ビックリドッキリスパイシーカレーチーズ乗せ・フウオプ付き
神坂仁の執拗なメールに根負けして、もうひとり友人を連れていくことを条件に、メイドカフェにいくことにした。メイドカフェは、ヒーローとは対極にあるものだろう。だが、どんなヒーローにも裏の顔は必ずあるし、それがヒーローに人間味を与え、物語に深みを与える。何ごとも経験、メイクの勉強にもなるはずだと自分に言いきかせ、承諾することにした――まあ、興味がまったくないわけではないのだが・・・。
友人というのは鎌井大輔だ。彼の変人ぶりなら、メイドが何人束になってかかってきてもなんのその。
ということで、俺と鎌井は、指定された秋葉原のガンダムカフェの前で神坂が来るのを待っていた。鎌井は頭にバンダナを巻き、ペラペラのジーパンとリュックサックいう格好だった。リュックサックにはなぜか丸めたポスターがささっている。どうやらこれがメイドカフェに行く正装だとでも思っているのだろう。まあ、普段からフランケンシュタインやらドラキュラのプリントが入ったTシャツばかり着ている鎌井からすれば、案外ふつうの格好に見えた。
俺はというと、バンキッシュのストライプシャツにグレーのパンツ、腰にはシルバーのチェーンをぶら下げ、靴は履き古したローファーという格好だったーー言いたいことはわかる。だが、俺のせめてもの抵抗だと思って、それはあえて口にしないでほしい。
そして、もちろんマスクは必須。マスクで顔を隠すと、なんでもできる気がする。気がするだけで、基本的にはなにもできないのだが。
待ち合わせ時刻の5分過ぎに神坂がやってきた。いったいどんな格好でくるのかと思いきや、やつは、これからメイドカフェに行くというのに、メイドの格好で来やがった。ピンクのフリフリのワンピースに白い前掛けをつけ、頭には金髪のカツラとカチューシャをつけていた。カチューシャには、針金に突き刺さった蝶が一匹ゆれている。俺は遠目にそれを確認すると、念のため持ってきていた伊達メガネをポケットから取りだし、装着した。となりの鎌井はそれを不思議そうに見ていた。
「おまたせぇ~」
神坂が満面の笑みで手を振った。
俺は最初気づかないふりをしたらどうなるか試したい衝動にかられたが、先に鎌井が「もしかして、神坂さんですか?」と声をかけたため、俺もやむなく顔をあげた。
「きみが鎌井くん? 和春から話はきいてるよ」
よ、呼び捨て! いつからそんな距離が縮まったんだ、俺たち?
「イカしてますね、その格好」と鎌井。
「だろ。自分でつくったんだ、これ」
「自分で? 本当っすか? すっげぇ」
「まあね。生地から厳選に厳選を重ねてつくった一品だからね」
「一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」
「もちろんだよ」
俺がお互いの紹介役になる必要もなく、二人はすぐに打ち解けている様子だった。変人同士のシンパシーかなにかだろう。
俺、帰っていいかな?
「ねえ、相棒。シャッター押して」
俺は渡されたスマホで、ガンダムカフェをバックに二人の写真を撮った。
「はやく行きましょう」俺がボソッと言った。「はやくしないと込むんじゃないですか? 日曜だし」
さっさと歩く俺の後ろを、鎌井と神坂が話ながらついてくる。その話を盗み聞きしたかぎりでは、どうやら神坂はコスプレ衣装を製造販売している会社に勤めているらしい。鎌井はそれを知ると、今度の学祭に使う衣装をつくってくれないかと頼み込んでいた。お金さえ払ってくれればいくらでも作るとの返答だったが、その金額が学生のつくる自主制作映画の予算を大幅に超えるものだったため、断念した様子だった。神坂がいま着ているメイドの衣装も、諭吉さんで野球チームがつくれるぐらいの人数が必要だそうだ。英世さんチームでは到底歯が立たない。
目的のメイドカフェは裏通りにあるビルの四階にあった。
入り口の扉に“キラスタベリー”と手書きで書いてあった。ここが神坂一押しのカフェらしい。その入り口前にあるスタンド灰皿のそばで、明らかにドンキで買っただろうと思われるちゃちいメイド服を着たオッサンがタバコを吸っていた。
ここはメイド服がドレスコードってわけじゃないよな?
その男は店の前で順番待ちをしているのかと思ったが、神坂は彼を素通りして店内に入っていった。
「いらっしゃいませ、ご主人様。お嬢さま」
こっちをチラ見したメイドが、やる気のない声でいった。本物のメイドのくせに、メイドさのかけらもないメイドだな。ご主人様にむかってなんて態度だ! お前なんかクビだ! クビ!
「少々お待ちください、ご主人様、お嬢さま」
「何名様ですか? ご主人様、お嬢さま」
「三人」
神坂がぶっきらぼうに言った。
「こちらの席にどうぞ、ご主人様」
ご主人様ってつければ何でもいいと思ってやがる。っていうか、お嬢さまはもうつけないんだ。オッサンだと認めたんだな。それでいいんだな?
席についてまもなく、さっきの無愛想なメイドがかったるそうに水を三つテーブルにおいた。
「ご注文が決まりましたら、そのボタンでお呼びください」
「今日はミナミちゃんはいるかな?」と神坂。
「ミナミなら出勤してますが、別の客――ご主人様についてますので、時間かかると思いますよ」
いま、客って言いそうになったよね? なんでここで働いてんの? なにがしたいの?
「ええ、待ってます、ミナミちゃんが空くまで」
「ミナミ、つぎこっちお願い!」
無愛想なメイドが声をかけると、遠くの席からこちらを見て、満面の笑顔で手をふるメイドがいた。神坂も笑顔で手を振り返す。ミナミは両手を合わせて“ごめんね”の仕草をした。
「あの子がミナミちゃん。俺の一押し」
「へぇ、めっちゃカワイイ。アイドルみたい」
鎌井が感心した様子でいった。
俺はミナミちゃんよりも、いまカウンターの中に戻っていったメイドのほうが気になってしかたなかった――いや、ツンデレとかそういうんじゃなくて。
カウンターの中では三人のメイドがぺちゃくちゃ世間話をしていた。店内の席はガラガラなのに、お前たちはいったいなんなんだよ! とツッコミたい衝動に駆られた。ツンデレに変わる新しいシステムかなにかなのか? サボデレ? ムカデレ? イラデレ? これでデレられても腹立つだけだわ。
「仁にいちゃん、カワイイ、その格好!」
ミナミが両手で口もとをマスクのように隠しながら、おおげさに驚いてみせた。
「ああ、これ、俺の最新作」
「すっごぉい」
「ミナミにも作ってあげよっか」
「うん。つくって、つくって」
「じゃあ、まずスリーサイズから教えてもらわないと」
「もう」ミナミが口を膨らませる。「エッチ」
なんつー会話してんだ、こいつら? 気持ち悪い、気持ち悪い。
「はじめまして、ご主人様」ミナミが俺と鎌井を交互に見ながらいった。「こちらは初めてのご来店ですか?」
「ええ、まあ」
俺はそう返事をすると、鎌井を見やった。鎌井は、らしくなくそっぽを向いて、あからさまにキョドっている様子だった。
「両手を差しだしていただけますか?」
鎌井は固まったまま動かず、仕方なく俺が両手を差しだす。
「失礼します」
ミナミはとつぜん胸元から、人肌に温まったおしぼりを取りだすと、それで俺の手のひらを拭きだした。手のひらの汗が拭われた代わりに、背中からドッと汗が噴きだした。童貞には過激すぎる。
「ご注文はお決まりですか?」
上目遣いに俺を見あげた。やばい、カワイイ。
学校にも、女優志望の学生が集まってきているだけあってルックスのいい子はたくさんいるのだが、その可愛さはタイプの違う可愛さだった。一見ロリ系の顔立ちでも、女優志望の女どもはみな我の強いわがままな女ばかりだ。それにくられべて、目の前の従順な美少女は、ペットのようカワイさだった。しかも、そう思われることを望んでいる子の空気感。全世界の男たちが人生をかけて探し求めている女がそこにいた。
「僕はビックリドッキリスパイシーカレーのチーズ乗せ、フウオプで」
神坂が呪文のような言葉をさらりといった。
「かしこまりました。ビックリドッキリスパイシーカレーのチーズ乗せ、フウオプ付きですね」
ミナミが伝票をつくりながらくり返す。
「君たちはどうする?」
「えっ、俺ですか? えっとー」
メニューを見たが、丸文字が多すぎてどれが商品名なのかわからなかった。ふんわりやわらかクリーミーもふもふオムレツ? メルシーボクーアッセンブルサーモンサンドイッチ? もう何語かすらわからん。
「じゃあ、俺も神坂さんと同じもので」
「鎌井くんは?」
鎌井は天井を見あげたまま頷いた。
「じゃあ、三人とも同じもので」
「かしこまりました。三つともフウオプ付きでよろしいですか?」
「ええ」
ミナミは立ちあがると、「少々お待ちくださいませ」といってカウンターの奥に消えた。
「神坂さん、フウオプってなんですか?」
「フウフウオプションだよ。ミナミちゃんがフウフウして、アーンってしてもらえるやつ」
俺は一気に体をこわばらせたが、それを悟られないように「なるほど」とつぶやいた。
「ねえねえ」鎌井が俺の肩を叩き、天井を指さした。「あれ」
天井に小さな黒い点があった。
「ゴキブリの赤ちゃん」
ゴキブリ? ・・・あっ、ほんとだ。
黒い点が素早く動いて、照明の影に消えた。
鎌井が息を吐きだす。「よかったぁ。頭に落ちてきたらどうしようかと思った」
お前、それで固まってたの?
まもなくしてカレーが三つ同時に運ばれてきた。
「では、ミナミがご主人様のためにフウフウしてあげますね」
ミナミはスプーンでカレーとライスを一口分すくうと、肩を上下に動かしながらそれに息を吹きかけた。
「じゃあ仁にいちゃん、あ~ん」
神坂が大きく口をあける。タバコの脂がこびりついた前歯がのぞく。
「どう、おいしい?」
咀嚼しながら頷いた。
「よかったぁ。じゃあ、今度はそちらのご主人様」
スプーンを神坂に返すと、今度は俺のスプーンを手にした。まだカレーを口にしたわけでもないのに、全身から汗が噴きだした。
「はい、あ~ん」
俺は言われるがまま口をあける。何ごとも経験だ。経験してみなくちゃわからないだろ。ここを乗り切るんだ、和春。仕事だと思え、和春。
「どうですか?」
「おいしいです」
棒読みでいった。顔が赤くないことを祈ろう。
「じゃあ今度はこちらのご主人様。はい、あ~ん」
鎌井が酸欠の鯉のように口をあけた。
ムシャ、ムシャ、ムシャ・・・と、とつぜんゲホッという音を出して、むせ返った。
口を押さえるのが一歩遅く、黄色いご飯粒が口から大量に飛び出し、ミナミの顔にくっついた。
「き、気管にご飯粒が――ご飯粒が――」
あわてて水を飲もうとしたため、手の甲をぶつけてガラスのコップを倒し、テーブルの上が一面水浸しになった。
さすがの無愛想なメイド連中も、緊急事態とばかりにこちらのテーブルに集まってきた。
店内がてんやわんやしている中、俺は笑うのを必死に堪えていた。
やっぱりこいつを連れてきてよかった。
二人と別れた俺は、携帯で神坂に礼のメールをうった。メイクの方法や女の仕草を学ぶという名目でメイドカフェに入ったのだが、けっきょく女装の参考にはあまりならなかった。でも、なかなかいい人生経験にはなったと思う。ひとりだったら絶対にああいう類いの店に入ることはなかっただろうから。
帰りしな、近所のドンキホーテに寄って女装につかえそうな小道具を数点購入し、自宅にもどった。
家に着くと、なぜかリビングの明かりが消えていた。日曜の午後七時ごろはみな帰宅しているはずだし、外出するという話も聞いていない。
玄関に入ると、リビングの扉のガラス越しにテレビの明かりが見えた。映画でも観ているのだろうか? もし智花だったら、後ろからそっと近づいて驚かせてやろうと思い、すり足で近づいてリビングをのぞいた。
茜がリビングの中央においた椅子の上に立って蛍光灯を交換していた。その光景が視界に入った瞬間、脳裏に別の光景が思い浮かんだ。
“電灯の笠の下で、首を吊った状態でぶら下がる男性”
俺はドンキ・ホーテの袋を床に落とし、後ずさりすると、玄関の靴入れの棚に腰をぶつけた。
「ああ、ちょうど良かった」茜が言った。「蛍光灯が切れちゃって変えようと思ったんだけど、外し方が・・・どうかした?」
「いや、なんでも」
俺はドンキの袋を拾うと慌てて洗面所にむかった。胃の中のカレーが逆流しそうだった。それに堪えながら何度も何度も水で顔を洗った。
見知らぬ場所だった。天井も、電灯も、脳裏によぎった光景に見覚えはなかった。だが、その男性には見覚えがあった。父親だ。実父の写真は数少ないが、間違いなく父の姿だった。
あの光景は俺が勝手に作り上げた妄想か?
それとも・・・。
母は義理の父の話はしても、実の父の話はあまりしたがらなかった。だから、幼いながらも俺はそれを察して父の話題は避けてきたように思う。
俺は、いま考えていることすべてが自分の妄想だと信じ、父は今もどこかで元気に暮らしているはずだと自分に言い聞かせた。例えあれが、幼いころに実際に見た光景だったとしても、それを母に問いただすことなどできない。
父さんは自殺したの?
俺はそれを目撃した?
深夜三時をまわっていた。部屋の窓をゆらす風の音がうるさくて寝付けずにいた。読みかけのスティーブンキングの小説を開いても内容がまったく頭に入らず、電気を消して目をつぶってみても先ほどの光景がフラッシュバックのように蘇ってくるだけだった。ホラー小説の読み過ぎだろうか?
俺は眠るのを諦めると、さっきドンキで買ってきた女装用の小道具を試すことにした。本来は自分用の小道具ではなく、俳優専攻の小金井やその他ニューハーフ要員たちに買ってきたものだったのだが、買ったときから試してみたい衝動にかられていた。自分の部屋でなら誰に見られるわけでもないし、こんなお茶目な自分もいるのだと、新しい自分を発見するチャンスではないか。もしかしたら、メイドカフェに行ったときに前頭葉のネジが一本ゆるんでしまったのかもしれない。
部屋の扉の前に鉄アレイの乗った椅子を置くと――それはAVを観るときによくやる方法だった。茜はノックせずに部屋に入てくることはまずないが、智花はしょっちゅうだった。まだそういったことを気にする年頃ではないのだ――、パーティ用として売っていた網タイツのバニーガールの衣装を着てみた。
女装ということに気を取られすぎて、それが本来女性がコスプレ衣装として着るものだということを忘れていたため、ハイレグ部分が股に食い込み、俺の玉も棒も脇から完全にはみ出して、その部分が網に捕らわれた小人のようになっていた。その潰れた小人を鏡で確認した俺は、あまりの可笑しさにベッドの上に倒れ込み、声を殺しながら笑った。しまいには涙が流れ・・・いつの間にかその涙がなんの涙だったか忘れるほど泣きじゃくった。
俺は枕に顔を押しつけながら、その格好のまま朝方まで動けずにいた。