髪の毛からつま先まで100%ボケ
鎌井が学校を辞めたことを風の噂で知った。電話で直接真意を聞かなかったのは、今や〈勘弁しちゃうわぁ〉が今年の流行語大賞の有力候補にまであがるほど人気になってしまったスター様に、俺みたいな名の知れぬ凡人が電話をかけるなんておこがましいーーなんてことを考えたわけではなく、ただ単に嫉妬心からだ。あんなやつに俺が遠慮するとでも? 勘弁しちゃうわぁ!
自分よりもずっと下層にいたと思っていた人間が、突然手の届かないところに行ってしまったのは、どうにも納得できなかった。宝くじを一緒に買いに行った友人が一等を当ててハワイに移住したような気分だ。だが、その例えが間違っていることはわかっている。あいつは実力で勝ちとったんだし、あいつが移住したのはハワイというよりも、戦場だ。安住の地から抜け出せないのは、向こうではなくこっちのほうなのだから。
俺はずっと、この世界の主役は俺なのだと思っている。それは、いくら鎌井が売れようともやはり変わらない。どんな駄作な人生でも、その世界を見ているのは俺だけなのだから。
専門学校の最寄り駅をおり、いつもの風景のなかを歩いていく。
背後から「ミッシー」という鎌井の声が聞こえないのは、ちょっと物悲しい気もしたが、今では現実を受けいれられるほどの余裕もできてきた。俺もだんぶ大人になったということだ。今晩あたり、活躍をねぎらうメールでも送ってやろう。あいつのことだ、連絡してこないのは俺を変に気づかってのことだろう。そんでもって、時間が空いたら、俺の自宅に顔を出してくれないか頼んでみよう。オカマイちゃんが俺の知り合いだと知ったら、智花もきっと腰を抜かすに違いない。お兄ちゃんの株もうなぎ登りだ。
「ねぇ、ミッシー。無視しないでよ」なんてことを、あいつは口癖のように言っていた。
「ひょっとして怒ってる?」みたいに、あいつはいつも人の顔色ばかり伺っていた。
「シカトしないでよ、相棒」
「誰が相棒ーー」
振りかえると、そこにスーツ姿の鎌井大輔がいた。
「おひさ、ミッシー」
鎌井が屈託のない笑顔で言った。髪なが! お前は80年代のメタラーか!
「いいのか? お前も今じゃ一端の芸能人だろ。パニックになっても知らねぇぞ」
「ああ、大丈夫。俺っち、オカマイちゃんの格好じゃなかったらほとんど気づかれないから」
「そうか・・・お前、学校辞めたんだってな」
「辞めてないよ。ただ休学しただけ」
「でも、このまま売れていけば戻ってくる必要なんてないだろ?」
「俺っちみたいなもんが、このまま売れ続けるわけないでしょ。今だけ、今だけ。だって、来年消えてる芸人ランキングに載ってるんだよ」
「すげぇな。もうそんなのに載ってるんだ」
「そう。だから、いま必死で、芸能界に生き残れるよう試行錯誤してる段階」
「大変そうだな」
「まあね」
「芸能界って楽しいか?」
「めちゃくちゃ楽しいよ! 収録前に差し入れのお菓子とかたくさん食べれるし」
「そこかよ! まあ、何ごとも楽しいことはいいことだ」
「いま漫才とかコントの練習とかしてるんだ」
「お前が? ひとりで?」
「そう。事務所が相方をいろいろ探してくれてるんだけど、なかなか見つからなくて。事務所がいうには、売れてるピン芸人をコンビするのって、すごくハードルが高いらしくて、敬遠されちゃうんだって」
「というか、お前が敬遠されてるだけだろ。俺がもし芸人目指してたとしても、お前とは絶対コンビ組みたくないって思うもん。お前の存在自体がボケみたいなもんだから、どうツッコんでいいかわからねぇし」
「そうかな? 最近はけっこうちゃんとしてると思うよ。ほら、スーツとか着てるし」
「そこ。その考え方がもうおかしい」
「そっかぁ。じゃあ、俺っちはボケよりもツッコミのほうが向いてるってことかな?」
「んなわけねぇだろ。お前は、髪の毛からつま先まで100%ボケだ。そのボケを処理できるツッコミが存在しないってだけ」
そのとき、そばを通りかかった女子高生二人組が立ち止まり、鎌井の顔を見てキャーキャー言い出した。
「ほら、気づかれだしたぞ」俺が小声で言った。「じぁあ俺、学校いくわ。学校終わったらメール入れとくから、ヒマなときにでも返信くれよ。あっ、それと、俺の妹がお前のファンなんだよ。だから、ヒマなときでいいから俺んちに遊びに来てくんない、元同級生のよしみってことで。じぁあまた。がんばれよ、応援してっから」
「ねえミッシー」
「なんだよ?」
「俺っちとコンビ組んでくれない?」
「俺がお前とコンビ?」
「うん。俺っちをツッコめるの、ミッシーだけだと思うから」
「冗談だろ?」
「本気だよ。事務所の社長さんにはもう推薦してる。面接の機会もつくってくれるって」
「俺は特殊メイクの世界でやっていきたくて学校にはいったんだ。芸人になりたいなんて一度も思ったことない。だから、わるいけどーー」
「芸人も特殊メイクも一緒にやればいいよ。うちの社長さんはそのへん寛容な人で、今までに前例がないから面白いかもしれないって。芸人やれば、業界にコネもできて有利だと思うし」
「そんなこと言ったって、ツッコミのやり方なんてわかんねぇし」
「そんなことないって。だって、いつも俺っちのボケをツッコんでくれてたじゃん」
「あれはバカを正してただけだ」
「それでいいんだよ。それこそツッコミの重要な要素なんだから。どうかな?」
「う~ん。まあ、お前のとこの社長さんと話をするくらいならいいけど、学校は絶対卒業したいし・・・」
「その点はしっかりサポートしてもらえるよう、事務所に話しておく。コンビ名ももう決めてるんだ。ボーイミーツガール」
「なんだよそれ、ダサくねぇ?」
「あの作品が言ってみれば俺っちの原点だからさ。で、今の話、OKしてくれる?」
「まあ、別にいいけど・・・」
「はい、カットカットカット!」
どこからか男性の声が聞こえた。
と同時に、女子高生二人組が拍手する。
そばに停まっていたワンボックスカーのなかから、カメラクルーを従えた男性リポーターが小走りでこちらにやってきた。通勤通学中の人たちが立ち止まってこちらを注目しだした。
「いやあ、どうも、どうも、どうも。おめでとうオカマイちゃん。今の心境は?」
リポーターがマイクを鎌井にむけた。俺はただ、ぽかんと立ち尽くしていた。
「いやあ、最初は心配だったんですけど、ミッシーからOKもらえてほんと良かったです」
「三島くん、状況把握できてる?」
今度は俺にマイクをむけた。
「いえ」
「じつはこれドキュメンタリーでして、オカマイちゃんがコンビを組むところから、お笑い芸人としてどう成長していくのかをカメラで密着させてもらう企画なんです。今回が第一回目。ボーイミーツガールの結成を我々が見届けさせてもらいました。心境はいかがですか?」
「いえ、まだ理解できてないんですが・・・」
「ミッシーと俺っちがボーイミーツガールとして、これから芸能界の頂点を目指すって内容だよ。それを逐一カメラで撮影して、番組のコーナーにしてもらえるんだ」
「じぁあ、コンビを組むって話は本当なんだ?」
「そう。だから、ミッシーがOKしてくれなかったら、仕事が一本飛ぶところだったんだ。ほんと良かったよ」
「では、」とリポーターがカメラのほうを指さす。「視聴者の方にむけてひと言お願いします」
「はい」鎌井がしっかりとした口調で話し出す。「これから二人でボーイミーツガールとして頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。それとコンビのブログも本日から開設いたしましたので、チェックお願いします」
鎌井が頭を下げだので、俺もぎこちなく頭を下げた。
「はいカット! 本日の撮影終了です! お疲れ様でした!」
すぐさまプロデューサーを名乗る男性が寄ってきて、俺に詳しい経緯と正式な承諾をとりにやってきた。ギャラも、雀の涙ほどではあるがもらえるらしいーーきっと鎌井は、俺の何十倍、何百倍もの金額をもらえるのだろうが。
鎌井はスタッフが用意した折りたたみ椅子にドカッと座ると、朝食用のパンとコーヒーを買ってくるようマネージャーらしき人物に命じていた。
「では、休憩のあと、お二人での雑誌の取材がはいっておりますので、鎌井さんの隣の席に座ってお待ちください」
俺は言われるがまま、鎌井の隣の折りたたみ椅子に座った。
「ミッシーどうだった、ドッキリにかかった感想は?」
鎌井が足を組みながら言った。
「すげぇドギマギしちゃったよ。あれ放送されるのか?」
「モンテスQのコーナーで放送される予定」
「なんか恥ずかしいな」
「大丈夫だよ。ミッシーは素人だから、そういうリアクションのほうがリアルだし」
「お前だって素人に毛が生えたようなもんだろ」
鎌井はその言葉を無視した。
「ミッシー腹減ってる? いまパン買ってきてもらってるんだけど、ミッシーの分も頼もうか?」
「だいじょうぶ。それより、俺ら本当にコンビ組むのか? まだ信じられないんだけど」
「いちおう組むことは組むよ。でも、俺っちとミッシーじゃ売れないだろうな。今のお笑い芸人って、面白いのは当然で、そのほかにルックスとかスタイリッシュさとかも必要なんだ。ミッシーなんて、いつも浪人生みたいな格好だし、その顔だから、若い女の子に受けいれられるのは難しいと思うよ」
「なんだよ、それ。まるで、俺は若い女の子に受けいれられるけど、って言いたげな感じだな」
「俺っちはもう受けいれられてるし。ファンレターなんて毎日事務所にどっさり来るんだから」
「今だけだろ」
「そんなこと、ラブレターの一つももらったことのないミッシーにだけは言われたくないな」
俺は無言でいた。
しばらくして、マネージャーらしき人物がスタバの袋を持って小走りでやってきた。
鎌井はそれを無言で受けとると、袋の中をのぞいた。
「はっ? なんだよこれ。注文と違うじゃねぇかよ。俺が頼んだのはBLTサンドとコーヒーだよ」
「BLTサンドが無かったみたいで・・・」
「だったら電話するなり、一回戻ってきて聞きにくりゃいいだろ。お前ほんとつかえねぇな」
「すみません・・・」
俺はスッと立ちあがると、鎌井の右側頭部を平手で力一杯殴りつけた。
鎌井は椅子もろとも地面に倒れ、右側頭部を手のひらで押さえながら、俺の顔を見上げた。
「鎌井、調子に乗んな」あたりの空気が一瞬にして凍りついた。「お前は昔から、まわりの空気が読めなかったし、バカなことして人を引かせたり、コバンザメみたいにくっついてきてベラベラ喋りっぱなしで、正直うっとうしいと思うこともあったけど、そんなお前でも人をけなすことは絶対にしなかった。どんなに人からけなされても、誰かをバカにしたり、見下したり、陰口を叩いたりすることは絶対になかった。そんなお前が俺は好きだったんだ。それなのに、今のお前はなんだ? 芸能人かぶれのただのクソ野郎じゃねえか。お前とコンビを組む? 冗談じゃない。俺が了解したのは、過去のお前とだ。今のお前とはいくら金を積まれようが断る。せいぜいひとりで頑張れよ」
俺は固まっているプロデューサーのほうに向きなおった。
「申し訳ないが、今回撮影した分はなかったことにしてください。もし、モザイクなり声を変えて編集した映像を使うとしても、身元がバレる可能性が少しでもあるような使い方をしたら、出るところに出させてもらいますから。そのつもりで」
俺は、フラッシュモブなみに停止しているスタッフたちの間をぬって歩き出した。
「はいカット!」
学校の校舎の物陰から学生クルーを引きつれた余田さんが出てきた。
「良い演技だったぞ、三島、鎌井」
その声に、鎌井がようやく立ちあがる。
「ミッシー、強すぎるよ」自分の頭を撫でながら鎌井が言った。「本気で痛かったんだから。泣きそうだよ」
「あそこで手加減したら、せっかくの一大プロジェクトが台無しだろ」
俺が鎌井に歩みよりながら言った。
余田さんがモンテスQの番組プロデューサーに歩み寄る。
「初めまして。わたくし東京国際フィルム&アート専門学校で演出を専攻している余田という者です。番組に使っていただいている鎌井は、まだうちの生徒でもありますから、ドッキリを仕掛けられることを事前に知った上で、逆ドッキリを仕掛けさせてもらいました。こちらの映像の著作権に関しては相談ということで・・・」




