椅子取り合戦
新しい家族ができた。もちろん親父じゃない。小型犬の雑種の小太郎、オス、推定2才。全体的にグレーの毛で、まだらに黒色が混じっている。ミニチュアシュナイザーの遺伝が何割か入っているらしいが、俺の見立てではガマガエルの遺伝が9割方だ。はっきり言って、顔はイケメンとはほど遠い。無愛想だし、散歩には行きたがらないし、買ってきたオモチャにはことごとく無関心ときた。保健所から引き取ってきたときにはもう少し可愛げがあったような気がしたんだか・・・ひょっとしたら、俺の自宅は呪われているのかもしれない。一度でも家に上がったら最後、倦怠感の魔物に取り憑かれ、二度と元の体には戻れなくなってしまう。まあ、つまり、簡単にいうと、小太郎もすぐに我が家に馴染んだということだ。
ペットショップで高い金をだして買うよりも、身寄りなく、処分されるのをただ待っているだけのやつを一匹でも救ってやるべきだ、と提案したのは俺だ。血統書つきのエリートなんて、うちには不釣り合いだろ? ぽっと出の新人がいきなり、我が家の生態ピラミッドの頂点に君臨するなんて、考えただけでも反吐がでる。
だから、お前のその態度はある意味正解だ、と小太郎の両前足を持ちながら何度も強弁してやったのだが、本人は聞かぬ存ぜぬ。終いにはソファにションベンを引っかける始末だーーいくら我が家でも、いいかげんトイレぐらいは覚えようぜ。
というわけで、新しい家族の紹介は以上なのだが、元鞘に戻ろうとした父、三島友和はどうしたかっていうと、別にどうもしない。小太郎のエサやグッズを毎月配達にくる配送業者として時々家にやってくるぐらいで、誰も何も気にしない。俺も母も茜もそれなりに忙しいんだ。仕方なく、智花と一緒につるんで、小太郎に着せる衣装を手作りで制作したりしているらしいが、それもいつまで続くことか。風の噂で、ときどき実父と義父の二人だけで酒を飲みにいっているらしいが、それも定かじゃない。そんなこんなで、我が家は今も、以前と変わらずしっかり複雑だ。
夏休みまであと二週間。といっても、俺の通う映画の専門学校では、毎日単位取得のためだけの授業ばかりで、ある意味、長期の休暇が映画制作を本格的に勉強できる実地授業となる。親が金のあるやつらは、その時間をつかって海外へ短期の留学をしたりするのだが、E班の連中にはそういった恵まれた環境の人間はいなかったーーたったひとりを除いて。
「三島、ダンスのふりはちゃんと練習してるのか?」
余田さんが授業の合間に声をかけてきた。明らかに浮かれてるのがわかる。だって、白いフリフリ襟のシャツの首元にサングラスがぶら下がってるもの。こうやって感情をあからさまに外に出すようなところは、やっぱり余田さんも女なんだなぁ、なんてことをぼんやりと思ったり、思わなかったり、どうでもよかったり。
「今年は最終学年で、卒業できる単位はもうとったから、ちょっと早めに発てるんだ」
「いつ、どこで、何をしに行くんですか?」
訊かれたがっていそうな質問をまとめて言った。不満顔はサービスで。
「明後日からロスに一ヶ月ちょっと。今回はすごいんだ。実際の映画の撮影現場を見学できることになってな。学生のじゃない、マジの映画だ。向こうではそこそこ有名な俳優も出演するらしい。あっ、お土産は期待しないでくれ。資金面がかつかつで、そこまでまわせる余裕がなさそうなんだ」
「いいですよお土産なんて。それより、余田さんが向こうでコネつくって、将来立派なプロデューサーにでもなって、そのとき俺に仕事を振ってくれたら、それが最高のお土産です」
「お前、いいこと言うな」
余田さんが俺の肩をポンッと叩いて言った。
「今日は鎌井は休みですか? 余田さん、一限目の評論で一緒でしたよね?」
「ああ。でも、授業が始まる前に工藤先生に呼ばれて出てったきり、結局最後まで戻ってこなかったな」
「また何かやらかしたのかな?」
「さあな」
と、授業開始のチャイムとほぼ同時に、鎌井が教室にはいってきた。
二時限目は”現代撮影技法”という授業だった。スクリーンに映した映画をコマ送りしながら、遠近法がどうだとか、影の作り方がどうだとか、映画をあえてつまらなくなるように観て、映画に対する情熱を冷めさせ、生徒たちをふるいにかけるという画期的な授業だ。その効果は絶大で、年度が替わる時期には、俺の知っている限りで5人程度の脱落者が必ずいる。毎年30人の募集定員から考えれば、そのふるいがどれほど効果的かおわかり頂けるかと思う。かくいう自分も、ふるいの編み目に腰までずっぽり填まって、足をばたつかせているタイプの一人だ。鎌井なんて、常に片手一本で編み目にぶら下がってるんじゃないか? なんちゅう握力だ!
そんな鎌井が授業中、始終うつむき加減でいたのが気になって、授業終わりに、珍しく俺から声をかけた。
「ずいぶん絞られたみたいだな。なに言われたんだ?」
鎌井は俺を見やると、ため息をつき、机にひれ伏した。
「最近奇行が目立つって」
俺はそれを聞いて、大げさに笑った。
「それは間違いだな。鎌井の奇行は最近じゃなくて、ずっとだもんな」
「あんまり酷いようなら、停学とか退学とかも考えないといけないってさ」
「そんなの気にすんなよ、お前らしくない。お前から奇行気質をとったら何が残る? 皮と骨と髪の毛しか残らない。ミイラだよミイラ」
「それって、けなしてない?」
「この変人集団のなかで、お前は天然記念物なみの貴重生物だぞ。これ以上のほめ言葉はない」
鎌井はしばし黙ったあと、「あんがと」とボソッと言った。
「お前は実力で主役を勝ちとったんだから、自信持てよ」
そのとき、片手にスマホを持った高田美鈴が慌てた様子で教室に入ってきて、後方の席にいた余田さんに駆け寄った。俺はそれを横目に、マックで昼食をとるため鎌井と一緒に教室を出ようとした。
「三島! 鎌井!」
余田さんから呼び止められて振りかえる。
「これ見てくれ」
スマホをかかげながら、余田さんが俺らのところへ駆け寄ってきた。
そのスマホのメール画面には〈 学校やめることになりました 〉とだけあった。
「莉音が学校やめるって」
俺は正直驚いた。真壁莉音は、ふるいの中で優雅に寝そべって、振り落とされまいと必死にしがみついている俺らを、遠目から嘲笑っているタイプかと思っていたからだ。
余田さんが遠い異国の地に舞い降りたころ、真壁莉音の件の詳細がようやくわかってきた。どうやら、カメラ技術指導でときどき学校にやってきていた非常勤講師との恋人関係が学校側にバレ、その非常勤講師は解雇、莉音には停学処分がくだったのだ。それを受けて、莉音は”学校の風紀を乱した”という理由から自主退学を選択した。
「あいつが学校の風紀を気にするタイプに見えるか? 絶対なにか裏があると思うんだ」
E班全員が集まった放課後の教室で、俺が教壇の前からみんなに訴えかけた。こういうときこそヒーローの出番だろ。
「だって、教師と付きあってることなんて自分からネタにしてたぐらいだぞ。”女優に恋は必要不可欠なの”とか、”コネは体でつくるものよ”とか。あいつの口から”風紀”なんて単語出てくるわけがない。みんなもそう思うだろ?」
みんながざわつく。ふと我に返った俺は、自分の口調が余田さんそっくりなのに気づいて、ちょっと恐かったーーもしかして生き霊? 余田さんが乗った飛行機、大丈夫かな・・・?
「でもよ、本人が言ったかどうかなんて関係ないんじゃね?」
同じメイク班の井上が言った。
「どうして?」
「だって、現にあいつはここに来てないわけだし、メールは自分で打った可能性大だろ。辞めたいやつを無理やり来させることなんてできないだろ」
「お前はぜんぜん人間がわかってない!」
遠くの席から、女子の「三島くんってなんかキャラ変わったよね」という声がわずかに聞こえてきたが、無視した。
「そう言わざるを得ない状況だったって可能性も十分あるだろ」
「例えば?」
井上が詰め寄るような口調で言った。
「例えば・・・銃で脅されてたとか?」
誘い笑いをしながらのその会心のジョークは、総スカンという名のリフレクによってはね返され、俺のハートに致命的な一撃をくらわせた。デルタアタッーク!!!
「理由はどうあれ、E班のヒロインを失ったんだぞ。これは致命的だと思う。だからせめて、本人の口から納得のいく説明をしてもらうべきだと思う」
「なにお前、あいつのこと好きなの?」
井上がニヤケ顔で言った。その言葉に、恋バナ好きの女子生徒たちがいっせいにはやし立てる。俺はその攻撃から逃れる術がわからず、ただHPが減っていくのを見守るしかなかった。
「おい! ふざけんな!」
とつぜん机を叩いて立ちあがった鎌井が、足をならしながら俺のそばまでやってきた。鎌井が声を荒げることなど滅多にないだけに、あたりが一瞬にして静まりかえった。
「お前ら調子にのるなよ! ミッシーが誰を好きになろうと勝手だろ。人の好きっていう気持ちを茶化すようなやつは最低だ!」
お~い、ぜんぜんフォローになっていない! つーか、それじゃまるで俺があいつのこと本当に好きみたいじゃねえか! ーーまあ、顔はタイプだけど。顔だけな。
「・・・ありがとう、鎌井。席に戻っていいぞ」
鎌井はそれを聞いて、拍子抜けしたように「ああ、うん」といって席に戻った。
俺がせき払いで編集点をつくる。
「本題に入ると、しばらくはあいつの代役は置かずにおこうと思う。学校をやめるのは勝手だが、途中で作品を投げだすのは、まがいなりにも映画人を目指す者同士として許せない。だから、必ず如月みなみ役は真壁にやってもらおうと思う。幸い、対価を払っての出演じゃなければ部外者の出演もオッケーだそうだし、余田さんにもメールで了承はとってる。だから、みんなにも協力して欲しい」
「どうしてそこまでして、あいつの肩持つんだよ?」と井上。「ぜってえ好きーー」
「あいつ、」声のボリュームをあげて、井上の声を遮った。「駅のホームでひとりダンスのフリの練習してたんだよ。イヤホンしながら、まわりの視線も気にせずに。ダンサー役だから、人一倍うまく踊れなきゃとでも思ってたんだろうと思う。表ではいつもヒョウヒョウとしてるけど、映画にかける思いは誰よりも熱いんじゃないかと。だから、途中で投げだすのは本意じゃないと思うんだ」
教室が静まりかえる。どこかからすすり泣く声がきこえた・・・と思ったら、鎌井が鼻をすすっただけだった。
「メールだときっとはぐらかされるか無視されるだろうから、直接会って真意を聞き出そうと思う。もしこのなかにあいつの住所知ってるやつがいたら、教えてもらいたいんだが・・・」
と、唐突に小金井が立ちあがった。「お前、弱みにつけ込んで、あわよくば、あいつをどうにかするつもりだな!」
「お前じゃねえんだよ! そんなことするか!」
「女は別れ目が一番狙いどきだって、ホットドッグに載ってたぞ。抜け駆けは許せん!」
「やっぱり、あいつのことが好きなんだ」と井上がボソッと横からちゃちゃを入れた。
「だったらお前も一緒に来い」
小金井を指さしながら言った。
「行きたいのはやまやまだが・・・俺はバイトで忙しい」と言って、小金井が座る。
「じゃあ井上、お前は?」
井上を指さしながら言ったが、その二つ後ろの席の鎌井がなぜか手をあげた。
「じぁあ、俺っちが一緒に行くよ、ミッシー」と鎌井。俺はそれを無視した。
「俺は・・・彼女いるし・・・」と井上。
「何なんだよお前ら! それでも仲間か?」
「ミッシー、俺っちは一緒に行ってもいいよ」と鎌井。俺はそれも無視した。
「見損なったよ。E班の絆はそんなもんだったのか。結局、ただの学祭の催し物だもんな。本気になるなんてバカだよな。ただの思い出作り。映画人になるなんて夢のまた夢。三年間の学校生活は就職までの猶予期間で、わいわいがやがや目一杯楽しんで、なんだかんだで一般企業に就職していく。安泰の仕事と安泰の家庭を築いて、賃金労働者として一生を送る。ときどき映画人を夢見た日のことを思いだして、そんな時代もあったなぁなんてことを、ビール片手に子どもに話したりする。子どもは真剣な表情でその話を聞いているが、心の中じゃこう思ってるんだ、”酒くさっ”ってね。いいよな。幸せじゃないか。すばらしい人生だよ。でも俺はそんな人生ならいらない。それが幸せの形なら、そんな幸せはいらない。他人からどんなに不幸な人生だと思われても、死ぬ間際に必死に生きたと思える人生を俺は送りたい」
俺は熱くなって、早口でまくし立てた。その演説を真剣な表情できいている者もいたが、たいていはぽかんと口を開けていた。終わった瞬間は言いすぎたと思ったが、言ってしまったのだから仕方ない。発言を撤回することなどできない。発言は常に上塗りし続けるしかないのだから。だからお喋りは嫌いなんだ。
俺は再び、せき払いをして編集点をつくった。俺の人生はいったいいくつ編集点があるのだろうか?
「えー、この中で真壁の住所知ってるやついないかな?」
片手をあげて発言を促すが、手はあがらない。
「まあいいや。余田さんなら知ってるかもしれないし、わからなきゃどうにかして調べるから。みんなには放課後の貴重な時間をとらせて申し訳なかった。それじゃ、これでーー」
と、一番後ろの席にいた高田美鈴が控えめに手を上げた。
「あの~、莉音ちゃんの正確な住所は知らないんだけど、あそこに住んでるっていうのは聞いたことがある」
美鈴が窓の外を指さしながら言った。その先には、地上52階建ての高層マンションが小指ほどの大きさでぽつんと建っていた。まるで苔の生い茂る地面に一本だけ生えたキノコのようだ。河を渡った向こう側は東京の新開発自治区。オリンピック効果で今、地価が跳ね上がっているらしい。なんて嫌みな女だ!
東京は嫌いだ。魅力的すぎて、ちっぽけな自分を見下されているような気がする。それは学校一の美少女が同じクラスにいるのに似ている。高嶺の花すぎて、あまりの手の届かなさに存在自体を呪うようなものだ。頼むからこっちを見ないでくれ。勘違いしちまうじゃねえか!
莉音の住む高層マンションは文字通り、俺のことを見下していた。屋上にヘリポートでもあるのか、赤いランプがゆっくりと点滅している。しばらく見あげていたら、首が痛くなった。
外の広いエントランスのまわりには植木や花壇がならんている。そばにはだだっ広い公園があり、日が落ちるまでの後わずかな時間を惜しむように、子どもたちが遊んでいた。
俺はためらっていた。
真壁莉音の家族が出てきたらなんて言おう?
変質者だと思われないだろうか?
エントランスのベンチに腰をかけながらそんなことを考えていると、いつの間にか日が落ちてしまった。みんなの前で威勢のいいことを言っておきながら、いざとなったらこのありさまだ。情けない。やっぱり鎌井を連れてくるべきだったな、などと思っていたとき、とつぜん背後から肩を叩かれた。驚いた拍子に女のような声をあげてしまった。
「ごめんなさい」振りかえると、そこに高田美鈴がいた。「そんなに驚くと思わなかったから・・・」
「いやあ、驚いたっつうか、なんつーか。真壁に見つかっちまったのかと。いや、真壁に会いに来たわけだから、見つかってもいいんだけど・・・」
俺はしどろもどろになりながら言った。
「本当にごめんなさい」
どんだけ謝るんだよ? 俺そんなに酷い驚き方してた? どんな顔だった? やっべえよ、今まで人に見せたことない顔しちまったかもしれねえ。
「三島くんをつけてきたわけじゃないから。私も気になって、莉音ちゃんに会いに来たの。莉音ちゃんには会えた?」
「いや、まだ。いざ家の前まで来たら、本当に説得するべきなのかなって思って。あいつだっていろいろと悩んで決めたことだろうし、あいつの選択した道を尊重してあげたほうがいい気がして」
美鈴が俺の隣に腰掛けた。
「もし私が莉音ちゃんの立場だったら、きっと嬉しいと思うな、説得されたら。何も変わらなかったとしても、気持ちは伝えたほうがいいと思うよ。莉音ちゃんって、普段はああだけど、意外とと乙女の部分あるし」
「そうか? 中身100%おっさんだと思うけどな」
「そんなことないよ。知らないだけ。だって、美術倉庫でゴキブリがでたときなんて、超かわいかったんだから。キャーって悲鳴上げて、私に抱きついてきたの」
「マジかよそれ。超うけるな」
「あとピンクが好きだったり、子どもの頃にお父さんに買ってもらったぬいぐるみを大事に持ってたり。だから、男の人に説得なんてされたら泣いちゃうかも」
俺はそれを冗談半分で聞いていた。演技以外であいつが涙しているところなんて想像できない。もし本当に泣いていたとしても、やっぱりそれも演技だと思うだろう。
「よし、じゃあ、いっちょいって、あいつを泣かしてやろうか。さっき入り口の郵便受けみたら、ものすごい数あるんだ。いっしょに真壁の名前探してくれるか?」
「もちろん」
俺たちはベンチから立ちあがった。そのときマンションのそばの路上に一台の黒いスポーツカーがとまった。左側の運転席から出てきた、いかにもチャラそうなホスト風の男が助手席側にまわり、素早い身のこなしで扉をあける。そして助手席から、サングラスをした薄着の女が出てきた。
「あれ、莉音ちゃんじゃない?」
そう言われてみると確かに似ている。10年後の真壁はきっとあんな感じだろう。道を外して、夜の街に消えた10年後の真壁は。
「真壁の姉ちゃんじゃね?」
「違うよ。だって莉音ちゃん、一人っ子だもん」
「にしちゃ、この短い間にあんなに老けるかね? バツイチ、子持ちって感じだぞ」
その光景を呆然と見ていた俺たちは、同時にハッとした。突然、真壁莉音がそのチャラ男と路上でキスしだしたのだ。それもかなりディープなやつ。キスが終わると、莉音はシャネルのバッグを肩ごしに持ち、颯爽とマンションのエントランスのほうに歩き出した。
「ヤバイ!」
俺はとっさにパーカーのフードを被ると、美鈴と一緒にその場にしゃがみ、生け垣の影に隠れた。
「このままだと見つかる。俺たちもカップルのふりをするんだ」
と、俺は美鈴の同意もなしに肩を抱くと、体を密着させた。
「ほら見てみろ、ミッスー。このベンチの曲線。この窪みの角度が重要なんだ。頑丈な木材でも、この滑らかな曲線によって長時間座っていても疲れないように設計されてる。人間工学の妙ってやつだな。すばらしい。今度うちの新商品の参考にさせてもらおう。しっかりメモっとけよ。あっ、巻き尺忘れた」
「あんたたち、こんなところで何やってるの?」
背後から莉音の声がして、ふり返った。莉音がサングラスをおでこの上にずらす。
「あっ、莉音ちゃん」
「おお真壁、奇遇だな。ぜんぜん気づかなかったよ」
「”あっ、巻き尺忘れた”じゃないわよ。へたくそな芝居して。三島はメイク専攻で正解。俳優専攻だったら100年経っても売れないわ。それに比べて美鈴、あんたは女優目指してるんでしょ? なんなの今の演技。もっとマシな演技できなかったの?」
「違う違う。三島くんが勝手に」
「とっさにしちゃ、ベンチの設計士夫婦っていうアイディアはよかっただろ?」
「よくないわよ! 不自然すぎ!」と莉音。
「おっ、真壁がつっこんだぞ」
俺と美鈴がわざとらしく肩を揺らして笑った。
莉音はため息をつくと、「何の用?」と呆れ気味にいった。
「いや、用ってほどでもないんだけどーー」
「やっぱいい。だいたい言いたいことはわかるから。学校を辞めたことでしょ? いいわ、部屋のなかで話してあげる。こっちきて」
真壁莉音の自宅は37階の角部屋だった。窓の景色といい、家具といい、装飾品といい、どれをとってもセレブ感満載だ。貸してもらったトイレのトイレットペーパーすら、廃品回収でもらうペーパーとは大違いだったーートイレから出ると、女子二人から”家に入ってすぐクソするやつっていったいなんなの?”的な目で睨まれた。だって仕方ないだろ、緊張から解放されて、お腹のバルブも全開だったんだから。
「二人ともコーヒーでいい? フレーバーコーヒーしかないけど」
キッチンのオープンカウンターから顔を覗かせて、莉音が言った。さっきまでアップだった髪を下ろして、少し若さを取りもどしていた。
フレーバーコーヒーとやらをすすりながら、”甘い香りがするのに味はブラックコーヒーだ”なんてことを思っていると、莉音が話始めた。
「知ってると思うけど私、飯島と付きあってたの。まあ、カメラマンとしては優秀だと思うけど、男としては最低ね。なのにあいつ、突然別れたいって言い出したの。あんなカメラしか能が無いやつが、私をふろうとしたのよ。考えられない。だから私、自分から学校に言ったの、教師と付きあってるって。もちろん匿名でだけど、それとなく特定できるように。もともと辞める口実が欲しかったし、ちょうどいいと思って。どうせ専門学校なんて、就職したくない連中が時間稼ぎに来てるのが大半なんだから」
俺と同じこと言ってる、とそんなことを考えながら莉音の話をきいていた。
「あなたたちも、本気で映画の世界に入りたいのなら、早いうちに下っ端からでもその世界に入っておいたほうがいいわよ。学校なんて時間とお金の無駄だから」
「莉音ちゃんは、なにか当てでもあるの?」と美鈴。
「実は私、ある人に誘われててね。さっき見たでしょ? あのキザな男。演劇界では結構有名な人でね。あの人が最近劇団を旗揚げして、その専属女優にならないかって誘われてるの。劇団なら、軌道に乗ればお金だって稼げるし、学校なんかよりよっぽど演技の練習になる。本当は卒業までまってもらうつもりだったんだけど、いいタイミングだと思って。だから、学校をやめたことは後悔してない。あの男に気に入られるために、こんなケバい格好までしてるのよ。ほんと、女優になるって大変。でも、どんな手をつかっても絶対女優になるわ。それ以外のことなんて考えられない」
俺はフレーバーコーヒーをすすった。最初は”なんじゃこれ”って思ったけど、飲んでるうちに意外とうまいかもと思い始めた。つーか、けっこう虜かも。
「私の話は以上。わかってもらえたら、もううちには来ないでね。私は私のやり方で生きていくから。お互いうまくいったら、どこかの現場で一緒になれると思う。そのときを楽しみにしてるわ」
俺はフレーバーコーヒーを一気に飲みほした。
「このコーヒーすごくうまかった。ありがとう」俺は立ちあがった。「じぁあ帰るわ」
「いいの三島くん?」と美鈴が俺の腕をとって言った。
「いいんじゃないか、本人がいいって言ってるんだし。あっ、ちなみに、このコーヒーってどこに売ってんの?」
「駅前の成城石井で売ってたと思うけど」
「そっかぁ。まだやってっかな・・・?」
「三島くん、莉音ちゃんを引き留めにきたの。学校を辞めたのは仕方ないけど、せめてE班の作品だけは最後までやってほしいって。きっと途中で投げだすのは本意じゃないんじゃないかって。忙しいかもしれないけど、時間の合間をぬって、私たちの作品制作も一緒にやれないかな?」
「ミッスー、もういいよ。帰ろうぜ」
「でも・・・」
「あっ、そうだ。さっきミッスーが良いこと言ってくれた。何も変わらなかったとしても、気持ちは伝えたほうがいいと思うって。だから、その言葉にしたがって、俺の正直な気持ちを言わせてもらう。真壁のやり方を否定する気はないし、もちろんそんな権限もない。そこまでストイックに夢を追いかけられるのは、一種の才能だと思う。ただ、俺の考えを言わせてもらえば、人の魅力は内から出てくるものだと思う。たしかに生まれ持った素材としての違いはある。どうしたってルックスと遺伝は切っても切れない関係にあるし。でも、それを生かすかどうかは本人次第だ。体を切り売りして仕事を得ようとするようなビッチは、いずれルックスもビッチらしく見えてくるもんだ。仕草や話し方、髪の毛の艶から目の動きまで。そんなやつが演じられる役はこの先、売春婦ぐらいなもんだろ」
「三島くん・・・」美鈴が泣きそうな顔でボソッと言った。
だが、言われた張本人の莉音は案外ケロッとしてる。
「あなたの話をきいてると、小学生の話をきいてるみたい。考えが甘すぎて笑けてきちゃう。才能があってもチャンスに恵まれずに散っていった人がいったいどれだけいると思ってるの? 実力があればいつかは世に出られる、なんて暢気なこという人がいるけど、あんなの嘘よ。この世は椅子取り合戦。死にものぐるいで取りにいきゃなきゃ、ただ呆然と立ち尽くしておしまい。誰もそんなやつに席を譲ってくれる人なんていないの。みんな自分がーー自分だけが可愛いから。だから私は自分でチャンスをつかみ取る。たとえそれが人に非難されるような方法でも、それがアドバンテージになるのであれば、喜んでつかうわ」
帰り道、美鈴と別れた俺は、駅前の成城石井に立ち寄った。コーヒーコーナーは店内をぐるっとまわった一番奥にあった。たくさん種類がある中で、〈 フレーバー 〉の表記のあるやつを探す。そしてようやく目当てのものを見つけ、手にとった。ライオンのマークが入ったやつだ。
”1380円!!”
たっけ!




