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32 招かれし者 九尾の狐と天狐伝説

 白地に朱色で彩られたこの界隈では見かけないお面【めん/仮面】、たぶん狐を模したであろう不思議なそんなお面を身に着けた毛並みの良い尻尾を持つ、言い換えればお育ちの良い、おそらくは狐系獣人の令嬢が街に流れ着いたと幾日か前に報せが来たのだ。しかも『金払いもよく、気さくな上に愛想も良い』と、上客として評判だという。


 そんなお育ちの良いと思われる獣人の令嬢を保護【監禁】してさし上げれば、その者が属す家門や里の者から礼金【身代金】を受け取れる可能性が高い。


 また礼金【身代金】が見込めない状況、たとえば里が戦乱に没した等でも、売り払えば良いし、見目麗しいならば調度品として侍らせるのもいいだろう。


 もっとも保護【監禁】するにせよ、調度品として侍らせるせよ、俺の肉体を使った直接的な面接指導を受けてもらうことなる。


 さりとて調度品。買い手がつけば売り払うがな。

 そう、今は出来得る限り財貨がいるのだ。


 他の地域との抗争が激化する兆候がある。そのための地盤つくりに奔走しているのだが、その際にモノをいうのが現物の財貨だ。 

 ならば、金になりそうなこの狐系獣人の女は、要は元手が掛からない仕入れのようなものなのだ。これを逃す手はないだろう。


「丁重に御招待【攫って】してさしあげろ」

 あとは、こう命じれば良いだけだ。


 ・

 ・

 ・


 妾の後をこそこそと付け回している慮外者が幾日も前からおる。

 だが、こうもあからさまだと相手の技量を推し量ることさえ馬鹿らしくなってくる。最初は露骨すぎて陽動なのかとも考え、周囲をそれとなく窺ったが、それらしい動きも気配もない。

 妾とて、こちらに来てから最初に訪れる大きな街じゃ。

 それ故に興味深く街並みを散策しているというのに、興が削がれるとは正にこのことであろう。

 どう落とし前を付けてやろうかの……。


 まぁ、定番通りで良いかと思い、路地裏に通じるであろう脇の側道に入っていく。

 道が奥深くなり、影も強くなる路地に差し掛かるところまで、粛々と歩を進めていく。


 『そろそろかの?』


 緊張感の欠片もなく、そろそろ獲物が喰い付くかなと考えていると、案の定喰い付いた。


「待ちな、嬢ちゃん」

 あまりにも定番すぎる展開。

 『世』が違うので、ここは違った展開を期待したのだが……。

 やはり同じような展開。興が削がれるとは、この事よの……。


 はぁ~、と溜息が出てしまうが、仕方なく振り返る。


 ふむ……前に二人か……。そして後ろにも二人の気配。

 走って回り込んできたのか? 

 しかも、わざわざ音を立てて囲んでいるのを知らせてくるとは……、全く以ってご苦労なことよな。


「なにようか? 押し売りならば間に合っておるぞ」


「まぁ、そう言うな。ちょいとその面【つら】、貸してくんな」


「断ると言うたら、どうするのじゃ?」


「嬢ちゃん。そんな見るからにお綺麗で高価そうな服着てちゃ、悪い輩に絡まれるぜ? そこで、この界隈で名の知れた『切れた剣』と称されるこの俺様が、安全な所にお連れしてやると言ってるんだ。ありがたいだろう?」


「き、切れた剣……なのか? 其方の字名【あざな】は……」

 あまりの衝撃に一時言葉を失う。


「お? 俺の通り名を知ってるのか? へへへ。そうよ、ここら一帯を取り仕切るルーア組の世にも名高きあの『切れた剣』とは俺のことよ!」


 妾のあまりの驚きように気をよくしたのか、さらに声高に名乗っていた。

 そっと憐憫の眼差しを向けてみるが、全く気がついていないらしい。

 周りにいる奴らにも目を配るが……、同じく気が付いてもいない。


「……(……ダメじゃな、これは)」


 雄々しく、また誇らしげに『切れた剣』などと名乗っているが、当然というべきか、それがどういう意味なのか解っていないようであるの。


 ならば妾が代わりに考察してみよう。

 『世』が違うので意味合いが異なるやもしれぬが……、まァ、そう大差はあるまい。


 まずは慮外者は除外し、剣を主体として考えてみる。

 剣を主体におき『切れた(キレた)剣』と考えた場合、剣自体に意識があることになる。

 則ち、思考や判断が鋭く早い事を指して『頭がキレる』と言う場合や、

 怒りの感情が抑制できず一気に憤激している事を指して『キレている』と言った場合だ。 

 例えば付喪神【つくもがみ】などが宿っている、もしくは剣の様に見えるが実は意思ある生命体であり、いわゆる『生きた剣』や『踊る剣』などと言った場合が想定されよう。

 どちらにせよ剣の方に『自我もしくは意識がある』といえる。

 そしてそんな意思ある剣が自称『キレた剣』になっている状態とは、どう考えても己の内で荒ぶり昂ぶった怒りの感情を抑止できず、一気に噴出して感情が露わになっている、つまりは激昂して暴走している状態にあるという事であろう。

 そして剣自体に意識があるならば、剣を持つ者にではなく剣の方に意識の主導権があると考えることが当然の帰結。

 ならば、この男は傀儡ともいうべき存在となる。おそらく自意識は消失しているといっていいはずだ。


 だが、だ……。この男、そもそも剣を持っていないし、別段激昂しているわけでない。

 まぁ、滑稽な物言いではあるが、其処は所詮は慮外者という事だろう。


 ならば剣ではなく装身具のような代物に意識が宿っており、それに操られているのかといえば、そうでもなさそうなのだ。


 なぜわかるかと言うと……、あの系統の物は自己顕示欲が強いのか、必ずといって良いほどに、目につく場所や目立つように表に露出したがるのだ。


 普通に体内なり服の下なりに隠れておればよいものを、何故かいつも目につく場所や目立つようにこれ見よがしに露出されている。

 『雉も鳴かずば撃たれまいに』の喩えで言えば、『これ見よがしに出てこなければ、討たれまいに』といえよう……。


 いや、まてよ。案外視覚の都合上、視野を確保するために露出していなければならないのかもしれない……。

 操ってはいるが、傀儡との感覚共有まではしていないのかもしれないな。

 ふ~む、これは要検証であろうな。


 なんにせよ、この男は、そのような装身具の類のものを身に着けている様子はない。そういう趣味も無いだろう。

 だが妾にとって、ここは来たばかり『世』ではある。

 妾がいまだ知らない習俗も多い。

 ただ認識していないだけかもしれぬ。

 ……一応は、心に留めておくか。たぶんすぐ忘れるであろうがな。


 では、考察を続けよう。


 傀儡の可能性は低いことから、この男の字名が真に『切れた剣』であり、言っていることは本当の事だとしよう。

 そうであるならば事態は急転直下、さらに混迷の度合いを深める事となる。

 なぜならば、それこそ意味が理解出来かねる事態になるからだ。


 『直接』に意味が分からないのならば、物事の類似性から推論し間接的に意味を探ってみることにする。

 この場合は、類語から考えるのがよかろう。


 『斬れる剣』『斬れた剣』『折れた剣』などが、ぱっと思いつく。


 語感として近いのは『斬れた剣』だろう。

 しかし突き詰めて考えれば、これは『斬( ら)れた剣』と言う意味だ。

 つまり刀身部が斬られている。言い換えれば『折れている剣』という事になる。


 則ち

 『切れた剣』とは『斬( ら)れた剣』。【A=B】

 『斬( ら)れた剣』とは 『折れている剣』となる。【B=C】

 以上から

 『切れた剣』とは『折れている剣』となる。【A=C】


 そしてここから、剣という『具体的事象・事物』を、剣の機能面という観点から『抽象化・一般化』してみる。


 すると『折れている剣』とは『剣として機能を喪失している』ことであり、則ち『剣として役に立たない』となる。

 さらに意味的には、『本来の用途・機能に支障が出ている状態』であり、則ち『使い物に成らない』となる。


 ここまで抽象化・一般化し、この結果を言語及び文脈上に還元し具現化を試みる。


 すると、このようになるだろう。


 『折れている剣』とは『剣として役に立たない』ことと同意である。

 『剣として役に立たない』 とは『使い物に成らない』ことと同義である。

 そして『使い物に成らない』とは『折れてしまうほどに質が悪い』ことを意味する。

 以上から

 『折れてしまうほどに質が悪い』とは則ち『劣悪な粗悪品』を意味する事になる。


 このように『意図的に偏向した乱雑な推論』を進めると、結論として『切れた剣』とは『劣悪な粗悪品』という結論が導出される……。


 だがしかしだ……、自分でそれを声高に言うだろうか?


「そうよ、ここら一帯を取り仕切るルーア組の世にも名高きあの『劣悪な粗悪品』とは俺のことよ!」と……。


 自虐の性癖でもあるのか? 

 ……それにしては威勢よく啖呵を切った【たんかをきる/威勢よく大声でまくし立て口上を述べる】ものよ……。


 うん? まさか……。

 ここで、単なる用法上の誤り。つまりは誤用なのだという事に思い至った。

 因みに、ここまで論を進めるのに要する時は、『一瞬』ですらない。

 『一瞬』では、あまりにも長すぎるほどである。

 言うなれば『一瞬』よりも更に短い『刹那』の時間、いやそれよりもさらに短い時しか、要しはしない。


「おい、お主。それは、誤よう」


「おう、そうよ。お嬢に御用がある、と御頭【おかしら】が仰っている。大人しくついてきな。痛い思いはしたくないだろう? あ~ん?」


「……」


「ひひひ。そうそう、大人しくついてきな。ここ数日、いくら街中で軽い口のきき方をして身分を誤魔化そうとしたって、この『切れた剣』とまで異名をとる俺様は誤魔化せね~。その身に着けている衣服の質の良さまでは隠し切れてね~からな。そんな上等な衣服と整った顔立ちをみれば、お嬢は良家の子女ってことは一目瞭然よ。家人に黙って、お軽い気持ちで物見遊山に出るというおイタ【いたずら】をしたようだな。そんな世間に疎い良家のお嬢様が一人でほっつき歩いていたら物騒ってもんだ。だからルーア組が丁重に保護してやろうってんで。まあ、礼金はいただきますがね。ひひひ」


 思わず失笑しそうになり、口元を手で品良く隠す。

 その何気ない仕草でさえ、まさに優雅にして典雅。


 だが、この『切れた剣』からは、妾がお上品に『まぁ~、なんという事でしょう!?』と驚きのあまり口元を抑えるという、いかにも良家のお嬢様がしそうな振る舞いに観えたのだろう。

 その顔に浮かぶ笑みが、確信により更に深まる。

 言外に良い獲物が手に入ったとでも、考えているのがわかる笑みだ。


 お頭【つむ】の中まで『切れた剣』則ち『劣悪な粗悪品』で、とてもお軽いのであろうな。

 まぁ、それもそうか。『剣』とて 鍔際【つばぎわ/剣身と鍔【つば】の接している所】から折れていたら、あるのは持ち手としての柄部にある茎【なかご】だけなのだ

 からな。それは軽いのも当然ということか。


 こんなお頭【つむ】の中まで『劣悪な粗悪品』のような輩を使う御頭【おかしら】とやらに会ってみようかと思うほどに、興が乗ってしもうたわ。


 ・

 ・

 ・


「ここだ、ついてきな」

 なかなかの邸宅を前にして、顎で示している。


『切れた剣』が誇らしげに言っているが、別にお前の所有物ではないだろう。

 ぱっと見、大通りに面していて造りはそれなり。敷地は広い。


 周囲は普通だが、人影は疎ら。

 この屋敷の前を仕方なく通るときも、出来るだけ離れて通るようにしている。

 ふむ……。街の住人もこの屋敷がどんなところかは、知っているようではあるの。

 そして、かなり疎まれてもいるというところか。


 それもそうか。道すがら、この『切れた剣』がルーア組の生業を匂わせていたからの。

 要するに、強請り・誘拐・人身売買・違法薬物の密造と販売・強制売春・殺人請負・恐喝・詐欺等々、定番の組織犯罪一揃えだ。

 悪事一揃えを手広く行ってるのだから、今更の抵抗は無意味で、大人しくしていた方が、妾の身のためだと言いたいのだろうが……。


 この『劣悪な粗悪品』が持って回った言い方で、なおかつ濁した言い方をするものだから、言いたいことを理解するのに時間が掛かってしまう。


 暗号の解読をやってる気分になるのじゃ。

 妾だから何とか分かったが、普通の街娘なら、何を言ってるのかワカラナイのではないか?


 相手の言ってることが理解できないのでは、意図も伝わらないだろうに。

 それでは意味が無いだろうが。

 やはり慮外者は、度し難き者よ。


 まぁなんだ、そのルーア組とやらは碌な事はやってなさそうなので……、潰しても問題はあるまい。

 事実誤認で真っ当な団体だったとしても、この『切れた剣』が正確に言わないのだ悪いのだから。

 微かに口角が上がるが、それには誰も気が付かない。


 そして門をくぐり抜け、扉が開けられていく。

 そのまま屋敷の中に入ろうとするが、そこで『切れた剣』に声を掛けられた。


「お嬢、その仮面と腰の物を預かるぜ」

 大人しく渡しておく。

 あまりにも気軽に渡されたのが意外だったようで、戸惑いが見て取れた。

 この屋敷に着くまで、腰の物【刀剣類】を取り上げないという失態ぶりに呆れてしまうの。

 ……やはり所詮は慮外者か、度し難き者よな。

 そして屋敷の中に入るや、早速冷やかしの声がかかった。


「ウひょ~、こりゃ上玉じゃねーかよ。どこで拾ったのよ?」


「へへへ。おっと、お触りは無しだぜぇ。親分に面通ししてからだ。お零れに与あずかるのを期待するんだな」


「かぁ~。やっぱ上玉は親分行きかよ? 俺も早く出世して天辺に行きたいぜ」


「……(そうだな。この後の展開次第では、お前らを天井に叩き付けて天辺(天国)行きにしてやるでな。楽しみにしているがよかろう)」


「おやおや、どうかしましたか~? 悔しいのですかぁ~? ねぇ、いまどんな気持ち? ねぇ~、いまどんな気持ち? おい見ろよ。このお嬢ちゃん、あまりの恐怖で言葉も出ないらしいぜ? 涙まで浮かべて震えてやがる。ぎゃはは!」


 なッ!? く、くそ。こいつ、なぜその言い回し【ねぇ、いまどんな気持ち? ねぇ~、いまどんな気持ち?】を知っているのだ?!

 耐えろ。ここは我慢だ。しかしなんでこんな試練が突然にっ!

 思わず吹き出して大笑いしそうになるのを何とか堪えようとするが、その反動で体が震えてしまった。


 この下品な笑い声を合図に、俄然騒がしくなる。

 全く良く囀【さえず】る奴等だ、と感心してしまう。


 そんな滑稽な会話を聞きながらも、サッと素早く視線を走らせお目当ての者を探し求めるが……。


 なに? ……いわゆる用心棒の先生がいない……じゃと?!


「……(ふむ、ここで定番を外してくるかえ。つまらんの。この街に来るまで盗賊団やらを幾つか潰してきたが、あまり……という感じであったからの。これでは腕が鈍ってしまうではないか。まったく……)」と場違いな事を考えていた。


「おい! お前ら何を騒いでいる! 早く連れて来いとの親分のお達しだ!」

 階段の踊り場付近から声が投げかけられて、この騒ぎも下火になった。


「そいつか? ほぉ~。確かに上玉だ。持ち物はそれだけか? よし、連いて来い」

 慣れているのか、妾の太刀と面を受け取り、それだけ言って上に消えていった。

 ふむ、階上に用心棒の先生がいれば良いのだがの……。


 一際豪華ではあるが、ただそれだけ。

 有態に言えば、悪趣味な部屋に通された。


 さて、どう落とし前を付けてもらおうかの……。


 部屋の中には、奥に堅そう机を前にして腰掛ける男が一人。

 部屋の左右に3人ずつ。少しは腕が立ちそうだが……、所詮は誤差の範囲……か。

 そして、用心棒の先生は……これまた、いない。

 普通なら親分の傍らに控えていると思うのだが……。

 ならば別室に待機しているのか? そして拙い状況になってから「先生! お願いしやす!」と言う展開であろうか?

 それにしては気配が窺えない。ふむ、気配を断てるほどの手練れということか。これは楽しみだ。

 それまでは、まぁ、成り行き次第かの。 


 ・

 ・

 ・


 俺の前に連れてこられた小娘を眺める。

 容姿はとても優れていると断言してよい。こいつは確実に良家の子女に違いない。

 そして見慣れない服装だが、これもまた仕立ても良く、生地も見るからに上質。

 ついでに俺の前に置かれている狐の仮面に目をやるが、これまた造作が優れている。

 仕上げも丁寧で、彩りも華美ではないが見事の一言。

 剣も抜いて観るまでもなく、逸品だとわかる拵え。

 これらも良い値が付くだろう。

 くくく、こいつは儲けも儲け、大商いの大儲けだ。


 よしよし。まずは自分がいま、どういう立場なのかを知らしめておけば、後々扱いが楽になるというもの。

 大事な商品なのだから、出来れば傷物にはしたくない。


「よく来たな。お嬢ちゃん、歓迎するぜ。早速だが、あんたのとこの家人と連絡を取り――」

 長ったらしい前口上を無反応に聞き流していく。

 宥めたりすかしたり脅したりと、手を変え品を変え口調を変えてくるのを、完全に黙殺していく。

 段々苛立ってきているようであるの。だが、妾も苛立っておるのじゃよ。


 これだけ親分が苛立って、声を張り上げておるのじゃ。用心棒の先生も様子を見に来るくらいしてもよかろうに!


「おい、お嬢ちゃん。肝が据わっているのは認めるがな、その反面、教育が成っていないようだ。そう口を噤んで、だんまりじゃ埒が明かねぇ。お前さんのお話も聞いておこうか? あん?」


「道を聞こう」


「道?」


「ああ、妾が『征く道』だ。(お前には、わからぬであろうがな)」 


「あん、『行く道』だ? なんだ、どこかに行きたいのか? しかし、道ねぇ~。人様に物を尋ねるには、まずは対価が必要なわけよ。お分かりでございますか?」


「なにを言っている? お前が妾に献上するのじゃよ。そもそも、妾がお前に下げ渡す行為は『下賜』に当たるではないか。下賜していただくからには、お前は何か功績を挙げなくてはならないが、お前はまだ何も功績を挙げておらぬではないか」


 ピクピクと表情が強張っておるの。もう一押しというところかの。

 ここから、更に小馬鹿にするような問答が幾度も交わされる。

 ……だが、そろそろ飽きてきたの。


「はぁ~。おい、用心棒はどうしたのだ? 妾を痛めつけて立場を判らせた方が良いのではないのか? お前も一家を構えているのだろう。小娘如きにここまで言われて、何とも思わないのか? 砂粒程度とは言え、一応は矜持というものがあるのであろう?」


「先生は、野暮用で席を外している。戻られたら――」


「なんだ、いないのか。道理で気配がない訳じゃな。無駄な時間を過ごしてしもうたわ……。ならば、お前らはもう用済み。出て行っていいぞ(・・・・・・・・)


「……」

 部屋の雰囲気が一変して、殺気が満ちてくる。……だが、暴発はしない。

 予想外に耐えるな。

 ある意味、躾が行き届いているともいえようが……、ならば。


 これ見よがしに周りを睥睨・・して煽る。


「ふむ、良く躾られた飼い犬だ。だがご主人様のために吠えることさえできない腑抜けでもあろうな。それともお前らは、ただ立ってるだけの『置物』か? それにしては、随分と不出来な『置物』であるな」


「小娘風情が調子に乗るなよ。お遊びはおしまいだ。道を聞きたいなら金を払え。金を払っても、ここにいろ。おまえの実家が大金を払うまでな」


「諄【くど】いの。何度言わせれば判るのだ? 金子【きんす】を下げ渡してもらいたいならば、功績を挙げて献上するなり奏上するがよかろう。そのお頭【つむ】で理解できないなら、黙って従っておればよい。判ったかえ、童子よ?」


 張り詰めた空気が限界に達しようとしている。

 ここまで煽っても用心棒は出てこないことから、本当にいないのだろう。

 潮時であろうな。よし、あとは……始末するだけだな。


「いいか、これが最後だ。お前のような小娘にもわかるように言ってやる。よく聞けよ? 

 この俺のような本物の中の本物、真の本物ってのはな、グダグダ、ダラダラと、お上品に言葉を飾って回りくどく手間暇かかる交渉なんざしねェし、いらねェのよ。

 つまりは、俺様の御言葉が『すべて』であって、お前は『肯定と承諾』だけを迅速にすればいいんだよ。こいつは交渉でも御願いでもねぇ、『命令』だ。

 お嬢様のその清らかなお頭【つむ】でも理解できるように言うとだな、お前さんの実家が提示する額を聞いたら、俺が歓喜のあまり白目剥いて絶頂しぶっ飛んでイッちまう。そんなスッキリ、クッキリ、ウットリする額を言わせるんだよ。そうすりゃ、俺には金が入り、お前も聞きたい情報が手に入る。つまりはお互いに楽しくなるって寸法よ。おわかりいただけますかァ~?

 それから、あとでたっぷり、じっくり、思う存分、頭ん中が真っ白になるまで身体を突き合わせて(・・・・・・)、可愛がりながら躾けてやる。どうだ嬢ちゃん、涙が溢れ出るくらい嬉しいか? おっと暴れるなよ? お綺麗な身体でいたいだろう? おい、そういえば、お前ら。この小娘の身体検査はしたのか? なに? してないだと。そうか、なら俺様が念入り(・・・)に身体検査をしてやる。この小娘をひん剥いて俺の元に連れてこい。さっさと……へッ?」


 その命令を聞いて、嬉しそうに手を拡げて近づいて行く手下どもを眺めながら、泣き喚くだろう小娘をどう躾けたものかと、妄想に耽っていた。


 しかし、身体検査に託【かこ】つけて、この魅力的な身体をまさぐり、弄【もてあそ】んでやろうとしている手下どもの好色な下心も同時に見て取れる。

 先ほどまで散々、粋がり強がり言いたい放題だった小娘なのだ。

 そんな小娘の罵詈雑言によく耐えた、多少のことは眼を瞑ろう。俺は寛大な親分だからな。

 そんな風に考えていたが、ニヤつく手下を見て気が変わる。命令した俺が言うのも何だがムカつく。

 やはり後で手下どもは再教育だな。組織が拡大すれば、馬鹿馬鹿しいがそれなりの礼節というモノが必要になってくるのだ。

 主に教会勢力や貴族連中に対してな……。


 椅子にゆったりと身を任せて、これからの算段をしていた俺の横を手下たちがド派手に飛んで行った。


 ガンッ! 「くはァ……」


 ゴンッ! 「ゥグォ……」 


 ドカッ! 「ガギャ……」


 瞬く間に俺の護衛達は全て処理・・されて、床に這いつくばっている。

 実際は、床に這いつくばる前に、宙を飛んで壁に叩き付けられたり、蹴りを入れられ身体が浮き上がったりしているのだが……。


 ガヅン、ドズッ! 「ァガ、グッ……」


 そして呆気にとられている間に、いつのまにか後方に回り込まれて頭を掴まれ、強【したた】かに高級机に顔を打ち付けられる。更に間髪を入れずに、今度は仰け反らされたかと思った刹那に、流れるように腹部に突きを入れられた。

 そのあまりの痛撃に息を吐き出してしまう。そして呼吸をしようとするも呼吸をすることさえ覚束ないのか、無様に口をパクパクさせるている。


 そんな中、もはや意識が朦朧とし始めているのが自分でもわかる。

 だが、なぜ意識が朦朧をしているのかさえ判然としないほどに鮮やかにして流麗な手並みだった。


「どうかの? 身体に突きを入れられて(・・・・・・・・)意識が朦朧としてウットリするであろう? だが、そうウットリとしていては、交渉とやらも出来ぬの。いま少しと意識をクッキリしてもらおうかの?」


 掌を掴まれたと思った瞬間に、ボキッ! 


「ァギィ!?」 

 徐に指を掴まれ、ありえない方向に思い切り反らされ、指が折れた。


「これで眼が醒めてスッキリしたし、意識もクッキリしたであろう? まだ囀【さえず】る気にならないのであれば、今度は吊し上げられて唸りながら逝ってみるかえ?」


「かはッ……。 ふ、ふざける?! 俺を殺せばお前が望む情報が手に入らないだろうが!?」

 漸く息が出来始めるも、あまりの恐怖からか、声が上擦るのを抑え込もうとするも、無意識に声が上擦ってしまうのを自覚する。


「ふむ? お前が逝く前に潜脳して、その意識下から『記憶と情報』だけ引き摺り出せば済む話であろうが。もっとも碌な情報は期待できないであろうがな」


「そ、そんなこと、出来る訳がない……。もし、できるなら最初からやってるはずだ!」


「なかなか鋭いではないか。だが、同時に浅はかよな。他者が無理やり意識の中に潜って記憶やらを漁るのじゃよ。当人の自我が耐えられずに、崩壊するとは考えないのか?」


「そ、そんな事が……出来る訳が……」


「痛めつけられるが自意識と人格は残るのと、痛みはないが頭が逝くのと、どちらがよいかの? なんなら試してみるかえ?」


 そう言うなり、女の尻尾が不自然に淡く輝き始めた。

 その時、うっすらとだが女の尻尾の数が7尾?……いや9尾? 観えたような……。

 いや、まさか……複数尻尾がある者など、俺が知っている獣人ではいない。

 げ、幻覚か……。


 そんな事よりも、これはヤバい兆候だ。

 命の危険を感じて、無意識にか幻覚が見え始めているということ。

 いや、これが噂に聞く走馬燈ってやつなのか?


 なんでもこの『走馬燈』ってやつは、重大な生命の危機時に過去の出来事・記憶を瞬時に総ざらいして、対処方法を探している際に観えるものなのだそうだ。

 嘘か真かはわからないが、なんにせよ今の俺がそんな益体【やくたい】もない事を考えてしまうほどに、現実逃避し始めているという事なのだろう。

 それほどまでに、この状況を『危機的状況』として、本能が感じ取っているということか。


「や、やめ……」

 絞り出すのが精一杯の声だが、その声がもはや恐怖の色彩を帯びて上擦っているのまでは、隠し様がない。

 交渉事において、感情が見透かされる事など、あってはならない。

 そんな下手を打つのは、俺の部下だけで十分なのだ。

 それにも拘らず、この俺の声が無意識とはいえ上擦ってしまう。

 これは、無意識に相手の方が格上だと認めているようなもの。


「お望みならば、もっとたっぷり、じっくり、思う存分可愛がってやろうかえ? もっともこの場合の可愛がるというのは『頭ナデナデ~』や『ほーら、高い高いでちゅね~』ではなく、頭の中が真っ白になるまで、辱【はずか】しめ、弄【もてあそ】び、汚し穢【けが】し、嬲【なぶ】り、甚振【いたぶ】り、貪【むさぼ】り、蹂躙【じゅうりん】して、ワカラセてやるという意味であろうがな。なに、安心するがよいぞ。怪我の方は治してやるでな。綺麗な身体で逝けるだろうが、そのお頭【つむ】の方は壊れてしまうであろうな。どうだ? 涙が溢れ出るくらいに嬉しいであろう? それから先ほどから情報云々と言っているようだが、お前にはわからないでだろうな」


「『行く道』の事だろうが……」


「『征く道』だ。言い換えれば『覇道』であろうな」 


 俺の耳朶を打つ美声が心地いい。これが睦事の囁きなら、どんなに良い事か……。

 だが実際は言っている内容が、慄然とする内容なのだ。

 ……いま確信した。

 そもそも、これは交渉ではない。一方的な宣告なのだ。

 そして宣告なのだから『やる』と言ったら、本当にやるだろう。


 この場合の『やる』とは『実行する』という意味なのだろうが、その『やる』を実行されると、この俺は『殺【や】られる』ことになってしまう。


 この女……ほ、本気だ。……俺の本能が、そう囁くのだ。

 涙と鼻水と脂汗に塗れて、この女の貌を見上げればそこに浮かぶのは……、無表情だ。

 喜悦や嫌悪、侮蔑といった感情が一切見られない。

 まるで路傍の石を見ているかのような無表情。

 その無表情が、言い知れぬ恐ろしさを喚起する。


 喩えお前のような小石がなくても、この世は恙無く【つつがなく/何の支障も無く】何事もなく、廻り流れていく。

 そんな小石のような俺は、文字通り無価値だとわからされてしまう。そして納得させられる。そんな事を思わせる表情だ。


 そして更に恐ろしいのが、この手際。

 無駄に洗練された無駄のない無駄な動きというか、とにかく無駄がないうえに、

 躊躇【ためら】いが、一切ない。


 実行したことがない、経験したことがない故の躊躇いの無さではなく、実行しすぎて、そして慣れ過ぎて何の痛痒も感じなくなった故の躊躇いの無さ。

 言うなれば、この躊躇いの無さは、料理人が調理する際の手際と同じだ。


 もっとも料理される側の俺から言わせれば、堪ったものではないのだが……。

 な、なんで、こんなことになっちまったのか?!

 ……ち、ちくしょう!


 階下の奴らは、何してやがるんだ?!

 早く物音に気が付いて助けに来やがれ!

 床に打ち付けられ這いつくばりながら、空しく視線を床に投げかけるも、無情にもその目に映るのは厚い床敷物だけであった。


 このあと散々痛めつけられ始末されていくのだが、階下に屯【たむろ】していた者達は、そのドズンドズンという鈍い物音に気がつくも――


「うはァ。こりゃ張り切ってるな! よほど、お気に召したんだろうな。こっちまで回って来るかね?」


「親分のお気に入りになったんなら、無理だろ」


「だよなァ~!」

 ――などと、見当違いな事を述べ合っていた。


 しばらくして何事もなく小娘が階下に降りてきて、始まる第二幕の饗宴に強制的に招待されることになったのだ。


 そんな凄惨な饗宴の最中に、全く無警戒に用心棒の先生が帰ってきた。

 だが、なにやら不穏な雰囲気が漂っている事に気が付き、剣柄に手を掛けながら正面玄関を潜り抜け、室内の様子を窺う。


 そして耳をすませば、微かに物音が奥の方から聞こえてきていた。意を決して剣を抜き放ち、足音を消しつつ歩を進め奥の部屋に入ると、そこには複数人が床に倒れ伏していた。


「あぎ……ひ……もう、もうやめ……ァが……」


「や、やめ……畜生……一思いに殺しやがァァ……」


「く、くるな……ひイィ……」


 白目を剥き、口腔からは止めどなく涎を流しつつ、鼻と耳からは流血しながら痙攣し身悶えているという一種異様な惨状が目に入ってくる。

 さしもの用心棒も困惑しつつも、室内の状況を把握すべく素早く見渡す。

 そんな中で、ある小娘が椅子にもたれかかり杯に手をやりつつ、涼やかにこちらに視線を流して声を掛けてきた。


「おや、ようやくのお帰りであるか」


 声を掛けられるまで、気配を全くと言ってよいほどに感じなかった。

 さらにはこの惨状に身を置いているにも関わらず、至って平静な口調。

 そして平然と杯に手をやる豪胆さ。


 相手の力量と思惑を確かめるべく、視線を投げかけた。

 そして視線が交錯した刹那に理解した。


 いま、自分は死線を越え、死地に入りこんでいるという事に……。

 そして理解したその瞬間に、身を翻して脱兎のごとく逃げ出そうとする。


 目前の入り口を抜けさえすれば、この死地を、窮地を脱することができる。

 そんな事を考えた正にその瞬間、目の前の壁に横一文字に血が飛んだ。

 それと同時にガクッと脚から力が抜け、その場にもんどり打って転倒した。


 い、一体何が……


「たわい無いものよ。どこに行こうというのかえ? まったく……、妾を見て挨拶もなく踵を返して逃げ出そうとするとはの……、所詮は破落戸【ごろつき】か。これは、教育が必要であろうな」


「い、いったいなにが?! あぎイッ!」


「止血してやっているのだ。感謝してほしいものよ」


 痛みで脚を斬られたのだと漸く理解はしたが、いつ斬られたのかさえ分からない。 軽く反りの入った剣を腰に佩いてはいるが、抜いてさえいない。

 ……なのに、なぜ……。

 ただ理解できたのは、脚を斬り飛ばそうと思えば容易にできたのに、あえてそれをしていないという事だ。

 あまつさえ、止血と称して脚に負った裂傷の上を、これみよがしに踏みつけているのだ。


 終わった……。

 これが俺が抱いた正直な感想だ。

 こうして用心棒は、捕まり饗宴に招待されることになったのだった。


 そして、日が暮れると共に街中に散っていた者達が、邸宅に上納金を収めるべく戻り始める。

 邸宅には明かりが灯されていた。

 ……まるで誘蛾灯のように……。


 ・

 ・

 ・


 幾日かに渡る饗宴が終わり、街には静けさが名実ともに齎されることになった。

 街の汚点たるルーア組が突如その看板を下ろし、瓦解したという報せが走ったのだ。

 解放された生き残りのルーア組に属する者の大部分は、街の軍や警備の元に逃げ込み、一様に口を揃えて『足抜けする』と言い出し、証言したという。


「じょ、冗談じゃねー! あんな目にまた遭うくらいなら、鉱山で死ぬ危険はあるが、懲罰労働しているほうがまだマシだ!」


「あ、あんな悪鬼がいるとわかったら、もはやこの稼業は続けられねぇ! また会うかもしれないと考えるだけで……。ヒィ――~~!」


「ま、また来るかもな? と言っていたんだぞ! いつ舞い戻ってくるか、わからない。か、風音に慄き、影に怯え、瞬きすることすら恐れて、暮らしたくない!」


「確かに俺たちは悪事に手を染めた。だが、それが……あれほどの目に遭う事なのか?!」


 また街から、逃げ出した者も一部いる。

 そんな街を去った者はその行く先々で自分が体験したことを「実はあの街で見聞みききしたんだが……」と話していった。話すことで、なんとか自らの精神の均衡を保とうとしたのだ。そしてその話は、さすがに実体験なので迫真に迫っており、そして迫真に迫っているからこそ、聞くだけだと面白い。

 結果、話が広まり始めるという好循環? になっていった。


 そんな中、取り調べと証言を精査していく段階で驚くべき事実が浮かび上がってきた。ルーア組が収奪していた財貨が、ほとんど残っていた事だ。


 この『ほとんど残っていた財貨』と言うのが曲者で、厳密には少し足りないらしい。


 だがルーア組の者とて、襲撃? 時点での総額は把握していない。

 入出金があまりに多いためだ。

 また金額が合わない足りないと言い募り、狐面の者が着服したと誣告【ぶこく/虚偽の事実を述べる事】している可能性も否定できない。


 大体、少々足りないからと言って『それがなんだというのか?』というのが、取調官達の感想だった。

 なにせ悪名と悪評で名高いルーア組が、信じられないことに自らその看板を下ろし壊滅? してしまったのだ。

 たとえ件の者が財貨を少額を持ち出しているとしても、それは犯罪集団を摘発というか……文字通りの撲滅? したのだから、……言うなれば『経費代わりの手間賃?』と思えば、安すぎるくらいである。


 あとは邸宅内で何が起こっていたかという事だが、証言を調査した結果は慄然としたものであった。

 つまりは『痛めつけた後に回復させて、また痛めつけていたらしい』と判明としたのだ。

 その内容たるや余りにも生々しく、また筆舌に尽くし難い内容だった。


 調査を担当した者が翌日欠勤したり、一日中落ち込んでいたり、中には調査中に嘔吐したり、しまいには失神した者までいるくらいだった。

 領主の秘書は、領主に対して夢見が悪いので『記録を読むことをやめるべきだ』と進言するほどであった。


 もっとも狐面をかぶった当の実行犯は、遠方の地でこの話を聞き及び思わず吹き出していた。


「妾は何もやってはいない。最初に、ちと痛めつけただけだ。あとは幻術を見させていただけじゃ。あの幻術は、掛けられた者の内なる心を醜く反映するでな。よっぽど観た幻が酷かったのであろうて。まぁ、悪党には悪党なりの報いがあるということよ。自業自得というやつであろうな。もっとも度し難い輩は、今後の教訓として始末したが。そこは『刑を以て刑を止め、殺を以て殺を止む』ということであろうな」と述べていたが……。


 そもそも、なぜルーア組がここまで勢力を拡大し、街に影響力を及ぼす存在になったかと言えば、事の発端は街を預かる領主と側近たちが、当初この無法組織に無法者の管理をさせようとした事が、大きな要因であった。


 『無秩序の中に秩序を作り出して管理しよう』という机上の空論で、その活動を黙認していたのだ。


 もっとも時と共に組織の行動は過激に、そして大胆になっていく。

 遂には行政府に賄賂を撒き始め、逆に侵食を始める始末。さすがに領主も看過はできずに、これを排除しようとするも腐敗が進みすぎてしまい、なかなか病巣を排除できずにいた。そんな矢先に、大本であるルーア組が看板を下ろし構成員は逃亡・捕縛され組織は名実ともに瓦解した。 


 街の施政を預かる者としては、これに乗じて汚職に加担していた者達を粛清していく。

 また事の顛末を聞いた領主は、その人物を召し抱えようと奔走した。

 当然だろう。腕も立ち、治癒術まで使えるとなると、召し抱えない方がおかしい。

 あれこれ手を尽くしてその者の行方を追うが、行方は杳【よう】として知れなかった。


 そして時が経つにつれ、ある報せも齎される。

 近隣の盗賊団や犯罪組織が幾つも消えているというのだ。

 そして、その全てにあの狐面の者が関わっているらしい。


 この報せが人々に届き始め、そして世間話として口の端に上るや、この狐面の者を指して、ある者は『護法護民の羅刹』だと驚嘆し、またある者は『救世主覇者』だと称賛し始め、さらには奇妙な噂が立ち始めた。


 ――『あの御方は天の御使い、護法護民の天狐様なのだ』――と。


 ――『行方が知れないのではなく、天にお帰りになられ、この地を見守っていて下さるのだ』――と。


 この噂を受けて、摘発がより一層強化されていく。

 領主に向けられる眼も一段と厳しくなっていたからだ。

 則ち――『天孤様が顕れてくだされたのは誠に慶事。だが天狐様が護法護民の御力を振るわざるを得なくなるまで、現状を看過していた今の領主は、果たして領主の名にふさわしいのか?』――との声が、上がり始めていたのだ。


 陰に陽にと突き上げを喰らい、苦言を呈される領主。

 事ここに至っては、徹底的に摘発することでしか、その名と矜持を保つことが出来なくなっていた。


(なお後世では、この領主はこの地域の名君・名領主を解説する書籍に、小さくとも一応は掲載されることになる。もっともそれとて『――『天狐の薫陶に浴し』犯罪の抑止に尽力した名領主――』と言う枕詞が必ず付随し、持って回った言い方で解説が付されていたのだが……)


 そんな中で、嘗て【かつて/むかし】を懐かしむ一部の者達は『悪鬼による力の恐怖支配だ!』と罵っていたが、聞く耳を貸すものなど皆無であった。

 それどころか逆に、お前は何か疚しい【やましい/後ろ昏い】事でもしていたのか? と疑いの目で見られる始末であった。


 また腐敗の一掃に成功し、活気を取り戻しつつある街には、救世主覇者の伝説として『狐のお面を着けた像』が建立されることになった。


 声を大きくしては言えないが、実質『神像』扱いである。


 その像はとても大きく街の象徴にもなっていき、また一連の出来事は『天狐の事蹟』の一つとして語られてゆくのは、また別のお話である。


 因みに、この地域一帯では『悪い子のところには、護法護民の天狐様がお仕置にくるよ』と言う警句が出来、悪童達を恐怖のどん底に陥れたのだった。

 (また後世においては、その逸話から子供に対しての躾にも用いられることになる)


 殊に、言う事を聞かない腕白な幼子達には『護法護民の天狐様』という単語は効果覿面【こうかてきめん】で、其の語を聞くや見る見るうちに涙目となり、慄【おのの】きながら、両親の言う事を聞いたという。

 また素行の悪い大きな子供達【大人】には、誰が出したのか不明ではあるが狐の印が入った警告文が届き、大きな子供達【大人】は『風音に慄き、影に怯え、瞬きすることすら恐れた』と伝わっている。


お読み頂きありがとうございました。

あけましておめでとうございます。

本年度もよろしくお願いいたします。

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