バトル女装ロワイアル
専門学校の最寄り駅の改札を出ると、背後からとつぜん肩を叩かれた。どうせまた鎌井だろうとは思ったが、この前このあたりで声をかけてきたメイドカフェの真弓香奈という可能性もあったため、相手のご希望通りちゃんと振り返った。
俺の肩を叩いたのは化け物だった。真っ赤なたらこ唇、長い金髪の髪の毛、ぎょろ目の上から伸びるひさしのようなまつ毛。
「ハロー、ハロー、カズちゃ~ん」
オカマ姿の鎌井が、首に巻いているピンク色の羽でつくったマフラーみたいなやつで俺の頬をくすぐりながら言った。
「気持ちわりぃなあ」俺がそれを振り払う。「脅かすなよ。一瞬、誰かと思ったよ」
「オカマイちゃんでぇ~す。お元気してたぁ、カズちゃ~ん。全然連絡してくれないから、あたし寂しかったわよぉ」
俺はふと、このやりとりをミナミちゃんが見ていたら、あの日の俺の格好も含めてまるっと誤解されるんじゃないかと思い、あたりに彼女がいないかどうか探した。
見ちゃいけないものだとでも思ったのか、それともヤツと目が合ったら石にされるとでも思ったのか、駅前の通勤通学の人たちは誰もこちらを見ようとはせず、足早に通り過ぎていった。
俺は鎌井を振り切るために、学校までの道のりを全力疾走した。これがもし1メートル走だったとしたら、あのボルトにも勝っていたに違いない。それぐらいのスタートダッシュだった。
駅前でなぜ鎌井があんな格好をしていたのか理解した。メイク班の男子が全員、女装で映画に出演することになったらしい。
「そこでなんだけど」余田さんがメイク班の連中に向けて言う。「これから君たちに殺し合いをしてもらいます」
ドン引きしているE班の連中をよそに、黒板に文字を書き始めた。
“バトル女装ロワイアル”
余田さんが黒板を叩くと、チョークの粉が舞った。
「主役の早乙女役はメイクの三島にやってもらおうと思っていましたが、急遽メイク班の男子が全員出演することになったので、このさい女装が一番美しい者を早乙女役にしたいと思います」手に持ったメモを見やる。「オーディション日時は来週の金曜の放課後、V2スタジオ控え室で行います。もちろん俳優専攻の人も、我こそはと思う人がいれば参加可能です。主役である早乙女は口がきけない設定なので台詞の審査はありませんが、顔だけではなく、表情や仕草、歩き方なども審査します。投票は俳優、シナリオ、照明、美術、カメラのオーディションに参加しないE班全員で行います。ちなみに、早乙女役以外は全員バックダンサー役、つまりエキストラということになります」
俺はその話を聞いて、あの日女装をして駅前を歩いたのはいったいなんだったんだ、と思いながらも、絶対にエキストラだけはごめんだ、と心の中でつぶやいた。あれだけ嫌だった早乙女役も、いざ他人に奪われると思うと、複雑な気持ちだった。やるからには下手な芝居はしたくないと思い、耳の不自由な人の仕草や、どういうときに不自由を感じるのかを研究していたから、今更なにを、という感じだ。それに、メイクは各個人個人で行うため、女装の評価の高さはメイク技術の高さにも直結する。なにがなんでも早乙女役を死守しなければ。
ということで、俺はその日家に帰ると、用意されていたハンバーグを食べながら、アンビリーバボーの心霊特集を智花と一緒に観て、自室に戻った。
午前二時すぎ、俺は廊下から聞こえた物音に一瞬はっとし、口紅を塗るのを途中でやめて扉のほうを見た。扉には鍵がついていないため、五キロの鉄アレイ二個と、紐で結んだ15冊の映画の専門誌を上に乗せた椅子をおいて、向こう側から扉をあけられないようにしていた。
こんな時間に誰だろうか? 母親は仕事のはずだし、日付が変わるころ茜が精一杯のオシャレで外にでていったのは知っている。ということは、この物音は智花か? それとも・・・?
肩越しに伸びる長い指の手、遠くの窓ガラスに映る少女の顔、首のない人間・・・。
と、まもなくして廊下をかけてくる足音が聞こえてきた。
智花だ!
慌てて口紅をしまおうとしたため手が滑り、フローリングの床に落としてしまった。
「お兄ちゃん」
ドアノブが音を立てて無造作にまわる。
口紅をひろうと、エロ本を隠すよりもはるかに大きな羞恥心を抱きながらそれを布団の下に隠した。
「お兄ちゃん、智花だよ。ここ開けて」
ティッシュがなくなってしまい、代わりに使っていたトイレットペーパーを慌ててちぎり取ると、途中まで塗った口紅を拭いた。
「ちょっと待って、いま開けるから」
しかし、口紅はとれるどころか頬のほうまで赤色がのびてしまい、余計口紅を塗っていたことが目立ってしまった。アイシャドーやチークも乾いたトイレットペーパーではうまく落ちず、焦れば焦るほど、幼稚園児がお母さんの目を盗んでお化粧遊びをしたときのようなメイクになってしまった。
「待てない。おしっこ行きたいの。一緒にトイレまでついてきて」
扉の向こうから地団駄を踏む音が聞こえてきた。
扉の隙間から智花の腕が見えた。もう時間がないと思い、俺はトイレットペーパーをロールごと手にとると、まるで巻物を広げるかのようにそれ床に転がし、長いトイレットペーパーで自分の顔をぐるぐる巻きにした。
俺は狭い視界のなかで扉までやってくると、椅子を横にどけて扉をあけた。と同時に、智花が倒れ込むようにして部屋に入ってきた。
顔をあげた智花の表情が一瞬にして曇り、今にも泣き出しそうな表情でその場にへたり込んだ。目の前には包帯男と見まごうトイレットペーパー男。驚きすぎて声も出なかったらしい。喉の奥からは音にならない声を漏らし、股間からは小3とは思えない量のおしっこを漏らしていた。
今にも叫び声をあげそうな智花の様子を見た俺は、「俺だよ、俺」と言いながら慌ててトイレットペーパーをはぎ取った。が、その下の顔が今どんな状態だったのかまでは頭が回らなかった。血が滲み出ているように見える口元、リンゴのような真っ赤なほっぺた、真っ黒に縁取られたパンダのような目。
智花が叫び声を上げる間一髪のところで口をふさいだ。そのとき初めて床が濡れていることを知った。
20歳の女装と小学三年生のおもらし。お互いの秘密を共有することで、いま兄妹間で友好条約が無言のうちに締結された。
オーディション参加者は全員で5人。俺、鎌井、井上のメイク専攻の男子3人と、俳優専攻から、マイケルジャクソンに憧れている一年生の盛岡、それに何を血迷ったか小金井が参加を希望した。ちなみに俳優専攻の二人にはメイク専攻の女子がメイクをすることになった。
鎌井と小金井は相手にならないとして、一番の強敵は井上、大穴が盛岡といったところだろうか。井上は、山城には負けるものの美形の部類の顔立ちをしており、うまくメイクを施せば化ける可能性は大ありだった。ただ、井上がどれくらい本気で女装してくるか、そこが勝負の分かれ目だろう。盛岡も顔立ち自体は男っぽいつくりなのだが、目鼻立ちがはっきりしているため、ボーイッシュな女装が似合いそうだった。
メイク室の鏡の前がそれぞれパーティションで区切られ、小部屋のようになっており、参加者同士が相手の様子をうかがえないようになっていた。順番を決めるくじ引きで、一番はじめが小金井、そして井上、俺、盛岡、鎌井の順番になり、小部屋の割り当ても入り口側からその順番になった。
鏡の前にはメイク道具一式と化粧品がおいてあり、公平を期すために基本的には同じ道具でメイクをするという徹底ぶりだったが、どうしても必要な物は余田さんに許可をもらって持ち込むことになっている。衣装もすでにパーティションの縁にかかっており、ランダムで決まった俺の衣装は、白いシャツに青いスカート、黒髪ロングのカツラという清楚なイメージのものだった。
「あっ!」
メイク開始直後、窓際のほうから鎌井の叫び声がきこえたが、俺は自分のメイクに集中した。
その声に、余田さんが鎌井のパーティションの中に入っていく。
「何やってんだよ、鎌井」
どうやらラメの入った小瓶を床に落とし、灰色の地味な床をキラキラにしたらしい。
「もういいから,鎌井は自分のメイク」
まるで母親がテーブルを汚した子供を叱るような口調で余田さんが言った。
そのやりとり以外、他のパーティションの中からはふざけた様子はうかがえなかった。どうやらみんな真剣らしい。たかが学園祭の出し物だが、学外の人たちに自分をアピールする数少ないチャンスでもあった。みな何らかの形で映画に関わる仕事に就きたいと思っているし、それが難しいこともわかっているのだ。
目の前にある仕事を一生懸命できなくて、いったいどんな仕事が出来るっていうんだ?
下地は薄く、目もとは力強く、口紅は薄目の赤だが、角張った頬を隠すためにチークは強めに塗った。眉はやわらなか曲線、顎からクビ筋には濃いシャドー、ワンポイントで口角の斜め下にホクロを描いた。
俺は自分のメイクが終わったとき勝利を確信していた。今まで何度も女装メイクの練習をしてきたが、その中でも一番いい出来だった。勝負強さは生まれつきなのだ。右斜め上から見れば女優の小雪そっくりだし、誰が何と言おうと美人に間違いない。みんなの前に出たときのどよめきを期待せざるを得なかった。清楚な衣装にもぴったりのメイクだし、文句のつけようがない。
衣装を着た俺は鏡の中の自分を見つめると、小さくガッツポーズをした。
V2控え室にはすでにE班が全員そろっていた。右足にギプスをつけている山城も、まるでポスト俺は誰なんだと言いたげな態度で最前列の椅子に座っている。なぜかE班ではない生徒や、教師の姿もちらほらあった。
オーディションは一人ずつ行い、全員終わってから無記名投票で順位をつける。
「お待たせいたしました」余田さんが仰々しく言った。「さっそくオーディションを始めたいと思います。エントリーナンバーワン、俳優専攻の小金井裕貴です。どうぞ」
会場からいっせいに拍手がおこった。小金井がメイク室から隣のV2控え室に入る。と、その途端会場の拍手が爆笑に変わった。その声がメイク室で順番を待っている俺の耳にも届き、さっきまで自信が一気に消え失せた。
たしかに小金井が女装など考えただけでも笑える。でも、彼が笑いをとりにいったとは思えない。実際にV2控え室から「笑いすぎだろ!」という小金井の悲痛な叫びが聞こえてきた。少なくともメイクはメイク班の女子が担当しているわけだし、そこまで笑えるものだろうか。
俺はそこでようやく気づいた。このオーディションは主役を決めるという体裁ではあるものの、裏ではみな文化祭の余興みたいな気持ちで集まってきているのだ。連中は俺らの女装を見て笑いにきたんだ。
くそっ! なんて卑劣だ! でも今更あとには引けない。そんなスタンスでやってきた奴らすらも感嘆させられてこそ本物じゃないか。
俺は緊張のせいで尿意を催した。
「ちょっとトイレに」
廊下からオーディションの様子を見ていた余田さんに言った。
「早くして。もう順番来ちゃうから」
俺は小走りにトイレに向かい、男子トイレに入った。小便器で用を足していると、入って来た見知らぬ生徒が女装姿の俺を見て一瞬立ち止まり、ここは男子トイレだよなあ、といった表情で個室に入っていった。俺は残尿感の残ったままチャックを閉めると、そそくさとトイレを後にした。
メイク室に入ろうとしたとき、V2控え室から歓声が聞こえてきた。どうやら井上の順番になっているらしい。小金井のときとはまったく違う雰囲気で、「かわいい」とか「やばい」とかいう声も聞こえていた。誰かが甲高い口笛を吹いて井上を称えた。
井上の後とかマジ最悪だ。小金井の後がよかった。ハードルめっちゃ上がってんじゃねえかよ。大丈夫、落ち着け、落ち着け。俺はやればできる子だ。俺はカワイイ。誰よりもカワイイ。絶対に大丈夫。よし、OK。早乙女役は俺が頂く!
いよいよ順番がまわってきた。余田さんが俺の名前を呼び、俺は椅子から立ちあがると、オーディション会場の道のりをゆっくりと進んでいった。あたりがスローモーションに見える。心臓の鼓動がきこえた。
V2控え室に入ったとき、歓声や嘲笑はなく、ほとんど静まりかえっていた。というよりも、緊張しすぎて音が聞こえなかった。俺はまわりを見やる余裕もなく、部屋の奥にある台に向かってただ歩を進めた。女性っぽい歩き方などいっさい考えていなかった。ひょっとしたら右手右足が同時に上がっていたかもしれない。
「かわいい」
どこからか女の声がした。それをきっかけに音が戻ってきた。拍手と歓声が波のように巻き起こった。
あっという間に俺の審査は終わった。オーディションというよりも何か競りにでもかけられた気分だった。ぐるっと一回転してください。にっこり笑って。ポーズとって。
俺はV2控え室の隅の椅子に座ると、なにもできなかった自分を後悔していた。主役うんぬんでも、メイクうんぬんでもなく、人前でここまで緊張してしまう自分が情けなかった。そんなことを考えていたら盛岡の審査がいつの間にか終わっており、鎌井の順番になっていた。
「それでは最後です」余田さんが言う。「エントリーナンバーファイブ、鎌井大輔です。どうぞ」
廊下からハイヒールのコツ、コツ、という音が聞こえてくる。鎌井という人物を知っている連中がいっせいに身構え、笑う準備をした。
女装姿の鎌井がゆっくりとV2控え室にはいってきた。その瞬間、笑おうと身構えていた空気が一変、あの子は誰だ? といった雰囲気が部屋を包んだ。静寂の中、俺は生唾を飲み込んだ。
白いTシャツにオーバーオールを着て、スニーカーを履いている。カツラはウェーブのかかったダークブラウンのショートボブで、角張った頬骨をうまい具合に隠している。メイクは、ほとんどしていないように見えるほどナチュラルなものだが、大きな瞳につけまつげが印象的だった。なぜか左腕には果物のはいったバスケットをぶら下げているのだが、それがどことなく海外アニメの世界名作劇場に出てくる主人公の女の子のようで、快活さを演出している。
鎌井が照れたように笑い、口もとからガタガタに並んだ歯をのぞかせた。それを見て、ようやく会場の空気がなごんだ。
「笑うな、笑うな」
どこからか声がとんだ。
ドッと会場がわいたが、俺はまったく笑えなかった。
鎌井はふたたび口もとをきつく閉めると、大きな動作で部屋の中央にむかった。
鎌井は今この部屋にいる誰よりも可愛かった。