素人生脱ぎバニーガールセット
「骨折!?」
俺は自分が思うよりも大きな声をだしてしまい、ここが学校のそばにあるスタバだということを思い出して声を絞った。
「山城が骨折って、大丈夫なんですか撮影。明日クランクインですよ」
余田さんがキャラメルフラペチーノをすすり、ため息をついた。
「いま急遽、俳優専攻から誰かいないか探してもらってるんだけど、みんな自分の班の準備とかで忙しいらしくて、なかなかつかまらないんだよね」
「そんなに酷いんですか、山城の骨折?」
「自転車に乗ってたときに、交差点で車と接触したらしくて。本人曰く、20メートルも吹っ飛んだんだと。足首だけの骨折で済んだのは奇跡的だそうだ。まあ、あいつのことだから、また大げさに言ってるだけだとは思うけど、骨折は本当。しばらくは松葉杖生活になるんだって。今日も、満員電車がきついからって、午後の授業から参加すると」
「せっかく山城の顔につけるパーツが出来上がったばっかりなのになあ」
「そこでなんだけど・・・」
「なにかいいアイデアでもあるんですか?」
「山城の代わりに三島の妹に出てもらえないかなと思って」
「妹って、智花ですか?」
「この前の写真の子。本当は男性が女装して美しいっていうのが理想だったんだけど、この際男役の女性が女装をするんでもいいかなと思って」
「また、ややこし――っていうか智花は無理です。そもそも生徒以外の出演は大丈夫なんですか?」
「先生がいうには、対価を払っての出演じゃなければいいって」
「でも、小学三年生の素人じゃいくらなんでも無理でしょう。台詞とかも覚えられるわけないし」
「その点は大丈夫。シナリオ専攻の人たちに、主人公を耳の聞こえない美少年って設定に変更してもらうから。そうすれば台詞は喋らなくてすむし」
俺はふと、智花の夢がアイドルになることだということを思いだした。専門学校生の作品の出演がアイドルの道に繋がるものだろうか?
いや、やっぱり無理だ。というか嫌だ。智花を大勢の前に引っ張り出すのはどこか客寄せパンダをさせているようで、兄として気分のいいものではない。
「すみませんけど、やっぱり妹は無理です」
俺はまじめな表情で軽く頭を下げた。
「そっか・・・ダメかぁ」
余田さんは残念そうにうつむき、その状態のままストローをくわえた。
沈黙が続き、気まずい雰囲気になった。ふと窓の外をみると、先ほどまで晴れていた空がいつの間にか厚い雲におおわれていた。やべっ、傘持ってくるの忘れた。
「誰かいないかな・・・」
「誰かいないっすかねえ・・・」
「あっ」
余田さんが俺を見て言った。
「えっ?」
「・・・いた」
と、こんな流れで俺は映画に出演する羽目になった。どうやら智花の名前を出したのは承諾をとりやすくするための布石だったらしい。俺はまんまとその作戦に引っかかったというわけだ。
だが、心のどこかでは少しうれしく思う自分もいた。前々から、自分の顔は女装向きなんじゃないかと思っていた節がある。女装する口実もあるのだし、金もかからないとなると、未知の世界に足を踏みだすチャンスじゃないか。
やっぱりネジがゆるんじまったらしい。というか、いつの間にかネジがすっ飛んで、なくなってたりして。
新しい世界に踏みこむのもいいけど、ちゃんと戻って来られるように、ポイントポイントで割ったクッキーを目印代わりに置いておくことにしましょう。
「お前、これ一回履いたろ?」
小金井がバニーガールの衣装を手にしながら言った。
「履くわけねえだろ」鏡の前に座り、自分にメイクをしながら俺が答える。「中身確かめただけだよ」
「なんか網タイツのところに縮れ毛がついてんだけど」
小金井がその縮れ毛を持ちながら言ったが、俺はそちらに振り向こうともしなかった。
「オプションだろ」
「オプションなわけねえだろ! どんなオプションだ! ドンキだろ? アダルトショップの素人生脱ぎバニーガールセットかこれ? そうなのか? それだったらまた話は変わってくるぞ」
小金井は自他共に認める変態だ。女優のトップレスシーンがある映画は片っ端から観ていたし、日活ロマンポルノとソフトンデマンドを語らせたら彼の右に出る者はいない。俳優を目指しているのも、かわいい女優とキスがしたいからという理由だと自分の口から公言しているほどだ。彼はまるで中学生のような男だった。まあ俺も含め、映画の専門学校にくるようなやつは大体そんな、世間をよく知らずに甘く見ているような連中ばかりだが。
俺は、特殊メイクを自分の顔にすることは何度もやってきたから抵抗はなかったのだが、女に似せるメイクとなると話は違う。まず斜め後方から客観視している別の自分を振り払わなくてはならない。それに、小金井などのニューハーフ要員たちのメイクとは違って、俺のメイクはナチュラルすぎると男のままだし、きつくするとニューハーフになってしまうという技術的な難しさもあった。やはり、女性っぽい丸みを帯びた顔にするために、特殊メイクで頬の肉を多少つけなければなりそうだ。
「かわいいぃ」
同じE班の俳優専攻の後輩、高田美鈴が俺の顔を鏡越しに見ながら言った。
俺はその反応に怪訝な表情をした。どうせ女特有の、「かわいい」って言ってる自分ってかわいい、的なノリだろ。
「かわいいか、これ?」
「三島くん、すっごく可愛い」
両手を頬にあてがい、ジャニーズを見る乙女のような表情で高田が言った。
「ほんとに女の子みたい」
「そうかな・・・」
俺はその言葉を疑っていたが、まんざらでもない自分もどこかにいた。
「余田さん、かわいいですよね?」
シナリオを確認していた余田がいぶかしげな表情でやってきた。
「かわいいですよね?」
高田が必死でアピールする。俺はプロデューサー様のご意見を無言で待った。
「いいこと考えた」ようやく余田が口を開いた。「衣装もいくつかあるし、これから完璧な女装をして、今日家までの帰り道を女装のまま帰れ。そうすれば、すれ違う人の反応とかでちゃんと女できてるかわかるだろ? 女はどう歩くのかとか、どんな仕草をしたら女っぽく見えるのかとか、いい勉強にもなるし」
開いた口がふさがらないとはこのことだ。そんなことできるわけない。無理! ぜったい無理!
女装は公然わいせつとか迷惑防止条例とかに引っかからないだろうか?
ピンクのワンピース、ハイビスカスのついたサンダル、肩まで髪があるカツラをかぶり、万全にこしたことはないとスネの毛まで剃らされた俺は、その格好のまま町を歩く羽目になった。帰り道という部分はなしにしてもらい、学校の最寄り駅周辺を歩くという条件になんとか譲歩してもらった。それもやはり余田さんのうまい交渉術なのだ。将来ネゴシエイターにでもなればいいのに。
踵のあるサンダルのため、履いているとちょっとした段差でも躓きそうになり、どうしてもうつむき加減になってしまう。その猫背を、余田さんに何度も注意された。鎌井も面白半分でついてきて、俺がさり気なく振り返るといつも笑いを堪えるような仕草をした。もう開きなおるしかないと思い、モデル歩きのように足をクロスさせて大股で歩くと、すぐさま余田さんから「それはそれでおかしい」と注意された。
側溝のフタに右足のサンダルの踵がはまり靴が脱げた。俺は慌ててそれを拾おうと屈んだ瞬間、ワンピースの背中の部分から布が裂けるような音がした。
「足を開くな。屈むときは閉じろ」
余田さんが少し離れたところから注意する。
というか、女のお前がいつもできてないのに、よくそんなこと言えるな。
サンダルを穴から抜き取ってそれを履こうとしたのだが、左足のサンダルの傾斜がジャマでうまくバランスがとれず、靴を手に持ったまま立ち上がった俺は、あたりに腰を掛けられそうなところを探した。
「手を貸しましょうか?」
背後から女性の声がしたが、余田さんではなかった。
振り返った俺は、その人物が誰なのかまったく見当がつかなかった。映画学校の生徒ではなさそうだ。俺の困惑した表情を読み取ったのか、女性が笑顔をうかべる。
「真弓香奈といいます。三島さん・・・でしたよね? この前の日曜日に“キラスタベリー”でお会いしました。ミナミって言ったらわかってもらえますか?」
俺はあまりのショックでよろめいた。
「大丈夫ですか?」
俺の体を支えながら真弓が言った。
男だということどころか、名前までバレてしまった!
「いやあ、これは違うんですよ」苦笑いを浮かべながら言った。「今度の文化祭で女装をテーマにした映画を撮ることになりまして、それでリハーサルも兼ねてこうやって女の格好をしながら歩いてるんです。ほら、あそこに――」
さっきまで余田さんと鎌井がいた場所には誰もいなかった。
「あれ・・・?」
「とてもよく似合ってますよ」
真弓が笑顔で言った。
俺は裸足の右足を地面につけたまま、二人の姿を探した。
「あっ」真弓が俺の腰あたりを指差しながら言う。「破れてます」
まるでチャイナ服のスリットのように、ワンピースのスカートが裂けて、トランクスが見えていた。
俺がバイトをしているビデオ屋は、ビデオ屋というのは名ばかりで、その売り上げの大半はDSなどの携帯ゲーム機のソフトや、遊戯王などの対戦型カードゲームが中心だった。近くに学校が多いこともその要因で、放課後の時間帯になるとカード持参で店にやってくる子供たちが、店の軒先にある対戦用テーブルで夕暮れまで戦闘にいそしんでいる。
俺は入荷したばかりのAV作品の陳列作業をしていた。店長いわくAVの売り上げも最近は落ち気味らしく、その下降線に反比例するようにマニア向けの作品を多く入荷しているらしい。
“美女装オナニー”
どっからどう見せても女にしか見えないナース姿の若者が、自分の一物を永遠にシコシコするだけの作品。
いったい誰に向けての作品なのだろうか? そんなことを考えながらも、パッケージのその完璧な女装メイクに釘付けだった。
その時レジからベルの音がした。俺は陳列途中の作品をカゴに入れると、入り組んだアダルトコーナーから小走りでレジに向かった。
レジの中には先輩店員の加護さんがいた。
「三島くん、お客さんが用だそうだ」
「お客さんが?」
そんなことは今まで初めてだった。ここで働いていることは家族と鎌井以外には誰も知らないはずだ。
レジ前に顔を出すと、そこに神坂仁がヘタな笑顔を浮かべて立っていた。
「やっぱりここだった」
確かに神坂には、店名など特定の情報は伝えていなかったものの、バイト先がビデオ屋だということは教えていた。この近辺のビデオ屋はうちだけだった。
「ああ、神坂さん」
俺も愛想笑いでそれに応える。
「たぶんここじゃないかなって思って」
「今日はどうしたんですか?」
「いやあ、それほどの用ではないんだけど」おどおどとした口調で神坂が言う。「今度発売のFFの最新作をここで予約できないかなと思って」
「ええ、ちょうど今日から予約受付していますよ」
そう答えながら、神坂がそんな男っぽいRPGをすることに少し驚いていた。どちらかというとラブプラスのような恋愛シミュレーション系のほうがイメージに合っている。
「予約特典がほしくてね」
神坂が応募予約用紙に記入しながら言った。
俺はようやく納得した。
「この前は鎌井が失礼しました。あいつ、ああいうとこいくの初めてで、緊張していたみたいで・・・」
「いやあ、別にかまわないよ。いつもひとりで行くもんだから、みんなでワイワイするのも楽しかったし。また行こうよ」
「そういえばさっき、道ばたでばったりミナミさんに会いましたよ」
「ミナミちゃん?」
想像以上に、神坂が驚いた様子で顔をあげた。
「どこで?」
「学校の近くです。偶然にも、近所に住んでるみたいで」
「どんな格好だった?」
「普通の格好ですけど・・・」
「なんか僕について言ってなかったかな?」
「いやあ、なにも言ってなかったですけど」
「・・・そっか」
「なにかあったんですか?」
「いや、別に・・・」
神坂はそう言うと、ふたたび予約用紙に記入し始めた。ところが、とつぜんペンを握る手が小刻みに震えだし、文字が波打ちだした。
「やっぱり予約はいいや。給料日前でカネないし」
「そうですか・・・」
「正直にいうと、今日はきみの顔を見にきただけなんだ」
なんだその理由。おっさんに好かれるとかマジ最悪。気持ち悪い。気持ち悪い。
「またなにかあったらよろしく頼むよ」
「ええ」
「じゃあ、またメールするから」
「わかりました」
神坂は店を出るさい躓いて、開いた自動ドアに肩をぶつけていた。