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初めてのバット

 映画の撮影のため学校で毎日のように女装をする鎌井は、いつもそのままの格好で帰宅していた。着替えたりメイクを落としたりするのが面倒などと言っているが、本人は相当女装が気に入っているらしい。確かに、鎌井は男よりも女に生まれたほうが幸せだったかもしれない。

「このまえヤンキーみたいなやつに渋谷の駅でナンパされちゃってさ」

 女装姿の鎌井が、学校を出て駅に向かっている俺にしつこく声をかけてきた。俺はそれを無視し続けた。

「ねえ、ミッシー」鎌井がおかま口調でいう。「オカマイちゃんにはお構いなしって感じぃ?」

 俺は立ち止まると、正面から鎌井の両肩を掴み前後に揺すった。

「鎌井、正気を取り戻せ! お前は普段から可笑しなヤツだったけど、今のお前は笑えねえぞ。早くこっちの世界に戻ってこい、鎌井!」

 鎌井はわざと目を回すような仕草をしながらも、にやけ顔だった。

「三島さん」

 背後から声がし、振り返った。そこにスーツ姿の真弓香奈がいた。俺の戸惑っている様子を見た鎌井が嬉しそうに言う。

「ちょっとお、誰よこの女。浮気とかしたらマジ許さないんだからね」

 鎌井が頬を膨らませる。

「いえ」真弓がそれをまじめに否定した。

「いや」俺が慌ててそれを否定する。「鎌井です、鎌井。ほら、この前神坂さんといっしょにお店に行ったときの・・・」

「ああ、鎌井さん! ぜんぜんわからなかった。女性の方かと思いました」

「オカマイちゃんで~す。どうぞよろしくぅ」

「喋らなければいい感じなんですけどね」俺が苦笑いでいう。

「でも、ほんと美人さんですね」

「そう? ありがと」鎌井が体をくねれせながら言う。「ねえミナミ。あたしもメイドカフェで働きたいんだけどぉ、よかったら店長にちょっと口利きしてくれないかしら」

「お前が働けるのはニューハーフパブだろ」と俺。「こいつの言うことは気にしないでください。ちょっとキャラが気に入ってるだけなんで」

 真弓が小さくうなずく。

「ちょっとぉ、ひどいじゃないミッシー」

「普段はスーツも着られるんですか?」

 鎌井の言葉を無視してきいた。

「・・・ちょっとこの後別の仕事がありまして」

「あのお店辞めちゃうんですか?」

「いえ、そういうわけでは・・・」

 俺はそれ以上詮索するのはやめた。いろいろと事情があるのはお互い様だろうから。

「神坂さんはあの後もお店に行かれてるんですか?」

「ええ。週に3、4回はお会いします」

 あのオヤジ、真弓さんのシフトに合わせて来店してんな、きっと。普通のカフェの三倍もする飯代に加えて、毎回オプションをつけていたら相当の金額になるだろう。そんなにコスプレの会社って儲かるのか?

 そのとき、そばを真壁莉音が通りかかり、立ち止まって無言のまま鎌井を見つめた。

 莉音が鼻で笑う。

「ちょっとぉ、誰よこの女。ちょー失礼なんですけどぉ」

 鎌井が大きな身振りでいった。

「ごめんなさい。まわりの人からきいた評判があんまりにも高かったから、つい期待しすぎていたみたい。あなたはぜんぜん悪くないわ。私が勝手にハードルを上げすぎてしまったの。ごめんなさい」

「なんか、ちょー二回も謝られたんですけどぉ。どんだけ~」

「それじゃあ、私はこれで失礼します」真弓がそう言うと、その場をあとにした。

「三島の彼女?」と莉音。

「まさか」

「でしょうね」

 “ちょっとぉ、誰よこの女。ちょー失礼なんですけどぉ”と俺は心のなかで呟いた。真壁莉音を見ていると、つくづく女は顔よりも中身なんだなと感じる。もちろん、最低ラインぐらいは越えておいてもらいたいが・・・いや、もちろん、カワイイに越したことはないけど・・・やっぱり、カワイイ子がいい!


 今日はバイトが休みだったため、寄り道もせず、そのまま自宅にむかった。途中、小雨がパラついてきたため、俺は小走りでいつもの道を帰った。

 自宅のある路地にはいったとき、家の前で黒い傘を差して立っている人影が見えた。スーツを着たその女性は、なぜかインターホンを背に立っていた。

「ミナミ・・・さん?」

 俺が声をかけると、真弓香奈が顔をあげた。彼女は俺を確かめると、ただ無言でうなずいた。

「どうしたんですか? 用事は終わったんですか? っていうか、どうして俺んちに?」

「ごめんなさい、何も言わずにとつぜん押しかけて。ちょっと、三島和春さんに話があって」

 なぜフルネーム? つーか、なんで俺のフルネーム知ってんだ? あっ、あのオッサンか。

「話って何ですか? もしかして、愛の告白とか?」

 俺が大げさに手を後頭部にあて、誘い笑いをした。 

 だが、真弓は真剣な表情を崩さなかった。

「告白には違いありません」

 真弓は傘の柄を肩と首で挟むと、内ポケットから名刺入れを取りだした。

「わたくし、こういう者です」

 渡された名刺には〈 出会いと別れプランナー 〉とあった。

「人の出会いと別れを演出する仕事をしています。メイドは裏の顔。こちらが本業ですーーといっても、まだ駆けだしで、掛け持ちしないと食べていけないんですけどね。まあ、それはいいとして、今日はある人から依頼を受けてここに来ました」

「ある人?」

「三島友和さん・・・あなたのお父様です」

 俺はそれをきいて、足から力が抜け、ふらついて一歩後退し、あやうくその場に膝をつきそうになった。三島友和・・・実の父・・・あの首つりシーンはやはりただの妄想だったということか。

「あなたのお父様は、あなたたち家族を捨てたことをとても後悔なさっています。できれば、もう一度やり直したいと。でも、身勝手なことをした自分がそんなことを言う権利はない。だから、せめて一度だけでも、成長したあなたたちの姿を見たいと。もし、よければ、お父様と一度会っていただけませんか?」

 俺はしばし黙り、ようやく口を開いた。「よろしくないですね。つまり、こういうことでしょ? 俺を仲介役にして、母に口利きしてくれないかと」

「いえ、そういうつもりは」

「妹二人はもちろん、俺もほとんど父との記憶がないんです。もう、他人でしかない。知らないおじさんに会ったところで、時間の無駄でしょう。申し訳ないですが、その人と会うつもりはありません。それと、妹二人には、このことは黙っていてください。変な動揺をさせたくないので」

「ですがーー」

「その人に伝えてください。生きていることがわかってよかった。元気で暮らしてくださいと」

「・・・わかりました。突然のことで大変申しわけありませんでした。これで失礼します」

 真弓は深々とおじぎをすると、ヒールをならしながら去っていった。

 自宅の門をあける。門を閉める。郵便受けに手紙が入っていないか確かめる。階段をあがる。ひさしの下で傘を閉じ、傘についた水滴を振り落とす。その傘を傘立てに投げいれる。玄関扉の取っ手に手をかける。

 俺は取っ手に手をかけたまま、固まった。

 本当にこれでいいのだろうか?

 妹たちの意見も聞かずに、勝手に決めてしまってよかったのか?

 いや違う。俺の気持ちはどうなんだ? 父親に会いたいんじゃないのか?

 今更あってどうする? なにかメリットがあるとでも?

 メリット・・・実の父親と会うのにメリットなんて必要なのか?

 俺はあわてて階段を駆け下りると、門を勢いよくあけ、彼女の去っていった方向に駆けだした。十字路で立ち止まると、あたりを確認した。左側の路地に、停まっているタクシーに乗り込む真弓香奈の後ろ姿が見え、彼女のとなりには男性の後ろ姿がリアウィンドウ越しに見えた。

 俺はそこで、まるで足に根っこが生えたかのように身動きできずにいた。

 タクシーのテールランプが灯り、前方に進んで徐々に小さくなる。しばし赤信号でとまった後、左折して見えなくなった。

 俺は自宅に戻る道すがら、これで良かったのだと自分に言いきかせた。わずかながら父親の後ろ姿も見られたことだしーー若い頃の写真と違って、髪の毛がかなり後退していた。ってことは、俺も将来ハゲる可能性大ってことか。ふざけんなっ!

 俺はフッと息をもらした。

 玄関の扉を開けると、見知らぬ革靴が一足乱雑に床に転がっているのを見つけた。

 こんな時間に客でもきているのか? それにしてはやけに部屋が静かだ。

 俺はそっと廊下にあがると、おそるおそるリビングを覗いた。ソファに座っているスーツ姿の男性の後ろ姿が目にとまった。男は、なぜか坊主頭の額にネクタイを巻いていた。

「こんにちは・・・」

 そっと声をかける。と、男がゆっくりとふり返った。

「よっ、おかえり」

 赤ら顔の神坂仁が、ビール片手に満面の笑みで言った。

 と、クラッカーが鳴ったと同時に、扉のそばに隠れていた茜と智花が飛び出した。

「お兄ちゃん、お誕生日おめでとう!」

 茜に急かされるようにして智花が言った。

「はい、プレゼント」訳もわからず、それを受けとる。「お化粧道具だよ。お兄ちゃん、これからもお化粧頑張ってね」

「ああ。ありがとう・・・って、なんで神坂さんまでいるんです?」

「いやぁ、なんとなくね」

「お父さんからも、兄貴にプレゼントあるってさ」

 茜が嬉しそうに、ソファの背後からビニールのかかったセーラー服を取りだした。

「ほら、これ。お父さんの手作りだって。なんでもお父さん、衣装をつくる会社の社長なんだってさ。すごくない? で、兄貴に似合うセーラー服を作ってくれたの。これで、私の制服を洗濯カゴから引っ張り出して、こっそり女装する必要もないってわけ」

 茜がニヤケながら言った。俺が智花を睨みつけると、智花は素知らぬ顔でそっぽを向いた。

「ねえ、ほら、せっかくお父さんが作ってくれたんだから、はやく着がえてみんなに見せてよ」

「はやく、はやく」と智花。

 それに便乗して、神坂も手拍子をし始めた。

「ちょっ、ちょっと待った。話の展開が早すぎて、ぜんぜん理解出来ないんだけど・・・まず第一に、俺に女装趣味はない。そして二つ目、どうして神坂さんがビール飲みながらうちでくつろいでるんです? それと三つ目、お父さんお父さんって、いったい何のことだ?」

 茜と智花が当たり前と言いたげに、神坂を指さした。

「お父さんが帰ってきたの」と智花。

 それを聞いて、俺は口を開けたまま固まった。  

 いやいやいや、なに言ってんだ? どうしちゃったんだ茜も智花も。まさか神坂に催眠術にでもかけられたのか? ああそうだ。そうに決まっている。なんて卑劣な野郎だ!

「すまなかったな」

 神坂がせき払いして言った。

「すまなかったって、何がです? あなたは神坂仁なんでしょう?」

「神坂仁は偽名だ。本名は三島友和。正真正銘、お前の父親だ」

 俺は鼻で笑った。そんなことありえねー。いくら友達がいないからって、俺の家族まで巻きこむことなくね。頭狂ってる。あの殺人未遂の負い目をいいことにここまでするなんて、常軌を逸してるとしか思えん。警察に通報だ、通報。

「あんた」襖の隙間から顔をのぞかせた母が、酒やけ声で言った。「今日泊まってくの? 布団ないわよ。仕事行ってる間に、あたしの布団使わないでね。オッサン臭つくの嫌だから」

 襖が強く閉まったと同時に、神坂が肩をすくめる。「はい・・・」

「えっ? ちょっと。マジで父親なの? 本当に三島友和なの?」

「だから、さっきからそうだって言ってるでしょ、お兄ちゃん」と智花。

 神坂が財布の中から車の免許証をとりだし、俺に差しだした。免許証には確かに〈 三島友和 〉の文字が入っていた。いや、これも偽造かもしれない。おれはこっそり名前の部分を爪先でこすってみた。

 つーか、こいつが正真正銘、俺の父親だったら、さっきのくだりはいったい何だったんだ? 変に感動しちまったじゃねぇか。運命を受けいれる的な、これからも俺の人生はまだまだ続く的な、映画でいうところのあのクライマックスシーンはいったい何だったんだ? あのハゲはただのハゲだったってことか? じゃあ俺は将来ハゲなくてもいいんだな? ハゲの代わりに女装趣味を受け継げばいいんだな? って、ハゲよりよっぽど劣等遺伝子じゃねえか!

「じゃあ、気を取り直して、パーティーの続きをはじめるとしますか」

 神坂がビールを一気にあおってから言った。

 茜と智花が歓声をあげる。

「ちょっと待った」

「まだあるのぉ」と智花。

「最後に四つ目。今日は俺の誕生日じゃねえから! まだ一ヶ月先だから!」

 空気がとまり、気まずい雰囲気が流れた。

「あはははは」神坂が苦笑いをうかべる。「そんなこと気にすんな、とも春ーーあっ、和春」

 実の子の名前間違えんな! つーか、やっぱ偽物だろ!

「本当の誕生日っていうのは、誰しも一回きり、生まれたその日だけだ。それ以外の日は毎日、誕生記念日ってこと。生まれてきてくれてありがとう、とも春ーーあっ、和春」

 やっぱり通報する。父親だろうが、そうじゃなかろうが通報する。

「じゃあ、誕生記念日恒例の催し物といきますか」

 神坂が足もとに置いていた色違いのカラーバットを三本ひろいあげると、兄妹三人にそれぞれ一本ずつ渡した。

「今から、お菓子が詰まった張りぼて人形をここに吊す。それをたたき割って、落ちてきたお菓子好きなだけもってけ」

 智花が小さく歓声をあげた。

「しかも、そのお菓子の中に一つだけ外国のコインが入ってる。それを手にした者には、お父さんが好きな物を一つだけ買ってやろう。なんでもいいぞ」

「マンション」と茜。

「アメリカ留学費用」と俺。

「・・・予算十万円ぐらいにしようか」神坂が智花の頭に手をおいた。「智花はなにがほしい?」

 智花はしばらく悩んだあと、ボソッと言った。

「ワンちゃんがほしい。ちっちゃいやつ」

「よし、じゃあコインを見つけたら買ってやろう」

 智花が歓声をあげた。

 神坂はキッチンに置いていた懐中電灯と、1メートルほどの人の形をした手作りの張りぼて人形を持って、リビングに戻ってきた。

「電気消して、懐中電灯で照らしてくれ」

 俺は言われるがまま、天井を照らした。神坂は椅子の上に立ちあがり、手慣れた手つきで電灯を外すと、頭に巻いていたネクタイでその人形を天井に吊した。その光景を見て、俺はひとり鼻で笑った。妄想だと思っていたあの頭の中の映像は、妄想ではなかった。まったく。幼い子どもにいったいなんつーグロテスクなもん見せてんだ、このバカ親父は。

 俺は茜と智花に耳打ちした。

「よしOK。じゃあ、用意スタートで始めるぞ。準備はいいか? ・・・用意・・・ドン!」

 智花がカラーバットを振りかぶる。

「まだだよ智花。用意スタートで始めるって言っただろ」

 俺が智花の背中を押す。

 智花が振りかぶったカラーバットを命一杯、父親の腰目がけて振り下ろした。

「違う違う! 人形を殴るんだよ、智花」

「よし、いけ!」

 おれの合図で、俺と茜が援護射撃にくわわる。三島友和は、ひいひい言いながら、部屋を逃げ回った。隣で寝ている母に「うるさい!」と注意されるまで、俺たちは父親を笑顔で追いかけまわし続けた。



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