かわいい子には服を着せろ
「プロとアマの違いは何か? それは基礎ができているかどうかである」
余田さんが俺を指さしながら涼宮ハルヒばりのポーズを決めた。ぜってぇ涼宮ハルヒ好きでしょ? っていうか、なに、余田さんってハルヒのモデルかなんかなの?
「ということで・・・」
余田さんは自分のロッカーからボストンバッグを引っ張り出すと、中から古雑誌の山を三つ俺の机の上に置いた。non-no、ViVi、JJ、いわゆる赤文字系のファッション誌ばかりだ。
「私の本貸してあげっから、これでしっかり研究して、男が惚れるぐらいの女装よろしく」
俺が一番最初に驚いたのは、毎日Tシャツにジーパンみたいな格好で通学してくるあの余田さんが、こんなイケイケの女性誌を愛読していたことだ。
俺に研究を勧める前に女であるお前がまず研究しろ!
「ちょっと待ってください。どうして俺が山城くん担当なんですか?」
“山城くん”とは俳優専攻の一年生で、学校で一、二を争うほどの美少年と呼び声高い生徒である。グロテスクなオカマダンサーの中に紛れ込んだ中性的な美少年。出来上がったシナリオではこの山城くんがメインキャストを張る予定で、男性だけではなく女性も魅了しようという戦略だった。
「メイク班のなかで他に誰がいる? 井上はまだ一年生で経験不足だし、鎌井なんかにやらせたら映画のジャンルが変わっちゃうだろ。ここは妹が二人いる三島しかいないって」
「妹がいるからって女のメイクなんかできませんよ」
「だからこれから勉強すんだろ。三島はファンデーションって言葉の意味知ってる? 基礎、土台って意味。プロ目指してるんだったらファンデーションの一つや二つ使いこなせなくてどうする。特殊メイクがいつも張りぼてばかりだと思うなよ」
「それはそうですけど・・・」
俺は雑誌の山の中から数冊手にとった。
「これ、どれもファッション誌ですよ。どうやってこれでメイクの勉強するんですか?」
「確か、この中のどっかの雑誌にモテメイク特集って記事があったから、それを探せばいいんじゃないか? じゃあ、私はこれから山城くんと打ち合わせだから後はよろしく」余田さんそう言うと教室を出て行こうとし、「あっ、」と何かを思いだしたように振り返った。「あくまでも山城くんを女に見せることが目標だから。きれいなオカマじゃダメだ。女と見間違うぐらいが理想だぞ」
その帰り道、俺はダイソーに寄ると、女装に使えそうな化粧品をいくつか購入した。もちろん経費は学校もちである。余田さんにはレシートだけあればいいと言われたが、レジをしていたのが俺と同世代の若い女性だったため、学校名義の領収書を発行してもらった。あらがえない運命に対するわずかな反抗だ。
目の前にある仕事を一生懸命できないやつが、いったいこれからどんな仕事ができるっていうんだ?
俺は自分自身にそう言い聞かせた。映画“エレファントマン”を観てから特殊メイクという職業を知り、日本にいても特殊メイクを学べる場所があることを知ったときは、神様が俺のためだけに世界を構築してくれているのではないかとさえ思えた。前途洋々、未来はまばゆい光につつまれていた。
しかし、日本で特殊メイクアップアーティストを職業にする以前に、映画関係の仕事に就くことすらも難しいことを知ると、教育ローンまで組んで通わせてくれた母親に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺はその足でコンビニに立ち寄ると、ハーゲンダッツのメルティーキャラメルを一つ買い、ビニール袋を硬く握りしめながら足早に自宅に戻った。
家には母親と妹の智花がいた。母は夜の仕事に備えて、俺が学校から帰るこの時間はいつも寝室で寝ている。智花はリビングのソファに正座しながらDSをやっていた。
「ただいま」
「・・・おかえりぃ」
俺がソファの後ろから声をかけると、智花が鼻にかかった声で言った。
「ゲームやってんの?」
「ん?」智花が振り向きながら俺を見上げ、嬉しそうにDSの画面をこちらにむけた。「ラブベリ!」
「楽しい?」
「うん。トモ、おしゃれ大好きだから」
「智花、将来アイドルになりたいんだよな?」
「うん、そう。アイドリングに入りたい」
俺は鼻で笑いそうになるのをグッと堪えた。アイドリング? なんでそんなマイ――いやいや、いかんいかん。どんなに質素に活動しているアイドルグループだって、応援している側からしてみたらそれが生きがいだったりするものだ。頭ごなしの否定は世界を狭めるだけだぞ。世界中でたったひとりでもその虜になっている者がいるとしたら、それは50億人が魅力的だと感じる可能性を秘めているに違いない。
「なんでアイドリングなの? ももクロとかAKBとか他にもいっぱいアイドルグループあるのに」
「だってナオちゃんみたいになりたいから」
「そうなんだあ・・・」
「・・・なに?」
俺が何かを言いたげな雰囲気を察して、智花がきいた。
「いや、智花なら絶対アイドルになれるよ」
「ほんとに?」
声を一段と高くして嬉しそうに智花が言った。
「でも、お兄ちゃん、一つだけ智花に足りないものがあると思うんだぁ。あとこれだけあれば、絶対オーディションに合格できるっていうものなんだけど・・・」
智花がDSを膝のうえに置いて、急かすように僕の腕をつかんだ。
「えっ、なに? なに?」
俺はカバンの中からダイソーの袋を取り出すと、買ってきた化粧品をテーブルの上にまき散らした。
「化粧」
それを聞いた途端、首を捻って苦笑いをした。
「お化粧は・・・(ちょっと・・・)」
俺が特殊メイクを勉強していることを知っている智花は、化粧品を見た時点である程度察しがついた様子だった。今まで特殊メイクと称して顔に落書きされたり紙粘土をくっつけられたりした経験があったため、明らかに拒否体勢だった。
俺は必死で、メイクの練習台が必要なことを説明したが、話はちゃんと聞いてくれるもののまったく乗り気ではなかった。どうせまた化け物みたいにさせられてみんなに笑われるんでしょ、みたいな。
だが、ここまでは予測済みだ。何のためにコンビニに寄って、他の商品の倍ほども値の張るアイスを買ってきたのか。
再びバッグの中を探ると、俺はまるでドラえもんがポケットから道具を出すような勢いで最終兵器を取り出した。
「ハーゲンダッツのメルティーキャラメル!」
智花が生唾をのみこんだ。
リビングからダイニングチェアを一つ持ってくると、智花をそこに座らせた。もちろんハーゲンダッツはメイクが終わるまでおわずけである。俺は、口を尖らせて不満を表明する智花の首に白いタオルを巻くと、買ってきた化粧品と茜の部屋から勝手に拝借してきた化粧道具をテーブルの上に並べた。そしてその隣にはモテメイク特集のページを開いた雑誌。
「どれくらいで終わる?」
智花が足をぶらぶらさせながらきいた。
「おとなしくしててくれたらすぐだよ」
メイク開始。学校で道具の使い方や化粧品の種類、手順もある程度学んでいたから戸惑いはなかった。基本は特殊メイクの下地とそんなに変わらない。
俺は智花に顔の角度の指示を与えながら、雑誌の記事と智花を交互に見やり、慎重にメイクを進めていった。壁掛け時計の分針の音がやけに早く時を刻む。次第に俺の額に汗が浮かび、アイメイクに差しかかるころには全身汗だくだった。メイクを始めて四十分ほどが経ったころ、智花はうつらうつらし始め、「もう少しだから顔を上げておいて」と声をかけながら何度もその顔を持ち上げた。
メイクがすべて終わるころには窓の外はいつの間にか真っ暗になっており、智花は完全に夢の中だった。俺は智花が寝ていることをいいことに、どうせならと、ヘアメイクもすることにした。ポニーテールをほどいた髪を櫛でとかし、茜のヘアアイロンで毛先を内巻きにまいた。
―― ―― ―― ―― ――
「ただいま」
学校から帰ってきた茜は玄関で靴を脱ぐと、自分の部屋に行こうとした。と、リビングの扉が開いているのに気づき、ふと中の様子を確認する。部屋の中央あたりで誰かが後ろ向きに突っ立っている。白いワンピースに大きな麦わら帽子をかぶっているその少女は、身じろぎもせずにただじっとしていた。リビングの静けさが異様な雰囲気をかもしだしている。茜は一瞬、幽霊でも見てしまったのかと思ったのか、身じろぎし、見て見ぬふりをしようとした。しかし、その麦わら帽子が自分のものだと気づいたらしく、そっと部屋に顔をのぞかせた。
「トモ・・・? 何してんの?」
智花がゆっくりと振り返る。その大人びた表情を見た茜は、未来の智花とでも対面しているような戸惑いの表情をうかべた。
「お姉ちゃん、おかえり」
そう言って智花が笑い、ようやくいつもの小学3年生のあどけない少女に戻った。
「どうしたのその格好・・・化粧してんの?」
智花は無言でうなずくと、ソファのほうを指差した。ソファの後ろに隠れていた俺は、デジタルカメラの画面を茜にむけた。そこには撮ったばかりの茜の驚いた顔が写っている。
「ばっちり撮れた」
「どれ、どれ」
智花が麦わら帽子を押さえながら嬉しそうに駆け寄ってくる。
「もう。驚かさないでよ」
ようやく状況がのみこめといった表情で茜が言う。
そんな和気あいあいの兄妹のやりとりは決まって長続きしないものだ。
テーブルに乱雑に置かれている化粧道具が自分のものだと知った茜が、大きく息を吸い込んだ。
「ちょっ!!! 私のアイロン使ったの!?」
「ああ、ちょっと借りた」
「借りた、じゃないし。勝手にひとの部屋入んないでって言ったでしょ!」
「入ってねえよ。智花が入ったんだよ。あそこは智花の部屋でもあるんだから、セーフだろ」
「セーフなわけないでしょ。せめてラインで伝えるぐらいしなさいよ。っていうか、その帽子だって私のだし」
「別にいいだろ、減るもんじゃないし」
「だったら私も、兄貴のマンガとかCDとか勝手に借りるから」
「いいよ別に。部屋に一歩も入らずに持っていく方法があればな」
「兄貴の臭い部屋になんて、言われなくても絶対入らないわよ!」
「アイス食べよっと」智花がつぶやき、キッチンに消えた。
「お前の部屋だって、廊下まで甘ったるい香水の臭いがして吐きけがすんだよ」
「吐きけがすんのは、あんたの顔でしょ」
「残念。お互い様でした。ちゃんと鏡見れば?」
茜は舌打ちすると、テーブルの上の化粧道具をひったくっていった。
「化粧品は俺が買ったやつだからな」
茜は化粧品だけを床に投げ捨てると、足をならしながら階段を上がっていった。
「ねえ、お兄ちゃん」
俺が床に落ちた化粧品をひろっていると、アイス片手にスプーンをくわえた智花がやってきた。
「このハーゲンダッツのメルティーキャラメル、すっごくおいしいよ!」
「あーそうかい。そりゃよかったね」
「そんでさあ、口紅って舐めても死なない?」
翌日。学校のメイク室で、俺は智花のメイク後の写真を手にしながら何度も山城の顔と見比べ、「う~ん」と首をひねっていた。そこにプロデューサー気取りの余田がやってきた。
「どうした? さっきからずいぶん悩んでるみたいだな?」
俺は余田さんの顔に視線をむけて、あからさまにため息をついた。俺の技術が悪いんじゃないということを余田Pに伝えるためだ。
「やっぱり20歳の男と小3の女じゃメイクの乗りがぜんぜん違うんですよ。肌質が、新雪と泥のまじった砂利道ぐらい違います」
「ちょっと先輩、それ言いすぎっすよ」
メイク台の鏡の前に座っている、前髪をピンでとめた山城が苦笑いで言った。
「妹と比べるとどうしてもケバく見えちゃうんですよね」
俺が智花の写真を見ていると、余田が横からその写真をのぞきこんだ。
「かぁわいい~! これ、三島の妹? ぜんぜん似てない」
俺は苦笑いでその意見を受け入れた。半分血が繋がっていないのだから似ていないのも当然といえば当然だ。
「小学3年生? ずいぶん大人っぽいな。中学生――いや、女子高生って言われても信じちゃうわ、これ」
「身長は幼稚園生なみですけどね」
「そうなんだ? 写真だとスラッとしてみえる」
「余田さんから借りた雑誌を参考に、とりあえず妹をメイクしてみたんですけど、子供相手じゃ練習にならなかったです。やっぱり男をメイクするときは、ナチュラルメイクよりも特殊メイク寄りに変更したほうがよさそうです。ファンデーションとかも撮影用のほうがカメラを通すとちょうどいいかも――」
「できたあ!」
メイク台二つ分離れた場所でメイクしている鎌井がとつぜん声をあげた。
「ジャッジャジャ~ン!」
鎌井が小金井の座っている回転椅子をまわし、余田さんにその仕上がりを見せた。
小金井の顔は、まるでハイハイしたての赤ん坊が福笑いに挑戦したかのような出来だった。いったいどれが目でどれが口なのだろう・・・そんなレベルだ。
「鎌井。だから、ゾンビはNGなんだってば。せめて人間でお願い。やり直し」
なにをやってもゾンビになってしまうのはある意味天才だな、などと考えながら、俺は山城の顔の角張った部分に赤いペンでマーキングしていった。肌質もそうだが、本当の女性に近づけるのならば骨格から変えていかなければならない。どうやら“ナチュラルな特殊メイク”が今回の課題になりそうだ。