕も猶予すらも、ラルキには無いのだ。
「わがイザヨイへと服属するにしても……貴殿をどう信用し、またどのように遇すればよいのか悩むところです。何か秘めたる覚悟などがおありなのでしょうか?」
やはりリン殿が会話を主動していくようだ。
「我が臣にして、信を置くエミナは貴軍との交渉において女の髪を斬り落とし、宣誓の証をたてたと聞き及びました。ならば、その主たる我もまた、同じく宣誓の証をたてましょう」
失礼と断わりを入れ、おもむろに束ねていた髪を解き、金の輝きを持つ髪が流れ広がる。
そして懐中から懐刀をとり出すや、左手で髪を後ろで掴むと躊躇なく一気に切り落とし『この髪をもって誓約の証とする』として掲げている。
「また我が身をお望みならば、臥所【ふしど】を共に致しましょう。血を欲するならば我が血にて杯を満たしましょう」というや、髪を持ったままの左腕をやや下げて、その腕【かいな】に刃を添えるや、眉一つ動かさずまた微動だにもせずに、ゆっくりと引き斬り、裂いていく。流れ出た血はその腕を伝い、握りしめた金の房を朱に染めていった。
もし誓約を違えれば、この血染めの髪を『裏切りの証』として衆目に晒し、史書に残せと言う。
「まだ『足りぬ』と申せられるならば『我が名たるリーナ』と『家名たるティリス』も同じく誓約の証として捧げましょう」とまで言い放つ。
誓約を違える裏切りの汚名ならば――『名』も『家名』も二度と口にはしない――とまで言い放った。
女の髪云々の所までは予想していたのだが、それ以降の行動は完全に予想外だった。
諸宮のみならずラルキ勢もまた、あまりの裂帛の気迫と言葉、そしてその行動に誰もが呑まれ、呆然として黙り込んでいる。
「何卒、我が領民に慈悲を。ここに伏してお願い致したく」
膝を折り、頭【こうべ】を下げて嘆願している。
同時に血痕が広がっていくが、身じろぎもしない。
左手に握り締めた金の輝きを持つ髪は、既にその全てが朱色に染まっている。
詩織を除くラルキ勢もまた慌てて膝を折り、その頭【こうべ】を下げていく。
短い時間ではあるが、とても長く感じられる時間が過ぎていく。
そんな中で限界に達したのか、伯妹の躰がふらつき始め姿勢が崩れ始める。
なんとか手を伸ばして体を支え、無理にでも姿勢を保とうとしているが、明らかにふらついていた。
それでも、否、だからこそラルキの臣が手を貸すことはできない。
主君が命を賭して交渉をしているのだ、手を貸すという事はそれを穢【けが】すことにもつながる。
「民に、慈悲を……」
もはや白磁のような顔色でも気丈にも面を上げ、声を絞り出すように嘆願している。
ただただ、民を気遣い安寧を願っているのだ。
そこには毅然とし、命を対価として煌く決意の輝きが確かにある。
その趣たるやは、拡がっていく朱の花冠を供として、咲き誇る大輪の花でもあった。
ラルキとしても『もはや差し出す物とて何もない事』は皆が承知している事だ。
だからこそ伯妹自らが身命を賭してでも、諸宮の慈悲と恩情に縋【すが】るしかないのだ。
これをただ情に訴え縋る醜い行いとみるか、浅ましいとみるか、一時の激情に駆られた軽挙妄動とみるか、はたまた今や形骸化した名ばかりの――『高貴なる者の義務【ノブレス・オブリージュ】』――とみるか、それとも伯妹の決意の輝きとみるかは、この場に列席した個々人の感性次第なのだろう。
ただ『二心無く、偏【ひとえ】に領民のために糧食を得ようとする一念で、恥を忍び己の身命を賭してでも願い出ている事』は事実であり、そしてその覚悟を『己の意志の下、行動で示した』ことは否定できない。
また己が同じ境遇に陥ったならば『自分にリーナと同じ事が出来るか』と問われれば、言葉に窮する事は確実であろうとも自覚出来てしまう。
いまここが『分岐点だ』という事は皆が理解していた。
だからこそ、判断がつかずに沈黙と静寂が『この場』を征していた。
「弥生、どう思う?」
リリムルが小声で、やや後ろに控えていた弥生に問いかける。
内政・外交問わずに広く精通していると専らに評判で、ラルキに進駐することが決まった段階で急遽ラルキに派遣されてきたのだ。実際、事細やかに遺漏もなく、そつなく内政上の問題を処理しているので、イザヨイのみならず諸宮からも相談事が多い。
弥生も小声で応えていく。
「服属ではなく、自由都市としてそのまま独立させるのです。
幸いベルザル大公国も自由都市領として認めると、自ら言い出したのです。
相手の論理をそのまま援用すれば、ベルザルとて抗議はしにくく難儀するかと。
そして、この機にイザヨイがラルキ独立を承認し、ラルキがイザヨイの独立を承認するのです。
この規模の城市が独立して国が興るなど、今の時世では早々ありません。ここは利用するべきです」
「それに何か意味があるのか?」
リリムルが、やや怪訝な語調で更に弥生に問う。
「まずイザヨイが人族から、独立した国として認められる。これは大きい効果と影響を生むでしょう。国というものは、何事も先例が無ければ動きが鈍いものです。ですが言い換えれば他者が認めれば、それを契機に他の勢力もイザヨイを国として認める端緒ともなりましょう。
それに接収した『糧食と軍資金』を『ラルキの独立祝賀金』の名目で贈れば、損も無く、逆に『名』も『実』も共に得られます。
またラルキは、イザヨイに直接服属すると述べていますが、諸宮の事も考慮しなければなりません。イザヨイのみが権益を伸長することは、後々不協和音として響いてくるのは必定です。ここは『ラルキの独立』で手を打ち、他の国々にも通じる『交易窓口の確保』と付随する『市場の拡大』を図ることで、諸宮も『満遍なく利を得られる』という事で、『ラルキの独立』を押すべきかと考えます。そこで、まずは一旦リン様に策を上げてみては如何でしょうか? 伯妹殿の治療という名目で一時休会するのです。あの傷は思いのほか深い。出血量から見てもその内、出血性ショックで前後不覚に陥り、最悪死んでしまいます」
「それもそうだな……よし。『閣下、ここは伯妹の治療のため一旦、休止を取られるがよろしいかと』」
「……」
リリムルの言を聴きながらもリンとしては、ここは格好良く今この場で『リーナの要請』を応諾すべきなのでは? と考えていた。
勿論、多少の見栄もあることは否定はできない。
特段の意図もなく何気なく問いかけた己の言葉で、リーナから『ここまでの覚悟を示される』とは、リンも考えていなかったのだ。
だからこそ強くその責任を感じ始めている。
そこにリリムルの提案で、更に一瞬だが逡巡した。
応諾の方向に天秤が傾いているのは、『伯妹がここまでの事をして覚悟を示した』という『一時の好感情』からなのではないか……と考えたのだ。
個人の感情とイザヨイの行く末を秤にかければ、どちらが重要かは疑いようもない。
問題は、明らかに天秤は傾いているが、そのどちらの天秤皿にイザヨイの行く末が乗っているかが判断できない事だった。
自らの経験不足を痛感しているが、今はそれどころではない。
ならば、リリムルの案を受けて一旦休会し、諸将の意見を聞くべきなのではないかとも考え始める。
それに伯妹の出血も広がっているのが、気がかりだ。
既に意識が朦朧としているのが、傍目にもわかる。
数瞬の果てに、休会を述べようとした。
まさにその時に――「リーナの誓約は、妾が保証しよう」――と、詩織が突如として静かに口上を述べた。
「全く手のかかる女子【おなご】ぞ」と言うと伯妹に近づき、身を屈め伯妹を抱きかかえながら傷に手をやり、優しくなぞるように撫でていく。その軌跡を創り出す指先が切傷を辿れば、その傷は瞬時に塞がっていく。微かに輝く美しい九尾が朧気に見えた。
諸宮のお歴々からは角度的に見えにくい位置ゆえに、この九尾に気がついた者達がいたのかまでは判然としない。だがその治癒術が尋常ならざる腕前なのは明確だった。
そして当の詩織といえば、その表情は子を慈しむ母のようであり、慈母の名に相応しく柔らかい微笑を湛【たた】えている。
伯妹は母に抱かれる感覚に安心したのか、意識を失い『トサッ』と倒れこんでしまった。
「ですが、客将たる貴女が保証しても」
誰が問うたかまでは判らなかった。誰でもよかったかもしれない。当然の疑義だったのだから。
それに応える者は、ゆっくりと立ち上がる。
そしてその趣は、先ほどの慈母から超然たる雰囲気を身に纏う玲瓏なる佳人へと雰囲気を一変させていた。
余りの変容ぶりに、内心慄くものが多数いた事は別段おかしいとも思えない。
「リーナが『約を違える』というならば、妾が伯妹を斬り捨てる。これがその証となろう」と懐から無造作に何かを放りなげた。
トサッ! と柔らかく落ちた品は、大きい朱色の房がついた白地の印篭【いんろう】であった。
そんな印籠には、黒で紋様が載っている。
「『剣聖の印』だ、足りぬか?」
この時この場にいた者達、それこそ諸宮勢のみならずラルキ勢の武官文官問わず、給仕を含めてその全てが驚愕のあまり動けずにいた。
その中でただ一人ノリスだけが、微かに動揺もしていた。
お読み頂きありがとうございました。




